Highball Night With Single Malt supported by suntory ROOFTOP -ROCK OF AGES-
De+LAX

3年間の沈黙を経て果たされる“SENSATION”な完全復活!

 1976年10月7日、西新宿のビルの地下に65坪・300人収容のライヴハウスとしてオープンした新宿LOFTが、来たる2006年に誕生から30周年を迎える。来年1月から12月までをアニヴァーサリー・イヤーとし、1年間を通じて30周年記念イヴェントが続々と行われていく。それに伴い、本誌でも“ROCK OF AGES 2006”と銘打ち、LOFTゆかりのミュージシャンへのプレミアム・インタビューを今号からスタートさせることにした。
 記念すべき第1回目は、今月実に3年振りの復活を“突然 炎のごとく”果たすDe+LAX。再始動に至る経緯と今後のヴィジョン、新宿LOFTでの思い出までを宙也(vo)と高橋まこと(ds)の2人に存分に語ってもらった。(interview:椎名宗之)


De+LAXというバンドの灯は消さない

──今回、この時期に3年振りの復活に至った経緯というのは?

宙也:メンバーの個人的な事情で活動を休止していたんですけど、De+LAXというバンドの灯は消したくないとずっと思ってたんですよ。すべての準備が整ったのがこのタイミングだったので、またこうして始めることにしました。

高橋まこと:'93年に一度解散して、5年経って再結成して復活アルバム(『RenaiSSance』)まで出したわけだから、この先ずっとコンスタントに続けていこうっていうのがバンドの総意だったんだよ。インディーでもいいから自分達だけで音を作ろうって決めていた矢先の活動休止だったから、また“解散”っていう言葉は使いたくなかった。「この4人が揃ったらまた必ずDe+LAXをやろう」ってみんなで確認し合ってたからね。

宙也:京極(輝男)さんは2000年に辞めたけれど、残ったこの4人だけは不動のままでいたかったし、サポートを入れてそのまま活動を続けるのもどうかなと思って。

まこと:まぁ、今回はDe+LAXとして新しいことに臨むというより、まずはまた新たにこの4人でお客さんの前でやれることを存分にやってみたい、というかさ。俺達には必ず着いてきてくれるコアなファンが結構いてくれるから、それは凄く嬉しいよね。


──宙也さんはLOOPUS、まことさんならDAMNDOGと現在別のバンドでも精力的に活動されていますが、やはりDe+LAXとなると向き合うエネルギーが違いますか?

まこと:俺は結構変わるねぇ。宙也はどう?

宙也:もちろんどのバンドも真摯に向き合っているけど、やっぱり自ずと変わりますよね。'98年に再結成した時は迷いもあったんだけど、始めてしまえば自然にDe+LAXのモードへと切り替わっていきますね。今度の再始動も、春先に(鈴木)正美から「またやろう」と連絡を貰った時にはもうそのモードに入ってましたから。その連絡を受けてから、京極さんが今やってる三宿の店で正美と3人で呑んだんですよ。その場で話が盛り上がったんで、今後京極さんが戻ってくる可能性もあるんじゃないかな(笑)。

まこと:京極が何でもやってくれるんだったらさ、俺はステージでタンバリンを叩いてるだけでもいいよ(笑)。

宙也:正美と呑んだ次の日にまこっちゃんと(榊原)秀樹に電話したんですけど、すぐに秀樹がLOFTに電話して今回のブッキングを決めたんですよ。「LOFT、押さえましたよ」って(笑)。ただ、その押さえた日はあいにく京極さんの店のオープン2周年の記念日と重なっちゃったみたいなんですけどね。


──とにもかくにも、これがDe+LAXの完全復活と捉えていいわけですね?

まこと:そうだね。そんなに急がないで新しい音源もいずれ作っていきたいし、来年のLOFT 30周年記念イヴェントにも出させてもらいたいしね。今回の復活ライヴ一夜限りのものじゃないってことは言っておきたい。


──その『復活祭 〜RESURRECTION & EXISTENCE〜』は、ベストヒッツ的な趣になりそうですか?

まこと:うん。悪いけどレパートリーは一杯あるからね(笑)。録音していない未発表曲も合わせたら凄い数になるよ。

宙也:De+LAXは一本のライヴでやる曲が多いんですよ。再結成してからのワンマン・ライヴのリストを見ると、アンコールを入れて25曲くらいやってますからね。

まこと:そうそう。だから2時間以上はライヴをやってるんだよな。高知のキャラバンサライでやった時に、アンコールだけで10何曲とかやったのをよく覚えてるよ(笑)。 De+LAXではとにかく全部を出し切る、余力を残さないライヴを常にやってたね。

宙也:どこかの学祭で、客電がついてお客さんも帰りかけてるのにまた出てきて演奏した時は凄く怒られたよね(笑)。


──Chu-ya&De-LAXとしての新宿LOFT初出演は'85年10月8日・9日の『ダンス天国 〜CHU-YA COMES BACK』なんですが、まことさんが加入されて初のLOFT初出演はその3年後、2月18日の深夜でしたよね。

