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下北沢ロフト オーナー長沢幹夫

元新宿ロフトの店長は、3日間徹夜して鉄と格闘し、お店を作った!?

最初、僕は新宿ロフトにアルバイトで行って、2年くらいやってから店長という形で。5年くらいいたのかな、17年前かな。もともとは歌いたくて、田舎から上京して。それで、ああいう関係の所にいれば何かあるんじゃないかな、っていう感じのありがちの(笑)。それで、6年目くらいにこっち(下北沢ロフト)来たのかな。最終的には離れちゃったんですけどね。

あの時(平野が下北を手放した時)に「長沢、お前、新宿また戻るか」なんて言われたんだけど。最初は新宿ロフトがすごい好きで、下北あんまり好きじゃなかったんだけど。来てやりだしたら、こっちも面白いなって。そしたら突然やめるとか言って。新宿より下北がいいや、そんな感じなんですよ。ロフトって名前使っていいから、退職金代わりここ、買えよって(笑)。僕にとってもラッキーな話で。26くらいの時かな、そのくらいの若造がさ、店1件持てるなんて、夢のような話じゃないですか。

新宿の話に戻ると、ブッキングは僕はほとんどいじんなかったです。とにかく現場の店長ですね。ライヴ終わってからの飲み屋としての営業の時の。大変だったですね〜。でも、あれはあれですごいおもしろかったですよ。終わってから飲んでて、好きになった連中っていうのは絶対いましたし、未だに付き合い続いてる方も何人かいますし。

氷室と一触即発! その時偶然…

俺が関わっていたのは、ARB、ルースターズの時代ですよ。あと俺がやめる頃に、暴威(後のBOØWY)が新人オーディションのゲストかなんかで来てた。で、いきなり氷室とケンカをしたというね(笑)。今日は新人dayか、って店入っていったら、リハが押してたらしくて、氷室がワーワー言ってて、早くやらせろ、みたいな。ちょっとまってくれよって言ったら、「お前は誰だよ!」って始まったから、「俺はここの店長だ、文句あるかよ!!」ってな感じで(笑)。一触触発になりかけた所に、(ドラムの高橋)まこっちゃんが降りてきて、「あれぇ!?」って。まこっちゃんて同郷で、兄貴の同級生、しょっちゅう家に遊びに来てたんですよ。もう全然なごんじゃって(笑)。あれはおかしかったですね。

まぁ一番飲んだのは(石橋)凌だね。凌とは毎晩のように飲んでたもんね、僕が勝手に思ってるのかもしれないけど、ホントに僕、兄貴のように慕ってて。キースもしょっちゅう。凌と、キースと、あと、(仲野)茂とかさ。ダディ(竹千代)さん、おとぼけキャッツの連中とか、泉谷さん入ると、もうぐちゃぐちゃなって、メロメロになってねぇ(笑)。

毎晩のようになんか、ハプニングがあった。4時頃電話来るんですよ、凌からさ、「長沢、今から行くから」「え。もう終わりじゃないですか」「行くから、開けとけ!」とか言うんですよ。そしたら、凌とさ、キースと、鮎川さんと、サザンの桑田さんと、あとシーナかな。5人で来たんだよ。で、今からセッションしよって言って。ぜーんぶ機材出して(笑)。4時過ぎから(笑)。8時くらいまで店の中で歌ってんの。

悠さんは変わんないんじゃないかな。パワーあるよね、やっぱり。パッとひらめいた事、なんでもやっちゃうじゃない。そのへんのエネルギーってすごいんだよね。それが、けっこう当たるから、悔しいっていうかさ(笑)。

