Highball Night With Single Malt supported by suntory MESSAGE

新宿ロフトにゆかりのあるミュージシャン、関係者からメッセージをいただきました。随時更新中!!

外丸兼次 NEW!!

外丸兼次ロフトってのは正に「俺自身」でした。
んでね、俺自身がロフトでした。
せえしゆんん、とか全くカンケツねぇ。

誰よりも「俺の声が響くハコ」だぜ。

DMBQ  増子真二 NEW!!

増子真二30年!ロック!よくもまぁこんなハードな事をこんなにも長く続けてますね。好きこそモノのなんとやらってヤツですかね。頭が下がる思いです。僕なら絶対途中で辞めてオシャレなバーに転業してます。白いグランド・ピアノが置いてあって、薔薇を欠かさず飾って、店員のことを全員「〜ちゃん」づけで呼ぶような超一流のバーです。新宿の夜の蝶達が疲れた心を癒しに集うんです。そこには涙と微笑みが溢れているんです。時には早めにお店を閉めて、一人ウヰスキーを燻らせながらピアノに向かうんです。マイウェイ…。

んで、一体いつまで続けるんですか?続けている限りはお付き合いさせていただくつもりです。これからもよろしくお願いします。

Lynx / HAMLET MACHINE  ISSAY

ISSAY 今から二十数年前、1980年代前半、バンドを始めたばかりの僕は知人につれられて、当時まだ西新宿にあったLOFTに初めてライブを観に行った。誰を観に行ったのかは、忘れてしまったが、LOFTの入口付近にたむろしていた人達や、中に入った時の雰囲気は良く憶えている。パンク、ニューウェイブ全盛期だった当時の、一番尖った部分がそこにはあった。今でこそ珍しくはなくなったが、モヒカンや、真っ赤な髪、緑の髪、白塗の化粧、等々、当時、一体普段は何処に生息しているのだろうと思うような人達が何やら殺気立っていた。僕もその中に紛れ込んで、なんだかわくわくしていた。

あれから年月は過ぎ、僕もLOFTに出演させてもらえるようになり、西新宿にあった小屋も、歌舞伎町に移り、いくつかのバンドはなくなり、新しいバンドが増えた。だけど、今だにLOFTに行くと、その時代その時代の、一番神経がむき出しになっているようなヒリヒリしたような緊張感に満ちている。ああ、常にこの小屋は、時代を体現しながら歴史を作ってきたんだなあと思う。そして、その片隅にでも僕も参加していたことを誇りに思う。

LOFT三十周年、おめでとうございます。これからも変わらず、時代を映し出しながら歴史を作っていって下さい。そして、その歴史に僕も参加出来たら幸福に思います。

BEAUTY MANIACS  橋都章人

橋都章人 「ロック」とか「バンド」というモノにのめり込み始めた10代の頃。当時…ライブハウスすら無かった静岡市在住の僕にとって、LOFTは夢でした。

上京して3年掛かってLOFTでワンマンをしました。移転する前のLOFTで。やたら緊張した記憶があります(笑)。そのライブ直後の楽屋でメジャーデビューが決まった。必死でロックしてきて…初めて認められたと思った瞬間でした。

今でも行く度に感じますが、LOFTには独特の空気が流れてる気がします。ソレはとても厳かで「誇り」や「魂」という言葉に似ています。歴代のスタッフの皆さんや出演者の皆さん、そしてお客さん達が作り上げてきた日本一のライブハウス。30周年おめでとうございます。これからも夢を見させて下さい。

POLYSICS   ハヤシ

ハヤシ 新宿ロフトは、俺が影響を受けた沢山のバンドがステージに立っている。P-MODELに筋肉少女帯、有頂天、ZIN-SAY、フリクション、リザード、ニューロティカ、ピーズ、カステラ、あぶらだこ等々、、、数え上げたらキリが無い。そして、その人達はこのロフトで、数々の伝説的なライブを沢山繰り広げて来た。というのを昔「ロフト何十周年アニバーサリー」みたいな分厚い本で読んだ事がある。それを見て「スゲェ!いつか自分もこの人達の様に、このロフトという場所で熱いライブをして、伝説の1つに加わりたい!!!!」と思い、一人興奮した記憶がある。そして、その何年か後に正に伝説的なライブを観た。

98年のロフトで観た「シカゴベース」のライブだ。「シカゴベース」とは、ミクスチャーにDEVOの変態性が合わさったような実に素敵なバンドで、俺もかなり影響を受けているバンドの1つ。その日のシカゴベースはのっけからテンションが超高く、ノリノリだった。だが、その始まったばかりの1曲目で事件は起きた。曲が進行して行く中、どんどん演奏もいい感じにノって来て、サビの大爆発する所で、ギター&ボーカルのゲンタさんがジャンプをした、その瞬間!!!!

いきなりメインギターが「ポキッ!!」と折れてしまったのである。

自分のメインのギターが、いきなり1曲目のサビで折れてしまったゲンタさんは思いっきり焦り、テンションがメッチャクチャ下がっている!!1曲目が終わった直後にMCが入り「うわ〜っ、どうしょう、、、このギターお気に入りなのにな(ショボン)、、、。」と言った後、折れたギターをステージの床に置き、この日はリードボーカルに徹したのである。その後のライブは言うまでも無く、ブチぎれたテンションでとにかく最高だった。ポリシックスを結成したてのその頃の俺には、かなりの衝撃映像で、交通事故を見た様な、そんな印象だった。「やっぱロフトはすげぇ!」と本当に思った。

そんなロックの神様が、ものすごいタイミングで沢山降りてくるライブハウス「新宿ロフト」。やっぱり長年ロッカーに愛されるライブハウスなだけある。ロックの神様がここには潜んでいる。ポリシックスはそんなロフトで沢山ライブが出来て光栄です。中音もやり易くて大好きです。あと、オムソバも好き。

30周年本当におめでとうございます。そして新宿ロフトの皆さん、これからもよろしく!!!!

SLOTH LOVE CHUNKS   KENJI

KENJI 田舎もんだった自分が初めてLOFT行ったのは95年5月、ホンモノに言葉がなかった。。初めて出たのが97年7月、あのステージに上がれて感動した。。それ以来、度々出せてもらってますが、初めてのときのそれは忘れていません。

いつまでも特別な場所でいてほしいです。30周年おめでとうございます。

KOGA RECORDS / ROCKET K / VENUS PETER  古閑 裕

古閑 裕 30周年おめでとうございます。 高校生の時(20年以上前の話)、故郷熊本の地でガキなりにも、日本で最も憧れたライブハウスであり、そんなロフト30周年のコメントを私が書けるなんて光栄の極みです。30年の間には喜怒哀楽、悲喜交交な出来事があったかとお察し致します。しかし今もって日本屈指のライブハウスもしくはカルチャーの発信地として新宿に君臨する起動力はスタッフ全員の並々ならぬ素晴らしさ故!何たって、この私の考えられないようなオイタ(内緒)にも目をつぶっていただける器のデカさは頭が垂れる思いで一杯です。今後も色んな意味でお世話になると思いますが寛大なる御慈悲で宜しくお見守りお願い致します。

bloodthirsty butchers

吉村秀樹 [吉村秀樹(vo・g)]
祝ロフト30周年おめでとうございます!

バンドマンの憧れの市松模様のステージを守り続け色々な人間模様を見届けてこの東京、新宿ロフト!これからもがんばって下さい。何時何時までも皆の味方で居て下さい!よろしくお願いします。


射守矢雄 [射守矢雄(b)]
ロフト30周年おめでとうございます。30年ですかぁ!初めて東京でライブをしたのはロフトでした。それから約20年これからもよろしくです。


小松正宏 [小松正宏(dr)]
ロフト30年ですかー、そういえば小滝橋の頃のあたりはすっかり 跡形もなく変わってしまってたけど、どっこい生きてるって感じですね!やめるのも勇気がいるけど、やり続けるのはもっと勇気がいりますよね!30執念おめでとうございます。


msc [田渕ひさ子(g) / toddle]
私がバンドというものに興味を持った時から、新宿ロフトというのは、日本において最も格高きそしてディープで恐くて一人で入れなそうなライヴハウスだと思い込んできました。今でもその思い込みは大きくは変わりません。

30周年おめでとうございますー!

DJ BAKU

BAKU 新宿LOFTは僕がはじめて出した12inchのリリースパーティをやらせてもらった思い出深い場所、その時はHIPHOPからハードコアが好きなやつ、テクノやブレイクビーツ、出演者もお客さんもありとあらゆるジャンルの奴等が集合してとても良い夜になった。一昔前だったらまさかLOFTでDJや打ち込みの音楽とバンドが混ざったイベントが行われるとは思わなかったでしょう。こういう斬新な事もどんどんやってくれるから、LOFTには伝説的な話が多いんだと思う。決まりきった事、予定調和がないからね。最近だったらナパームデスの時にスクラッチした日が面白かったなあ。

とにかく尖った連中だったら一度は足を踏み入れているそんな場所だと思う。それが30年も続いているというのは何か伝統的なもの、やっぱり魂の部分をスタッフの人達がずっと引き継いでいるんじゃないかな、と思う。俺が新宿に行く理由の一つそれがLOFTです。これからもよろしくお願いしますね!

GOMA DIDGERIDOO

GOMA  DIDGERIDOO LOFT30周年おめでとうございます。丁度自分と同じぐらいの歴史が刻まれているのを知り嬉しく思っております。LOFTでの思い出。日本に帰って来て、最初に「GOMA NIGHTやりましょう。」と声掛けてくれたのが東田店長でした。東京に来たばっかりで知り合いもそんなにいなっかった自分は、正直いきなり何を言い出すのかとその時は思ったのですが、熱い後押しを感じ[JUNGLE FESTIVAL]と名を打ってやることになりました。当日パンパンに膨れ上がったフロアーを見て、すごく感動したのを今でも良く覚えています。後、スタッフの段取り良さと心遣いもやっていてすごく気持ちいいです。いつもいい刺激と感動を有難うございます。これからも宜しく御願いします。

ロマンポルシェ。  掟ポルシェ

掟ポルシェ 新宿ロフト/小学校時代からの同級生が18歳で上京してロフトのバイトを始めた途端、「おまえさぁ、シャケかマリモかどっちがいい?」と先輩従業員に聞かれて、何のことかと思ったら「お前の徒名に決まってんだろ!」と、北海道出身だというだけで恥ずかしい2択を強いられたという思い出のライブハウス/80年代末に観た某バンドの女性ボーカルがライブ中のMCで日本の音楽シーンに対してあれこれ長々と語った後、「で、今は病院からお薬をもらって飲んでいます」とボソッとつぶやいてシメて、さすがはポジパン、不健康でカッコイイなぁと妙に納得させてくれた思い出のライブハウス/汗だくになるまでヘッドバンギングした幻覚マイムのラストライブが終わった後、客として来ていた同じく汗だくの大槻ケンヂさんに「カッコ良かったですね」と声をかけたら「これで終わりなんてもったいないよね」と残念そうに、でも充実感に満ちた笑顔で返してくれたこともあった思い出のライブハウス/250人限定のソニックユースの初来日公演、小滝橋通りに溢れ出す入場前の客の群れを目の当たりにした招聘元の輸入レコード店店長が、客入れでテンパって「え〜っと、1番から100番までの人、入って!」と言ってしまったため、狭い入口に客が殺到して思い切りパニックになったのを見て爆笑した思い出のライブハウス/自分が出るようになってからは、ステージ上でキャベツを千切りにしたりカセットコンロを持ち出して焼きそばを作ったり小麦粉をぶちまけてモニターアンプを真っ白けにしたりと大忙し/店員の顔の表情が一様に引きつっていたもののなんとか許してもらった思い出のライブハウスです/都内で出演させてくれるライブハウスもめっきり減りました/新宿ロフトだけが最後の拠り所ですので、どうか出禁だけは勘弁していただければと思います/30周年、おめでとうございます。