宙也:そうですね。確か、雪が降って寒かった。まこっちゃんが加入して最初のライヴだからよく覚えてますよ。とにかくビートが強烈だから、それを全面に押し出すというサウンドのコンセプトもその時点で固まったし。

まこと:リハーサルは本番のLOFTよりも広い、麻布にあるつづきスタジオって所でやったんだよな。俺は解散宣言をしたBOφWYの渋公ライヴが終わった後、東京ドームでやったLAST GIGSの前だった。その時、LOFTでライヴをやるのが俺自身凄く久々だったんだよ。BOφWYとしてホールクラスのライヴばかりだったから、“帰ってきた!”っていう意識が強くあったね。実際にライヴをやるまでは正直半信半疑だったんだけど、夜中にも関わらず結構お客さんも入ってたし、反応も良かったよ。それに俺、Chu-ya&De-LAXのLOFT初ライヴは観た記憶あるな。

宙也:ああ、いたね。だってアンコールでSHY(ハートビーツ)と2人でステージに出てきたから(笑)。その時は、まさか数年後にバンドを一緒にやるとは思わなかったよ(笑)。まこっちゃんは、俺よりも先に正美や京極さんと知り合いだったんだよね。

まこと:うん。俺はね、向こうが19歳の時に知り合うパターンが多いんだよ。正美と初めて会ったのもあいつがまだ19の時で、布袋(寅泰)もそうだし、宙也も秀樹もそうだった。

宙也:“20歳前にまこっちゃんと知り合うと人生が変わる”っていう法則だよね(笑)。


LOFTは俺の“ライフ”ハウスだった

──それ以前にも、宙也さんはアレルギーとして『副都心 -副作用- 第二幕劇』('82年11月〜)や『スペース シードGIG』('84年4月〜)といった定例GIGをLOFTで展開されていたり、まことさんはBOφWYがまだ“暴威”と名乗っていた頃からLOFTに出演(暴威 初出演の'81年5月11日を除き'84年7月7日まで計33回)されていますよね。

宙也:アレルギーの初ライヴはJAMスタジオでよく出ていたんですけど、LOFTでシリーズGIGをやることが第一の目標でしたからね。初めてLOFTに出れた時('82年4月1日『4.1 TOKYO PUNK DAY』)は凄く嬉しかったですよ。

まこと:BOφWYとして出演する前から、LOFTにはコンディション・グリーンとかを観によく足を運んでたんだよ。まだトイレの前に煉瓦の砦みたいなのがあった時期。もちろん、アレルギーのライヴも当時よく観に行ったよ。アレルギーが300何十人動員したって聞けば、こっちも“負けてたまるか!”って当時は意気込んでたよね。

宙也:俺も自分がLOFTに出る前からフリクションとかまこっちゃんが入る前のAUTO-MODとかをよく観てたし、まだお客さんが20人くらいしかいない暴威のライヴも観たことがあったよ(笑)。


──まことさんは当時LOFTに“住んでいた”というのが今や伝説と化していますからね(笑)。

まこと:まぁ、LOFTは俺の“ライフ”ハウスだったからね(笑)。もう毎日のようにLOFTに通ってたし、ルースターズとかARBとか、ライヴも凄くたくさん観たよ。彼らと一緒に酒を呑んでは友達になったりしてね。当時のLOFTのステージは歪みが凄くて、床に穴が出来てたんだよ。それを絨毯で隠してあって、ドラムセットが乗ると思い切り歪むんだよな。だから怖くて俺はその絨毯をめくれなかった(笑)。ある時、ステージの床を市松模様にして綺麗にしようってことになって、俺達の手でトイレを直したり、落書きだらけの楽屋の壁を取っ払ったりしたこともあったね。それからはちょっと使い勝手が良くなったけどな。

宙也:当時、出演者にはウイスキーのブラックファイヴオーを一本プレゼントしてくれたんだよね。まこっちゃんは気前が良くてさ、「これ呑んでくれ」ってよく酒を奢ってくれたよね。

まこと:それはLOFTのスタッフが気を利かせてくれて、俺のボトルにどんどんつぎ足しをしてくれたからだよ(笑)。俺は“減らない魔法のボトル”って呼んでたけどね(笑)。

宙也:パブタイムには俺もよく行きましたよ。電車がなくなるとLOFTへ行って…そうすると必ずまこっちゃんがいるんですよ。夜中の3時くらいになると、ビートルズとか『傷だらけの天使』のテーマばかりかけ始めてさ(笑)。しかもあのブラックファイヴオーが何か悪酔いするんですよね。多分、長時間呑んでるとペプシの紙コップの蝋が溶けてくるからじゃないかと思うんだけど(笑)。


──以前、まことさんから「当時は酒の席では仲が良くても、ステージ上の勝ち負けには凄くこだわっていた」と伺いましたが。

宙也:前のLOFTは楽屋にいるとステージの音がもろに響いてきて、あれが凄く燃えたんですよ。楽屋のドアをガラガラッと開けると、すぐそこでドラムを叩いているような近さでしたからね。


──西新宿から歌舞伎町へと場所は違えど、De+LAXとしての再々スタートもまたLOFTのステージで切るわけですが、どんなライヴにしたいですか?

