パンツを脱いだサル ヒトは、どうして生きていくのか BOOK
栗本慎一郎 (現代書館)2000円+税

それは病から始まった
 とにかく素晴らしくよかった。そう、栗本さんが完全社会復活が出来て・・・と言う話なのだが、栗本さんが重度の脳梗塞で倒れて、ぎりぎりの死に際、激しい後遺症と闘いながら、「ついにちょっと見の病人には見えないところまで回復した訳だ。よっていまの私の姿を見れば誰もが『軽くってよかったですね』って言ってくれる。だが実際はとても重かった。」と本人が言うように、本書はベストセラー『パンツをはいたサル』(1981年刊)での書き残しであり、つまり『パンツを脱いだサル』と言うこの栗本慎一郎のライフワークの完結編なのだそうだ。私はうろ覚えだが栗本さんの前作『パンツをはいたサル』の主要テーマが「人間が人間たるゆえんは理性があるからだ」と言う一般 概念?(こんな難しいボキャブラリーは勿論本書の帯からのぱくりだが・・・)を拒否する、だったと思うのだが、この本は多くの話題性を呼んだ。  さて、本書は栗本さんが極限の死に様を味わった所から出発、自分が味わい克服してきた病気がベースになっていて「それは病から始まったー第1章ヒトはいかにしてヒトになったのか」そのテーマと言い分析力と言い実に迫力がある。この本は私にとってはとても難しい。私はまず栗本さんの肩書き「経済人類学」と言う事から理解する必要があった(ネットで検索すると沢山出てくる)。そもそも私はこんな学問領域があるなんて知らなかったよ。
 さてこの本はやっぱ難しい。それでさ〜、この本が私の平板な頭脳ではなかなか理解できないので、いつもカバンの中に入れて所かまわず読んでいたんだけど、やはり頑張っても10ページぐらいしか読めなくって、それでね、今日が最終締め切り後30分と言うところで、もう少し読者に解るようになんとか頑張って書こうと思っていたんだけど…… な、なんとその貴重な『パンツを脱いだサル』が紛失してしまって、もう一度買いに走る時間もないと来た。あわてて加藤梅造に相談したら「悠さんの書評って、いつもそんな調子だから大丈夫ですよ。読者も悠さんのそう言う偉いヒトが書く解説文的なものは期待していないし、ハチャメチャな平野流書評を期待して読んでいるんですよ」って言われて、さすがの私も、ちょっと凹んだね。(笑) でもね〜、この本ちょっと頭に自信のある人は絶対読んだ方がいいと思うよ。 (平野 悠)
※4/7に栗本慎一郎さんがNaked Loftに出演します。
「保坂展人・世直しトーク2006!Vol.4〜自民党とミミズ」 
【ゲスト】栗本慎一郎(経済人類学者)

失恋論  BOOK
切通理作 (角川学芸出版)1785円

雪山遭難者がじり貧に自分の腕とか脚とか 切って食うようなことではないか
 そうえいば、本を書こうと思ったことを思い出した……。
 忘れているということにしたかった記憶。失恋したからって、そんな大それたことを力量 もないのに思うとは……。しかし、本当にこうして本にした人がいるというのはなんて偉業を成し遂げたのだろう。それは自分とむきあっていかねばならないことなのに(本を出す、ということ自体もかなり勇気がいったはず)
 本文に「早くから物書きになりたかったので一一(略)ある程度自分を安定させてから世の中を冷静にみる、というのがいささか自分のズルいスタンスだったのような気がする……」とある。それを持ってして、自分の一番痛い箇所を書き出していこうとするのは、雪山遭難者がじり貧に自分の腕とか脚とか切って食うみたいなことではないか? それが克明に描写 され、しかも面白いということ、ため息がもれる。
 この本では、交際に至らなかったものの、その彼女との経緯を書き連ねている。メールを打っても返事が返ってこない(やっと帰ってきたメールの字数を数えて、きっちりそれより少ない文字数で返信。流石……)、告白した後のうざいって思われたくないと伝えたい気持ちのいったりきたり。またその間に読んだり見た文献や映画などから失恋に対する考察もあり(つげ義春の「海辺の叙景」から「ハウルの動く城」、竹田青嗣の「恋愛論」等々、失恋図書館と題してジャンル問わずに出典されている)失恋告白のみに留まらない。
 恋というものはなぜだか優劣の罠にはまってしまいがちではないかと私は思ってしまう。その罠からなんとか抜けようとする成長物語がここにある気がする。私はその姿に学ぶべきことが多かった。(斉藤友里子)
※3/16「恋愛は必要なのか!?」対決トーク・本田透VS切通理作 @ロフトプラスワン

