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ミストラルズ ミュージック荒弘二、佐藤文

元店長と、元経理担当、ふたりはロフトの移り変わりの現場にいた!

荒「僕、ロフトって3回くらいやめてるから(笑)。アルバイトの時もあるし。バンドブームって言われる時っていうのは、僕は店長じゃなくて、なんなんだろうね〜」
文「ブッキング担当のね」
荒「その時の店長は小林さんだもん。僕はもともと西荻ロフトで、一番最初はアルバイトして」
文「僕は烏山の時、働いてはいなかったけど、いつも行ってて。西荻からは働いていて。僕のあと(荒が)入ったのかな」
荒「西荻は1年くらい。下北が出来た時に復活したんだね。オープンした時は僕が店長、半年だけね。半年やってやめちゃうんですよ(笑)。まだその頃学生だったから。で新宿ロフトがオープンして、僕は大学を卒業して、職が無いからまたロフトに戻ったんですよ。その時新宿ロフトには店長が2人もいて、3人も必要ないからって西荻ロフトに行ったんです。で、新宿ロフトが潰れそうだという話になって、僕が新宿ロフトに戻って。それまではライブって金・土・日しかやってなかったんだけど、毎日ライブをやり始めたの。当時はライブよりも後の営業、それを目当てに飲みに来るって人がすごかったから」
文「すごい売り上げ上げてたし」
荒「経理はずっと文さん。経理って人がいたのよ。その人がやめて文ちゃんが経理に。僕は80年位にまたロフトをやめちゃうんですよ。それから文ちゃんが新宿ロフトを仕切るようになったの。店長はその時蟹江」
文「初め山崎だ。で、蟹江か。ロフト10周年の時は私です。苦労みたいなのってなかったような気がするけどね。ホールは初めてだからちょっと恐かったけども、けっこうみんな出てくれたんで。BOØWYメインなのかな、もうブレイクしてたからよく出たなって感じだったのかもしれない。10周年だから10日って、ただ単純に」
荒「ロフトサーキットは全部ついて行きましたよ。入院して行かなかったっていうのが何本かあるけど。2年にわたってやったんですよ。博多で、前の年ソールドアウトしてるんで、思い切ってホールをやって、転けたっていう(笑)。一番苦労したのは、新宿ロフトがオープンした時かな。やっぱ僕もハタチで店長で。で、出演するバンドが(山下)達郎とかそういう人たちでしょ。ハタチで先導してやんなきゃいけなかったし」
文「僕は、新宿でね総務みたいなことやってたじゃない。だからヤクザ、あと隣近所の不動産とか大家。そのへんが一番いやだった。けっきょく店長さんっていうのが若いから対処できないんだよね。パンクの連中とかね、ああいう変な格好してるのがうろうろしてるだけでやだって」

バンドブームの時に森田童子入れろって言われても…

荒「アナーキー出したのは僕なんだけど、アナーキーをつぶせって動きの方が強くて。パンク系の連中がアナーキーをつぶすっていう。大変だったもん。俺何度も殴られそうになって、止めに入るから」
文「コマーシャルイズムな感じで、やってたから。仕掛けを」
荒「僕もいけなかったんだけど、事務所が来て、パンク系の前座に出してくださいって。気軽にいいんじゃないのみたいな感じでやったら、業界が50人くらい来て。アナーキー15分くらい演奏して、終わったらその50人くらいわーっと帰っちゃうわけですよ。従来のアマチュア・バンド、ふざけんなって話になりますよね。そういうのがばーっと伝わって。BOØWYは僕、見たことがないの、暴威とかやってた頃は漢字見て何だこりゃって思ってたもん」
文「あれも、やっぱり仕掛けなんだよね。当時ビクターか。氷室“狂”介、きょうが狂うって字でさ、もろパンクを意識してて」
荒「バンドブームの頃はみんなデビューしてたね、みんなみごとにつぶれちゃったけど。ワンマンやって300楽勝に入るバンドでも5バンドくらいでやってたから。それがまた当時のすごいところで。ロフトに戻った時に、店員に今見なきゃいけないバンドってどれって聞いたら、一番最初にカステラって言われた。見たら、びっくらぎょうてん。すげーえ、って思って」
文「でもほんとにバンド残ってないよね」
荒「クスクスとか登場した時もびっくりしたもんね。やっぱ正直言って入れたくないっていう。クスクスはもう出来上がってて超満のバンドだったから、今さらやりたくないなっていう。平野さんはまたその手のバンド大っ嫌いだったから。だからそういう時に森田童子入れろって言われて、困っちゃったもんな(笑)。山崎ハコはどうしたんだ、とか言われて。そんな、今いれてどうすんのよって」
文「そういうロックに彼は理解のある人じゃないから」

なぜか“ロフトが育てた”となる不思議

荒「ロフトって何でしょうね。いやでも、日本のロックシーンの中で、一時代をちゃんと作った。J-ROCKの基礎を築いた、と言っても、過言ではないと思うよ、確かに」
文「個人的には22の時に西荻に入ったから、25年位いるんだよね、もうこの世界っていうか(笑)。ちょっとくさいけど、青春そのもの、みたいなね。けっきょくそういう世界で生きてるでしょ、今ね」
荒「出てるバンドは変わっていくけど、ロフトはそのままじゃない。これだけロック産業が肥大化した中では、もうメインにはいないけど。あのね、ロフトっておもしろいなって思うのはさ、他でいろんなムーブメントがあるわけですよ。それがすごくでっかくなって、最終的に絶対ロフトを経由するワケですよ。初め、ロフトはそいつらに冷たいんですよ。 で、気がついたら、そいつらもうすごいビッグになってたりするわけです。でも1回はロフトに出たいって願望があるわけですよ。ロフトはビッグになった時に出すわけですよ。そこから一気にでかくなってもうロフトには出ないんだけど、なぜか、ロフトが育てたってことになっちゃうわけ(笑)」
文「それは言えるよな。だからどっかね、地方の方で、地道にね、ちゃんと頑張った人がいるかもしんないよね」
荒「今でも思い出すの、某バンドをね、名前が悪いって出さなかった事があるの」
文「平野さんが(笑)」
荒「でも、そのバンド、結果的にでかくなったんだよね。ひどい話だと思うけど。音も聞かずに名前が悪い。そりゃねぇだろって感じだよね(笑)。とかね、僕の記憶では、やっぱりRCサクセションとかをぼろくそに言ってた覚えがある。とある人がね(笑)。けっきょく新宿ロフト出さなくて、下北ロフトと屋根裏に出てて、すっげぇでかくなって。そいで平野さんまだ現役の頃だから、RC出せ、RC出せ、って。でもね、RCに冷たくしたのは、あなたですよって(笑)」
一同「(笑)」
荒「彼は、森田童子やりました、でいいのよ。そういう人だから。実際、毎月出てて、お客さんも超満で、あるひとつの世界を作った人でしょ。それはそれでありだったんじゃないかなって思う。だからね、ロックって嫌いだったんですよ、ロフトって(笑)」