http://www.loft-prj.co.jp/LOFT/30th/ おじさんの部屋

第133回 ROOF TOP 2009年4月号掲載
「大海原をゆくー世界一周103日間(+26日間)の船旅に挑戦」

第七章 タヒチ〜ニュージーランド〜オーストラリア〜パプアニューギニア
ロフト席亭 平野 悠

12月13〜14日/航海98〜99日目
<イースターを出航し、太平洋をひたすら西へ>

 夜9時半になってもまだ海上は明るい。一週間も海の上を船は進み続け、南米大陸から3000キロも離れているのに一切時差がない。チリ政府がイースター島と、強引に同じ時差に統一しているからなのだ。今日と明日で2時間もの時差が発生すると聞いた。午後7時過ぎ、やっとあたりは暗くなるようになった。昨夜は9時半過ぎまで明るかった。太平洋に出てから良い天気の日が少ない。南十字星をまだ見ることが出来ないでいるのだ。このPCに何らかしらのことを書き込んで、昼寝してヨガをするともう夜だ。だが、この海の見えるキャビンでPCを打っていると色々な人が立ち寄って行く。そのたびに私の思考は中断し停止させられるが、それも又楽しいのだ。今日は朝食と昼食を抜いてみた。若干の飢餓状態。人間は過去何万年も、この半飢餓状態の中で生き延びてきたのだ。今の状態が基本なんだと思ってみた。何となくすることがなくて図書室に行き、高校時代に読んだことのある『カラマゾフの兄弟』(ドフトエニスキー)を手にとって2時間ほど読む。


12月15日〜17日/航海100〜102日目
<多くの別れが待つタヒチに向かう>

 イースター島を出港してからもう5日間も船の上だ。すれ違う船すらない。イースター島からタヒチ島に行き来する航路なんてないに等しいのかも知れない。今日は悩み、落ち込み、突き当たる。朝の目覚めは良かったのに、食事に出る朝の行程でめまいを覚えた。誰にも会いたくないと思っていても、どこまでも広大な海を眺めていてふっと気がつくと私の側にはサークルのみんながいたりする。いつの間にか「イニシエーションの会」と呼ばれるようになった。船は18日にタヒチに寄港する。そこで多くの人が世界一周船の旅を諦めて下船し、飛行機で日本に帰り社会復帰する。タヒチで帰る人たちの送別会が続く。いろいろ私も誘われる。彼らは意外とさばさばした感じで、途中下船の無念さはあまり感じられない。



360度水平線の洋上で見る虹はダイナミックだ

12月18日/航海103日目
<タヒチで60人あまりが下船する>

 朝8時、タヒチはパペーテ港に着岸。下船して日本に帰った人たちは60人余り。今年の9月7日に横浜を出港したこの世界一周クルーズは、本来の予定ならば本日、103日の航海を終えて横浜に帰って来るはずだった。それがなんと、船の不整備のため30日近く遅れて、今この船はやっとタヒチ島に着いた。タヒチは日本では長らく「新婚旅行」で有名な島だ。私はこの島を観光するつもりは全くない。
 あのバックパッカーの上さんも、あの訳のわからん絨毯を買ったKさんも、説明会で断固抗議をしぬいた不屈のUさんも、ちひろちゃんも船を降りた。


12月19〜21日/航海104〜106日目
<プラスワンでのイベントを依頼>

 船は昨夜から一路ニュージーランドに向かって動き出している。あと数日でクリスマスだ。船内の若者達は心なしか華やいでいる。
 タヒチから乗船してきた水先案内人のカメラマン・遠藤秀一さんがいた。昨日の遠藤さんの「ポリネシアの宝石・ツバル」のイベントが面白かったので、声をかけさせてもらった。この人のツバルへの造詣(というか執着?)は素晴らしい。ツバルというちっぽけな島の100年先まで真剣に考えている。ツバルは今地球温暖化の影響によって、その国土の大半が水没しようとしている危機的な国なのだ。「昨夜は素敵なイベントありがとうございました。講演があまり素敵だったのでお礼の挨拶を。もし出来たらロフトプラスワンでもイベントをやって欲しいのですが」と言って、私は名刺を差し出した。「あのプラスワンですか。喜んで」遠藤さんはあっさり快諾してくれた。



夕焼けも同じように素晴らしい

12月22〜23日/航海107〜108日目
<消滅日も船はしずかに進む>

 12月22日は消滅記念日だと。日付変更線を越えるため、こんなことが起こるのだが、またそのことをエサに若い奴らは陳腐な学芸会イベントで盛り上がっている。日付変更線という不思議な現象に、時速30ノットのモナリザ号はゆっくりと遭遇している。