嫌オタク流  BOOK
中原昌也、高橋ヨシキ、他 (太田出版)1050円

論争渦巻く話題の書。正直困ったもんだ
 いやね、この本出て正直困ってるんですよ。イベントってのは大体何となく担当ごとにカラーが決まってるもんでして。オタク物は誰、政治ものは誰それって。で僕もイベント入れてたりするんですが後発の悲しさかそれとも節操のNASAなのかは判りませんが色んなまたがったイベントを入れてるんですよ。オタクも非オタクも。それぞれ俺が面 白いと思ってるからやってるんですが、まさかそれ同士が衝突するとは弱った弱った  この本のメイン対談者として出てくる中原昌也、高橋ヨシキの両氏は御存じの通 りプラスワンでのイベントによく出演されている方です。彼らが俺が知らぬ 人もいないわけではないオタ業界への攻撃を開始し、実際作中でも僕とイベントやってる人が俎上にあがったりして。正直困ったもんです。この2人がヲタ界の識者を迎えてオタに対する違和感、疑問をブツけまくる体裁になっています。
 この本に怒りを持つ方、「よくぞ言ってくれた!」と快哉を叫ぶ方、色々だとは思いますが、僕は敢えてここでこの本は、プラスワンなどのトークイベントにおける中原氏の語り口、汲めども尽きせぬ 暗黒の吸引力をかなり忠実に再現した本である、と新機軸の捉え方をさせて頂きたいと思います。彼のトークは唯一無二、いつどこでなにがどうダジャレに結びつくか判らないし、またいつアカデミックな物に言及するかも知れぬ 、まことに油断できぬモノなのであります。この本はその魔力を再現、当然脚註も膨大な量 になります。しかし「このダジャレが果して何と何にかかっているか」までフォローした註は前代未聞ですねえ。大体この本読むのはオタとその周辺の文化に興味がある層、と言うのは判っているはずのに飛び出すキーワードは「ヘルマン・ニッチ」とか「ミラクルカンフー阿修羅」とかなんですよ。わかんないよみんな!  あと特筆すべきはアートワーク。表紙や章ごとの扉絵は全て絵にも異才を発揮する中原画伯の「萌えイラストレーション」。特に第2章扉絵、メイド服の少女がワゴンを押していて、その上には内田百聞(百ケンではないのがポイント)の『冥土』がババーンと載っている…一体この本の読者に何を言いたいのか、何を見せたいのか。当惑する事しきりであります。この全てを無力化する氏の脱力パワーによって無化(「怒ってもしょうがないや」など)されなければ、もうちょっと問題は深刻化していたかも知れないので、彼の混沌たるパワーには舌を巻く思いでーす。
 しかしどうなるの今後、とちょっと心配になったりします。世間一般 から見たらアニオタも映画マニアも一緒でしょ。そんな内ゲバしてたってしょうがないから外の敵と戦うべきだとは思うのですよ。別 に一丸とならなくてもいいから。慎太郎ブッ潰すほうがよっぽど意義があるのではないかと思っちゃうんですけどねえ。 (多田遠志)

