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オーバスミュージック福岡風太

センチのマネージャーも、新宿ロフトの床で眠ってツアーした!

西荻のロフト、ボロボロの汚い所(笑)。 そこで悠さんから電話かかってきて、74年か。その当時「春一番」<注1>いう年に1回のコンサートが大阪にあって、その出演者を悠さんがすごく好きやった、悠さんと僕の趣味がわりと合うてたワケや。悠さん、オープニング記念週間のタイトルを「春一番」って付けたいって言うわけや。俺は悠さんに、自分で考えた方がおもろいで、人の真似せん方がええんちゃうのって言うたけど。出演者わりと同じような感じやった。「春一番」ゆうタイトル、使いよったんかな(笑)。

俺らが一番お世話になったのは、新宿のロフト。センチメンタルシティロマンスってバンドがあるんやけど、東京でやる時は、新宿ロフトに決めたの。時代が変わってパンク・ロックとか増えてくるやん。でも俺達は相変わらず呑気に、呑気に、のウエストコースト系の音楽やった。全然他のバンドとは異色やったんやけど、敢えて俺らはかまへん。だからセンチが出る日だけ客筋ちゃうの。

おはようございます〜って入って行ったら、必ず寝袋でごろごろ何人か寝とる。それはすごいええ時代やった。俺らも同じ様なツアーの仕方やから。食えないとか食えるとか、以前の問題というか(笑)。 その時代はやっぱり楽しかった。経験するいうことはおもしろいことやからね。それが一番最低の物やとしたらありがたさがわかるやん。そのほうがやっぱりここ(ハート)が、余裕あるいうか、あったかみも出るんのんちゃうかな。

ライブハウスにはレコードがあって、それがまた珍しいレコードで。地方のライブハウスで、東京でも滅多にないブルースのレコード持ってたり。そこで泊まれるのは楽しみでもあるの。マスターにな、ちょっと聞かせて言うて。つぶしたらあかんぞ、持って帰ったらあかんぞって(笑)。 ええ時代よ。

仕事になんかなるかいな。俺は借金(笑)。 バイトしてへんでぇ(笑)。僕は年に1回「春一番」ってコンサートをやるのが生活のサイクルやった。それが9年続くワケですよ。舞台監督だけじゃメシも食われへんし、「春一番」の出演者の人達のレコード作ってみたり、ツアーやったり。そういうことで1年過ごすわけ。

70年代の俺たちが好きだった曲は、今でもものすごい残ってる。だから若い奴にもそんな曲聞いてくれよ、みたいのが「春一番」の一面ではある。だから「春一番」は懐メロ大会ち違ういうことを言いたいわけ。「春一番」の話になってるけど(笑)。

寝袋で寝てた人らが誰なんかもちろん覚えてないし。だけどそういう店やったゆうのはやっぱり安心できるよね。悠さんはそこまでハートがあるやっちゃなっていうのを一発で表現してるやろ。泊まってってもいいよっていうあのオープンさは、やっぱり貴重なんちゃうかな。あの当時、全部がそうじゃなかったからね。特に東京なんかはどんどんシステム化して行って。ロフトもチェーン店にしてもうけてるんちゃうの、言われても、俺は知ってた。どんなヤツやいうの。お互いに同じ時期に同じ様な体験をしてて、片やロード・マネージャーで、片やライブハウスのオーナーで、助けたり助けられたりというか。お金を出したのにどうのこうのじゃなく、もっと大事な物があったし。

しんどい時があるから、わかるんでしょ。幸せばっかりやったらもっと上見るしかないから。ええ時もありゃ悪い時もありゃ、まあ、辛い事もあるべ、って(笑)。 でも楽しみやから。やせがまんやな。それもええやろ。問題ないし、誰にも迷惑かけてるワケやない。ああ、かけてるかな(笑)

<注1>春一番
福岡風太氏により、1971年から1979年まで連続して開催された大阪名物の一大コンサート・イベント。1995年に復活、2006年からは「祝春一番」の名称で現在に至っている。1997年も5月の連休に野外音楽堂で行なわれた。この年の出演者は、ゴンチチ、友部正人、大塚まさじ、めんたんぴん、など、3日間で150人以上が出演、気ままなセッションも多数行われた。大阪名物なので「春一番」の正しい発音は、頭にイントネーションのある関西弁である。