第116回 ROOF TOP 2007年11月号掲載
「絶望から希望へ……阿佐ヶ谷ロフトAついに始動!」

<阿佐ヶ谷ロフトどこへゆく? 60過ぎの新たな緊張感とスリル>

中央線・阿佐谷駅近くにロフトグループが新店舗を出すことになった。
さりとて、ロフトという会社の業績がものすごくいいわけでもない。銀行から借り入れまでしての新店舗設立計画なのである。いつもこの会社を「引っかき回している」のは私のせいだ。いくら無責任で怠惰な私にとっても、今回の新店舗制作は、久しぶりに緊張感とスリルを否応もなく味わう事になった。

私も10年ぶりに、スケジュールのブッキングもやってみた。キチガイじみた猛暑だった8月から残暑厳しい9月にかけて、退職年齢に達した老いぼれじじいが、新店舗イメージングに人生終焉の断末魔のごとく必死にのたうちまわった。いつまで執着できるかわからないけれど、自分の書斎といった閉ざされた空間でなく、何とか肩肘張らずに楽しめる自分の居場所にこだわりたかった。

そんな気になったのも先日、元プラスワン店長で名プロデューサーだったシンスケ横山氏が、天下のニフティと組んでお台場に「TOKYO CULTURE CULTURE」というロフトプラスワンに似たトークライブハウスを出したことも影響しているのかも知れない。素晴らしいことに他にも、東京では不定期だがお笑いや環境・社会問題なんかのトークライブをやり始める店が続々と出来ている。そんな状況を尻目に、「これからの文化発信の中心は、六本木でも秋葉でもなく中央線だ!」と怪気炎を上げる阿佐ヶ谷ロフトAは、どこに行こうとしているのか? ロフトという空間は、お客と店側と出演者の三位一体で作るものだという私の信念は変わらない。「真の驚異は阿佐ヶ谷ロフトだ」と、プラスワンの新責任者となる加藤梅造に言わしめるくらい、新しいカルチャー発信基地として勢いのある空間にしたいと願っている。本誌が出る11月には、オープニングスケジュールが公開されているはずだ。ご期待あれ。


<日が沈んだあとの夜の街こそサブカルチャーの天下だ>

この数年、偏屈な私はプラスワンにほとんど行かなくなった。
そのきっかけは、数年前であったか、プラスワンのステージに「アントニオ猪木、野村克也監督&サッチー、せんだみつお」が並んだときだ。私は「よし、これで俺のプラスワンでの役目は終わったな」とどこかで実感した。

私達ロフトは、いわゆる「サブカルチャー」をこよなく愛している。新宿コマ劇場でやっている演歌ショーも、怖い怖いと言われる歌舞伎町の「人情あふれる裏通り」も、「メイド喫茶」も「各種風俗」もサブカルだ。確かにこの時代、メインカルチャーとサブカルチャーに敷居というか境目は見えにくいものになった。しかし私にとっては、『朝日新聞』や『文藝春秋』や、「NHKの天覧試合」はやっぱりメインカルチャーなのだ。

Jポップとパンクが違うように、メインカルチャーはいわゆる「太陽」であり、昼間燦々と他を寄せ付けず輝いている。しかし太陽が沈み夜になると、空には小さな満天の星くずの世界が広がる。すなわち太陽が沈んだ夜の闇は、どこか怪しげな違法性も含めてまさにサブカルチャーの天下なのだ。言い換えればメインカルチャーとサブカルチャーの関係は差別と被差別であったり、大人が作った既成の価値観やシステムと、それに反抗する「若者達の反乱」なのだと思う。あの雑学の大家・唐沢俊一氏が言う、「B級文化が一番面白い」の世界なのだ。そしてそんなサブカルスポットの集まるマカ不思議な中央線沿線・阿佐ヶ谷にロフト新店が出来るのだ。


これが阿佐ヶ谷ロフトの図面だ。プラスワンと同様、座敷席も有るのが面白いでしょ。御覧の通り、バースペースは入口が別なので、イベント中でも出入り自由だ)

<バースペースが怪しげな「密談」や「議論」を生む?>

誰が言い出したか──あの車体のオレンジ色が何かを誘うのか──中央線は人身事故が他の路線より多いという。

「……しかし、中央線のオレンジ色にはとてつもない負のパワーが至る所にあり……ヒッピーや貧乏文士の町であり……東横線の様におしゃれでなく、小田急線の様に女子大生が多いわけでもない。西武池袋線みたいに東スポ的でなく、中央線のキーワードは損得ではなくなにかにこだわること……シンボルは古本と猫」(三善里沙子『中央線の呪い』ニ玄社/94年/扶桑社文庫/99年)