 私は書きかけの文章に思いをめぐらせながらラウンジでけだるく足をのばし流れる海を見ていた。今日も天気が良くない。海が綺麗に見えない。そばには音とるみ姉がいた。最近この三人で一緒にいる時間が多い。みんなそれぞれ自分の作業をしつつ、コーヒーを持って同じテーブルを囲んでいるのだ。さっき音はゲットというスペイン語の授業から帰って来たばかりだ。るみ姉は私からパソコンを奪い取って私が書いた文章を読んでいる。
 この船が絶えず走っているのが突然、不思議に感じられた。
「そうだよな、俺たちがこんなに怠惰にしているのに船のエンジンは全力回転してタヒチに向かっていて、明日はタヒチに着く。イースター島から2000キロも走って来た。怠惰な俺たちの意識を乗せて」と適当に喋ったところで、ちひろちゃん(現役大学生)がやって来たと言う訳だ。
「平野さん、私明日タヒチで下船するの覚えておられますか?」
「えっ、それは勿論だよ」と私は慌てて答えた。
「ちょっと向こうの席に行こう」私は彼女を連れて、音とるみ姉がいる席を離れた。
「平野さんから渡された本、全部読み終わりました。『日大闘争・バリケードにかけた青春』(橋本克彦著)を読んでいてわからないところがたくさんあります。教えて下さいませんか?」と蒼い瞳を輝かせながら、ノートを持って言う。彼女の手の中でくるりとボールペンが回った。それがきらりと太陽に光った。なぜか、こんな上品な可愛い子がペンを回すのか不思議に感じられた。ノートには小さな文字で疑問点が沢山書かれてあった。
「そうか? そんな約束をしていたんだね。」
「はい、実は私の父はT大で母はN大でした。父は今大学教授をやっています。二人はバリケードの中で恋をしたんです。」
「おっととと、これは凄い話になって来たな。君はその父と対決したいと言うのか?」
「いや、そんなんじゃありません。平野さんが以前、もし興味があれば当時のことをちょっと勉強して、余りうまくコミュニケーションが取れていない父親と当時の事を話すといいよ。きっと良い結果が生まれるよ。新しい親子関係が構築出来るよって言いました」
「やばいな、その時きっと俺は酒を飲んでいたのかな? 他人の親子関係まで入る能力は俺にはない」
「あの〜、まず最初にこの中核派やブントの思想を教えて下さい」とちひろちゃんは、私のおどけを無視して本題に入って来た。多分彼女にとっては必死なのだろう。彼女が下船する最後の日、私を捕まえなければこの謎はずっと解けないと思ったのかも知れない。私は1時間あまりに渡っていろいろ説明した。