フジファブリック  志村正彦(vo・g)

志村正彦 新宿ロフト30周年おめでとうございます。フジファブリックは、現在の歌舞伎町に移転してからのロフトしか出演したことがありませんが、フジファブリックはロフトに非常にお世話になっております。新宿ロフトに初めて出演した時のことは今でも忘れられません。なんてったって新宿ロフトですよ!?僕は山梨県出身なのですが、東京のライブハウスとか行ったことはなかったですし、ほとんど名前すら知りませんでした。しかし、新宿ロフトは別です。さすがに知ってました。そういえば、黄色の袋の雑貨屋(っていうんですかね?)でLOFTってあるじゃないですか?あれ、僕そんな店があるなんて知りませんでして、その黄色い袋を手にぶら下げている人たちを見るたびに、新宿ロフトでライブを見た帰りの人たちだと勘違いをしまして、「お〜東京っつう街は,あんなおばさんでも行くのか!?あんな子供の女の子も行くのか!?もしくは田舎の子が有名な服屋さんの袋を持ち歩いているのがステイタスなように、東京ではロックの聖地新宿ロフトに行ったことがあるということがステイタスなのか!?すっげえ!東京!」と思ってました。まあ…それほど、新宿ロフトには憧れがありまして、それは今も変わりません。初めて出演した時のアーティストPASSは今でもメインギターアンプに貼付けてあります。これからもどうぞよろしくお願いします。

大貫憲章(音楽評論家、DJ)

大貫憲章 30周年おめでとうございます。一口に30年と言っても、時代の流れや地域の変化など多くの事変と常に向き合い、1日づつの積み重ねで、ここまで来られたこと、自分も長年音楽に携わる者のひとりとしてその御苦労、痛感いたします。ロフトへの思いは、これも一言では言えないものがありますが、ロフトが無ければ、日本の音楽シーンは今日あるものとはまるで異なるものだったろうことだけは明らかです。自分も多くのミュージシャンと出会い、またイベントも開催させていただいたり、とその歴史の重みと存在の希少性を実感しています。色々難しい時代ですが、これからも「音楽の聖地」(日本のフィルモア、は古いですかね)として長く継続されることを心より希求します。ありがとうございました。そして、ご苦労さまです。KEEP ON ROCKIN'

THE BACK HORN  山田将司(vo)

山田将司 30周年おめでとうございます。ライブ以外でも飲んだ帰りにロフトに立ち寄らせてもらってます。なんだか少しずつロフトが僕にとって落ち着く場所になってきてます。勝手にうれしいです。歌舞伎町新宿ロフト。まだまだ今後ともよろしくお願いします。

SxOxB  YASUE

YASUE 30周年おめでとうござーす。学生の頃は憧れのお箱で、今ではいつもお世話になりっぱなしのSxOxBですが今後もよろしゅう頼んます。これからの活躍にも期待してます。

ラフィンノーズ

チャーミー [チャーミー(vo)]
まずは30周年ですか? おめでとうございます。ラフィンが初めて東京でライブのステージを踏んだのがロフトでした。アルタ前でソノシートばらまきした時もロフトでした。ラフィン再結成1発目もロフトでした。ワンマンで40曲やったのもロフトでした。GBHなんかとアシベでギグった時も僕だけ楽屋はロフトでした(笑)入院中にワンマンやらされたのもロフトでした(死ぬかと思いました)東田くんは良い人なのでいつも無理矢理ビールをおごってもらってます(笑)スタッフ大好きです。あと平野先生。尊敬しております! これからもよろしく!


PON

[PON(b)]
30年か〜。現ロフトに移ってからもかなりになるよな! 東田&みなさん、これからもよろしく&頑張ってや!

いつもROCKをありがとう。

Good Dog Happy Men

msc [門田匡陽(Vo/G)]
俺は自分が出るようになってからのLOFTしか知らないけど、やっぱ来るたんびに「別格だなぁ。こりゃ」っていう気分にさせられる場所。 何回も演奏してるのにいまだに市松模様に試されてる気がするんだよ。「なぁみんなが生で音楽を吸えるのはここだけなんだぜ。」って。

30周年おめでとう!ずっとLOFTに挑戦し続けたい。


[韮沢雄希(B)]
へいらっしゃい!イキが良いのが入ってるよっと!!お客さん何にいたしやしょう?!えっ、LOFT?新宿LOFT!!かーーーっ!お目が高いねーー!! LOFTつったら今30周年記念で大盛り上がりでさ!あちしもね、あの伝説のライブハウスのステージに上がれるなんて夢にも思ってなかったってもんでさ!! いやーうれしいねー!!お客さん!今日はあちしにおごらせておくんなせい!!!おーい、お前!麦持ってきてくれ!!ではお客さん!新宿ロフトにかんぱーい!!!!

これからもどうぞよろしくお願い致します。


[内田武瑠(Dr)]
Loftと言えば白黒の床のステージ。憧れでした。俺達はドラムが二台あるのでセッティングが大変です。でもLoftの方達はいつも親切セッティングを手伝ってくれます。とても感謝しています。

30周年を迎えられたのはきっと幅広いジャンルをバックアップしてくれるその器のデカさとスタッフの真摯な対応なのでしょう。30周年おめでとうございます。これからもONLY ONEな存在でいてください。


[伊藤大地(Pr)]
新宿LOFT30周年おめでとうございます!旧LOFT時代から憧れのライブハウスでしたよLOFTは。この歌舞伎町の街に似合ってるお店ですね。俺のLOFTのイメージは「土」ですね。いつも歌舞伎町の雰囲気を浴びてからLOFTで演奏するんですが、この雰囲気がなにげに欠かせない刺激です。土臭い気持ちにさせてくれます。この土臭さがもっと必要ですよね日本も俺も。

フラワーカンパニーズ  鈴木圭介

鈴木圭介 ロフト30周年おめでとうございます!

フラワーカンパニーズは、歌舞伎町に移ってからのロフトではたくさん演らせてもらってますが、昔のロフトでは演ったことがありません。実は客としても行った事がない!今になってかなり後悔してます。もちろん今のロフトは大好きですけど、もはや伝説となりつつある昔のロフトの雰囲気を一回ぐらい体で感じてみたかった。 もちろん客としてね。でもニューロフトが歌舞伎町に出来てくれたおかげで、歌舞伎町を歩くきっかけができて嬉しい。そうでもなかったら歌舞伎町なんておっかないイメージがあ るところに絶対行かなかったもんなぁ。今でもライヴ以外ではほとんど立ち寄らないけど…。

今のロフトのあの汚れ具合が大好きです。汚れすぎず、きれいすぎないあの感じは非常に落ち着きます。きれいすぎるライヴハウスってちょっと疲れるし、汚すぎると気が滅入る。ロフトはそのバランスが凄くいいと思います。ちょっと小便臭い楽屋裏の階段も好きです。これからも汚しすぎず、掃除しすぎずあのバランスを保っていって下さい!

僕らは今年で結成17年、これからもガンガン演っていくのでよろしくお願いします!

EARTHSHAKER  SHARA(g)

SHARA 新宿LOFT 30周年 おめでとうございます。

自分たちの信じる音楽をみんなが求めていたことに至福の喜びを感じて いたあの頃。LOFTのライブは毎回熱くて暑かったな〜。ライヴも楽しかったし、その後のファンも入り交じっての打ち上げがまた楽しかった(笑)いろんな女の子にいっぱいBEERおごっても らって幸せでした。あの頃のみんなは元気にしてるかな?僕はあの頃より少し大人になって、少し幸せになってます。ギターはかなり巧くなったかな?(笑)

シェイカーはメンバーが誰か一人逝ってしまうまで続くので、これから もよろしくお願いします。

RISE FROM THE DEAD  ミッチュン

msc ロフト30周年おめでとうございます。
初めて旧新宿ロフトのステージに立った時、モーレツに武者震いしたのを思い出しますな〜。歌舞伎町ロフトでも武者震いしますが、気持ち良くLIVEができるようにしてくれる東田店長&スタッフの皆さんありがとうございます!これからもよろしくお願いします!ほんとうにおめでとうございます!

THE DEAD P☆P STARS  KENZI

msc 思い出はいっぱいありますが旧ロフトでのTHE DEAD P☆P STARS、2daysでチェンソーを 客席で振り回したらお客が階段のぼって逃げて行ったのが印象にあります。狂ってま すね(笑)歴史のあるハコに今も立てる事がうれしく誇りに思います。30周年おめでと うございます。

SNAIL RAMP  TAKEMURA

msc 30周年おめでとうございます。

俺的には今のロフトよりも、小滝橋通り沿いにあった頃のロフトが印象深い。 16歳か17歳で初めてロフトに行き、THE BULE HEARTS を観た。 22歳で初めてロフトのステ−ジに立った時は格別の思いだった。 ロフトは30年間様々なアーティストを育て、キッズを育てた。 ありがとう、ロフト。次は40周年ですな!

REBEL FAMILIA

akimoto [秋本武士]
新宿ロフトはロックの箱。レゲエで育った俺が出したいぶっといベースは出ない、出せない。でも、いつも何かにかられて燃えざるを得なくて、結果として熱いライブができる。30年、と一重に言うけど、この空間にはミュージシャン達のただならない思い、言えば、情念のようなものが宿っている。だから、下手は出来ない。今、この時代を生きてロフトで演奏出来る事に感謝したい。そしてまた、ロフトという場に溢れる熱い思いが、これからもずっと引き継がれてゆく事を願って、俺達もまた精進していきます。30周年おめでとうございます。


goth-trad [GOTH-TRAD]
新宿歌舞伎町。一見華やかだが、ダークで重たい東京の街の片隅に、唯一音楽という 夢と希望と出会いの光が差し込む場所、「新宿LOFT」。

思えば4年前、今では恒例のイベント”Rhythm Of Fear vol.1”への出演から始まった。 機材を運ぶ俺の道を遮る人ゴミの中、その光のさす場所までの道のりは、今でも自分 を奮い立たせ、無心にさせる。そして周りの人ゴミ=ノイズは無となる。

新宿LOFTの陽は、沼の底でも光を当てる。

MSC/Libra Record 一同

msc 新宿LOFTさま、30周年おめでとうございます。
地元に唯一残ったイケテる箱としてHIPHOPとしても最適。
新宿の音楽の歴史をこれからも築いていってほしい。

COCOBAT  TAKESHIT

TAKESHIT とにかく高校生の頃からloftのstageにあがる事は憧れでした。 今でもここに上がるときはどきどきしています。

PULLING TEETH  SUZUKI

suzuki 新宿LOFT様、創業30周年おめでとうございます!

個人的にはLOFTでのライブは実家に帰ったかのごとく落ち着くのと同時に、ステージに立つと格闘家がリングへ上がるかのごとく気合いが入ります。LOFTはライブハウス界の大日如来、日本の中心に存在する孤高のライブハウスだと思ってます。次回40周年目指して頑張ってください。ありがとうございました!

ex - SHORT CIRCUIT  原直央 

原直央 LOFT30周年おめでとうございます。同い年ですね。

バンドをやり始めた10代の頃…新宿LOFTと言えば、雲の上にあるライヴハウスでした。いちキッズとしても、出演者としても、沢山の思い出深いシーンが頭をよぎります。今でも、小滝橋通り時代のLOFTのあの細い階段を下りて行く時のなんとも言えないドキドキする感じが鮮明に思い出されます?そんな自分が30周年を一緒にお祝いできるなんて光栄極まりないっす。またお世話になれるよう頑張ります。

8月2日公演の出演者の皆様からメッセージをいただきました!!