阿佐ヶ谷ロフトAのテーマは「絶望から希望へ」であり、その町への「土着」だ。なんといっても今回の私たちの新店舗の自慢、というか勝負は、ライブスペースに隣接された「居酒屋ロフト」(20時〜翌朝4時まで営業)だ。日本全国探してもこんな「ライブハウス」はないと思う。ライブを観に来たお客さんと、普段酒場にたむろっている飲み助達とのコミュニケーションを図るため、怪しげな「密談」が出来る「出撃拠点」スペースとしてこの場は設けられた。

ライブハウスを経営して30年近くになるが、私の一番の不満は、既存のライブハウスはあくまでもその日のライブチャージを払って、スケジュールに告知された出演者を観に来る人だけの空間となってしまっていることだった。だからライブ公演が終わると、お客さんも出演者も、三々五々家路に急ぐしかない。ライブそのものはどんどんショー化され予定調和化される。ライブが終わってすぐその感動を誰かに伝えたり、俎上(議論)に載せたりするセッションはなくなってしまった。出演者とお客さん、お客さん同士のコミュニケーションも限られていた。しかし「阿佐ヶ谷ロフトA」はその垣根を取っ払う。この居酒屋常連とライブのお客さんとの融合を目指す。お客さんや出演者の誰もが、朝の4時までその空間を追い出されることはない。

ライブ会場のステージバックには、無理を言って山田玲司画伯(『週刊ヤングサンデー』(小学館)連載『絶望に効くクスリ』著者)にお願いした。さてどんな絵を描いていただけるかが楽しみだ(噂では「山田玲司ゲルニカに挑戦」とか)。チラシにはコミックの一コマを借り受けた。

正式なオープンは2007年12月1日。まだ店の工事が始まったばかりで、どんな環境や音周りになるのかわからないのに、みんなお祝いとして快く出演を快諾してくれた。うれしい限りである。これもロフトプラスワン12年の孤高の歴史がなせる技なのかもしれない。本当に皆さんありがとう。

日本一の秋晴れの穏やかな10月の日曜日、私はとてもいい「気」を運んでくれる、ちょっと冷たい風にぽつねんと感謝している。キンモクセイの香りの中、「抜けるような高い青空」の秋を感じ入って見ている。多摩丘陵に沈む赤い太陽が書斎から見えた。刹那! 私は無性に走りたくなった。そろそろ紅葉の季節が近づいているのを感じながら、自宅付近のマラソンコース5キロを汗をかきながら走ってみた。家に帰ると猫の米子が、「人間っていいにゃ〜」と私に話しかけてきた。そういえば猫って、白黒でしか世間が見えないのだそうだ。


今月の米子♥

お前様ももう2歳。人間の都合により不妊手術を受け、野外にも出さないから運動不足で、腹も出てしまった。申し訳ないな。それでもどんなに遅く帰っても、私の階段を上る音を聞き分けて、出迎えてくれるのにはいつでも感謝。子供と猫とどっちとるかと言われれば絶対猫だね。





ロフト35年史戦記 第32回  新宿LOFT立ち退きへの戦い─5(1994年)

1994年7月13日、そうそうたるメンツが日比谷野外音楽堂に集まったロフト支援ライブ「KEEP the LOFT “で で で 出てけってよ”」。そしてその直後には、新宿LOFTと川崎クラブチッタでも、「KEEP the LOFT 〜PROPAGANDA SIGNAL〜」と題するライブシリーズが続いた。仕掛人は、G.D.FLICKERSのヴォーカル・JOE。ロフトの西新宿時代を語るのに絶対外せない男の一人だ。野音には一応顔を出したものの、なんとこのライブシリーズにはひとつも顔を出しておらず、なんで始まったのかも知らない(笑)私は、JOEがマスターをつとめる 高円寺のロックバー「CHERRY BOMB」を訪ねた。(構成:今田 壮)


