第154回 ROOF TOP 2011年2月号掲載
おじさんの眼
「10年振りにアメリカに行ってきた」後編

アメリカで卒業するということは……

 アメリカに留学していた息子が、昨年12月にめでたく卒業とあいなり、私はかみさんの強い説得もあり、アラバマ州ジャクソンビルでの卒業式に出席する羽目になった。
 アメリカの大学は、入学は簡単だが卒業となると日本の大学とは違いもの凄く厳しい。我が息子の大学の場合、卒業できているかどうかは、卒業式の2日前にネットで発表になる。それまでは本人すら分からないという。「では、卒業式に遠くからやって来た家族はどうするんだ?」「それでは本人も家族にかっこ悪いから、卒業式には出席できるが、最後に渡される封筒に卒業証書が入っているかどうか、開けてみるまでわからない」と言う。面白いね。日本もこうなれば、合コンしか知らないバカ学生がいなくなるんじゃないのか?


真冬のヨセミテ国立公園で幻想的な風景の中に立つ。

 卒業式のついでに──と言っては問題だが──サンフランシスコに私の父方の爺さんの墓があり、私の従兄弟や親戚一族が多数住んでいるというので、式に参加する前に、墓参りがてら訪ねてみることにした。
 今まで私は、我が平野家一族の系譜など全く興味がなかったし、自分の死んだオヤジからほとんど聞いたことがない。恥ずかしながら、我が混血児一族の自慢話になってしまいそうだが、シスコの親類から初めて聞く話がたくさんあったので、少しばかりお付き合い願いたい。


ラスベガス名物2ホワイトタイガー。先月号はホワイトライオンだったが

ヘンリー・P・Vさんは偉かったのだ

 私の祖父にあたるヘンリー・P・Vさんは、カリフォルニア州生まれ。祖先はスコットランド貴族の家系であり、一族にはナポレオンの最初の皇后ジョゼフィーヌがいるとか(ホントかいな・笑)。
 カリフォルニア大学卒業後、20代でオランダ・ハーグの国際司法裁判所の判事となる。のち実業界に入り、若くして億万長者となる。どうも弁護士時代にひと山当てたらしい。その後はパリ音楽院に留学し、浮世絵を研究。俳句、連歌、能、茶道、書画に熱中したとか。
 1880年頃、米国東海岸で日系移民への排斥運動が起きた際には、迫害された日系移民たちをカリフォルニア州サンマテオの自邸に招き、励ましと共に職を与える。その一方で日米協会(The Japan Society of San Francisco。The Japan Society of Northern Californiaの前身)を創立、初代会長として日系移民たちを援助。日露戦争のポーツマス講和会議ではルーズヴェルト大統領に随行し、帝政ロシアによる東洋侵略政策を批判。
 1893年に初来日し、巌谷一六(いわやいちろく。滋賀県出身の政治家・書家)から「武威(ぶい)」という雅号を受ける。常に和服を着用し、京都に住み、主に四条派の画家たちに師事。明治天皇に仕えていた平野駒と東京で結婚。仲人は柳原愛子(やなぎわらなるこ。大正天皇の母)。
 1920年に帰米。同年12月23日、カーネギーホールにて排日運動反対演説をおこなっている最中に、壇上で倒れ急死。親日の功により、旭日勲二等を贈られた。

 ……ということらしい。明治生まれの父の家にはバイオリンの名器・ストラディバリウスがあり、しょっちゅう明治天皇からの使者の馬車が来ていたと言っていた。長い間、嘘っぱちと思っていたが、どうやらホントらしいと思った。
「そうか。私の爺さんは、当時白人からアジアのイエロー・モンキーと差別されていた、東洋(日本)のために、少しは役立つことをしたんだ」と思ったら、少し嬉しくなった。


ラスベガスは町中がディズニーランドみたいだな

ヨセミテ国立公園〜ラスベガス〜アラバマでの卒業式

 シスコでは音楽関係の友達とも会い、後は息子の卒業式に参加するだけとなった。シスコからアラバマまでは遠い。途中、真冬の凍りついたヨセミテ国立公園にバスで入山し、猛烈に寒かったけれど、非常に幻想的な光景に出会えた。アメリカの自然保護というか国立公園管理が徹底しているのには感服。「うん、ここも聖地なんだ」と実感した。が、あまりにも寒くて瞑想するわけにいかなかった。一人でゆっくりこのパワースポットと対面したかったが、観光バスツアーに参加していたので断念。
 次の日は、勝負師の都・ラスベガスに。ここはまさに資本主義の諸悪の根源の街だ。だから歌舞伎町並に面白い。みんな、ひと山当てにギャンブルに来る。華やかなネオンの陰で、スッカラカンになって肩を落として帰る観光客を大勢見た。私は、というと、一緒に来ていた息子が、ビギナーズラックでそれなりな金を稼いでしまった。私の勝負はお陰でボロボロとあいなった。


アメリカの田舎大学の卒業式風景。広大なキャンパスの中の小さな体育館で行われた

 卒業式なんて、卒業する本人はどこかで感無量なのだろうが、私はただ退屈なだけだった。しかも、アラバマの南部なまりの英語が、一つもわからないのだ。青森や秋田の老人が、方言を使っているようなものだ。
 なまじちょっと英語を喋れるから悪いんだと思って、この旅で私は、生まれて初めて外国で「私は英語が喋れません」と言った。そうしたら「well」を入れなければおかしい、とかみさんがちょっかいを入れてきた。これにはちょっとショック。今まで何十年間も英語とスペイン語の勉強をしてきたつもりなのに、と思ったが、今さら英語なんか勉強してやるもんか、と決意を新たにした(笑)。


おじさん今月のロフト系美女(盗撮です)

大里千尋、23歳。そうです彼女は千の風に乗ってプラスワンに遣わされたのです。独身・恋人募集中とか?


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ロフト席亭 平野 悠

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