まこと:全方位でガツンと行きたいよね。De+LAX独特の踊れるナンバーもふんだんにやるだろうしね。今になって思うと、正美の書く曲って8ビート主体の激しい曲もあるんだけど、「SEX, GOD, BLOOD」とか「SPIRITS A GO-GO」とか、結構横ノリのダンサブルな曲が多いんだよ。で、俺はタテノリじゃん? だから当時は噛み合わないところもあったんだけど、今さらにして正美のやろうとしていたことがよく判るよ。

宙也:復活の一発目だし、真新しいバンドでもないわけだから、どういうところがDe+LAXに求められているかというのはある程度こっちも判るし、そのへんはまず外さないでやりたいと思ってますね。当時ほど高さはないかもしれないけど、ジャンプするところはちゃんとしますし(笑)。

まこと:ドクター・中松のフライング・シューズ履けよ、みたいな(笑)。


──近い未来に発表されるであろうDe+LAXの新曲は、どんな方向性になるでしょうか?

まこと:まだ断言はできないけど、俺はよりシンプルな方向になると思う。いろんなものを削ぎ取った核の音、みたいなね。近頃、宙也が書くような詞を余り聴かなくなったな、と思ってさ。別に時事性や社会性みたいなものをバンドに求めてるわけじゃないけど、「WAR DANCE」や「REVOLUTION -永遠の薔薇-」のような、ある種予言者めいた詞というかね。「WORLD'S END -世界の果て-」が発表された頃はまだ、希望も持てない荒廃した未来が近づいてくるのかもしれないっていう感じだったけど、今はもうあからさまな現実として目の前に突き付けられてるわけじゃない? だから2005年の今、宙也が一体何を考えているのかを詞に出してほしいし、バンドとしては骨太な曲を作りたいと思ってる。


──では最後に、『復活祭』を楽しみにしているファンの方々へメッセージを。

宙也:『復活祭』なんだけど集大成でもあるし、それが新たなスタートになればいいな、と。曲としては焼き直しになるかもしれないけど、今の時代性と年輪が組み合わさって野太くなった感じになってると思います。

まこと:そうだね。そのへんも楽しんで頂けたら、と。とにかく、De+LAX、すべて見せます!



Live info.

2006年3月10日(金)
SHINJUKU LOFT 30TH ANNIVERSARY "ROCK OF AGES 2006" 出演決定!


復活祭 〜RESURRECTION & EXISTENCE〜
2005年10月16日(日)新宿LOFT
OPEN 18:00 / START 19:00
TICKET: advance-3,500yen / door-4,000yen(共にDRINK代別)
*チケットはぴあ(0570-02-9999/P-Code:208-534)、ローソン(0570-06-3003/L-Code :39724)、イープラス(http:/eee.eplus.co.jp)、ロフト(03-5272-0282)で発売中
【info】DISK GARAGE:03-5436-9600(平日12:00〜19:00)


RECOMMEND DISC

BEST OF De+LAX
FOR LIFE RECORDS FLCF-3895 / 2,100yen (tax in)

2001年11月に発表された究極のオールタイム・ベスト・アルバム。まさにDe+LAXの代表曲と呼ぶに相応しい精選された全15曲が収録されている。「なかなかの選曲になっていて楽しめる事うけあいであります」と本作を語る高橋まことがライナーノーツを手掛けているのも貴重。



PROFILE

 1985年3月にアレルギー解散後の宙也(vo)、ちわきまゆみのユニット“MENU”をサポートしていた鈴木正美(b)と京極輝男(key, per)の3人を中心に“Chu-ya&De-LAX”結成。PERSONZの本田毅、メトロファルスの小滝満、ローザ・ルクセンブルグの玉城宏志などが一時的に在籍するなど当初はメンバーも流動的だったが、'88年2月にBOφWY解散直後の高橋まこと(ds)と当時新宿LOFTに出入りしていた榊原秀樹(g)が加わり“De+LAX”と改名、同年8月に『De+LAX SENSATION』でメジャー・デビューを果たす。'92年に解散を発表、翌年の渋谷公会堂でその活動を終えたが、'98年にオリジナル・メンバー5人で復活。'00年の京極脱退後、'02年10月に行われた大塚RED-Zoneでのライヴを最後に活動休止状態にあったが、遂に今年10月、新宿LOFTにて待望の完全復活を遂げる。


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