第122回 ROOF TOP 2008年5月号掲載
<特集>「日本民族派右翼がプラスワンに結集した歴史的な日」

<ドキュメンタリー映画『靖国 YASUKUNI』右翼向け試写会>

4月18日、朝8時。昨夜から断続的に降り続いた雨と強い春風は止まず、まさに「春の嵐」とはこのことだとばかり私は、そばで寝ている猫をけっ飛ばし、跳ね起きた。部屋のカーテンを開け、どこまでも重たい雲を見上げた。
私はこの数日来、がらにもなくどこか緊張、というよりも興奮していた。ロフトプラスワンという、世にも珍しい「トークライブハウス」を経営し、そこのオヤジ(席亭)を名乗って13年。怒号、脅迫、暴力、警察介入等、幾多の修羅場を乗り切ってきた自負もあって、少々の混乱には萎縮しないといった根性は持ち得ていたはずだった。 この日、ロフトプラスワンには日本全国から民族派右翼の精鋭が集まり、上映を巡って揺れているドキュメント映画『靖国 YASUKUNI』の緊急試写会が行われることになっていた。
それだけならいざ知らず、私は、その後の討論集会の司会をやってくれと、世話人から頼まれていたのだ。


<右翼=暴力団と煽るマスコミ>

ことの発端は、『週刊新潮』(昨年12月20日号)が、「反日映画『靖国』は日本の助成金750万円で作られた」と報じたことにある。
それ以降、この騒動は「権力の圧力だ」「表現の自由への侵害だ」と各方面で話題になった。「国家はこの反日映画を支援するのか?」「公開前の段階で自分達に映画を観せろ」と、稲田明美議員など自民党保守系国会議員が、配給会社のアルゴピクチャーズに要求した。配給会社は国会議員を対象に試写会を行った(こんなのありか?)。ついには上映予定映画館のひとつ、「銀座シネパトス」には自称右翼の街宣や来訪、電話があり、3月26日、ついに映画館側が公開中止を決めた。続いて31日には、「渋谷Q-AXシネマ」「シネマート六本木」「シネマート心斎橋」が、直接的には何の抗議もないのに、混乱やトラブルを恐れて上映中止を決定した。
さらに問題なことには、映画館に街宣をかけた右翼は、まだその映画自体を観ていない段階だったとか、抗議の電話をした連中は、悪名高い「ネット右翼」だったと言われていたりした。
そんな状況の中、「まだ映画も観ていないのに、『週刊新潮』の煽り記事を読んだだけで、街宣をかけ抗議するとはどういう神経だ?」「日本の精神・靖国を誹謗する映画に日本の血税を使うとは何事だ!」などなど、さらにさまざまな声が上がった。「銀座シネパトス以外の映画館は、一度も抗議を受けていないのに自主規制し中止を決定するとは、あまりにも映画館主として情けなさ過ぎる」との意見もあった。先日、グランドプリンスホテル新高輪が、「右翼の抗議があると他の宿泊者に迷惑がかかるから」という理由で、日教組集会への会場貸出しを一方的にキャンセルした事件があったが、それと同様に、この映画『靖国 YASUKUNI』問題は、「右翼の街宣は怖いから」ということなかれ主義による、日本の言論の自由の根幹を揺るがす騒ぎでもあったのだ。


