COPY CRUSADERS
深すぎるビークル愛とリスペクトから始動した“本気すぎるコピーバンド”が活動継続を高らかに宣言!
2026.09.09
“本気すぎるコピーバンド”の本気すぎるビークル愛、本気すぎるコピー魂と遊び心
BEAT CRUSADERSを愛してやまない実力派ミュージシャン4人が、純粋なリスペクトと有り余る熱意からオリジナルメンバーであるヒダカトオルを迎えて結成した“本気のコピーバンド”、COPY CRUSADERS(コピー・クルセイダーズ)。
今年5月に行なわれた大型屋内フェスでの熱狂的なステージを終えたばかりの彼らが、来たる9月14日にオープン50周年を迎える新宿LOFTにてONIGAWARAとの2マンライブを急遽開催する(前売チケットは完売)。
公演開催を前に、ボーカルのヒダカを筆頭として、ギターのサティフォ(竹内サティフォ|ONIGAWARA)、ベースのヨシカツ(首藤義勝|千也茶丸, the cabs)、キーボードのノブ(岡本伸明|the telephones)、ドラムのクノヨウヘイ(久野洋平|cinema staff)という辣腕メンバーが全員集結したバンド初のインタビューを敢行。
結成に至る経緯、ビークルから受けた絶大な影響とビークルが果たした功績、果てはコピーバンドによる新曲発表という前代未聞の計画(?!)など、全メンバーが饒舌にして一向に話の尽きない様まで本家を完コピするという離れ業をやってのけるのだから末恐ろしい。“本気すぎるコピーバンド”の本気すぎるビークル愛、本気すぎるコピー魂と遊び心が行間からも読み取れるだろう。
吹く風に秋の気配を感じる“SUMMEREND”に、新宿歌舞伎町のROCK CAFE LOFTで話を聞いた。(Photo:大参久人 / Interview:椎名宗之)
ギャラが良かったからコピクルに参加?!
──これが初インタビューなんですよね?
ヒダカ はい。最初で最後かもしれません(笑)。
──結成のきっかけがサティフォさんの生誕祭ライブ(2025年3月29日、下北沢ERA)ということは、仕掛け人はサティフォさんということでよろしいですか。
ヒダカ このバンドのリーダーですから。
サティフォ やめてください(笑)。
クノ このインタビューでいろんな立ち位置が決まっていく予定です(笑)。
サティフォ こんなことになるなんて、僕が一番ビックリしてるんですよ。自分の生誕祭でコピーバンドを毎年やってて、いつもクノに手伝ってもらってたんです。
ヒダカ ラルクとかハイスタとか、青春時代に憧れたバンドのコピバン。
サティフォ はい。あとキャプヘジもやりました。去年、ビークルのコピーバンドをやりたいと思い立って、ヒダカさんに話を通そうとしたんです。ちょうど西永福JAMで対バンがあったので。
ヒダカ STARBEMS、ONIGAWARA、NaNoMoRaLとかが出た『ナノフェス』ね(2024年6月29日)。
サティフォ そのときにお話ししたら、ヒダカさんに「唄いに行ってあげてもいいよ」みたいなことを言っていただいて。
ヒダカ サティフォの提示したギャラが良かったので。一晩でそんなに貰えるなら出ようと(笑)。
サティフォ ギャラの話なんてしてませんよ(笑)。完全に漢気で応えてくれたんです。
──それからヨシカツさんとノブさんにお声がけしたんですか。
ヒダカ 最初に決まってたのはクノ君だけだった。
サティフォ 「ヒダカさんが来てくれるぞ!」ってクノにすぐ連絡して。それならガチなメンバーを集めようってことで、ノブに連絡したんです。鍵盤はノブしか思いつかなかったし。
ヒダカ この界隈はキーボード人口が少ないからね(笑)。
ノブ キーボーディストと呼べるのかわからないですけど(笑)。
サティフォ キーボードでテンション高いパフォーマンスをするのはノブしかいないと思って。で、唄えるベーシストを探そうってことで、やっぱりヨシカツじゃね? って話になって。それでヨシカツに連絡したらビークルが好きだって言うのでお願いして。
──コピーとはいえ、ビークルをやることにヒダカさんはまったく抵抗がなかったんですか。
ヒダカ ぜんぜん。なんせギャラが良かったから(笑)。
サティフォ だからギャラの話はしてないですって(笑)。
ヒダカ 頼まれたら何でもやりますから。人殺し以外は(笑)。
──じゃあ、サティフォさんとしては瓢箪から駒というか。
サティフォ 僕はただ許可取りをしただけなので……。
──キャプヘジのコピーバンドをやったときは(渡邊)忍さんに許可取りを?
