第151回 ROOF TOP 2010年11月号掲載
おじさんの眼
「緑茶薫る遠州紀行」

 9月に入ってもこのクソ暑さは続いていた。クーラーの中の閉ざされた東京の生活は、まさに私を窒息させようとしていた。この繰り返しの日常から逃走するしかない、と思った。どこかの温泉地で、読みかけの本と書き残しの原稿でもゆっくり読み返してみたかった。
 考えた末、紅葉の行楽シーズンで大混雑する前に、静岡県に行こうと思った。かの有名なSLも走っている大井川鐵道や、風光明媚な天竜浜名湖鉄道、遠州鉄道に乗ってみたかった。
 9月29日。迷っているうちにもうお昼を回ってしまった。とりあえず何の用意もなかったが、あわてて出発したのだった。


−寸又峡温泉は山奥の寸止まりにひっそりとあった。この温泉の湯質はいい。露天風呂にて40年前に起こった金嬉老80時間籠城事件に思いを寄せる平野さん

いざ南アルプスの秘境・寸又峡温泉へ

 私はそもそも自動車嫌いなのだが、意を決して、自ら一人ドライブすることにした。午後2時、とりあえず東名を飛ばし静岡は南アルプスの麓、寸又峡温泉に向かった。
 この秘湯は、以前より一度は訪ねてみたかった温泉だ。高速を下り、細い山道をたどること2時間あまり。車窓に繰り返される深き緑と、大井川源流を遡る川沿いの風景を堪能しながら走り、夕刻、7時過ぎに寸又峡に到着した。
 寸又峡温泉は、本当に山間の行き止まりに静かにあった。日もとっぷりと暮れ、もうどの旅館でも夕食は食べることができない時間だった。もちろん、近くにコンビニなどはない。温泉街に一軒だけ食堂があった。私は、その暖簾を下ろした食堂に入り、頼み込んで一人、夕食を食べた。 


−列車&機関車三連発。一番左は1600系(元近鉄所有で現在この路線の主力)。鉄オタの解説があると良いのだが。私には解らん(大井川鐵道・先頭駅にて)

40年も前、金嬉老は何をやったのか?

 寸又峡は知る人ぞ知る秘湯だが、この地を一躍有名にした事件がある。40数年前の金嬉老事件だ。
「1968年2月24日、テレビは静岡県・寸又峡の現場実況を流し、新聞には2階の手すりからライフルをしかも望遠標準付だ、・・籠城80時間、犯人に疲労色濃く、いよいよ大詰めか、と言うような大活字が躍っていた。大詰めとは警官隊との銃撃戦かダイナマイトで人質もろともぶっ飛ぶか、青酸カリで自殺するかという事だと受け取られていた」(平岡正明『若松プロ、夜の三銃士』(愛育社/2008年)より)。
 この事件は、青春の真っ直中にいた私にとって、もの凄い衝撃だった。朝鮮人ヤクザが日本のヤクザと警察による朝鮮人差別に怒って、人質とともに温泉旅館に立て籠り、散弾銃とダイナマイトを身体に巻きつけ、「警察はS一派(関西ヤクザ)の悪を公表しろ! 小泉巡査は差別発言を謝罪しろ!」と主張したのだった。
「13歳くらいからどれだけ清水署に痛みつけられて来たことか知れない。俺はあのひでい刑事らのつらを思うと血が煮えたぎって来る。今は家も妻も全て失い敢えてそうなった俺は死があるのみだ」という、遺書も残しての決起だった。私が高校生の時だった。この事件以来、私は在日朝鮮人の問題を考えるようになった。
 シーズンオフもあって静かに夜は更けていった。寸又峡の湯はやわらかく、露天風呂には私一人。40数年前の朝鮮人差別に怒って決起した一人の孤独な朝鮮人ヤクザを想った。「この朝鮮野郎」と言った刑事。「チョンコーは帰れ!」と、平気で人前で朝鮮高校生に暴力を振るう東京の愛国系暴力不良高校生は、私の周りにもたくさんいた。今の日本人のアジア人蔑視の風潮と似ている、と思った。


天竜浜名湖鉄道。鉄橋を渡る列車って遠くから見るからよいのであって、列車からではこんな写真しか撮れない

憧れの静岡ローカル三線をゆく

「今日は大井川鐵道に乗るぞ!」と気合い一発。朝8時に、雨の降りしきる中寸又峡を車で出発。
 大井川鐵道の始発駅、金谷の駅前の駐車場に車を置いて寸又峡方面に乗車した。流れる川沿いと緑の山々の風景に見とれる。各駅舎には、色とりどりの紅葉時のポスターが貼ってある。もうすぐこのあたりはシーズンを迎えるのだろう。途中、千頭という駅で金谷までSLが走っているということを知る。大井川鐵道の全線制覇は諦め、憧れのSLに乗り風景を楽しむことにした。
 SLは大井川沿いに走る。車内は木張りの床に昔ながらのレトロな雰囲気、この特別列車の料金はちょっと高かった。乗客は私を入れて5人。なんとうら若き乙女の車掌が、シートまで来て色々と沿線の説明をしてくれる。おまけに、あまり上手くないだろうハーモニカで、童謡まで吹いてくれるのだ。これにはビックリ。ゆっくり車窓を眺めていたい気持ちがどこかすっ飛んでしまったのは残念だが、家族連れとかおばさん旅行者には親切なサービスなのかも知れない。
 1時間20分で金谷の駅に着いた。自家用車で来たことが悔やまれた。この日は、掛川まで車で戻り、なんの変哲もないビジネスホテルで一泊。
 次の日、駅前に駐車して天竜浜名湖鉄道で新所原(湖西市)へ。そのまま東海道本線に乗り換え浜松まで出、遠州鉄道で西鹿島駅まで。ふたたび天竜浜名湖鉄道に乗り、掛川へ。こうして、私は天竜浜名湖鉄道、遠州鉄道を全線制覇した。


C-11190の蒸気機関車だ

過疎の農村にある1泊1000円の宿・水車むら

 静岡に気になる宿があった。「宿泊1000円、失われた日本の原風景、日本の農村の風景が広がっている」と、『新・ニッポン放浪宿ガイド250』(発行:ロフトブックス/発売:イーストプレス/2009年)には載っている「水車むら」という紅茶作りの農家民宿だ。藤枝市から不動峡をさらに上流に上ってゆくと、細い渓流の行き止まりにその宿はあった。
 途中、田舎町のスーパー銭湯に寄ってきたために、到着が遅くなった。もちろん、今夜の客は私一人。宿に着くと、年老いた主人がやって来た。
「いや〜お客さんが来るのは半年ぶり」と言って、離れの宿舎に案内してくれる。が、布団は湿気だらけ、トイレは水が出ない、蚊はうようよ……。とても泊まるどころではなかった。参ったな、と思った。
「オヤジさん、これで金とって人を泊めるのは無理ですよ」と言って、私はその場を去って静岡あたりに戻ろうかと思ったが、ご主人、一升瓶を持ってきて、「さあ、久しぶりの客だ、飲もう」と言うのだった。(以下次号に続く)


今月のロフト系美女

ネイキッドのアルバイトの一番人気? …20歳。セラちゃんです。趣味は墓参り?


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ロフト席亭 平野 悠

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