<新右翼一水会・木村三浩代表の憂鬱>

このような状況下、この映画を巡って民族派右翼へのマスコミのパッシングが各方面から起きた。マスコミの論調の多くは、「右翼団体による抗議活動のため上映が中止された。言論の自由の危機だ」というものだった。
この民族派右翼の面々にとって頭の痛い問題に対し、新右翼団体、一水会の代表・木村三浩氏はこう言っていた。「確かに一部右翼団体が上映映画館に抗議活動を行った事実はあるが、それをもって右翼全体が上映を潰したという見解は大きくずれており、実際、多くの人はまだその映画そのものを観ていないというのが現状だ。“表現の危機”という報道も目立つ。表現、言論活動は映画芸術だけに限らず、政治・思想団体、各種活動家など全ての人にとって重要なのは明らかだ」。 4月7日深夜、木村三浩氏から私の携帯電話に連絡があった。「実は、出来たら日本の民族派右翼の重鎮達にこの靖国映画を観せたいと思っている。日頃、真摯に日本の民族運動をしている右翼の人たちに、とにかくこの映画を観てもらって、そこからこれからの問題を考えたいので、ロフトプラスワンの場所を貸してもらえないだろうか?」という内容だった。私は即座に、「4〜5月の夜の部のプラスワンは全てスケジュールが入っているが、平日の昼間だったら空いているので、それで良かったら構わない」と返事をした。
木村三浩さんと私は、長い付き合いになる。木村氏は熱心に反米愛国民族運動をしており、私とは思想は違うが、彼のこの問題への深刻さは良く理解できたので協力を申し出たのだった。
ところで、ロフトプラスワンでは既に4月上旬に一度、この問題を考えるイベントが開催されていた。


<4月3日 ロフトプラスワンで『靖国 YASUKUNI』公開直前トーク!>

中国人映画監督・李纓が、靖国神社をテーマに10年間撮影したドキュメンタリー映画『靖国 YASUKUNI』。異例の国会議員向け試写会開催、相次ぐ劇場での上映中止など、間違いなく今年最大の問題作である本作公開を前に、公開記念トークライブが開催されます。日本人、またアジア周辺国をはじめとする外国人にとって「靖国」とは一体何なのか?【出演】宮台真司(社会学者)、鈴木邦男(一水会顧問)、末井昭(白夜書房編集局長)他
※ロフトプラスワン宣伝コピーより


この日、満員の場内で私は、「もし、どこの映画館も右翼の襲撃を恐れて上映できないのであれば、このロフトプラスワンの昼の部でやればいい」と発言してしまった。このことも、この異様な企画に私が積極的に関わらねば、と思った理由の一つだった。


<右翼総結集の緊急イベントに大勢のマスコミが押し寄せた>

こうして、右翼向けの『靖国 YASUKUNI』試写会企画は動き出した。「映画『靖国 YASUKUNI』の上映について考える会」という、穏当な名前もついた。配給会社のアルゴピクチャーズ側や、監督の了解も取り付けた。
民族派右翼重鎮の呼びかけ人も次々と決定され、彼等が各右翼組織に「回状」を回し、参加をお願いすることになった。呼びかけ人は、一水会の木村三浩氏の他に、大日本朱光会・阿形充規氏、同血社・河原博史氏、正氣塾・中尾征秀郎氏、防共新聞社・福田邦弘氏、民族革新会議・山口申氏と錚々たる顔ぶれ。いろいろ検討して、主催はロフトプラスワンでということになった。さっそく呼びかけ文をまとめて、4/11に木村氏、河原氏、配給会社のアルゴ・細谷氏とロフトで打合せをしたのだが、その場で、なんと上映後に、私が司会で討論会を行うことに。これはえらいことになった、と思った。
マスコミリリースは、ロフトプロジェクトの加藤梅造文化部長がやることになった。いざイベントの詳細を発表すると、あらゆるTV、新聞、雑誌から取材申し込みがあった。在京の地上波テレビ局は全局から取材申し込みがあったし、主要新聞もほとんど。英字新聞社など外国メディアからも取材申し込みがあり、この事件は日本だけの問題ではないことなのだと実感させられた。
会場のプラスワンは、テーブルを外して椅子席と立ち見を入れても200人が限界。これではマスコミ取材規制をしなければ、本当に観てもらいたい右翼の人達が入れなくなるので、主要な媒体にしか取材許可を発行出来なくなった。この取材陣の多さは、おそらくロフトの35年の歴史始まって以来だったはずだ。