サティフォ しましたね。ハイスタやラルクは伝手がなくて連絡しませんでしたけど、忍さんとヒダカさんはお会いできたので。
ヒダカ 言ってくれたらハイスタなら確認できたのに。
クノ でもハイスタに確認取ってコピバンやる人はいませんよね(笑)。
──コピクルのデビューライブの手応えは?
ヒダカ なかったです(笑)。もっとモッシュやダイブが起きるのかと思ったら、基本、ONIGAWARAのファンしかいなかったので。
クノ ヒダカさんが来るのを事前に告知してなかったんです。確か当日に発表したのかな。
サティフォ 僕はモニターからヒダカさんの声が聞こえただけで最高でした。
ヒダカ メンバー以外はホントに楽しかったのかな? って感じだったね(笑)。
ノブ いや、めちゃくちゃ盛り上がってましたよ!
ヒダカ 物販のときもONIGAWARAには長蛇の列で、俺のところは誰も並んでなくて(笑)。
──デビューライブではどんな曲をやったんですか。
ヒダカ メジャー期の代表曲。「HIT IN THE USA」とか。
クノ 「HIT IN THE USA」は最初はやってないですね。
サティフォ 自分の生誕祭だったので、主に僕とクノで絞っていきました。「FEEL」、「LOVEPOTION #9」、「LOVE DISCHORD」、「JAPANESE GIRL」。
ヒダカ ファースト(『P.O.A. -POP ON ARRIVAL-』)多めな感じだ。
サティフォ あともう1曲くらいやらなかったっけ?
クノ インディーズ期の「WINDOM」と「CHRISTINE」。
サティフォ ああ、そうだった。
クノ やりたい曲を羅列して、リハのときに曲順を決めました。
サティフォ 並びをヒダカさんに決めてもらったのかな。
ヒダカ そうだね。
クノ コピクルでインディーズ期の曲をやるのは再録されたものっていうのが今のところ縛りで。
ヒダカ ちょっとややこしいのは、thai君の追悼としてインディーズ期のメンバーでビークルの曲をやるSATURDAY GOOD-BYESというバンドも稼働してるんです。インディーズの曲までコピクルでやられると、演奏力の差が出てしまう(笑)。SATURDAY GOOD-BYESは俺を含め、演奏力も人間性も難ありなので(笑)。
カネは欲しいけど責任は取りたくない!
──ヒダカさんとしては、かつて心血を注いだバンドを客観視できるものなんですか。
ヒダカ 純粋に楽しいですよ。ビークルのメジャー期の曲を埋もらせたままにしておくのはもったいないとも思ってたし。STARBEMSのライブでやってもいいのかもしれないけど、やると怒る人がいるかもしれないので面倒くさそうだなっていうのもあって(笑)。弾き語りのライブではビークルのメジャー期の曲をやってるんですけど、バンド編成でやるにはいい機会だなと。これをきっかけにサブスクがまわってくれたら有難いし、カネが貰えるなら何でもいいです(笑)。
──今年の5月9日に国立代々木競技場で行なわれた屋内フェス『FORTY DEGREES JAPAN』にBECK CRUSADERS名義で出演するまでの1年は何の動きもなかったんですよね。
ヒダカ 二度とないかな? くらいに思ってたんだけど、俺が『FORTY DEGREES JAPAN』の話を貰ったんです。大規模な会場だからおっきな花火があったほうがいいだろうということで、ここはCOPY CRUSADERSをやるしかないだろうと。これはだいぶ大きい打ち上げ花火になるぞと思ったけど、隅田川レベルにはならなかったね(笑)。
ノブ まあ、席がありましたからね。
クノ だいぶ人は集まってたんですけど、僕らの得体が知れなさすぎた(笑)。
ノブ フェスの状況もわかってなさすぎた(笑)。
クノ BECK CRUSADERSって言われても、いったい何者だ?! って話で(笑)。
ヒダカ そのときはアニソン縛りだったんだよね。『BECK』のオープニングテーマだった「HIT IN THE USA」とか、『BLEACH』のオープニングテーマだった「TONIGHT, TONIGHT, TONIGHT」とか。
──その流れで『銀魂』14期のエンディングテーマだった「ウォーアイニー」を高橋瞳さんと共に披露したわけですね。
ヒダカ 高橋を呼ぼうと思ったのは俺で、アニソン縛りにしたのも「ウォーアイニー」がサブスクで常にまわってるからなんです。ここはさらにサブスクをまわす大チャンスだと思って(笑)。
ノブ 「ウォーアイニー」をライブでやったことはあるんですか?