真説 光クラブ事件 東大生はなぜヤミ金融屋になったのか BOOK
保阪正康 (角川書店)1680円

半世紀前のホリエモン…は虚無と絶望の深さが違う
 ライブドア騒動を見ていると1949年に世を騒がせ自殺した闇金融「光クラブ」主宰の東大生・山崎晃嗣とホリエモンを比較したくなる。山崎については「現役東大生」「怪業務で世間を翻弄」「ふざけた遺書で青酸カリ自殺」くらいしか知らず、本書のことは今回の騒動前から気になっていた。装丁が真っ黒だし…ちなみに私の中では山崎は「東大在学中のワルな頭脳犯」てだけで、勝手に超・超美青年として脳内完結。絵でいうなら魔夜峰央か森園みるく、まつげシバシバ系!
 …てな妄想はともかく、エモン騒動で自殺者が出たのを機に、ちゃんと読んだ(エモンはともかく、いわゆるヒルズ族から自殺者が出たのが個人的には本当に意外。あの人らは何事も軽くいなし茶化してオトナ社会をノンシャランと渡り、間違ってもシゴトに命をかけんだろうと勝手に思いこんでいたから…あくまで「自」殺であるという前提だが)。
 山崎は軍隊で戦友をシゴキで(戦闘でなく!)亡くす経験から、世の中全部を深く恨んでいた、と筆者の保阪氏は推測する。女に裏切られた経験もその恨みを強化したのではないかとも。喪男パワーがダークサイドに堕ち鬼畜ルートを辿ったのだ! 山崎は周到に自らの身に「偽悪」の鎧をまとい、容易に本心を覗かせなかった。保阪氏は巷間流布する様々な「山崎伝説」の薄皮を剥ぎ、足で集めた証言を丁寧に検証する。事件をモデルにした作品は、三島由紀夫の「青の時代」と高木彬光の「白昼の死角」が有名だが、本書では、何と三島と山崎が同時期に東大で席を並べ、笑いさざめく級友をよそに孤高の態度を貫き、密かに交遊を持っていた…との証言が明かされる。一人は官僚の座を捨て耽美的な小説を多く放った後に私軍を率いて割腹、一人はヤミ金融屋になった挙げ句に青酸カリ自殺…「昭和」を駆け抜けた異端の天才が交錯した瞬間の火花。俗世の者からはいかにその火が眩しく妖しかったろう…そんな感慨にかられた。ちなみに二人は絶命の日も同じ11/25。
 エモンは「金で買えぬ物はない」と言い切り、何でも合理的に速断即決していたが、山崎も時間を合理的に使うため、勉強したから「有益」、セックスしたから「浪費」など、◎○△の記号を複雑に操った30分刻みの「時間用途表」を作成していた。ほとんどビョーキだ(これも「偽悪」の演技説あり)。何にせよニヒリストとしての虚無の質、深さがエモンと山崎では全然違う。山崎も人情などの深みが感じられないが、その空虚さの芯に真っ黒な闇が詰まっており、「カイテンカイテンカイテン…」と虚ろに繰り返すエモンはホントに中身がカラッポで真っ白…て感じか。山崎の遺書は「貸借法すべて清算カリ自殺」などと書き、絶命の瞬間まで自らを観察記録しようとしていた。狂歌で人生を締めくくれる辺り、インテリとしての格も違う気がする。 (尾崎未央)

ホームレス大図鑑  BOOK
村田らむ (竹書房)1800円+税

もう、畳の上では眠れない…
 「ニート」という言葉も市民権も得て数年、完全失業者数は現在362万人と増加傾向にあるそうです。  一応ボクも働いてはいるんですけど、将来はどうなるんでしょーね?(知らんよ!)
 今は働けてお金があるからいいけど、年金払ってないんで将来どうしようって考えてる人ってけっこう多いんじゃないでしょーか。そもそも働いて仕事をしていれば、ホームレスにならないですむのか?
 いわゆる人並みに生きていくのって本当に大変だと思うのです。
 本書はオウム(現アレフ)、精神病院、ドヤ街、自己啓発セミナーなど、ありとあらゆる難儀な場所に潜入を試みるライター村田らむが足掛け6年のガチンコ取材を全国の有名ドヤ街(ドヤとは宿の隠語、宿を持たない日雇い労働者の集う街)で敢行し、書いた本です。本編では11のタイプで見るホームレス、全国ホームレス街散歩、ホームレス生活事情、ホームレス偉人伝など、ホームレスの生態をリアルに紹介。巻末にはホームレス用語の基礎知識も掲載。前著であり、現在発禁処分となってる「こじき大百科」(データハウス)の改訂版の続編ともいえる濃い内容です。  基本的には昼間っから酒を飲んで最高な、らむさんの珍道中であり、おもしろ人間大集合な本なんでサクサク読めます。らむさんの辛口な目線と絡み合うめんどくさそうな人たちから感じたのは、お金だけの問題じゃなく、人付き合いが苦手な人、放浪癖のある人なんかもホームレス予備軍だということ。  ホームレス本ってけっこうデリケートなジャンルだと思うのですが、将来が不安な我々には興味のそそられる本なんじゃなかろーか。 (奥野テツオ)
※3/21にNaked Loftで本書の出版記念イベントがあります。
「『ホームレス大図鑑』発売記念〜村田らむのホームレスナイト〜」
【出演】村田らむ 【ゲスト】松田望(漫画家)
当日は来場者全員に鬼ころし1パックをプレゼント!!(笑)