これが私の愛すべきサークルのメンバーだ

12月24日/航海109日目
<イブにイライラ?>

 クリスマスイブか?
船内は相変わらず「学芸会・文化祭」もどきの陳腐なイベントが行われている。帰国が迫って来ているせいか、船内では毎日のように大感謝祭とか日付変更線祭りとか、何でもお祭りにしたがる連中が多いのだ。「おもしろければ何でもいい」といった風潮は、私の意識をイライラさせる。相変わらず船内をアホな格好をして歩く陳腐で奇抜な青年達とおばさん達。トナカイの格好をしたおばさんと会った。青年男女多数がウクレレでクリスマスソングを歌っている。目立ちたいだけか? 昔、タイのカオサンにある安宿の入り口付近で、10人近くの日本人青年がギターに合わせて輪になって歌を歌っているのを見たことがあった。それも毎晩だ。一人のドイツ人青年が「日本人の若者は空っぽだな〜。俺たちは貴重な時間とお金を使って歌を歌いに来た訳じゃない。この屈託のない明るさはドイツの青年にはないよ」と言っていた事を思いだした。彼らの旅はもっと真剣だった。それは私たち元祖バックパッカー世代の世界を回る旅とは違う…何かつかまねば帰れない。今世界で何が起こっているのか、僕はそのために自分の国で何が出来るのかを確認しに来た、といったどこか思い詰めたまなざしとは違うように見えた。今夜はクリスマスということで、船内は大騒ぎだ。何でも船内中継で、クリスマスの抽選会をやり、当選した人の船室に行った映像を船内テレビで中継するという。わたしゃ、そんなのに付き合う気はないので「クリスマスなんて嫌いだい! だからプレゼントもいらない!」という張り紙を船室のキャビンに出した。
 更には船内仮装パーティーが夕食時に行なわれて、フォーマル&仮装が義務らしい。私は同室のSさんと話してそれには出席せず、二人で波平で酒を頼んで寿司を食べていた。SさんがKさんというおばさん(60歳)を連れてきた。
 このおばさんは、あのロス疑惑の三浦和義と小学校時代同じクラスだったそうだ。そんな話から学生時代の話になった。
「俺たちの20代って、こんなに明るくなかったよね。もっと何か思い詰めていた」
「この全く屈託のないアホな明るさは理解出来ないよ。若者たちはなんの為にこの船に乗ったのだろうか? まさか運動会や学芸会をやるためではないと思うが?」
「私の挫折は大学に入る所から始まった。絶対東大確実と言われていたのに入れなかった。私立に入って、真面目だからサークルにも入って、日本の社会を考えるとこれじゃいけないって思ってデモに行ったり勉強したり、日本の将来を深刻に考えていた」
「おみゃ〜高校はどこだ! 麻布か戸山か新宿か?」
「日比谷高校……」
「そうか? 中大法科入学で挫折か? 笑うな。でもさ、俺たちの若い頃の日本より今の方が深刻な事態なのに、この明るさはなんだろうか? 少なくとも俺たちの時代は高度経済成長だったし、働けば将来が約束された時代だった。でも俺たちは日本の将来を心配して、日米軍事同盟に反対したり世界各国に起こっている民族独立運動を心から支援した」
「それはウチの娘にも言えるんだけど、今の日本は心配よね。底辺にいる若者なんか全く展望がない。果たしてこの子達に明るい展望ってあるのかしら……。きっとその暗い展望をこうやって必死に忘れようとしているのかもね。平野さんはなぜこの船に乗ったの? それが前からの疑問だった。偉そうに全共闘の闘士だなんて言っちゃって、このお金持ちボートに乗っている。意味がわからないわ」
「ほんの愛嬌で乗っただけだ。こんな船とは全く知らなかった。いろいろ勉強した。こういう事をやっている連中もいるんだっていうことを知っただけでも明日の活力が出てくる。どこかこのボートに感謝はしている」
「それでも批判はするっていうやつね。私ね、このボートに乗って良かったと思っているの。これからの人生をどうやって生きて行こうかと思っていたの。それはね、子供が小さい頃は、学校や役所とかに掛け合ったり子供会作ったり……。でもこの何十年は何もしていないの。でもね、このボートに乗って私も何かをしたいと思ってきたの。ねえ、平野さん何をしたら良いと思う?」
「やはり地域を変えるべきかな。君の住んでいる地区だって色々な問題が起こっているはずだ。ネットで検索すれば一発で出てくるよ。そういう所に、優秀で凄い奴らがたくさん生息している。彼らから色々学べば、もっともっとやるべき事が出てくると思う。とにかく門戸を叩かなければ話は始まらない。一歩前にだな」
そのキャビンでも若者がどやどやとやって来て、陳腐な格好をして踊って奇声をあげ、楽しそうに騒いでいる。気配は更にうるさくなった。もうクリスマスイブのお祭り騒ぎで、お話どころではなくなって私たちの会話は中断した。
「私明日からオーバーランドツアーでシドニーまで行って、それから仕事の都合で日本に帰るの。平野さんお幸せに…」が最後の会話だったと思う。私はしたたか酔った。いつの間にか人混みの中、私は部屋に帰っていた。



図書室からラバウルの火山が見えた。夜になると溶岩が真っ赤に吹き上げていた

12月25日/航海110日目
<ニュージーランドを素通り>

 朝方、ニュージーランドはオークランドに到着。ニュージーランドは初めての上陸だ。もう1年の三分の一の時間を船に乗っている事になる。しかし私の体は動かない。市内観光ツアーにも行く気はしないし、たった10時間程度の停泊で何をすればいいのか? ましてや今日はクリスマス当日。町の商店のほとんどは休みだ。
 さよなら、二度と来ることはないだろうニュージーランド。グッド・アイ・ダイ。


12月26〜28日/航海111〜113日目
<船内イベントは客が入らず大失敗>

 「政治と世代論」「ロック」「旅」と、テーマを変えて3日間連続でイベントを主催する。しかし残念ながら、この3日間のイベントは低調に終わった。私にとっては結構渾身の企画だったにもかかわらず、参加する若者は少なかった。なぜこの企画が低調に終わったのかは謎だった。パネラーや資料も準備していたので、がっかりしてしまった。船内新聞には「究極のディペート3Days」と紹介されている

第一夜:12月26日午後10時30分〜、カリブサロン
「変革・政治・全共闘・若者」
1―60年代〜70年代(政治の季節)若者はどう生きたのか? 彼らは何を残したのか?
2―この格差社会の底辺にいる若者達はなぜ怒らないのか?(グローバル社会とは)
3―船を降りて何をなすべきか(職場・学園・地域・家庭・サークル)で……
4―知ると言うこと(無知の涙とは……)