草野マサムネ (スピッツ) [草野マサムネ (スピッツ)]
ロフト30周年のイベントに出していただけるということは凄く光栄なことです。スピッツは「目指せロフト」を目標に結成されたバンドですから。

20周年のイベントにも出させてもらったけど、そこから10年は早かった!もうトシかな、なんて思ったりもするけど今回共演のピーズもグルーバーズも現役感バリバリだし負けてらんない。熱い夜になりそうです。

といってもスピッツはロフト出身バンドの中では昔からオトナシめだったけど‥まあとにかくがんばります!



藤井一彦(THE GROOVERS) [藤井一彦(THE GROOVERS)]
この、なにかと世知辛い東京砂漠で、偉大なるロフト30周年イベントに2回も出演できるなんて! しかも、「あの頃」のバンド達とここで、こんな形で再会できるなんて、もしかすると世界はそれほど悪くないのかもしれません。Theピーズ、スピッツ、THE GROOVERS、そしてロフト。4つの名前が今もしっかり存在することの誇らしさを、なんと表現したらいいか! 当日が楽しみで眠れないかもしれません。

追伸:この場を借りて、スピッツに「おっぱい」をリクエストします。


大木温之(Theピーズ) [大木温之(Theピーズ)]
30周年、祝&感謝っす。こーなったら100年ぐらい、いつまでもピンピンしてるつもりで、ハートは南さおり17才ヨロシク、であります。




ポカスカジャン  大久保ノブオ

大久保ノブオ 新宿ロフト30周年おめでとうございます!

初めてロフトに出演したのは「ポカスカジャン」を始める前にやっていた正統派ロックバンド「ブルドッグ」でのステージでした。その時にベーシストが一曲目で弦を切ってしまい、急遽対バンのベースを借りたがいいは全く似合わないリッケンバッカーで(笑)散々なライブをしたのを覚えています。。

ポカスカジャンも今年10周年なんですが、30年てのはやっぱり凄いですね。定年まで頑張って下さい!

puli  青島亜良

青島亜良 新宿LOFT様、30周年おめでとうございます。

あなた、僕とタメです!ロフトといえば、BOOWY、PERSONZ…すごいに決まってます。これからも、更なるご活躍、心よりお祈り致します。そして私自身もロフトで更なるハッスルを目指したいと思っておりますので、よろしくお願いします。


ASPARAGUS  渡邊忍

渡邊忍 LOFT30周年おめでとうございます。

若輩者の自分がこんなコメントを書くのが申し訳ない気持ちでございます。これからもたくさんお世話になるんでよろしくお願いいたします!




UNITED  横山明裕

横山明裕 LOFT30周年おめでとうございます。自分にとってLOFTというと小滝橋通り沿いにあった旧店舗を思い出します。

実は我々UNITEDはかれこれ16年程前に持ち込み企画で老舗であるLOFTに殴り込みをかけようと、企画書を片手に当時のブッキングマネージャー氏に会いに行った事が有ります。結果は...見事に撃沈されました。「他の小屋で演ってくれ。うちではこの企画は通せない。」と...。

涙をこらえながら企画書を握りしめて帰宅したのを今でも忘れません(笑)。そんな過去が在ってLOFTでのメジャー・デビュー・ライブをSOLD OUTした時には心の中で中指立てまくりでした(笑)。月日は流れて今では昔UNITEDのスタッフの一人だった東田君が店長です。今では「東田さん」だね。偉くなったな〜。。。

UNITEDは今年で結成25周年です。LOFTよりは5歳年下のダメな弟だけど、これからも40周年、50周年に向けてお互いに頑張れるといいですね。

eastern youth(vo&g) / outside yoshino  吉野寿

吉野寿 新宿ロフトが小滝橋通りにあった頃、ロフトは俺の憧れの「聖地」であったよ。ロフト以上の大きな場所でプレイしたいなんて、夢にも思ってなかったよ。本当です。

歌舞伎町に移ってからは暫くは疎遠であったが、最近また度々プレイする機会が増えて来た。「酒飲みスペース小劇場」の方だけど。ハハハ。酒場ステージの方が「ロフト」って感じがするなあ。あそこだけでイイんじゃないの?ハハハ。しかし、突発的な思い付きに簡単に乗って来る新宿ロフトは、やっぱり今でも「THE」ライブハウスなんだなあ。なんか凄いな。

キャプテンストライダム

広石武彦 [永友聖也]
バンドに興味を持って楽器を手にした頃、ライブハウスは憧れであると同時に、何かおいそれと足を踏み入れてはいけない音楽とバイオレンスに彩られた禁断の場所と いうイメージがあった。簡単に言うとちょっと恐かったのだ。

だが実際にバンドを組んでライブハウス出演するようになると全然そんな事は無くてバイオレンスが苦手な僕はホッとしたのだが一抹の物足りなさを感じたのも事実だ。で、ロフトにはロックに憧れる少年が抱く『ライブハウスのヤバさ』のイメージの残り香があると思うのだ。(実際裏の階段はちょっと匂う)

消そうったって消えないでしょうが、いつまでも汗とビールとケチャップの匂いが入り交じった様なロック臭を放ち続けてください。



梅田啓介 [梅田啓介]
俺にとっても、勿論お客さんにとっても、これからロックをはじめようとする人間にとってもロフトは憧れのステージだしライブハウスの象徴だし夢を与えてくれる場所です。これからもずっとそういう空間でいるのでしょう。新宿ロフト30周年おめでとうございます。



菊住守代司 [菊住守代司]
30周年おめでとうございます。 独特の雰囲気があるロフト。ライブを観に、初めてここに足を踏み入れた6年前、むちゃくちゃ緊張したのを覚えています。そして今でも、ロフトに来るとちょっとだけ緊張する自分がいるのでした。

AKIMA&NEOS  アキマツネオ

アキマツネオ たしか20周年の時もコメント書いて、あれから10年か…、はやいなぁ。移転して雰囲気は変わったけど、今でも俺はNo.1ライブハウスだと思っている。やっぱり、いざという時の底力が違う。旧ロフトの立ち退き問題の時もロックで社会に立ち向かったもんね。そういうロックの幻想を感じさせてくれるのはロフトだけだ。今でもロフトに出ると自分が忘れかけた純粋な空気をすわせてもらった感じがするよ。

T4R Vocal T2  広石武彦

広石武彦 30周年おめでとうございます!これまでLOFTとはあまり縁が無かった僕ですが、今回声をかけていただいた事を光栄に思ってます。今回のイベントは僕にとって実に11年振りとなるバンド「T4R」の一員としての参加。最高に楽しみです。

30年・・・長いですね。継続は力なりと口にするのは簡単ですが、移転騒動などの事件を乗り越え来た過程には、想像を超えた苦労があったと思います。LOFTスタッフの強靭な意志に感服。 今後も35、40、45周年と続くよう祈ってます。 では、7/4は弾けて楽しみたいと思ってます、宜しく!

話変わって、その昔(23年くらい前でしょうか)LOFTでゴキブリが顔面に止まるという悪夢を体験して以来、ゴキブリ恐怖症となってしまった僕ですが・・・ 時も経ち、場所も変わりました。 ・・・ゴキブリ飛んでませんよね?

大江慎也

大江慎也 自宅にある書籍に依ると、30年前に最初のパソコンが出来たそうです。Agelessになれたらいいですね(笑)

そのうちLOFT MUSEUMができるといいと思います。アルコールと煙草の臭いのない。その後今のロフトに行って、飲んで一服すると、、、。

LOFT GANGなんていないと思いますけれど、場所が場所ですから。何はともあれ、30周年おめでとうございます。

曽我部恵一BAND

曽我部恵一BAND 30周年とは、おそれ入ります!
これからも40周年50周年と出演したい所存でありますのでよろしくお願いいたします。

怒髪天  増子直純

増子直純 LOFT30周年おめでとうございます!日本のロックの殿堂に乾杯!

西新宿にあった頃のステージに初めて立たせて貰ってからでも18年!?エ?18年も経っちゃったワケ?!しかし色んな思い出があるなぁ…店ん中がメッチャクチャになるような大喧嘩して鼻の骨が折れた(笑)、イベントで楽しくなっちゃって泥酔し何度もリバースして便器と仲良くなった、同郷の友達のワンマンを観て感無量のあまり本人達より先に号泣した、ガキの頃から憧れの大先輩の方々とお会いしたり共演させて戴き伝説を体感した…俺のロック人生の大切な場面の床はいつだって市松模様だったんだ!

LOFTに栄光あれ!

ギターウルフ  セイジ

セイジ ロフトは俺達ロッカーの憧れの場所です。
30周年おめでとうございます。

SHEENA&THE ROKKETS  鮎川誠

鮎川誠 6・10は「ロケットの日」

新宿ロフトの30年分の思い出はありすぎる。ロケッツの前身、ミラクルメンでの、一夜かぎりのライブ、プラスチックスやショットガンとのジョイント、山口冨士夫をゲストにむかえて参加した、ロフト10周年ライブ、焼きたてフランスパン土産に、パリから朝帰りでやった、S&R19周年ライブなど、そのひとつひとつが、楽しく、誇らしく、大切な28年分のロケッツの歴史に刻まれている。あと、残りの最初の2年はサンハウスだった。まだ、客席のど真ん中に本物の潜水艦が鎮座しているころ、’爆弾かかえて潜航中 俺は荒くれ航海士’と演奏したときには大いに気分が高まったものだった。

今年、6月10日は、"ROCK OF AGES 2006"で、シーナ&ロケッツのワンマンライブをやります。例年、6月9日(HappyBirthday! KIKU!)は語呂あわせで、「ロックの日」ということで、日本のロックシーンには定着しているけれど、このたび、6(ロック)、10(とう)をあわせて、こじつけて、この日を「ロケットの日」と制定することを、本日この場にて発表させていただきます。

これからは、ロケットの日をお祝いするたびに、はじめてこの 素敵な日に出演させていただいた、粋な計らいに感謝して、毎年、新宿ロフトをおもうことになるでしょう。 というわけで、6・10は「ロケットの日」、よろしくDE、みんなでもりあがろうぜ!!

それでは最後に、ありがとう!新宿ロフト!!おめでとう!30周年!心よりお祝い申し上げます。
Keep A-Rockin' with SHEENA & THE ROKKETS!!

ムッシュかまやつ

ムッシュかまやつ 僕にとっても色々な楽しい思い出の詰まっているLOFT
もう30年ですか。これからも何かやらしてネ!!

TENSAW / Zzk / Ra:IN  michiaki

michiaki 70年代後半から80年代初め、俺達がライヴのときにステージをいくら滅茶苦茶にしても、必ず受け入れてくれたのが、新宿ロフトだった。

真夜中でも、ふらっと店に行けば、誰かしら居て、結局、いつも朝まで飲んでいたっけ。薄暗くて、妖しくて、毒々しくて。でも、ロフトは とても居心地の良い空間だったな。

昨年、TENSAWは、25年の幕を閉じた神戸チキンジョージで、感謝の気持ちを込めて、復活をした。一夜だけのはずだったけど、そのとき、みんな いい顔してたんだよ。だから、また、やることにした。

ホントにカッコいいバンドが消えてしまった いまの時代、俺達が、やらないわけには、いかないでしょ?しかも、ロフトの30周年記念とくれば!