ミュンヘン MOVIE
松竹・東急系にて全国上映中

民族倒錯監督スピルバーグが911にオトシ前をつけた入魂の1作
 NHK教育に出てくる子供番組のキャラクター「ニャンちゅう」はかなり倒錯したキャラクターだ。ネズミに憧れ、ネズコスプレをしているネコ…このキャラを見る度に僕はスピルバーグの事を思い出してしまう。自分の民族が大虐殺される様を延々と描いた『シンドラーのリスト』の時からこの人は何か病んでいると感じたものだ。己の民を虐殺するナチを美しく描く、ニャンちゅう方式で言えば「チュウにゃん」なスピルバーグ、最新作もそんな民族倒錯的作品である。  1972年、ミュンヘンオリンピックの選手村内でのイスラエル代表選手11人がアラブ系テログループ、「黒い9月」によって虐殺された事件、全世界に報道されたこの悲劇に黙っているイスラエル政府ではなかった。世界中に潜むテロ実行犯たちを葬るため、政府は暗殺部隊の組織を始める…  テロもの映画では大抵屈強な特殊部隊員か007みたいなスーパースパイが主役であるが、この作品では全く普通 の(人も殺した事もない)人々が国や大義の為に暗殺者、殺人マシンになっていく。スピ公はその事を「イヤな暴力シーン」で描き出す。爆破装置にかかる手は小刻みに震え、発射された弾は相手の肉に喰い込み脳漿を巻き散らし、すぐに死ねぬ 者も傷口から血を流し気管を鳴らしながら静かに息絶える…  マスコミでは怪物と報じられるテロリストも自分と同じただの人間である。さあ殺ろうと思ったらばったりターゲットに遭っちゃって凄くいい人で困ったな、とか。そんな者たちを見せしめの為、国家の為に衆人監視の中で一人又一人と殺って行かなくてはいけない… 一般人がテロの餌食になるのではないか、爆破寸前の電話を取るのは元テロリストか、それとも娘か。まさか…いやスピ公ならやりかねんとハラハラ感は倍増です。   国家の大義の為に必死に人を殺しまくり、家族も何もかも打ち捨てて戦った挙げ句自分はいつの間にか仇である黒い9月と変わらぬ 存在、世界の諜報機関から「テロリスト」と目される存在に成り果 ててしまった…なんてヤな話。ミュンヘン事件は終わった所から始まるので、あれ、事件自体は描かないのかなぁと思ったらまたこの監督ならではのとびきりタチの悪い感じで克明に描写 されます。これは見てのお楽しみで。  スピルバーグは昨年2005年に「宇宙戦争」と本作を撮るという荒技を成し遂げている。考えてみると「宇宙戦争」で911の被害者サイドを描き、本作にてテロの加害者側を描いた事により、彼は911を完全に補完し、オトシ前をつけた、これは大いに評価していい点だと考える。 …え、これは70年代の話だろうって? いやいや、この説が正しい事は本作のラストシーンを観ればきっと御理解いただけると思いますよ… (多田遠志)

ウォーターズ MOVIE
(ギャガ・コミュニケーションズ 配給)3月11日〜シネマGAGA!他全国ロードショー

ありそうでなかった、ホストの青春
 女だからとか男だからとか、そういった話はあまり好きではないが、「男の子はいいな。」と思う瞬間というのは確かにある。それは熱い友情、短期間での著しい成長、傍から見ればおバカな事を全力でやれちゃうところだったりと、まあ様々なのだが、この「Waters」は、そういった女の子が憧れる男の子像がぎっしりと詰まった作品だ。
 バスが走り去った後の停留所に残された、7人の夢に挫折した男たち。彼らは一発逆転をかけて、その日からホストになるハズだった。しかし、店に着いても保証金を預けた店長は一向に姿を見せない。騙されたのだ。途方に暮れる彼らの元に現れたのは、同じく店長に騙された店舗オーナーとその孫娘だった。少女の提案で、7人は素人だけのホストクラブを開店させる。
 この作品、ホストを扱っているだけあってメンバーが豪華!小栗旬、桐嶋優介をはじめ、ドラマやヒーローもので活躍中の若手俳優がずらっと顔を並べている。彼ら扮する新米ホストたちが友情を深めていく過程が、この作品の最大の魅力なのだが、大声で歌いながらドライブしたり、海辺ではしゃぐ様子は、演技なのか素なのかわからないほどすごくナチュラル。そんな無邪気な姿を見ていると、ついクスっと笑ってしまい、自然と楽しい気持ちになる。もちろん、それだけでは映画は成り立たないが、そこは、原田芳雄(店舗オーナー)、葛山信吾らベテラン勢が、締めるとこは締める!と、しっかりバランスをとっている。また、普段ふざけあってる彼らが、いざホストクラブの舞台では、一変してきりっとした表情をみせ、そのギャップは見ていてドキっとさせられる。ホストクラブ未経験の私が言うのもなんですが。ホストの使命が、一晩の完璧な夢を見せることならば、彼らは半人前かもしれない。けれど、疲れきった女性を癒し「また頑張ってみようかな。」と思わせることだとしたら、このホストたちは合格です。見終わった後、心の温度を1、2度しっかりと上げてくれる映画で、男女ともに楽しめます。あと、原田芳雄ファンも必見!最後のどんでん返しでは、「いいおじちゃん」にはとどまらない原田さんのやんちゃぶりに、してやったりと思わずにはいられません。 (杉浦もも子)