ステージに並んだ日本民族派右翼の重鎮の面々。右より、同血社・河原博史氏、正氣塾・中尾征秀郎氏、大日本朱光会・阿形充規氏、民族革新会議・山口申氏、一水会・木村三浩氏、防共新聞社・福田邦弘氏、そして司会のロフト・平野悠。

<右翼幹部ら150人が大結集>

映画「靖国 YASUKUNI」ロフトプラスワン試写会が無事終わった。しかし、最近のロフトプラスワンでは最もスリリングなイベントだった。 (中略)  鈴木邦男さんがよく言っているが、左翼と違って右翼というのは団体行動を好まない。「一人一殺」(血盟団・井上日召)という言葉があるように、一匹狼が多いのだ。その右翼が一同に介して映画を見て討論するというのは、考えただけでも普通に終わるわけがない。マスコミもたくさん来るだろう(あと公安も)。無事に終わるのか?
4/14にプレスリリースを各社に流すと、予想通り問い合わせが殺到した。店や事務所にかかってきた電話はすべて僕の携帯に回してもらっていたので、電話が鳴りっぱなしに。全然寝れない。その間もアルゴや木村さんと何度か打合せ、いよいよ4/18当日を迎える。午前中は激しい雨と風。これは神様の演出((c)根本敬)なのかと思う。平野さんは、嬉しくて眠れなかったと言っていたが、この修羅場を「嬉しい」というのは一体どういう神経してるんだ!? 僕は心配で寝れなかったよ。13時を過ぎるころには、右翼のみなさまが続々来店。一般の人は入場不可なので、報道を見てきた一般の人と招待された右翼団体の人をどう見分けるかが心配の一つだったが、実際は見ればすぐにわかりました(ははは)。
招待者が120人、取材陣が80人とロフトプラスワンは鮨詰め状態になった。来場者には大日本愛国党・舟川氏、統一戦線義勇軍・針谷氏などプラスワンでもおなじみの右翼活動家の他、宮崎学氏、高須基仁氏、南部虎弾氏などの顔ぶれも。14時上映開始。上映中は驚く程静かだった。もちろんそれは嵐の前の静けさで、上映後の意見交換会が始まるとそれはそれは激しい議論に。まあこのへんは新聞やテレビでもたくさん報道されてた。ネットでも。討論会はあっという間に1時間が過ぎなんとか終了。ロフトプラスワンでも近年まれに見る白熱したイベントだった。おそらく日本の右翼の歴史としても画期的な出来事だったのではないだろうか。
しかし、イベント中、会場の中を飄々とうろつく鈴木邦男さんはやっぱり凄いなと改めて思う。最近は右翼からも攻撃されることの多い鈴木さんだが、今回の上映会は鈴木さんの左右問わない長年の活動が一つの契機であるのは間違いない。右翼団体への根回し、李監督や配給会社への説得など苦労は多かったはずだ。今後「靖国 YASUKUNI」の公開がどうなるかわからないが、なんとかいい方向に行くのを願うばかりだ


