恥ずかしいことをどんどんやったらいいんです
──ニューシングルの『手紙』ですが、インディーズ時代からのこの曲を今回改めて録音した理由は?
山口:それは、なんかね、合致しなかった感じがあったんです。「あなた自身で確かめて」っていうのは、コミュニケーションの大事なところっていうか、今の空気にリンクしているんじゃないかなっていうのがあってですね。
──コミュニケーションが今、ひとつの大きなテーマだと。
山口:今、これだけいろんなことがあって、世の中大変じゃないですか。音楽としても今出すべき、今来たるべき新しいロックのコミュニケートの形っていうかな、そういうことを思いましたね。(『手紙』は)以前にも『月に咲く花のようになるの』のカップリングとして出したんですが、ちょっとグッとこないところがありまして、今だったらちゃんと録り直してやれるんじゃないかって。
──「分かち合う」というフレーズがキーワードになってますが、これは他の曲にも使われている言葉ですよね。
山口:うーん、「分かち合う」っていう言葉だけ言うのも恐いし、「愛と平和」っていう言葉だけ言うのも恐いですよね。ただ「新しき日本語ロック」と銘打ったからには、現実にこういうコミュニケートのことが一番重要とされることで、もしかしたら、ロックということに拘ると恥ずかしい言葉なのかもしれないけど、僕の中では全然恥ずかしくもなんともないですね。すごい重要な言葉というか。こういう言葉をロックが言わないでどうするんだと。
──日常の中でのコミュニケートとロックでのコミュニケートに違いはありますか?
山口:ロックンロールっていうのは日常の中のコミュニケートを大きくアンプリファイドしてなければいけないと思うんです。もしもみんながロックをそんなに聴かなくなってきているとするならば、コミュニケートが希薄になってきているってことだから、やっぱりそういうところに戻った方がいいと思いますよ。でも今は、日常の言葉が強くなってますよね。例えば、昔の若者が「満足できないんだ」って言うのと、「アイ・キャント・ゲット・ノー・サティスファクション」って言うのでは、後者の方が強かったんですが、今だと普通の奴が「満足できねえんだ」って言ったほうがよりリアルになってしまっている。ロックはそうした日常を超えたほうがいいと思うんですが。
──例えば、セカンドアルバムの中の『これで自由になったのだ』って、あえてすごい言い切っていると思うんです。だって日常ではみんな全然自由じゃないですよね。
山口:だから言ったほうがいいってことですよね。どうせ自由じゃないんだから。言った所から始めるってなもんで。
──その言った所のものがアンプリファイドされてサンボマスターのコミュニケートとして投げかけてられていると思うのですが、それが一方通行なものにならないように「あなた自身で確かめて」っていうのがこの『手紙』なんでしょうか?
山口:それは僕が一方的に投げかけているのではないかってことですか?
──僕っていうよりは、ロックってそういう所があるんじゃないかと。
山口:そんなことはないと思いますけどね。ロックっていうのはそれを聴いた人が俺もなんかやってやろうっていう相互的なコミュニケーションなんじゃないですか。
──サンボマスターがメジャーになったことで、自分たちの音楽が伝わっているという暗黙の了解がしづらくなることはないですか。
山口:逆に、僕らがNOって言われたほうがいいんですよ。(ドラマ「電車男」のエンディングで)僕らが秋葉原で寝っ転がっているのを見て「あいつ何やってるんだ!」っていう人は多いと思うんですけど、それでいいと思うんです。安易に連帯するよりもNOって言ったほうが。みんなと分かり合えるっていうのは甚だ難しいことですから。メジャーになったからマジョリティに発信しなきゃいけないってものではなくて、自分の中でやるべきことをやればいい。恥ずかしいことをどんどんやったらいいんですよ。だって恥ずかしいんですから僕ら、生きてること自体が!
──例えば、仲間内の前で裸になるのと、何千人の前で裸になるのとどっちがいいですか?
山口:それはね、何千人の前で素っ裸になったほうがいいですね。それは損得の問題で、どうせ小っちゃいって言われるなら、みんなから言われた方がいい(笑)。中には「あんな小っちゃいのを見たら勇気が出ました」なんて言う人が出てくるかもしれないし。
──でも脱ぎたくない時に、無理矢理脱がされるのはイヤじゃないですか。
山口:ああ、裸ってことに限らず、この曲をやってくれとかって事ですよね。まあ、それはやるしかないとは思うけど…でも、あんまりそういう時に嘘をついてもしょうがないから、今はやりたくないんだって言うようにしてます。出たくないライブには出ないとか。
──テレビとかもそうですか?