大統領のカウントダウン MOVIE
(エイベックスエンタテイメント 配給)3月25日〜シネマミラノほか全国順次ロードショー

ロシア映画、いくつ思い出せますか
 映画には、その国のカラーが滲みでているものだが、ロシア映画と言われてもイメージが浮かばない。もしロシアの代表作品を問われれば、「戦艦ポチョムキン(1925)」まで遡ってしまいそうだ。それほどまでに、長き沈黙を続けたロシアが、自国の威信をかけて、軍の全面 バックアップと700万ドルの大金をつぎこんで制作したのが、この「大統領のカウントダウン」なのだ。フライヤーには、大きな太字で「世界よ、待たせたな。」の一言。期待しちゃっていいようです。
 主人公は、ロシア秘密諜報機関のスモーリン少佐。寡黙でストイックな彼は、チェチェンの画策により捕虜となるも、危険を冒して脱出に成功する。次に彼を待ち受けていたのは、最愛の娘が人質となるテロだった。イスラム過激派とチェチェンテロリスト集団の目的は、ローマで開催されるサミットへ圧力をかけ、世界規模で自分達の要求を通 すこと。スモーリンは、果敢にもひとり敵地へと乗り込む。
 この作品、主人公に実在した人物のモデルがいるだけでなく、テロや事件も実際にもモデルがある。それゆえのリアリティがあり、人間離れした派手な技や、ヒーローとヒロインのお決まりのロマンスがなくとも、充分見ごたえあるストーリーになっている。また、現実でテロが起きた時、ニュースが伝えるのは、被害者・被害地の悲惨さとヒーローの活躍。しかし、悪役にも事情があるハズで、作中では、テロの正当性を信じて疑わない人物の心理状況にも焦点をあてている。ひとつのテロ集団のなかにも、政治に利用される者がいれば、宗教心に縛られた者もいれば、一時のスポットライトを求めるだけの者もいる。そういった複雑な背景・駆け引きのうえにテロが起きるのだと、頭で理解するのを、視覚面 から助けてくれるとでも言いますか。圧倒的な緊張感と迫力のなかに描かれた、人間の繊細な心情というのが、非常にバランスよく表現されています。「アクション映画」という括りを抜けて、もっと思考に訴えかけてくるこの作品が、大国ロシア映画史の新たなる幕開けとなるか、ご自身で確かめに行かれてはいかがでしょう。 (杉浦もも子)