<ドキュメント『靖国 YASUKUNI』試写&討論会>

13時30分、最初に来場者(右翼の面々)に入場してもらった。まさか招待状を出したのに、入場出来なかったら困るからだ。
13時45分、続々と報道陣報道陣が入り始めた。受付帳を見ると英字新聞『ジャパンタイムズ』まである。
14時、もう場内は満席だ。女性はほとんどいない。なぜ、右翼ってこう恰幅がいいんだろうと思うくらいのほとんど男だ。黒っぽい背広が並ぶ。
14時5分。映画が始まる。上映時間は2時間3分。観客は身じろぎもしない。暗闇の中、スクリーンを見つめる各人がどう思って観ているのか、私にはさっぱり解らなかった。
16時10分、映画が終わった。場内はまだ静かだ。突然怒り狂う参加者がいると予想していた私は、ちょっととまどった。
16時15分、討論が開始された。時間がないのでトイレタイムもほんの少ししか取らず、パネラーの右翼界の重鎮をステージに招き入れた。相当アガっていたのだろう。名前と所属が一致しない。困った!
冷や汗をかきながら、何とか民族派右翼の重鎮の皆さんにステージに座ってもらった。「まあ、上には公安の2、3人は来ていまして、この問題がいかに重要か、内外のマスコミも多数取材に来ていて……まあ、今日は何とか皆さんにガス抜きをしてもらって……」と、ジョーク半分でトーク開始の挨拶。
すると場内からすぐさま、「平野さん! ガス抜きとはどういうことだ! そんなつもりで俺たちは来ていない!」と強烈な私への抗議の声が上がった。私は一瞬「やばい!」と思った。
「いや、これだけの人たちが集まったので、忌憚なく言いたいことを言おうじゃないですか? という意味です。誤解があったのでしたら申し訳ありません」と私は素直に謝った。いつもの政治討論だったら通じるジョークだった。「一応ここは私のホームグランドだ」という甘えもあったのかも知れない。私は今日のこの場は、軽いジョークさえ通じないのだと認識した。それほど、当日参加していた民族派右翼の活動家達は真剣だったのだ。



一部週刊誌で、一般人も入場できる試写と書かれてしまったために、こんな張り紙をだしたプラスワン入り口

<呼び掛け人の民族派右翼達による率直な意見が飛びかう>


意見交換会では来場者からの意見が激しく飛び交う。写真は統一戦線義勇軍の針谷議長。

後半になり私は、「パネラーの意見は色々あったが、何かこの映画に身体を張って警察に逮捕されてまで阻止すべき映画ではないという意見が多かったように見えますが、会場の意見を聞いてみたいと思います」と言い、マイクを場内に振ると、無数の手が上がった。




「我々右翼は牙があって初めて右翼なんだ。呼びかけ人は何を求めて我々を呼んだのか」
「我々はこの映画の宣伝に利用されていると思うと非常に不愉快だ」
「この映画を観ると、あの戦争が侵略戦争に見られてしまう。靖国は我々民族派の原点だ。今度こそ我々自身の手で靖国映画を作ろうではないか」
「監督と我々と討論させるべきだ」
「今日、我々右翼は非常に運動がしにくくなってきている。今、我々は警察の規制にあって大量に街宣車を出せる状況にない。ディーゼル規制とか、我々の活動に対して弾圧は強まるばかりだ。この問題はどこか大きな勢力が動いていると思う」
「作り手は、靖国や刀匠の許可を取ってもいないで映画を制作している。これはインチキである。靖国や刀匠、稲田明美議員と連帯して訴訟を起こすべきだ」
最後に、パネラーの総括的意見が寄せられた。それは、「この場で結論を出すのは無理がある。騒げばマスコミのペースに乗ってしまう。これだけの民族派の人達が集まったのだから、親交を深めつつ、民族派の拡大という思いをもって今後の運動につなげたい」というものだった。
17時、「実は今日は緊急に決まった日程なので、夜の部のイベントが入っています。まだまだ意見はつきないようですが、本日はここで終わらせてください」と終了を告げると、イベントはなんとか無事終わった。


ぎっしり詰めかけた右翼運動の活動家。乱闘服を着た若者もいる。みんなそれぞれが真剣に議論に耳を傾けている。

春だというのに雨と曇天の日が続く。13年前に、この空間、ロフトプラスワンを作った時の私の最大の目標は、70年代、世を騒がせた新左翼党派の中核派と革マル派の指導者を、同じテーブルで、憎しみや暴力や人殺しではなく、言論で戦ってもらおうというものだった。色々画策したが、いまだ実現出来ていない。
しかし民族派右翼の人たちが同じテーブルについて、議論できたことはとても嬉しいことだった。これでこそ、この空間を作った意味があったと実感出来る一日だった。緊張と興奮がさめやらぬまま、歌舞伎町に出るとまだ雨は降っていて、生暖かい風がコマ劇場の巨大な看板を突き上げていた。


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ロフト席亭 平野 悠

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