山口:俺達なんてテレビに出ていい姿じゃありませんから。テレビ出る度に怒られますからね。「何やってもいいですから」って言われて「じゃあ、いいのかな〜」って思いながらやると、結局後で怒られる(笑)。
木内:プロモーションのためにと思って出たのに、かえって逆効果ですよ。
──サンボマスターが映画「恋の門」(松尾スズキ監督)の主題歌をやった時は、ある意味すごく自然に思いましたけど、「電車男」の主題歌をやるって聞いた時は、ちょっと意外な感じがあったんですよね。
山口:「電車男」はね、まあ、いいんじゃねえのってなもんでね。秋葉系のお客さんが増えるのはイヤみたいなことも言われたんですが、何言ってんだって。ライブなんかみんな来たらいいんだよ。じゃあ何か?オタクって呼ばれる人が来たらロックじゃないのか、世の中。そんなこと気にする方がよっぽどロックじゃないよって思って。
安易に「愛と平和」って言うのも怖い
──あえてオタクに向けたっていうのはあったんですか?
山口:それはないです。そういうのはないけど、なんか、そういう事をやったらカッコ悪いっていう空気があったから、逆にそういう所でやりたかったし、そういう所で「愛と平和」って言いたかった。まあ、言ったら見事に笑われましたけど。
──え、笑われたんですか?
山口:笑われたけど、中には感動した奴もいるだろうし、それでいいんじゃないですか。
──去年のフジロックでは、「愛と平和」と『世界はそれを愛と呼ぶんだぜ』は、すごく伝わってたように思いました。
山口:あれはよかったですよね。嬉しかった。ただ、あの場にいたお客さんの全部に強制するつもりもないし、安易に「愛と平和」って言うのも怖いですよね。だって実際、自分の家族が殺されたら銃を持っちゃうわけですから。そんな悲しいことにならないように、愛と平和がいいんじゃないかっていうことですからね。まあ、フジロックで伝わったと思ってもらえるのは嬉しいですよね。
木内:あのステージはホントによかった。どしゃ降りの雨の中でお客さんの上に湯気がたってましたよね。
──文字通りホワイト・ステージでした。「愛と平和」を、ただの合い言葉にするんじゃなくて、具体的に今の戦争などの状況を踏まえつつ伝えていくことが大切なんだってことが、あのフジロックだったと思います。
山口:去年はフジロックもロック・イン・ジャパンもそういう感じだったんだけど、ひとつ嬉しかったのは、終戦記念日の前日に長崎でやった時に、長崎の人が熱狂的に受け止めてくれたんです。ああ、やってよかったなあと思いましたよ。だから、僕はそういうことをやりたいんですね。いつも社会的なことばかり考えてるわけじゃないですけど、やっぱり子供が殺されたりするのは嫌じゃないですか。だから僕は、そういうことが嫌だということを歌います。今回の『手紙』は、単に、あの娘が好きだっていう手紙でもいいんです。でも、やっぱりヘヴィな所で鳴ってしまう手紙でもある。
──そういうヘヴィなメッセージを大勢の人に伝えることのリスクもありますよね。
山口:恐いですよ。なんか言いにくい空気ってありますよね。なんなんだろう。なんか言おうとすると怒られるような空気って今いっぱいありますよね。だからこそ『手紙』は2006年の方があってるんだって実感します。言葉は難しいものだっていう。西洋と東洋がいがみ合ったりしている状況もあるし。そうじゃない世界にならないもんかって思いますよね。僕が言ってることがきれい事ならきれい事でもしょうがないけど、少なくとも僕はこう思うってことですよね。でも振り返ってみると、倉持陽一さん(真心ブラザーズ)の『拝啓、ジョン・レノン』って予言めいてて、すごい曲だなあって思います。そういうのを聞くと、勇気づけられますよね。ジョン・レノンとボブ・ディランだけが神様じゃなくて、先輩達ががんばっているんだってね。だからね、やっぱりロックはいい感じですよ!
──4月にはいよいよサードアルバムがリリースされますが、どんなアルバムになっているかを、さわりだけ教えていただけますか。
山口:18曲あるんです。1曲目が『二人ぼっちの世界』という曲で最後が『何気なくて偉大な君』っていう曲なんですけど、絶望して世界で二人ぼっちだと思ってから、でも隣の人はなんて素敵で何気なくて偉大な君なんだって思うまでという、それは、秒数にすると0.5秒とかの刹那の世界なんだけど、実はその世界っていうのは深淵で長い世界ですよね。その一瞬の永遠っていうかな、日本人じゃないとそういうことできないじゃないですか。そういうロック・アルバムって少なくとも僕は聞いたことないから、作りたいなと。ふっと思うまでの思索の早さ、18曲の思念の早さ、その中にある永遠を1枚のCDにしてみたかった。
──それはものすごく楽しみですね。来月はアルバムの話を是非よろしくお願いします。
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