ヨコハマメリー MOVIE (ナインエンタテイメント配給)
4月よりテアトル新宿ほかでロードショー
(C) 森日出夫

ハマで一番有名な娼婦の物語
 港町・横浜。おしゃれな観光スポットとして休日ともなれば多くの観光客が溢れるこの街には、かつて、決してガイドブックには載らない一人の有名人が存在していた。彼女の名は“ハマのメリー” 顔をおしろいで真っ白に塗り、貴族のような白いドレスに身を包んだ老婆が、本名も年齢も明かさず、戦後50年間ずっと娼婦として、いつも街角に佇んでいた。かつては絶世の美人娼婦として名を馳せ、老いてもなお気位 の高い彼女に声をかけられることは男として光栄なことだった。もはや横浜の風景の一部になっていた彼女のことをいつしか人は“ハマのメリーさん”と呼んでいた。僕も学生時代、4年ばかり横浜に住んでいたことがあるが、確かに地元の奴らの間でもメリーさんは有名だった。もっともメリーさんから声をかけられるほど器量 のある奴はいなかったが。
 1995年冬、メリーさんが横浜から忽然と姿を消した。その理由は誰も知らず、そのうちメリーさんは都市伝説のように伝えられる存在となった。弱冠30歳の中村高寛監督が、メリーさんの姿を追うドキュメンタリー映画を撮りだしたのは、メリーさんがいなくなった後のことだ。
 中村監督は、かつてメリーさんと交流のあった人達に話を聞いていくうちに、メリーさんの人柄、メリーさんを見守った人達のやさしさ、そして戦後のエネルギーに溢れていた頃の横浜の姿を次々と発見していく。特に、かつて生活のために男娼をやっていたシャンソン歌手・永登元次郎さんとメリーさんとの交流は、戦後の貧しい時代をアウトサイダーとして強く生きてきた者同士の心の絆が見て取れる。それは横浜という街の懐の深さでもあったのだ。
 今の横浜がどんな街かはわからないが、この映画のラストシーンに熱く心を震わせる人がいる限り、街のやさしさは消えないだろう。 (加藤梅造)

ナイト・ウォッチ/NOCHNOI DOZOR MOVIE
(20世紀FOX映画 配給)4月よりシネマメディアージュほかにて全国ロードショー

ロシアの新世代から生まれた新しい映像世界
 「世界中のトップ・クリエーターが嫉妬した若き映像作家が描く『マトリックス』を凌ぐ映像体験!!」──なんていう大見出しのコピーを見たら「むむ、またハリウッドでSFXの大作映画でも作られたのか?」なんて思ってしまうだろうが、なんとこれ、ロシア映画の宣伝文句でした。  4月から日本でも上映されるこの『ナイト・ウォッチ/NOCHNOI DOZOR』は、2004年にロシアで公開されるやいなや、若い世代を中心に圧倒的な支持を集め、ロシア興行史上No.1の大ヒットを記録したというものだ。ロシア映画って聞くと、旧ソ連時代のイメージが強く、芸術的である一方で暗い、難解、地味という印象もつきまとうが、さすがにソ連崩壊後十数年も経てば、新しい映画の波が盛り上がっているのだろう。
 この「マトリックス」云々も宣伝会社が勝手に言ってるのではなく、『ナイト・ウォッチ/NOCHNOI DOZOR』の監督であるティムール・ベクマンベトフ自身が「僕の映画作家魂の半分は、ヴァンパイアやロジャー・コーマン、『マトリックス』で出来ている。」と発言してることからもわかるとおり、暗いトンネルを抜けたロシア映画界が本気でハリウッド映画とタメを張ろうという意気込みからきているのだろう。何百ものショットからなるハイテクな視覚効果 を扱える制作会社がロシア国内にないという障害も、ロシア中のVFX施設をひとつにまとめ、バーチャル会社を作ることで解決したというから、この映画に対する力の入れようが伺える。
 で、肝心の中身はというと、現代のモスクワを舞台とし、人間の中に“異種(アザーズ)”と呼ばれる特殊な超能力に目覚めた種族がいて、そのアザーズ達が“光”と“闇”の両勢力に分かれて戦うというダーク・ファンタジーな内容。彼らアザーズは、普段は人間社会に紛れているが、異種だけが住むことのできる“ザ・グルーム”という世界で戦いを繰り広げる。こうしたパラレルワールドの設定もマトリックスの影響大だが、マトリックスの世界がバーチャルリアリティといった、ある種漂白された世界だったのに対し、“ザ・グルーム”は薄暗い黄泉の国で、そこには何故か無数の“蚊”がブンブンとんでいるじっとりとした世界だ。で、この薄暗く、じっとりとした感覚が、現実のモスクワの貧しい社会と表裏一体で、そうした部分に、ロシア映画の伝統でもある暗い深淵を見て取ることができる。もちろんそれこそがこの映画をただのハリウッド映画の物真似にしていない重要な部分であり、ロシア社会の善と悪、統治と自由、富と貧、罪と罰などを“光”と“闇”として浮かび上がらせているのだ。見終わった後には爽快感ではなく不快感が残るが、空虚な爽快感よりもリアルな不快感の方がずっとましだろう。(加藤梅造)