やり続けることは、とてもパワーがいるけど、すごく偉大なこと!祝!新宿ロフト30周年!!! TENSAW returned !!

■ Zzk( ルイズルイス加部 exゴールデンカップス、ジョニ−ルイス&チャ−)
■ Ra:IN ( PATA ex Xjapan)

片山省吾

片山省吾 初めて東京に来た頃、歌舞伎町って街は摩天楼だなって思ったよ。すっげぇ深夜まで明りぃしさ、人はわんさかいるだろ? 昔の歌とかに「ざわめく都会のノイズ〜♪」みたいなフレーズ あっただろ? その通りだと思ったね。けどな、新宿LOFTってのは聞いた事ねぇ。少なくともオレはな。だからこそやり甲斐があるってもんだ。しかも30周年だって?オレより若いな! なんか分かんねぇーけど、こう・・・・・・・とにかく祝いたい気分だ。おめでとう片山省吾初出演!

54-71  佐藤慎吾

佐藤慎吾 三十周年おめでとうございます!これからもよろしくです!

BOWWOW  斉藤光浩

斉藤光浩 新宿ロフトとBOWWOWとの関わりと考えると81年に行われた「男だけのライブ」が記憶に強く残っている。当時このようなライブをやらなければならない程客席は女性客で溢れ、気の弱い男どもは会場に入れなかったという訳では無かったのだが、(ロフトは硬派なイメージがあったからかな?)野太い声とともに盛り上がった記憶がある。R&R系、パンク系のバンドがホームグラウンドにしていたと思われがちなロフトだが、70〜80年代には幅広いジャンルのミュージシャンが出演している。ハードロック、ヘヴィーメタル・バンドも数多くそのステージに上がっていて、その懐の深さが当時のシーンを支えていたと言ってもいいのだろう。

30周年といえば、実はBOWWOWも今年12月にデビュー30周年を迎える。30年前に現在のミュージックシーンは想像すら出来なかったが、今この時、新宿ロフトにBOWWOWとして再び出演できることは驚きであり、よろこびである。6月4日はそんなメンバーの気持ちを爆発させた熱いライブになると思う。今からワクワクする。

P.S. 個人的には、その昔結婚式の二次会をミュージシャン仲間集めて楽しくやった事もよく覚えているね。ライブとは関係なくよく飲んだくれていたっけ。今でもそんなノリってあるのかな・・・。

AION  IZUMI

IZUMI 新宿ロフト30周年おめでとうございます。ロフトの歴史にはまだまだ及ばないAIONではありますが、バンド(AION)として充実の20周年をクリアし、現在では我々も結成30周年を目指し活動中です。

それにしても年月の重みは計り知れないものがありますよね。継続するという事は、どんな分野でも大変な事です。しかし、それこそが成長であり、進化ってやつなんですよね。積み重なる年月によって、本質が自分たちのものだけではなくなり、また、なくなった事により得たものが、自分たちのものに返るという繰り返し。時と場合によっては、大事なものも捨てなければ存続できない。バンド的にも個人的にも現実的に厳しいものがありました。ちなみに現在もしっかりと進行形ではありますが(笑)

時は違えど、新宿ロフトの存在も我々の存在も、色んな意味で共通するものを多々感じます。これからも同じ輪の中に集う人たちに、勇気、そして夢や感動等を与え続けられる様、頑張って行きましょう。

うつみようこ

うつみようこ 俺は昔の事をあまり覚えてない。よっていつロフトに出演させて頂いたのも定かではない。確かにその頃、俺はメスカリンドライブで唄っていた。前の場所のロフトでのイベント出演。車で大阪から出撃、短い30分ステージ。楽しかったような暑かったような。。。常に覚えているのは、お客さんが俺達の出番になると「ぽかーん!」と口をあけて見学していること。打ち上げがいつも騒がしく、知らない人だらけ。。そして自分はその打ち上げで大概のみすぎて出口の「ジャリ」のところで横たわっていたり、怖いから隅っこで何も話さなかったりしていたこと。ほんとにあまり覚えてない。

しかし、ロフトでとった写真は沢山手元に残っている。メンバーも俺も若いなーーー。そしてなぜかいつしか、ロフトとのご縁が薄れ、気がつきゃバンドも変わり、俺はバンドをやめ、路頭に迷ってみたりして、どちらかというとロフトにライブを観にいく側になったなーと思いきや2005年頃からご縁がまた復活。今度は全てを脳裏に焼き付けておきます。。。。。30周年おめでとうございます。俺と10個違いだったのね(笑)

ソウルフラワー・ユニオン  奥野真哉

奥野真哉 とにかくおめでとうございます!!

すごいな30周年ってのは..物心ついた中学生の頃からの憧れの場所新宿ロフトに俺が初めて出させて頂いたのが1987年、私たちも19年の付き合いなんですね、感慨深いです。色んな思い出もできてますね〜特に旧ロフトでは、、、こういうパブリックな場では書けないことばかりです。スイマセン笑

しかし旧ロフトの打ち上げで絶対に出てきたポップコーンはなんであんなにおいしかったんやろ?あの味が俺の新宿ロフトやったな〜

つねにロックがロックである限りロフトは必要な場所だと思います!これからもお互い本物のROCKを生み続けていきましょう!!!

森若香織

森若香織 新宿LOFTは、私にとって、夢と青春の高級スポットだ。30周年だけに、思い出を語るとやっぱり「西口」になってしまうがあの存在感は、金閣寺くらいあった。突飛か? いや、本当に。

日本の音楽史におけるホンモノの場所だから、たとえデンジャラスな歌詞が飛び交ったとしても安心してトキメイてもいいのであった。ニセモノでトキメイちゃダメよ。と、LOFTを本命にし、ホンモノにふさわしい完璧なお洒落をして、新宿駅の西口から友人達と、マニアなお喋りをしながら歩くのが好きだった。「東京ロッカーズの誰々を高円寺で見た」とか「ライブとGIGの違いとは・・」とかね。そんな風に、何よりもROCKが好きだった私の、心の縄張りであったLOFTは、憧れであり、目標であり、筋の通ったファッションだった。

で、ある日夢は叶い、なんと私がやっていたバンドGO-BANG‘Sの東京での初ライブが、新宿LOFTだったのだ。まだアマチュアだった私達にとって、そのあまりにもビッグな出来事は、当時出版されたGO-BANG’Sの本に、しっかり記してある。しかも漫画で。

その後、ソロで活動するようになった私に、歌舞伎町で復活したLOFT.は、またまたビッグをくれた。月に一度のマンスリーライブ「Kaolyrics」歌詞を中心にしたアコースティックライブだ。このスタイルは、今でも私の作品創りのベースになっている。

このように、私の中で、ラインマーカーを引きたくなるようなきっかけをLOFTは何度もくれた。ありがとう、さすがホンモノ。デカイぜ新宿LOFT!と一生憧れている事と思います。

MONG HANG  ugazin / keitaimo wuja bin bin

MONG HANG 10年程前、確か私がバンドを始めて3発目のライブが、新宿ロフトになる予定でした。

あの伝説のライブハウスということで楽しみにしていたのですが、メンバーの寝坊によりライブキャンセルという事態に。その節は大変申し訳ございませんでした。深く反省するとともに、今後のご発展をお祈り申し上げます。


Gt.ugazin(写真 左)




粋がってた学生時代より、客としても出演バンドメンの一人としても、常に楽しい思いをさせて頂きました。LOFTでは、思わぬ出会いがあったり、あこがれのバンドと対バンさせてもらったり、打ち上げでウンコ漏らしそうになったりと色々な思い出が甦りますな。これからも宜しくお願い致しまくります!


Bass.keitaimo wuja bin bin(写真 右)


THE HUNDREDS  ササキモトアキ

ササキモトアキ 博多から出てきて初めてロフトのステージに立ったのが18歳の頃。
新宿西口…小滝橋通りに面した地下室。
そこには東京のロックが全部あった。
あれから何度もロフトで歌った。
あれから何年も東京で歌っている。
歌舞伎町のド真ん中に移転して数年…。
日本のロック史そのものが、今もなおそこで呼吸している。
これから何度オレはロフトで歌うことだろう。
これから何年オレは歌い続けるのだろう。
30周年を迎える新宿ロフトのステージで歌うオレ。
"ホンモノ"達が集う場所で…
そこにステージがある限り、そこにロフトがある限り、全身全霊で臨むのみ。
お楽しみはこれから(も)だ!

新宿ロフト&そこに関わる(関わった)すべての人達…今までに感謝!
そしてこれからもヨロシクです。

人間椅子  ナカジマノブ

ナカジマノブ イエーイ!!30周年!!おめでとう!!!『人間椅子』ドラム、ナカジマノブです。

すっげーなー、ひとくちで30年て言うけど、まさに偉業だね。見えない苦労もたくさんあったと思うけど、本当すっげーよ!!!東京生まれの俺にとって、新宿ロフトっていったら、見に行く事はできても、簡単には手の届かないハコで、ガキの頃は、憧れの先輩達の生の演奏をみて、ロフトのステージに立つのをずっと目標にしてた。いろんなバンドでロフトに出演してきたなー、『GEN』『ROUGHBOYS』『ドミンゴス』、、、etc、30周年のステージには『人間椅子』のドラムとして立てるのが、これまたうれしいぜ!!メンバー全員楽しみにしてます。イエーイ!!がんばるぜー!次の30年後も出れるかなー?俺がぎりぎりかも!

P.S.ひとつ告白懺悔します。20年くらい前、トイレの水流が弱くて大きいやつが流れなくて、、、そのままにして出て来てしまいました、、、ごめんなさい。

the原爆オナニーズ  タイロウ

タイロウ 西新宿なんて、普通行かないよなあ? それが、最初のイメージ。大体、輸入盤屋があるから行くけど、それ以外では、行きたくない場所だった。そんなところに、"新宿ロフト"が出来た。

荻窪の方は、アットホームで良い感じ。それなのに、バンドのライブがメインになるようなところ作った、平野さん凄いなあ。正直、そう思った。でも、歌舞伎町ではないところなんで、ある意味、気楽だった。ライブをやって、終わってから、道のうえで、ぐだぐだしていたりしても、みんな見て見ぬふり。そんな、70年代は楽しかった。80年代以降、パンクバンドも受け入れてくれ、有り難かった。

巨大化するロックビジネスの出発点なのかも知れないが、いつでも、"原点"は、アットホームな場所。これからも、続くに違いない。

MAD3  EDDIE LEGEND

EDDIE LEGEND どうもLOFTには人間の猛々しい野生を呼び覚ます機能があるらしい。もちろん場所は変わってしまったけど、おれたちはここで最高のロックンロールを やり続けるだけだ。キズに集団的恍惚を与え、消えていったバンドの亡霊たちを慰めながら…。そして伝統は確実に受け継がれていくだろう。おめでとう、そしてありがとう!