<「俺はロフトがやりたいんだ」「なんでロフトやっちゃいけないんだ?」>

平野 平野:G.D.FLICKERSは、ロフトワンマンを何度もやってたんだよね。
JOE:2daysも何回かやったよ。
平野:そうか、そりゃすごいな。メジャーも行ったんだよね?
JOE:ビクター5年。デビューコンサート、渋谷公会堂だよ、俺。
平野:そうなんだ(感心)。
JOE:デビューが89年の4月21日で、4月25日に渋公やってるから。すぐバーンって行って、そのあとホール展開をレコード会社とか事務所はさせて行きたいわけじゃん。儲けるためには。だけど俺、ヤだったんだ。ブームなんて絶対去るの分かってたし。流行ったもんは廃れるんだから。だから、何回もビクターの会議室で揉めて。「俺はロフトがやりたいんだ」「ホールもやるけど、なんでロフトもやっちゃいけないんだ?」「いや、イメージが悪い」「なんで悪いの?」って。だけど「絶対やる」っつって、半年か一年くらいしてから毎月やり始めたの。帰る場所を作っておきたかったのよ。だから、今でも普通にそういう場所でも続けてやれてる。ギュウギュウのとこでやる快感ってのがまたあるんだ。ホールだと空間があるからさ。それとやっぱりね、もともとアナーキーとかルースターズとかARBとかが大好きで、だから新宿LOFTに出たいと。初期衝動なのよ。だからその人達と知り合いになれると思ってもなかったし。それを知り合いになれる場所がロフトだったし。


<裁判終わるまでやるよ、ロフトが好きなやつがこんなにいるんだよ>

平野:野音の「KEEP the LOFT」の直後に、10、11、12月と、新宿LOFTと川崎クラブチッタでマンスリーでロフト支援ライブをやるでしょ。これは何なの?
JOE:野音はわりと大御所・先輩達中心で。そんなかに俺は混ぜてもらったけど、あれに出たかった人はもっともっと俺の周りにいっぱいいて。俺より下の連中も、またロフト好きなワケよ。あとは、一回きりで打上げ花火みたいに終わらせるのは嫌だった。裁判はまだまだ続くって聞いてたから。ライブをシリーズでやることで、こういうことが続いてるんだって分かるじゃん。まだまだ裁判終わるまでやるよ、こんなに他にもいるんだよってね。
平野:それを提示したかったんだ。ありがとう。そうですか。
JOE:ある意味俺が若い連中の兄貴分的だったから、その連中を集めて。チッタの場合は、野音みたいにいろんなバンドをスクランブルでセッションしてやったわけね。既成のバンドじゃない。
平野:これ全部セッションバンドなんだ。
JOE:うん。例えば俺とTHE STREET BEATSのOKI君とのアコースティックユニットとか。当時はまだ売れてなかった、役者の宇梶剛士に歌わせちゃったりもした。俺はハードロッカーじゃなくって、どっちかってっとアナーキーみたいなロックンロールなのに、髪の毛が長いということでハードロックよりの『ロッキンf』って雑誌によく出てたわけ。だからそっちのエクスタシー系のバンドなんかも誘えたし、ジャンルもバラバラだったね。
──野音の前にはもう準備は始まってたんですよね?
JOE:もちろん。シゲ(当時のロフト店長・現社長の小林茂明)に「野音の後どうすんの?」って言ったら「考えてない」って言うから「じゃ俺にやらしてくれ」って。だからそんなに離れてないでしょ。
平野:何か面白い事件とかなかったの? 女をマワしちゃったとか。
JOE:ないよ!(笑)
──ブッキングから何から全部JOEさんがやってたんですか?
JOE:そうだね。(出演者を一人づつ指差しつつ)東京ヤンキース、Redies Room、あとは……ZIGGY、POGO。動員も良かったよ。で、アガリは「裁判代に使って」って全部あげたの。
平野:すんませんね。そういうのがあって、ある時期から裁判所が大家に調停に応じろ、追い出すなと圧力かけはじめるわけ。署名とかライブや、マスコミが騒いでくれたのがすんごい大きかった。今から考えると有り難くって仕方がない。でも当時はあんまりそう思ってなくて、俺は篭城したかった。俺の中で「ロフト解散論」ってのが常にあるんだよ。伝説とか老舗とか、そういうのクソくらえじゃん。