なんか、新宿ロフトがニューヨークだとすると、こっち(下北)はロサンゼルス店みたいな。カリフォルニアみたいな、そういうイメージだったんだよね、あの当時は。

僕が入ったときは、なくなっていたんだけど、飲みに行ったりしてる頃は、潜水艦が真ん中にあったじゃないですか。でね、一番最初は潜水艦に砲弾がついていて、それがステージに向いてたんですよ。その頃を知ってるバンドマンはね、「あれ、やだったよね」って言うの。「こっちに大砲が向いてるんだよ。撃たれそうでやだったよね」ってよく言ってたよね。最初かっこよかったんだけど、けっきょく、お客さん入り出すと、それがものすごくじゃまになっちゃって。後ろがデッドスペースになっちゃうじゃないですか。それがもったいなくて、取り除いちゃったんですけどね。好きだったんですけどね。

新宿ロフトの改装の時にね、自分の人生の中で、最長、起きてた時間、っていうのがある(笑)。51時間くらい起きてて、徹夜で改装手伝ったの。あれはちょっとすごかったね。ミトさん(店を作った人)の助手よ。サンダーって鉄切るやつあるじゃない、キューンとかいって回って火花飛ぶやつ。あれ持って、作業員ですよ(笑)。それで51時間起きてた。労働しながらの51時間だからね、酷な店だよ、やっぱり(笑)。その時しんどかったけど、そのあと店が可愛く思えるよね、やっぱり。こんな言い方したら悪いかもしんないけど、パンク小僧に壊されたりすると、こっちだって腹立つよね、うん(笑)。冗談じゃねぇって。そんなこともあったね。

一時期は、まんなかに仕切りを作って、昼間も営業してて。最初は全部で営業してるのね。で、バンドのみなさん入るとね、仕切がができたんですよ。パパッ、パパッ、パッて。それで半分にして5時まで営業してるの。5時になると、すいません、終わりですって。すごい状況だよね(笑)。それも2年くらいやってたかな。でも昼間、あんまり入んないから、やめちゃったんですけどね、結局ね。

ライブハウスは飲めなきゃいけない

一番の思い出…一番っていうのは難しいよね。僕ちょっとマイナーなフォーク系な人がすごい好きで。悠さんに1週間だけ僕にくれないか、ってお願いして、僕が好きな連中だけ集めて、1週間やったことあるんですよ、悠さんに、いまいち入らなかったな、って皮肉は言われたけど(笑)。あれは楽しかったですね。

俺の新宿ロフトの中で一番大きいのは、やっぱ、ARBかな。とにかく、毎晩のように飲んだ。一番最初に始めて、僕がやめる頃にビッグになったんじゃないですか、その間ず〜っと見てたけど、すごい仲よかったし。そういう面では一番でかいかもしれないな。

演奏そのものがもちろんかっこいい、っていうのもあるけど、やっぱり対・人間、っていうの、すごい大事なんですね。いくらめちゃめちゃに見えても、やっちゃいけないことってあるじゃないですか、人間って。そういう所まで犯す人間っていうのは、僕つき合えなかったです。けっきょくそういう所かもしれないよね。でもそういう事って大切ですよね。嫌な奴もいっぱいいましたよ。はき違える人っているんじゃないですか。そういうのもかっこいいみたいなね。違うよ、っていう。今の若い人に言いたいかな。

僕が新宿で覚えたライブハウス感っていうんですか。今っていろんなライヴハウスって名前がついてて、大きい所いっぱいあるけど、全然僕はライブハウスって思ってないんですよ。小ホールだと思ってるんです。ライヴハウスって何かって、やっぱり演奏が聴けて、飲めなきゃいけない。僕、これがライブハウスだって思ってるんですよ。そういう、飲めるっていう部分も絶対に忘れちゃいけないっていうかさ、うん。それが新宿ロフトで教えられた事かな。下北ロフトも、本当の意味でのライブハウスを続けていきましょう、って。

だって、演奏終わって、お疲れ様でしたってお客さんみんな帰ってからっぽになったら、絶対小ホールだよね。ほんとの意味でのライブハウスってそうじゃないじゃないですか。それは、常々思ってがんばってやってるんですけど。大変です(笑)。