西山史晃

西山史晃 思いおこせば現在からさかのぼること23年(!)前、初めてお客として旧ロフトに足を踏み入れることに、すごい根性がいったのを覚えています。それはコワかったからです。ロフトと言うか、そこに来るお客さんたちが・・・。

モヒカン、金髪、鎖ジャラジャラはあたりまえ、果てはスキンヘッドに眉剃り女などなど。間違いなく「本モノ」な人たちでした。そう言う私も金髪おっ立てて鋭い目つきを演技しつつ入ったわけですが、、、。でその後、実際ロフトに行き慣れるようになって、そういう見かけ怖そうな方々にじかに触れ合ってみると、また見事にみんないい人&いいヤツらで、嬉しい裏切りと言うか、自分が東京に来ての超一番!のカルチャーショックでした。

そんなウブだったボクが、その後にROGUEでバンドにとって一番充実した良い時期を過ごさせて貰ったのも、思えば「ロフト」です。いま現在でも新ロフトに来ると、いろんな懐かしい顔に行き合うし、新しい出会いもあります。例えるなら「ROCKの社交界」と言うか、、。そんな場所、いまほかにあったら教えて欲しいです。偉大過ぎます。ロフト30周年おめでとうございます!そしてサンキュー&フォーエバー!!

Oi-SKALL MATES  WATARU BUSTER

WATARU BUSTER ロフト30歳コンガッチュレーション!僕より4つも年下ですよん。旧ロフトさんに出演した時は一つの夢が叶い、そして今のロフトさんでは毎回いろんな物に酔い…漲るパッション僕のフラストレーションみんなでコミュニケーションをセッションだ。なんつって。新宿は嫌いだけどロフトは好きよ。

In the Soup  中尾諭介

中尾諭介 新宿ロフトハッピバスデ―30年! 九州の 田舎にいたころでもその名前がとどろいてたよ。西新宿でのステージは移転する前にふめててよかった。先輩方はうまそに酒を飲む、元気だ。シオンさんも仲野茂さんやらも。えらい楽しく酒を飲む。見習わにゃいかんとこだ。 水面に石投げて波紋を広げてきたロフト三十路。これからも日本の音楽の核心地であり続けていくんだろな。お互いにうまい酒飲めるおやじになってこや!

高木フトシ

高木フトシ 新宿ロフト30周年おめでとうございます!!東京、新宿。ライヴハウス、ロフト。プライド在りきロフト。僕はロフトのステージに立つ度に歌うことを決意してきたような気がします。

ロフト30年のうちの三分の一しか僕は知りませんが、ほんと感謝してます。これからもよろしくお願いします。そして未来永劫そこに在り続けて下さい。LOVE,PEACE,新宿ロフト。 

MOSQUITO SPIRAL  BAKI

BAKI あの小滝橋通りのロフトさ!憧れてた!

ステージ立てたときはうれしかったなー、でもかっこわるいからあんまりはしゃいじゃいかん。てな感じ。30周年おめでと、もっとずっとやってくれ。いつも新宿ロフトは、憧れだよ! 

水戸華之介

水戸華之介 始めて東京でライブをやるってんで、それなりに固くなってたわけですよ。しかもロフトって名前は否応なく耳に入ってたし、だいぶかまえてたと思うな。だけどロフトは古くからのなじみのようにそこにあった。思ったより狭い、空気が悪い、ステージの市松模様も直に見ると汚い、便所が臭い、品のない落書き、必要以上に音がでかいなど、これらすべてほめ言葉です。だってライブハウスだもん。

あの頃のどさくさ感をどこよりも体現してたと思います。あの頃のロフトを知ってる自分をラッキーなやつだと思ってます。

奥野敦士

奥野敦士ロフトが30周年だって? それはそうだよな、俺だって知らぬ間にバンドでデビューしてから20周年だもんね。

その当時よく出させてもらったり、よそのバンドを観せてもらったり、打ち上げに参加させてもらったり、とにかく生活の一部だったよね、懐かしくて涙がちょちょぎれるぜよ。俺もまだまだ頑張るからロフトも長生きして沢山カッチョイイバンドを育ててくれよな。

dip/qyb/pharmacy  ヤマジカズヒデ

ヤマジカズヒデ黒く塗りつぶされた地下室の湿った熱い空気。東京ロッカーズ。アンダーグラウンド。それが新宿LOFTの印象です。

初めて行ったのは確かTheROOSTERSの5DAYS。すごく好きだったザ・スラッヂと云うバンドを初めて観たのもLOFTだった。自分の中で重要なバンドは必ずと云っていい程新宿LOFTでやってたから初めて自分のバンドがブッキングされたときは他のどこのライブハウスの時よりも嬉しかったことを憶えています。自分のバンドのフライヤーにLOFTと云う文字があるのがすごく嬉しかったです。

じゃあLOFTに対して敬意を払っているのか?と云うと、お客としてのボクは非常にタチの悪い客であったことをお詫びしなければなりません。これは渋谷LaMamaにコメント頼まれたときも書いたことで、他には新宿J◯Mにも謝罪が必要であるところですが、まあ裏口はもちろん知っているので「オツカレーッス、、」と裏口ドアの辺りにいるヒトにひと声かけて堂々と入ってタダ見してました。スイマセン!しかしLOFTの裏口はいちばん堅牢であったことをここに記しておきたいと思います。

ところで現在の場所に移転してからのLOFTに対するお願いがあります。それは歌舞伎町大量電気消費時間帯の電圧低下の対策です。実際計ってみたんですけどリハの時はまだ上階のキャバクラが開店していないせいか電圧も安定しているんですが本番のときは電圧が100Vに達していない時もあるのです。これからも新宿LOFTでやりたいのでこれは是非なんとかお願いしますー。

なんか久しぶりに[ロフト25時]を聴きたくなりました。30周年おめでとうございます!!

the pillows  佐藤シンイチロウ

佐藤シンイチロウ ロフト30周年おめでとうございます。ロフトといえば1990年の夏に2daysをやった時、二日目に冷房が壊れて、めちゃめちゃの暑さの中でライブをやらされたことを思い出します。あの当時は憲法で保障されているはずの基本的人権などバンドマンにはありませんでした。そっちがその気ならと、下半身丸出しで打ち上げをした気がします。ま、西口にあった頃の話。今は快適です。

そんな私も、すっかりベテラン呼ばわりされてしまう年令になってしまいましたが、ロフトでは今だに若輩者なんで清々しい。さすが30年。

LADIESROOM  Hyaku

Hyaku LOFT 30 周年おめでとうございます!これからも、今まで以上にガンガンにロックンロールでイッチャッてください!そして、今まで以上にオレ達、エロエロバンドLADIESROOMもよろしくお願いします!なんならパンツ下ろしますぜ!

LOFTでの思い出って言うと、アレなんだな〜確かに、自分でやったライブで、完全にアウェーのZOAとのライブとかメイクまでコピーして演ったKISSのコピーとか、あるにはあるんだけど、オレはどうしても、客として行っていた時が、もう最高の思い出なんだよね〜オレはね〜ライブハウス大好き!なガキで、いろんなライブハウスに散々行ってたんだ〜それがさ〜音楽が大好きだから〜って訳でもなくて、なんかさ、ライブハウスってちょっと不良ぽっかったんだよね〜その頃!それが、その当時のオレにはたまらなく刺激的でね〜それに、なんか皆、ハイテンションだしね〜もう、最高の遊び場だったよ〜ライブハウス!

その中でも、ロフトは別格で、ちょっと大人な不良なライブハウスに感じてたんだよね〜実際、怖いので有名な人がうろちょろしてるは、店員のオネーさんは可愛いいが、なんか怖そうだわ!声かけたらぶっ飛ばされそうだったな〜そんなふざけた、適当〜なガキだったんだけど、出会っちゃたんだな〜いくつかの凄いライブに!

その中でもアレだな〜「スナイパー」と「ラジャス」が対バンのライブ!このライブはオレの人生を変えたかもしれないね〜 カッコ良かったな〜 ボーカルはガンガンに声が出てるし、クールジョーもスナイパーのベースの人も、とても日本人とは思えない程にカッコ良かったしな〜いや〜それ以前にライブ自体が、熱くて凄かったな〜それからもライブなんて結構見たけど、あのライブが今だにベスト3に入るよ〜 あのライブを見て、マジであのステージに立ちたいな〜 って思ったからね〜 そう、あのライブが無ければ、LOFTに行かなければ、LOFTが無ければ、オレはバンドをヤッていなかったかもしれないな〜そう考えるとありがとう〜LOFT!

あっ!でもまだオレ、確かにステージに立つには立ったが、正確には立ってない!まだ、ステージで歌っただけだ〜違う!違う〜オレはギターリストとして立つつもりだったんだ〜あ〜オレの夢が〜高校からのオレの夢が〜今だ叶ってない…

ラヴィアンローズ  YUTA

藤井一彦 初めてLOFTのステージに立ったのは1997年7月2日。cali≠gari企画イベント「東京地下室第一階」。その後、訳も分からないうちに東京初ワンマンをやらせてもらったっけ。その頃は西新宿だったねぇ。

歌舞伎町に移ってからも自主企画イベント・ワンマンはLOFTだった。一時期LOFTと疎遠になって久々にあのステージに立ったとき…改めて自分等の未熟さを感じたっけ。偉大なんだよ。そう安々と立っちゃいけないステージなんだよ。

30回LOFT祭に参加できて「光栄」以外の何ものでもありません。ROCKの神に恥じないステージを魅せたいと思います。HAPPY 30th.ANNIVERSARY!!!!!!!!!!!

P.S. LOFTのマイクはいつ行っても石鹸の香♪

THE GROOVERS  藤井一彦

藤井一彦 高校生の頃、新宿ロフトにどれだけ憧れたか、初めて市松模様のステージに立ったとき、そして初めてワンマンを演れたときにどれだけ誇らしかったか、そして今も存在し、こうして30周年のお祝いのコメントを書けることがどれだけ喜ばしいかを、俺には言葉になど出来ない。

 おめでとう、Shinjuku LOFT!これからも、名前を口にするだけでROCKな気持ちになる店でいてください。押忍。

追伸:ウチの居間は市松です。

MOTORWORKS  黒沢健一

黒沢健一 LOFT30周年!!おめでとうございます。
小滝通りにあったロフトに初めて行ったのが中学生の頃。
これからも強烈なオーラを放つ箱としてずっと君臨してください。

ENDS  遠藤遼一

遠藤遼一 その昔は、LOFT脇の駐車場で野宿をして、ARB御一行様にさそわれメシをご馳走になったり。ライヴの時、楽器の多さにスタッフの人達に嫌な顔をされたり(笑)

WAKE UPというENDS主催の隔月連続イベントで、NEW WAVE、ロックから生トランスまで、いろんなバンドと対バンさせてもらったのも…そうココ、新宿ロフト!

新宿ツバキハウスと並び、俺の強烈な記憶の一コマです。30周年おめでとうございます!!

THE STREET BEATS  OKI

OKI ガキの頃、ロフトは憧れの場所だった。十代の終わりにビーツを結成して、プロデビュー前年の1987年に初めてロフトのステージに立った。あれからすでに20年近く経ち、場所こそ歌舞伎町に変わったが、今も新宿ロフトには毎夜ロックンロールが鳴り響き、今もビーツは揺るがないロックンロールをかき鳴らしている。なんてハッピーで素敵なことだろう。数え切れないくらいライブをやり、数え切れないくらい幾度も最高の夜を過ごしてきた。

祝・新宿ロフト30周年。この先遥か続く道。まだまだ転がり続けて行けばいい。鳴り止むことのないロックンロールを!