<夜中に酔っぱらって平気で電話かけて来て「今から開けろ!」>

JOE──一審で負けて、具体的に立ち退きの話を聞いた時はどうでしたか?「そんなのありえないだろ」みたいな?
JOE:うん、そのころはほぼ毎日、飲み行ってたし。あの西新宿のロフトは、生活に密着してるわけ、こっちは。ライブもやれば酒も飲む、いろんな遊びがあそこに詰まってた。だからやっぱね、必死になったよ。「なくなっちゃったら、どこ遊び行きゃいいんだ」って。
平野:この頃、夜中に酔っぱらって平気で電話かけて来て、「今から開けろ!」とかやるんだよ、ミュージシャンが。
JOE:グハハハハ。
平野:閉まっちゃった店を開けさせて、一銭も払わないで酒飲んでセッションやって喜んでる、みたいなことがしょっちゅう。
JOE:シゲもよくステージ上がってたよ(笑)。でも、いつまでもライブの後飲んでたのは、だいたいニューロティカまでかな。
平野:もうどんな客でもとにかく呼び込んでお金取って。それを少しだけバンドのギャラにしたいから、一人500円にしろとかさ。
JOE:ハハハハハ。
平野:それ飲み放題だよ(笑)。だから評判が良かったの、ロフト。それでOKしちゃうんだから。
JOE:出演した時は、打上げに出るの遅くなるじゃない。着替えたり楽器とか片付けたりして出てったら、座るとこないの。知らないやつも混じってるから、ステージの前までいっぱい。主役こっちなのに飲む場所がない。「どーいうことだコレ!」って店員に怒ってたよ。
平野:(笑)
JOE:よくわっけ分かんないパンクの人なんか前に座ってたりして、ケンカ売られるわけよ。で、一人やっつけると次のライブで別の刺客が来るわけ。面倒くさかったよ−。
平野:この話はいい話だ(笑)。ぶっ飛んじゃったよ。刺客が来るってのがスゴイねー。それを常に倒しに行くんだ。
JOE:でも俺、一回ロフトの便所でぶっ飛ばされたことがある。女に。
(一同爆笑)
JOE:パンチパーマでゴッツイ、男に見える女に。トイレのバタンバタンて扉があって顔だけ見えてて、向こうから睨んでるの。で、出ようとしたら、扉越しにいきなりボディアタック。バーンッてやられて、俺、便器にガーンッて飛んで。「なんだテメーこのヤロー」ってなるじゃん。そしたら店員に止められて、「女ですよ」って(苦笑)。
平野:その女はなんなの??
JOE:あとから分かったんだけどファンの子。歪んだ愛情だよね。
平野:(笑)JOE達とかJOEの上の世代達とかは、お客を巻き込んでどうやって一発ヤッちゃおうかとかさ……。
JOE:ハハハハハ。
平野:あそこの階段でオマンコやってんの何回見たか。いい加減にしろよお前らって(笑)。要するに何が一番楽しいかっていうと、一般の客を交えて乱交みたいな打ち上げやりたかったわけだ、みんな。
JOE:(爆笑&苦笑)
平野:そうだろ? そうなんだよ(と勝手に結論)。俺から言わせると、ロフトの楽屋なんかもうホテルじゃん。鍵がかかるんだよな、あそこは。
JOE:あれね、鍵がダメになったことがある、一時。
(一同爆笑)
JOE:店側が「いい加減にしてくれ」ってことなんだけど。それでね、裏の階段から上に行くと……(笑)ちょうどいい場所がある。
平野:(ニヤニヤしつつ)うんうん。何回俺は呼び出されたと思ってんだ、ビルの大家に(笑)。
──そりゃ大家から追い出されますよ(笑)。
平野:そうだよな。だから俺はね、むちゃくちゃそこいらは同情的だったんだ、大家に。いくら約束されたってね、そんなライブハウスの再入居なんて絶対イヤだよ(笑)。