第二夜:12月27日
「ロック(不良・暴走族・社会を斜めに切る人たち)」
テーマ
1―ロックは不良の音楽だった。カウンターカルチャーとしての音楽とは?
2―暴走族はなぜ生まれたのか? そしてその後……
3―ロックは戦争を止められるか? 音楽に込められたメッセージとは
4―君の一枚のCDをかけて議論しよう。その曲にはまった理由(CDをご持参下さい)

第三夜:12月28日「旅(日常と非日常、システムからの離脱)」
1―旅と観光・バックパッカーとは?
2―小田実(何でも見てやろう)と沢木耕太郎(深夜特急)の世界
3―ピースボートが掲げる平和の旅とは?
4―究極の旅と冒険(歩きお遍路と探検の旅)



オーストラリア名物オペラハウスだ。絵はがきみたいだな。ホントこの国は豊かすぎる

12月29日/航海114日目
<シドニーで25年前の夢を見る>

 朝シドニーに到着。ここオーストラリアはバックパッカーにとって、旅をするには一番イージーな国と言われている。今夜はなんとしても船を降りて、一人でシドニーの高級ホテルに泊まろうと思った。
 夕刻、音とモサとるみと中華街で食事。中華街に行く途中の坂道に、25年前私が初めてこの地に来て泊まった、古く小さなCBホテルがあった。前日までの3daysのイベントに疲れ切っていたせいもあって、投宿してシャワーを浴びると、すぐ眠りに落ちた。
 いつしか私は、夢の中で25年前のシドニーの事を思い出していた。40歳にならんとしていた私は、世界を回ることにいいかげん疲れ果てていた。直前のアフリカとサハラ砂漠の旅で、私は心も精神も肉体も相当傷ついていた。私は世界一周の旅の途中だった。そろそろこの旅も終わりにしょうと思っていた。そしてこの地で、ワーキングホリデーで来ていた今のかみさんと知り合ったのだった。


12月31日/航海116日目
<『三丁目の夕日』で年は明けて>

 大晦日だ。「素人紅白歌合戦」をやっている。船内の大騒ぎに巻き込まれたくなければ、図書室か船室に閉じこもっているしかない。夕刻ヨガをやる。今年最後のまずい夕食をすませ、船内テレビの『三丁目の夕日』をカウントダウンの時間まで一人見ていた。
 部屋に戻るとSさんが起き出してきた。「初日の出見にいくっぺ」「いや、俺は初日の出は見ないことにしている。なぜかは良くわからない。とにかくこの何十年、初日の出をわざわざ見に行ったことはないし、これからも見ない」と私は答え、一人自室に戻った。


1月1日/航海117日目
<海の正月・餅と樽酒>

 餅一つ、ミカン一つない正月を迎えた。朝食はいつもの通りのサラダと日本食。鮭切り身、納豆、昆布の佃煮、野菜炒め、味噌汁、ご飯……。長旅をしていて一番日本が恋しくなるのは、いつも正月だ。
 元日という記念すべき門出にこれはひどいと思った。9時過ぎからキャビンで餅つき大会が始まり、樽酒がふるまわれた。これには急いで参加し、つきたての餅をたらふく食べ、日本酒を飲む。恨みがましい気持ちが少し晴れた(笑)。



12月19日、船ではイスラエルのガザ爆撃に抗議してダイ・インが行われた。又戦争が拡大している。勿論私も参加

1月2〜4日/航海118〜120日目
<ラバウルではるか60年前に思いをはせる>

 船は赤道に近づいている。無性に暑い。4日の朝、ラバウルに着岸した。港の手前の山から凄い煙が上がっている。活火山だ。船上まで火山灰が降り注いでいる。
 ラバウルは南進の旧日本軍の前線基地の島だ。この一帯のニューギニアで、3万もの兵士が死んだ。その80%が戦闘で死んだのでなくて餓死だ。旧大日本帝国の怨念の島だ。ラバウルが南の主要基地だった日本軍は、その基地を守るため何カ月もかけて、ガダルカナル島に飛行場を作る。完成の直前、その飛行場はアメリカ軍に奪われ、反攻の主要基地になるのは何とも皮肉な話だ。
 不思議なことに、オーストラリアやニュージーランドのリッチな国ではどこも行きたくないのに、このラバウルではどこか行きたくなる。しかし、情報も交通手段がない。断念するしかなかった。(以下次号へ)



『ROCK IS LOFT 1976-2006』
(編集:LOFT BOOKS / 発行:ぴあ / 1810円+税)全国書店およびロフトグループ各店舗にて絶賛発売中!!
新宿LOFT 30th Anniversary
http://www.loft-prj.co.jp/LOFT/30th/index.html


ロフト席亭 平野 悠

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