RADIO HACKER  TAKEMI

TAKEMI 新宿ロフト30周年 おめでとうございます!自分もロフトとの付合いが約20年。いい歳になるわけだ(笑)。ロフトといえばオレ達世代にはたまらない場所。ARB、アナ−キー等を純粋なファンとして見に行ってた。そんなロフトのステージに立つ事を夢みてた十代の頃が懐かしい。幸いにもRADIO HACKERのファーストライブがロフトで出来て、その後もこうしてたずさわって来れた事を嬉しく思う。

2006年、ロフトが一年かけて30周年イベントを敢行するが、そのイベントにも微力ながら協力させてもらっている。ロフトを愛する一人として、ロフトは常にロフトであり続けて欲しい。バンドマンの憧れの場として、そして何よりライブ後の打上げの楽しさを、このロフトで知って欲しい(笑)。

THE PRIVATES  延原達治

延原達治 世界中の都市にロックの発信基地があるように(例えばNYにCBGB、ロンドンにマーキーとか・・・)東京にはロフトがあるのかな?

30年の長きに渡りそれを支え続けたスタッフの皆さんには本当に感謝だね。個人的にはやはり以前の西新宿のロフトに想い出が詰まっているけれど、今のロフトでも幾度となく演奏はさせてもらってるな。前は店が狭かったせいもあって歴代の店長以下スタッフのみんなの顔が見えたけど今はちょっとばかり大きくなったもんでお店のスタッフが誰が誰だか、よくわかんないのが俺としては残念だけど・・・足が遠のいたり、近づいたり、トレンドもトラッドも、ロックのカッコイイところもダサイところも、両方抱き合わせて、これからもがんばってください。バンドマンみんなが憧れるロフトのステージであって欲しいです。本当に30周年おめでとう!

坂本慎太郎  ゆらゆら帝国

坂本慎太郎 ロフト30周年おめでとうございます!新宿は僕の一番よく行く大好きな街です。こないだ、新宿御苑の前あたりで、ロックっぽいファッションの若者2人組みに「すいません。ロフトに行きたいんですけど、どこだか御存じですか?」と聞かれました。もちろん「方角が全然違いますよ」と親切に教えたんですけど、何故だかちょっとうれしかったです。

彼らはゆらゆら帝国なんて全く知らない感じの若者で「なんとなく、このおじさんならロフトの場所知ってそう」ってノリで声をかけてきて、それがなんかよかったんですけど、、、、、この微妙な感じ伝わるでしょうか?あまりにも小さい話ですいませんね。とにかく、これからもよろしくお願いします。

音楽ライター  大野祥之

どんな時代でも、新宿ロフトは最もアグレッシヴなライヴ・ハウスだった。80年代初頭にヘヴィ・メタルという新しいムーヴメントが出現したときだって、関西から東京を目指したバンドを積極的にバックアップしてくれた。新宿ロフトがなかったならば、へヴィでラウドな音楽は日本に根付かなかったかもしれない。新宿ロフトは、文化を作り出す。きっとこれからの時代にも。

AUTO-MOD

AUTO-MOD東京PUNK創世記に出くわしたAUTO-MOD25年の歴史はまさに新宿LOFTの歴史と被るものだった。東京ローカーズと関わる事により始まったジュネの音楽はその後様々な文化、音楽へとつながって行った。そしてその発信場所は常に新宿LOFTと言う薄汚れたライブハウスだった。
今回はジュネが初めて行ったLOFTで見た東京ローカーズの伝説、リザードのモモヨ氏そしてフリクションのギターの常松正敏氏をゲストに迎えLOFTの30周年を祝福させて戴きます。現在は東京ゴシックシーンの牽引力として世界的にも注目されるAUTO−MOD、いまや一般の観客にはなかなか見られない隠された存在となった現在の完成度、久々に一般の方にご披露いたします。

23年前AUTO-MODはリザードとしてモモヨとロフトをはじめ全国を廻った、今回も我々はリザードとしてモモヨ&リザードを復活、再びロフトのステージに立ちます。そして最後にこのスペシャルな夜を祝う為駆けつけてくれた黄金期のメンバーだったパーソンズの渡辺貢、AUTO-MODマニアBUCK-TICKのヤガミ・トールその他様々な気の良い連中と供にAUTO-MODセッション、往年のナンバーを披露します!!

ロフトにはAUTO-MODの歴史が詰まっています、今回のこの夜が単なるメモリアルイベントになるのかAUTO-MODとLOFTの新しい歴史の第一夜になるのか取り敢えず我々も楽しませて戴きます!!

ミッシェル門ヤン.門池

ミッシェル門ヤン.門池ロフト30周年おめでとうございます。 これまで携わったスタッフの皆さんにもおめでとう! そして色々な出来事があって疲れただろう“ハコ”には本当にお疲れさま。なにはともあれ30周年は凄い!その歴史はある意味“30執念”といってもいいだろうね。

今思えば、俺が渋谷ラママになる前のショーボートの名前の時代にブッキングマネージャーをしていた頃には既に5年のROCKの歴史が経っていたことになるんだよな〜。('79〜ショーボート名。'82〜現ラママに名変)その'81年当時、渋谷には今は無き本家本元の【屋根裏】があり、新宿には【ロフト】があった。都会の中で共に手作り感覚の個性的で両横綱的存在の小屋だった。

ラママはロフトに憧れた。あの市松模様のステージ。JBLの通称「ロクマル」のスピーカー。袖には汚いがちゃんと楽屋がある。ROOF TOPで『おじさんの眼』を書いてる“影のオーナー”平野悠さんと会ったのもそんな時だ。全国のライブハウスの寄り会いだったが…。

今時とは違い、バンドのブッキングはひと月に渋谷と新宿でライブをやること事態“以ての外”でバランス的「住み分け」が暗黙のルールだった。後発ラママの“住み分け”は、渋谷の街の横綱の存在が大きい訳で、新宿の街の横綱で演ってるバンドに声をかける方法で徐々にROCK”バンド色を強めていった。 時は「東京ロッカーズ」が終焉し「第二期東京ロッカーズ」(と勝手に言ってるが…)の時代だ。昔も今もバンドマンに言うことがある。『バンドは潰れ(解散し)てもまたつくれるだろうが、ライブハウスは潰したらおしまいだ。だから大事にしろ!』と。 その大事な新宿の街の横綱【ロフト】の歴史は、夜の街のネオンに負けることなくまだまだ続く。

WRENCH/AGERO    AYASHIGE

AYASHIGE LOFT30周年おめでとうございます!!!!!

WRENCHの今まで出演したハコでブッチギリで最多出場なのがLOFTです。WRENCH活動14年間になるけど数あるバンドやライブハウスが消えていくなかで、一番古くから付き合いがあって、今もお互いが刺激しあって何かを創り出して行こうという姿勢で在り続けていられるのはホント稀だなと思います。これからも創造のある爆発空間なライブハウスであり続けてください!!

あと、東田店長!ツケ幾ら残ってる?

シアターブルック   佐藤 タイジ

佐藤 タイジ 新宿LOFTはオレにとって特別な場所である。

うちの玄関には'88.1.6の新宿LOFTのチケットが飾ってある。シアターブルックが初めてLOFTに出演した日のチケットを記念に自分で一枚買っておいたのだ。あまりそういうコト(記念に何かとっておくとか)はしないのだが、このチケットは特別だ。

“東京でロックバンドをやるんだ!!”とイキごんで徳島から上京してきた少年は新宿LOFTに出演するのが夢だった。少年にとって世界で一番リアルなロックの現場だった。テレビでは放映しないリアルな場所だった。

'88.1.6以来、少年は夢の中で生きている。悪夢もあった。いい夢もあった。ただ全部ロックな夢だった。この夢の中で生きる為に少年は明日も闘うだろう。これは自分自身でいる為の闘いなのだ。新宿LOFTが30年間、新宿LOFTであり続けたコトを誇らしく思う。

CICADA  小川 裕史

小川 裕史 まづは30周年・オメデトウございます☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

いや〜CICADA方面も活動は10年を満たしましたが・その3倍もの時間で日本の音楽シーンを根底から支え続けてきたロフト様の偉業は悶の凄いっ!事実ですっ!&実家のある岡山でも1974年からヤってるPEPPER LANDという℃ディープ&℃エクストリーム&℃ライトなライヴハウスがありますが…実際そこには中学生時代から通いはじめ・バイトスタッフなんかも経験させてもらったりで半ば部室のように仲間達と入り浸っていました。そんなライヴハウス黎明期からの類似した温度感を両ハウスには感じ取られます。

上京してから店長の東田さんとは極自然に懇意にして頂いて、あり得ない激SPなブッキングなどもブチかましていただいたりで・MESSAお世話になっています。いつも会うたびにオールドスクール・メタル+ヒプホなネタで盛り上がっています(笑苦笑。何はともあれ・これからも四方八方十六方三十二方…と∞に触手を張り巡らせて激カオティック&超(←死語復活?)HxCxな姿勢で・ますますのエクストリーム・ロフトっぷりにDIE期待!&鹿田SIDEもロフトマトリックスの一部として潤滑油的オーバーアクション起こし続けていきたいものです!!!!!KEEP ON GRIND!!!!!

榎本 くるみ

榎本 くるみ この度は新宿ロフト30周年おめでとうございます。

わたしは1981年生まれなので、新宿ロフトが誕生した頃には、残念ながらこの地上には存在していないわけで。。けれど21世紀の新宿ロフトに今わたしも参加できることをとても喜びに感じています。店長の東田さん、いつもわたしを影で強く支えてくれてありがとう!不変的だと言われている21世紀、今までに感じることのできなかった次の世代に繋がるようなの革命を共に築きたいものですね!

特撮  大槻 ケンヂ

大槻 ケンヂ 新宿LOFTに初めて行ったのは、カルメンマキ's5Xかなぁ。当時高校生でチケットの買い方とかわかんなくて、ライブが7時からなのに、意味も無く昼の2時くらいからロフトの前をうろうろしてたら、ふらふら歩いてきた女の子がいきなり目の前でバターン!って倒れて。こえーロフト!って(笑)

初出演は多分空手バカボンで何かの前座で出たような気がします。筋肉少女帯を始めた頃は19歳くらいで、有頂天がすごい人気出てて。で、その余波なのか350人くらい入ってぱんぱんでね。あれは驚いたなぁ。

昔、僕は基本的に打ち上げやんなかったですよ。なんかアナーキーな感じの人がいっぱいいたしね。当時、渋谷屋根裏のビルの隙間に、殺されたパンクスの白骨死体が埋まってるっていう噂があって、それ僕信じてたんだから(笑)。そんな人たちに関わったらヤバい! って。 コワくて行けなかったよ。打ち上げなんて、みんなで吉野屋の牛丼に卵つけてわーい♪っていうくらいでしたよ(笑)。でもロフトではいろんな事があったよ。20周年記念で武道館出たりとかね。

でも、最近のロフトは社員教育がしっかりしてるね! バンドやってる人が居心地の良い環境を作ってくれてるんじゃないでしょうかね。

The ピーズ  大木 温之

大木 温之 LOFT様へ

東京って怖えなーだったりチョロイなーだったり、自分からは田舎者ヅラでチャラチャラで、よくぞ相手にしてくれたもんです。甘く苦ーい酒、マン汁、チン汁、汁、涙、叩き込んでいただきました。30周年おめでとうございます。移転は寂しかったっすが相変わらずやる方も見る方も気合入って最高のライブハウスと思います。

こっちもそのうち20周年。こーなったらすんませんが右も左もわからんガキのままでこれからもヨロシクおねがいします。

THE STAR CLUB  HIKAGE

HIKAGE 祝!新宿ロフト30周年。

思い起こせば今から25年前、初めての東京GIGが「ドライブ'80」というイベント、その場所が新宿ロフト。当時、ただの糞ガキの俺たちにとってロフトといえば、憧れのライブハウス。幸運な事にそのイベント&ロフトに出演できたおかげで、それ以降はどこのライブハウスでもオーデション等をする事なくフリーパス。楽屋からステージに繋がる小さな階段、そこを上る瞬間に感じる不安にも似た興奮。今も変わらないあの独特の緊張感。

THE STAR CLUBも2007年には30周年。新宿ロフトを愛する1人のバンドマンとして、初めてロフトのステージに立った時の気持ちのままで、これからも突っ走って行くのでよろしく。新宿ロフトに栄光あれ!