<俺はこうして生きて来たよ、俺はバンドまだやってる>

平野:俺は今回、JOEの教訓も伝えておきたいの。JOEはいい時もあれば落ち目も経験してる。高円寺に店も持って、表現活動もやってる。売れたい、売れたいと強迫観念みたいに日夜うなされながらってわけじゃないわけだよ、もう。
JOE:そりゃま、お客さん多い方が楽しいけどね。
平野:まあな。お客に受ける受けないが一番にあって、自分の表現じゃなくなって来るようなヤツが多いのに対して、JOEさんは、俺はこうして生きて来たよ、俺はバンドまだやってる、と。
JOE:まだやってるねえー。
平野:当然まだやってる。ということをどう伝えるか。今ロフトSOLD OUTだろうが、若い子達は絶対おびえてると思うんだよ、将来を。
JOE:バンドで食ってたわけじゃん、デビュー前から給料もらってさ。それが6、7年たったら給料もなくなり……でも最初はね、働きたくないわけよ。パチンコとか競馬とか、ギャンブルでなんとか食いつなごうとかしたけど、でもそんなのも長くは続かない。で、しょうがなしに現場仕事に行く。2年半ぐらいやったんだけど、けっこうキツい肉体労働で、朝早く起きて、毎日違う現場行って物運んで、夕方クタクタで帰って、早く寝ちゃう。バンドの練習なんか力入んないし。ロックっぽくないのよ、なんかその生き方がさ。夜中起きててナンボだろ、ってやつがね、早寝早起きじゃねえ。
平野:(爆笑)
JOE:音楽に触れる機会もすごくなくなって。電車乗って現場行って仕事して、帰って来て寝るだけ。で、ロックバーやれば、好きな音楽を人前で平気で聴けるじゃん。ここにいる間はずっとロックの中にいるから、ロッカーでいれるのよ、なんか。早起きして日銭稼ぐよりは。
平野:ロックを続けるという意味では、こっちの生き方の方がいいと。
JOE:うん。あのね、この店ができて9年なんだけどさ、西新宿LOFTの閉店と入れ代わりにここがある。悠さんは細かいとこ気が付いてないけどさ、これ、ミリまで高さ同じなの(と、トントンとカウンターを叩く)。店を壊す前に、巻き尺持ってって計って。これがあそこで一番過ごした高さだから。
平野:へー(笑)。
JOE:だから、(カウンターに肘をつきながら)ここに立ってこうやると、ロフトのあの環境と全く同じ。(カウンター上の青いライトを指差しつつ)で、これは、新宿LOFTの玄関にあった「L」「O」「F」「T」の、ネオン管の材料の余りなのよ。ロフトが西新宿から歌舞伎町に移転して店が大きくなるからさ、よく来てた人が気軽に飲みやすいように、ここを作ったのもある。自分なりに考えたんですよ、これでも(笑)。


「KEEP the LOFT 〜PROPAGANDA SIGNAL〜」
KEEP the LOFT 〜PROPAGANDA SIGNAL〜1
1994年10月29日(土)
新宿LOFT(ALL NIGHT)
出演:THE MINKS、RYOTA BAND、ザ・チャイナボウルズ、THE 100'S、G.D.FLICKERS

KEEP the LOFT 〜PROPAGANDA SIGNAL〜2
1994年11月12日(土)
新宿LOFT
出演:RANTNRAVE、RYOTA BAND、THE MINKS、THE STREET BEATS

1994年11月13日(日)
新宿LOFT
出演:レディオジャック、ザ・チャイナボウルズ、THE 100'S、G.D.FLICKERS

KEEP the LOFT 〜PROPAGANDA SIGNAL〜3
1994年12月15日(木)
CLUB CITTA' 川崎
出演:アコースティックユニット(JOE&OKI、BOICEユニット、IWATAユニット[以上、横道坊主、THE MINKS、RYOTA BAND、ザ・チャイナボウルズ、DIE-ZW3E、THE 100'S、THE STREET BEATS、G.D.FLICKERSより])、セッションユニットA(佐々木和也、佐藤博英、高田佳秀、岡本有史、AKIO)、セッションユニットB(沢向要士、今井秀明、SHON、市川勝也、森原光司)、セッションユニットC(宇梶剛士、渡部充一、外丸健児、AMI、大山正篤)、セッションユニットD(水戸華之介、原敬二、JACKie、George、UDA)、「LOFT23時」セッション(全出演者、【G】原敬二、セイジ【B】RANDY、【Dr】KEITH、DEBU)、総合司会:スマイリー原島

G.D.FLICKERS&JOE

LIVE Info.
11/18(日) 高円寺Gear(薄情:JOE & HAKUEI)
11/23(祝) 新宿ホリデー
12/1 (土) 阿佐ヶ谷ロフトA(JOEのみ)
12/10(月) CLUB CITTA' 川崎

稲田 錠(JOE)主演・演出&キャスティング
ROCK映画『ATTITUDE』2008年公開予定(現在撮影中!)
http://www.attitude-movie.com/index.html

G.D.FLICKERSのヴォーカル・JOEがマスターのロックバー
「CHERRY BOMB」
杉並区高円寺南3-58-17 PLAZA USA B1(高円寺駅徒歩2分)
22:30-6:00/日曜休
http://www3.to/cherry-bomb/



『ROCK IS LOFT 1976-2006』
(編集:LOFT BOOKS / 発行:ぴあ / 1810円+税)全国書店およびロフトグループ各店舗にて絶賛発売中!!
新宿LOFT 30th Anniversary
http://www.loft-prj.co.jp/LOFT/30th/index.html


ロフト席亭 平野 悠

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