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DOLL代表取締役相川和義

「DOLL」と共に、とにかくロフトに通い続けてきた!

えっとね、確か「ZOO」って言う「DOLL」の前の、4号にね、新宿ロフトの意見広告(注1)みたいのがあって。それでうちにもロフトさんの広告出稿してくれたワケ。結構いくつか音楽専門誌に広告打ってて。ロフトって所との関わりはこれが一番最初。

新宿ロフトによく行きだしたのは、フリーのライター、当時評論家、をやりだしてからだったと思うけど。甲斐バンドか何かをロフトで見たような記憶残ってるから。まだレイアウトが潜水艦イメージしたみたいな、左右に席があって。1週間の内に毎日ロフト行くような状況ってやっぱり東京ロッカーズ以降かな。あの頃はまだ平野さんも現場にいて、なんやかんややってたけど。

当時雑誌なんかで食えないから、洗い場とか肉体労働のバイトしてたんだけど、それじゃ意味もないからフリーのライターもやるようになって。当時ミニコミのムーブメントみたいなのがあって、つまんないから自分達でやっちゃうって発想かな。その辺ってたぶん渋谷さんとかも一緒だったと思うけど。だからその辺の年代で始めてるところって多いような気がする。結果、今会社になってるけど、たぶんフールズメイトもそうでしょ。何年かずれるけども、だいたい創刊って同じような時期なんじゃないかな。

打ち上げね、どうだったっけかな。もっと飲み屋然としてた。カウンターとかもっと大きくて、朝までやってて。いつでも、なんか行き場所なくてもふらっと顔出せるみたいな雰囲気はあったんじゃないかな。ライブハウスではあるんだけどロック飲み屋、好きな飲み屋の一つみたいな感覚もあったんじゃないかな、ミュージシャンにとって。みんな、行けば誰かいるだろうって所はあったと思いますけどね。少なくとも居酒屋にいるよりはロフトに行って飲んでた方が面白かったんじゃないかと思うし。

(石橋)凌とか、あの辺くらいまでは、だいたいは1回は何かしらの形で飲んでるんだろうね、きっと。ロフトに出てるヤツとは。別に打ち上げに出なくてもいいのにね(笑)。

打ち上げって、手っ取り早いコミュニケーションだからね。暴れたり、喧嘩したりしなきゃ。バンドも何考えてるか、話聞いて面白いなって。今度ちゃんと取材という形で話聞いてみたいなとかね。単純に趣味で、話があったりとかね。

一番の印象は、何だろうな。じゃがたら、しょっぱなにバルサン2〜3個焚いて、火災報知器引っかかって、で、終わった。っていうのがあったけど。とか、スタークラブ、ライブ全部終了してるのに、セッティングし直してサービスライブをやった時。それをOKしたロフトのスタンスみたいなところもあるよね。

なんやかんやで、たしかによく行ったと思う。行きやすかったっていうのもあるんだろうな。取材とかでも、管理しっかりしてるから。昔はバンドのラインで入れてもらったりしてたのが、取材って形でお願いできないかって話したのは平野さん。ロフトさんが最初だった気がする。

うちなんかの雑誌はインディーズ系というか、ストリート系だから、ま、今の状況で行けば、縁切れるってことは絶対ないわけで。

やっぱり経験値の積み重ねだから。そんなにいちいち会って話して得なくても、わかるところはもうわかるっていう風になってるのはあるけど。自分がやらなくなった部分を、うちのスタッフがちゃんとやってたり。前はほとんど人がいなかったから。そこまでしなくても済むようになった、ってことですかね(笑)。

(注1)意見広告
ロフトが”音楽評論家”と呼ばれる人の発言に対し、”ライブハウス”という場所からのメッセージを発した広告。その全文は、書籍”ROCK is LOFT”に復刻してある。