パール兄弟  サエキ けんぞう

サエキ けんぞう パール兄弟は、オリジナル・ベーシスト、バカボン鈴木を復帰させ、サエキけんぞう、窪田晴男、バカボン、それにドラムを加えて、「スパム天国」という曲など、新曲をたくさん含んだライブを行います。ゲストは鈴木慶一さん、菊地成孔クインテット・ライヴ・ダブという布陣です。ロフトから30周年の企画のお誘いを受け、考えたスペシャルライブです。

久しぶりにやるにあたり、僕らは、自分達がデビューした80年代に、照れることなく正面勝負でぶちあたり、リモデル=再構築したろうという気持ちでプレイしたいと思います。

しかし80年代というのもわかりにくい時代だな、と思ってる方も多いと思います。そこで音で勝負すると共に、80年代について珍しいトークセッションを鈴木慶一さんと菊地成孔さんとサエキけんぞうで行います。そちらの方もぜひ楽しみにしていただきたいです。80年代のロックの進展に大きく貢献したロフト・グループ。いったい、80年代、90年代をくぐった今、ロックとはなんだ?トークでは平野悠さんの乱入も受けて立ちましょう。

なお、80年代ソングの特別カバーを行おうとも思ってます。歌舞伎町に住んでいる菊地成孔さんのプレイも楽しみですね!

The SHAKES  黒水 伸一

黒水 伸一 新宿ロフト30周年、おめでとうございます。

ライブの日の、楽器車に乗って多摩川を越える時の高揚感、
楽屋に聞こえてくる客席のざわめき、市松模様のステージ、
アンコールになると、どうしてもぶら下がってしまうステージ上のパイプ・・・
西新宿のお店の事は隅々まで記憶に残っています。

理想ばかりが高かったあの頃、
毎月、毎回、悪戦苦闘していたけれど、
ロフトのステージに立てる事は、何よりの喜びであり誇りでした。

当時を支えてくれたスタッフの方々、
観に来てくれていた皆(君の事だよ!元気!?)に、
改めて感謝の気持ちを伝えたいです。

これからも、少なくともあと70年(!)は
ロフトが続いていく事を祈っています!!!

We Will Survive

杉本 恭一

杉本恭一 1982年熊本から上京したばかりの無敵の”ド田舎者”状態だった俺は真っ昼間恥ずかしげもなく”アルタ前”でマグミと待ち合わせをしていた。

どこに行こうという予定も全く無かったこの”ド田舎者二人”は当時西新宿にあったロフトを目指す事に決めた。別にライブを見に行く訳でも無くただただロフトを見てみたくて、松田聖子のイラストが表紙の”ぴあ東京マップ”を両手に広げながら向かったのだった。

近くのレコード屋がやたらと並ぶ通りにも興奮を覚えながら、ついにロフトにたどり着いた時、俺は勝手に感動していた!しかもその頃のロフトは何故か昼間は喫茶タイムをやっていたので二人は中に入って飲みたくもないのに何となくコーヒーを飲んだ。そして『これで熊本の友達に自慢出来る!』と思ったのだった。な..なんて....見苦しすぎる程かわいい?想い出なんだ...。

今のミュージシャンを目指す人達にはそんな風に思うハコなんて多分無いんやろね。ばってんそういうのも何だかつまらなそうだな。

新宿ロフト30周年おめでとう!

ART-SCHOOL  木下 理樹

木下理樹 どーも。ART―SCHOOLの木下です。LOFTはバンド始めたころ、憧れの場所でした。それからARTでちょこちょこ出してもらう様になり、自分の企画などもやりました。不思議なくらい、よく覚えています。悪友のドーパンと始めて知り合ったのも、LOFTの企画です。DIP、ルミナスオレンジ、スパルタローカルズ、アジカン、ピールアウト。思えばいろいろな人達と対バンや企画などやらしてもらいました。

LOFTが良い箱と思えるのは、尖ったイメージ、アンダーグラウンドのイメージが残っている所と、店員さんが皆、優しい所です(笑)この間も、ふらっとニルギリスの企画バー?に飲みに行ったらZAZENのそうくんがいて、楽しいお酒をLOFTで飲みました。。これからもよろしくお願いします。そして、いつまでも尖った箱のままでいて下さい。今度、町田康のバンドのライブ観たいなあ。

野狐禅  濱埜 宏哉

濱埜宏哉 ロフト30周年、おめでとうございます。

30周年おめでとう、と一口に言いますが、28歳の僕にはその凄さがピンときません。ただ、僕が旭川で中学生だった頃、大好きなサザンのデビュー当時の映像として流れていたライブがロフトだということを知って、僕は「ああ、東京のライブハウスってのは、なんまらすんごいところだべ」と涎を垂らしながら、東京とロフトという名前を胸に刻んでおりました。そんなロフトの30周年にライブができるなんて、ああ、なんて幸せなことでしょう。と思ったら、また涎が出てきました。

今後も、40周年、50周年と年月を重ねるにつれ、ピンと来ない人はどんどん増えてゆくのでしょうが、僕みたいに涎を垂らす人が増えつづけ、日本が涎でいっぱいになることを願います

野狐禅  竹原 ピストル

竹原ピストル 30年。とてつもない年月ですね。30年前。ぼくは生まれてません。30年前。あのおっちゃんが普通にスーツ着て普通にサラリーマンやってた頃かもしれません。

いえいえ、ロフトでライブして、飲んで、終電逃して、西武新宿駅入口のシャッターの前でホームレスのおっちゃんと過ごしたある夜のことを思い出したりしたのです。

「売れてなんぼだよ。兄さん。売れなきゃ。へへ。」
「そうっすねぇ。えへへ。」

あのおっちゃんをギャフンと言わせるためにも頑張っていこうと思います(笑)これからもよろしくお願い致します!30周年おめでとうございます!おっちゃんのラジオから森進一の『おふくろさん』が流れてきて、何故でしょう、二人して黙り込んでしまったのでした。

あぶらだこ  長谷川 裕倫

長谷川裕倫 新宿ロフト30周年、おめでとうございます。80年中期から出演させて頂きありがとうございました。

ロフトのスタッフの方々は、皆さん御親切な人ばかりです。打ち上げの席でのごちそうに、赤いケチャップで「あぶらだこ」と書かれたオムライスが出てきて、嬉しく思いました。食べたら味は普通でした。篳篥のマイクの乾電池の向きも教えて頂きありがとうございました。あの時、プラスマイナスの正しい方向を教えて頂かなければ、未だにマイクは修理中だったでしょう。いつだったか客席みたら、見てる人皆、未曾有アザラシ(みなぞう君のご冥福を心からお祈り致します)で、口を開けて餌を貰いたいのに餌がない、ふと自分が中国熊で、こういう場面に於いて可動する叙述形式に響くように幾度も封印し唱えながら唄い、あ、そっか、PAの方に唄えば響くと思ったら、それが新宿ロフトでした。

兎にも角にも30周年おめでとうございます。明日からまた頑張って下さい。これからもどうぞよろしくお願い致します。

ARB  KEITH

KEITH 新宿ロフト30周年おめでとうございます。

旧ロフト時代には色々と悪さをして迷惑をかけたのに、悠さんをはじめスタッフの皆様には今でもかわいがってもらってます。50代になり、やっと僕も大人になったかな?

これからも「唯一無二」の新宿ロフトでいて下さい。新宿ロフトバンザイ!

アナーキー  仲野 茂

仲野 茂 1980年にアナーキーがデビューしてからのつきあいだ。25年になる。

西新宿にあった旧ロフトは当時のオレにとって最高のあそび場であり、すべてだった。ライブをやり、打ち上げをやり、セッションをやり、酒をのみ、乱闘をし、ケンカをやり、事件を起こし、世の中で起こりえるすべての出来事がそこにはあり、オレが知りえるすべてのRock'erがそこにいた。まさにアナーキーワールドであった。

PERSONZ  JILL

JILL 30周年おめでとうございます。私はなにを隠そう30年前の潜水艦のLOFTの店内に中学生ながら足を踏み入れたことを今でもあざやかに思い浮かべる事が出来るのですよ。その頃は、なぁ〜んて変わった店てなんて暗いんだろうとか.....ドキドキしてたなぁ。まわりを見回せば個性豊かな大人がいっぱい。そんな中で、なんとか幼い自分は年がバレないように精一杯大人のマネをしていたのでした。

それから間もなく女の子バンドでLOFTのイベントに出たのが人生初めてのステージ。それから月日は過ぎPERSONZでLOFTに出させてよぉと当時の店長さんに詰め寄ると「満杯にできるならね」とクールに言い放たれ、なぬ〜〜〜!と、一念発起!いつかここを満杯にしてやるぅ〜〜と半ば意地みたいなもんでバンド活動を続けられました(感謝!)数年後、やっと初めて2DAYSでLOFTが満杯になった時の事は生涯忘れられない思い出です。もう、すでに「満杯にしたらね....」の店長さんはいなかったけど、やはりバンドは小屋に育てられるものだなぁと思います。

まだまだ、30年とは言わず、40年、50年とライブハウスの老舗、ROCKの殿堂として頑張って下さい。

PANTA

PANTA ライブハウスというものが産声をあげた頃、
第一期頭脳警察は渋谷の”屋根裏”で解散した。

その後、時代は移り変わり、音楽は果てしなく
デジタル化され、それと反比例するように、
ライブの付加価値は、ますます上がっていく。

時代のバグのように疎まれたRockも、
いつの間にか音楽産業の主力ビジネスとなり、
更にそれも崩壊して、音楽自体が目標を見失い、
迷走しまくっている。

しかしバグはいつまで経ってもバグのまま。
核は確実に生き続けているのだ。

奇しくもLOFT(屋根裏の意)、そして”屋根裏”
オレ達は屋根裏に巣くうネズミだったのか?

そう、いつまでも、あちこちに悪さを仕掛ける
マウスでいたいものだ♪

ズクナシ  山口 衣美

ズクナシ おめでとうございます!そして初めまして!新宿LOFT30周年、記念すべきこの年にLOFTさんと出会い、御祝いさせていただける事をズクナシ一同心から嬉しく思います!

長野のド田舎でオギャーと産まれて鼻垂れてた頃にも既に新宿LOFTではたくさんの音楽が溢れていたんですね。そんな場所でのライブ、ああ考えるだけで本当ワクワクしてしまう。30年前に始まった瞬間と、30年間刻み続けた歴史、そして30年目からはじまる新しい波に、一度に出会える気がしてならない。こんな不器用さ剥き出し、駆け出しの私達にできる事は、もうただ爆発することです。今のズクナシをその時に刻む。「出会いを繋がりにかえていこう」−人と人が繋がり、そして離れかけた時代も繋がっていく。そんな力になりたいと今強く思います。

素晴らしいアニバーサリになりますように。いや、なるに決まってますね、よーし、今から御飯をたくさん食べて力つけるぞー!!

