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サインズ 音楽事業部 部長 / バンビ・ミュージック 代表取締役赤坂守

パンク・バンドの仕切り屋になってしまい、1年攻撃を受けた!

僕はロフトまわりでぐちゃぐちゃしてた(笑)。当時16〜17、出て来て3〜4年後か、お客さんで行ってて。元々は僕の大学の先輩で、今パワーステイションの高橋が東京ロッカーズのあとに枝分かれしたムーブメントみたいな、それをやってて。僕はその下で手伝いをやってた。高橋に悠さん紹介されて、で、ブッキングを始めたのかな。どっちかっていうとパンク、ニューウェイブ系が多かったんで、バンドとお店との、こう、中間管理職みたいな(笑)、立場で。

わりと悠さんがいい意味でおおざっぱだったから「んなきったねぇバンド連れてくるなよぉ」って言いながら、やらせてくれるんですよ(笑)「店壊すようなバンド、なんで連れてくんだ」って言いながら、またやらせてくれるんですよ。

ずっとそういうことをひとりでやってて、そのあと、2~3の事務所を転々としながら、バンビ(ミュージック)作ったんで。ま、お金はね、お客さんいっぱい入る時もあったけど、赤字もあったし。ぜんぶならして考えると、赤字(笑)。そこ頃まだ熱かったから、自分のやりたい企画や、いいバンド育てたいとか、企画したいって思いが強かったから。

で、だんだんさっき言った、バンドとお店との、はざまに入っちゃって。一時期、都内の、ロフト、ACB、鹿鳴館、ラママ、っていう主要ライブハウス全部、パンク系に関して、直接お店がバンドとやっても仕切りきれなから、全部こっちに話が回ってくるようになってきちゃって。僕、からだひとつで、多い時って15本から20本くらい毎月やってたのね。もうめちゃくちゃ忙しくて。お店からも「今度こういうパンクバンドがやりたいって言ってきたんだけど、パンクだから赤坂やってくんない?」とか言われて。手、回んないじゃないですか、そんなに。で、断るじゃないですか。と、お店はバンドに対して「仕切りをやってる赤坂っていうのがいて、そいつがダメだって言ったから、ダメです」って答え方をするわけ。そうするとやれなかったバンドから、ぜんぶ、矛先が僕に来ちゃう。なんであいつらはやらせて、僕らやらさないんだ、っていう。

ひとりの人間の仕事量、限界があるから、どうしてもやっぱり関係の濃いバンド、当時で言えば、奇形児とか、マスターベーションとか、ウィラードとか、スーサイドとか、あとスタークラブとか、関西のビートクレイジー系(注1)、あのへんのバンド達をやるだけで、もう月何本もになっちゃって。

バンド達から「なんで赤坂独占するんだ」と恨み買って。1年くらいね、毎日嫌がらせの電話。無言電話とか、イタズラ電話とか、毎日ですよ。殺すぞとか、いつのライブお前のやってるの潰しに行くからな、とか。1年くらい我慢したんだけど、もうイヤになって。で、やめたんですよ。個人ブッキングっていうのを。よかれと思ってやったことが、結果的に独占の批判の対象になって、やってられないじゃないですか、もう、そんな、ね(笑)。

もうやーめたって全部やめて。で、アンジーってバンド連れて、事務所作って。ま、ライブハウスで企画やるって言うよりは、ひとつのアーティスト売り出す方向に、変えたんですよ。裏方の方が、楽しいんだもん。自分でやるより、表に出るよりは裏から手を回す方が好きみたい。たぶん裏方やってる人達ってそうなんじゃないかな。

当時は、すごかったですね。企画する度に警察来たり、救急車来たり、ケンカあったり。でも、だいたいね、載せられないっスよ(笑)。飲みながらならね〜(笑)。しゃれになんないもん。覆面座談会やっても、そのネタを知ってるのは僕だから、バレちゃうよ(笑)。

(注1)ビートクレイジー
京都を中心に活動するパンク・バンド、コンチネンタル・キッズのギターSHINOYANと、紅一点のベースRANKOが運営する企画団体。京大西部講堂を会場にライヴ企画をしたり、関西のバンドのオムニバス・アルバムを企画したり、関西シーンにはなくてはならない存在。なお、今回この本(ROCK is LOFT)にメッセージをお願いしようと何度か連絡を試みたが、残念ながら連絡が取れなかった。