SUPER Goooooood!  高田 エージ

高田エージ 初めて、ロフトのステージを踏んだのは、17才の時。

その次は、JUNGLE GYM(春日博文、川上茂幸、小玉和文)で、SUPER BADの頃は、ホームグラウンドだった。エージ&テツの初ライブもロフト。歌舞伎町に移ってから、ご無沙汰だったけど、去年、SUPER Goooooood!で、初ステージ。

30周年おめでとうございます。「永遠だったら良いなぁ〜」。


5th ELEMENT WiLL  金子 マリ

金子マリ 三十三年前、高三の時から歌ってお金を貰う。その当時女性プレイヤーは皆無、シンガーはカルメン・マキさんと二人だけだった。ライブハウスは無く、ロックバンドは内田裕也氏主催のコンサートに出演する以外、演奏できるチャンスは無かった。

そんな時代。私が東京で初めて歌ったライブハウスはそれから2年後「金子マリとBUXBUNNY」で荻窪ロフトだったと思う。現在はどの様な立場でいらっしゃるか定かではないが「ゆうさん」がマスターのB1のその店のステージの上には階段が天井から降ろせる造りで、正に「ロフト」と言う名にふさわしいと思ったものだ。地上から直接楽器をステージに運べる画期的な且つローディが泣いて喜ぶ店。ビールでも飲みながらでなければ、目前のお客様に圧倒されてしまう程の年頃であり、めちゃあがり性な私である。何とか2ステージをこなし、帰りがけ、マスターに「あのビール代幾らですか?」と伺うと「ここに出たミュージシャンで、お金を払いに寄ったのは、君が初めてだよ。」と快く。ごちそうして下さったのを覚えている。その後の下北沢、新宿とロフトでは何度も歌わせてもらった。

沢山の思い出と現在進行形のマイノリティー代表シンガーである私に今回声をかけて下さった事、心より嬉しく思っています。ありがとう そしておめでとうございます。

 ニューロティカ  アツシ

アツシ 10代の頃にお客としてロフトに足を運び、ただただ憧れの場所でした。お客さんとして来て、バンドマンとしてプレイしてここでは学校以上に色々な事を教えてもらいました。もちろんH系も♥んーっ本当に「生きるって事の喜び」を知りました。

現在ニューロティカ、ロフトでのライブ回数178回!この回数が誇り、自慢(笑) 自分の背中を押してくれています。まだまだ世界の平和の為に頑張らねば!

P.S. ロフトのスタッフさんへ 日本一のワガママニューロティカ毎度おせわになってます。スタッフさんから「愛」をいただいております。次はニューロティカスタッフ VS ロフトスタッフで牛丼早食い大会やりましょう!!

 De+LAX / LOOPUS  宙也

宙也 新宿LOFT 30周年おめでとうございます。オープンからもう30年とは、時の流れの速さを痛感します。

いろいろと感慨深いところがありますが、最初はLOFTに出ることが憧れで、初めてワンマンをやった時は凄く嬉しかったです。LOFTで出会った仲間でいまだに付き合いのある連中がたくさんいるし、LOFTというライヴハウスは自分にとっては小さい頃に通った道場みたいな場所でした。

30周年の記念イヴェントには是非De+LAXとしても参加したいと思ってます。

 De+LAX / DAMNDOG  高橋 まこと

高橋まこと新宿LOFT、29年間公私共々ずっとお世話になりっぱなしです! 悠さん、いつもスイマセン! 今度満漢全席奢るからさ! その席で今までのLOFTのツケを全部払わせて頂きます!でも満漢全席奢った途端に食い倒れないで下さい!

BOφWY時代からDAMNDOGに至るまで、悠さんにはホントお世話になりっぱなしだから、いつか恩返しをしなきゃと常々思っております! こうなったらLOFTで世話になったドラマーと歴代の店長を全部引き連れて、『悠さんを盛り上げる会』を立ち上げましょう!

何はともあれおめでとうございます!

 THE ROOSTERS  池畑 潤二

池畑 潤二 いちLIVEハウスでの思い出なんてそう沢山あるモンじゃあないが、
ここでの思い出はありすぎて、ありすぎて何を語ればよいのやら・・・。

ロフトにはもう20年程になる野球チームがある。このチームに参加して17年程になるか・・・。音楽同様、今も現役だ。蟹江、小林シゲ、まりも、ただすけ、(う〜ん他にもまだ沢山いたはずだ。)ロフトが排出した朝まで飲んで早朝野球、の二日酔い選手達も懐かしい。朝まで飲んで、その勢いで参加したミュージシャンも、柴山俊之、下山淳、松井常松、他多数。そのミュージシャン達が、音楽をやっている時とは別の表情で、一生懸命ボールを追い、投げて打って走る姿に感動したものだ。リーグ優勝も一度果たし、チームも未だ健在。我が人生において、このチームはLIVEハウス「ロフト」同様多大なる影響を与えてくれ、本当に感謝している。

時代は巡り、バンドも巡る。「ロフトでやろうぜ!」を合い言葉にロフトを目指したバンドの純粋さは今も、甲子園を目指す高校球児に劣らない。

80年代、ロフトでやろうぜ!
時は経ち90年代、ロフトで飲もうぜ!
2000年、00代やっぱりロフトでやって飲もうぜ! で、野球やろう。
野球チームのほうも20周年記念試合やろう!

平野さん、ロフトの皆さん、30周年おめでとうございます。

 Zi:LiE-YA  柴山「菊」俊之

柴山「菊」俊之 西新宿にあった頃のLOFTには、随分お世話になった。

数えきれない位LIVEもやったし、知らないBANDが打ち上げしている横で、それ以上に盛り上がったり、閉店間際に行っては、朝まで飲んだくれて、あげくの果てにお金も払わずに帰ったり、もう、やりたい放題やって、シゲや、まりもに迷惑ばかりかけてた様な思い出がある。それでも彼らは、いつもあたたかく…?、優しく…?迎えてくれてたのを今でも良く覚えてます。

なんか、居心地の良いスペースだったね。シメはLOFTでと、本当にしょっちゅう行ってた。今では、場所が移って、ちょっと大人のイメージになったけど、それはそれでまたいい雰囲気を作り出している。チャンスがあったら、またLOFTのステージにあがりたいと願ってます。思い出に残るLIVEは、SONHOUSEが突然演った1998年2月の真夜中のシークレットライヴですね。レコーディング・メンバーで20年振りに演った真夜中で、しかも平日だと云うのに超満員で、今だにDVDを観るたびにゾクッとします。LOFTならではの心意気に心から感謝しています。VIVA!! LOFT。

 (有) スマイリーズ / CONNECTIONS  スマイリー原島

スマイリー原島 新宿ロフトと言えば、西新宿から歌舞伎町に至るまで、本当に長い長い繋がりが続いています。博多から来て始めてのライヴハウス出演は西新宿ロフト。その時からなんと20年以上の月日が過ぎているんですな。

ロフトにまつわる思い出など、何かを書いてくれと言われても、あまりに多くの人、そして出来事との出会いがそこにあったので、文章やコメントでは書ききれません(笑)。

とにもかくにも、今の小生のベースになっているのが西新宿〜歌舞伎町ロフトである事は間違いない事です。そんな幾年のエピソードがかける日まで小生も関わり続ける事でしょう。VIVA LOFT!!

 新宿LOFT 店長  東田 慎二

東田慎二 新宿LOFT店長の東田慎二です。2006年10月新宿LOFTはおかげさまでオープンから30周年を迎えます!そして来年1月から12月までを30周年イヤーとして、30周年イベントを大々的に開催致します!30年間の歩みを1年かけて表現していきたいと思います。私は1999年、西新宿の旧LOFTから現在の歌舞伎町LOFTに移転する、激動の時期に入社致しました。旧西新宿LOFTでの経験は、わずか2ヶ月ほどです。移転後は500人の収容のライブホールと、150人収容のBARスペースをあわせ持つ、日本にはあまりなかった欧米スタイルのライブハウスとして生まれ変わり、そして音楽シーンも、今までアンダーグラウンドであったジャンルがメイン・ストリームに躍り出るなど変革の時期でもありました。歌舞伎町LOFTにおいても、この7年間で今までのLOFTになかった新しい流れを作ってくる事がが出来たと自負しております。入社して7年目の私ですが、常に日本のライブハウスシーンをリードし続ける新宿LOFTの30周年公演を手掛けさせて頂くことを大変光栄に思います!

新宿LOFTと、新宿LOFTを盛り上げてきて頂いた全てのアーティストの名に恥じないよう日々邁進していく所存でございます。30周年以降これからの新宿LOFTにも御期待下さい!そして今後とも新宿LOFTを宜しくお願い致します!

 LOFT PROJECT 社長  小林 茂明

小林 茂明 思い起こせば24年前、19歳の田舎者の悪ガキ小僧の私が、西新宿のロフトの階段に、一歩、足を踏み入れた瞬間に「ここだ!」っと、ホントに一瞬の迷いもなく、確信したのでした。そばにいた店員さんに「ここで働かせて下さい!」「今、スタッフは募集してないから無理だと思うけど、夜には店長くるから聞いてみたらぁ?」 その夜、出直して店長さんに「お金いらないからお願いします!」「お前おもしれぇなぁ。わかった。メシは一食出してやるから明日から来い。」それから2〜3週間後に始めての時給350円をもらえる様になったのが、全ての始まりでした。

その日から今日に至るまでには、本当に色んな出来事があり過ぎたのと(その一つ一つが結構強力)、打ち上げで酔っぱらっていた時間があまりにも多かったせいか(笑) 思い出しても、走馬灯の様にグルグル回るばかりで糸ほどくにはもう少し、時間とスペースが必要の様です。ただ、すごく明確な事は今まで『新宿ロフト』の空間創りに一緒に参加してくれた『お客さん』、『出演者のみなさん』。色んなアドバイス、きっかけをくれた『各関係者の皆様』はもとより、悠さんをはじめ、オープンの店作りから関わってくれた方々、一緒に働いて、巣立っていったり、疾走している仲間達(笑)

『今』と『これから』を一緒に創っていくスタッフのみんなに心より感謝すると共に、より『リアル』で『スリリング』な震源地であり続けたいと思っています!これからの30年に向けて。

 LOFT PROJECT 会長  平野 悠

平野 悠昔、ロックがまだ一部不良少年の訳のわからない音楽と言われた時代から、わたしゃ、一応日本のロックに関わってきたのだ。えらいでしょ。

その立ち位置は別に「ロックこそ我が命」なんて言う発想は一つもなくって、日本のロックに何かしらの未来への「可能性」を感じたからわたしゃ、そのロックの底辺を支える「ライブハウス」なんて訳のわからんものを始めて30数年も経ってしまった訳だ。その「ロック=不良=社会を斜めに見る=とてつもないエネルギーを持つ軍団=腐った社会を告発する」みたいな感じでこの30数年見ているんだけど、まあ、今のロックなんて絶望的だわさ。誰かロックとシティポップの違いを教えてくれたらいいのにな〜って最近よく思うんだ。そのわしらが勝手に思いこんでいる「不良の音楽」を社会が容認し始めたと思ったら、今やいつもマリワナは欠かさないと言う不良バンド「ビートルズ」までもが教科書に載る時代になった。

そんな時代の流れを俯瞰で眺めながら、そう、いつも「こんなはずじゃなかったのに・・・俺が思うロックは・・50歳を過ぎたおやじのロック観」なんていまだに「ロック=反体制・反権力」なんて幻想を持ち続けてみんな若い奴から「化石」扱いされてって言う感じで死ぬまでイライラして生きるんだろうと思うんだ。だから私もここで平気で居直って、相変わらずの「こんちきしょ〜!」って言う感じでこの「雄叫び」は最後まであげ続け様と思う。すんません。(笑)

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