ヒダカ 何回かやった。ただ散開(解散)間際だったから、フェスでやったくらいじゃないかな。『JAPAN JAM』の第1回目(2010年5月15日・16日、富士スピードウェイ)はビークルで出て、誰かと“JAM”するのがルールだったからメロン記念日と高橋瞳を連れていったら渋谷(陽一)さんに怒られた(笑)。「ヒダカ、なんでバンドを連れてこないんだ?! そういう“JAM”じゃねぇんだよ!」とかブツブツ言われて(笑)。
──デビューライブ、『FORTY DEGREES JAPAN』と続き、継続的にやっていこうと音頭を取ったのもサティフォさんだったんですか。
サティフォ いや、そこからはノブに仕切りを任せて。
ノブ ヒダカさんが『FORTY DEGREES JAPAN』のライブ中に「楽しいからこれからもコピクルをやってもいいかな」と言っていたので、それならやろうと。
クノ ヒダカさんがMCで「こいつらに言われたら断れない」と人のせいにしてきたので(笑)。
ヒダカ お金は欲しいけど責任は取りたくないから(笑)。
ノブ この歳になってコピーバンドをやるのが純粋に楽しいし、この時代にビークルの曲をやるのは凄くいいことだと思って、よし、やろう! と。
サティフォ 名曲のオンパレードだからね。文化遺産みたいなものですよ。
ノブ みんな忙しいのでスケジュールが合えば、って感じのペースかもしれないけど。
ヒダカ ギャラが良ければバンバン受けるけどね(笑)。
──バンド継続を決めた最初のライブにわが新宿LOFTを選んでくださって光栄なのですが、どんな経緯で決まったんですか。
ヒダカ メジャー期のマネージャーがかつてLOFTグループのスタッフだったこともあり、その伝手でLOFTの50周年記念イベントに出ませんかと話があって。周年とはいえド平日の月曜日だから、誰も手を挙げない空き日をあてがわれたと思うんだけど(笑)。
竹内電気もcabsもビークルのおかげで生まれた?!
──ビークルから受けた具体的な影響を一人ずつ聞かせてください。
サティフォ ONIGAWARAの前にやってた竹内電気はそもそもビークルがいなければやってなかったバンドで、それくらいビークルには多大な影響を受けました。最初はヒダカさんに倣って英詞で唄ってパワーポップ調の曲をやってて、鍵盤を入れたのもビークルにシンセがいたからなんです。でもどうにも英語はできないし、ビークルほどのメロディの強度もなく、そこを演奏力でごまかして今のような形になっていったというか。まずバンドを始めるきっかけがビークルだったんですよね。
ヒダカ そこはハイスタでしょ、普通。
サティフォ いや、違います(きっぱり)。もちろんハイスタは好きですけど。とにかく曲がいいバンドを目指したいってことで、ビークルが常に目標としてありました。
ヒダカ 確かに竹電には山下達郎さんみたいないい曲があったね。
サティフォ 途中からその路線にも行きますが、バンドの始まりはビークルがきっかけでした。
ヒダカ 早すぎたナードマグネットみたいな感じはあったよね(笑)。
──ヨシカツさんはサザンオールスターズやビートルズといった王道に影響を受けたと聞いていたので、ビークル好きだったというのが少し意外で。決してビークルが王道じゃないという意味ではないのですが(笑)。
ヨシカツ めちゃくちゃ好きで、ド世代なんです。メジャー期のビークルが始まったのが俺が高2のときなんで。『P.O.A. -POP ON ARRIVAL-』が出たのがそれくらいで、あのアルバムは高校時代にめちゃくちゃ聴いてたし、だいぶコピーもしたので収録曲の半分くらいはベースが弾けましたね。
ヒダカ そこは『MAKING THE ROAD』でしょ、普通。
ヨシカツ ハイスタも好きですけど、それ以上にビークルには相当な影響を受けてます。クボタ(マサヒコ)さんのベースはけっこう動くなと、この歳になって気づきました。
ヒダカ 俺のおかげでcabsが生まれたと書いておいてください(笑)。
──クノさんはcinema staffのオルタナ的イメージが強いので、ビークル好きなのがやはり意外だったのですが。
クノ cinema staffの中で僕だけ異色というか、そもそもパンクが好きで、純然たるパンクバンドをやろうと思ってたのに気づいたらcinema staffにいた、みたいな感じなんです。僕はヨシカツと1個違いなので似た感じで、高校生のときに『P.O.A. -POP ON ARRIVAL-』が出て。それからLASTRUM時代の『BEST CRUSADERS』を買いに行って、DVD(『1999-2003 LASTRUM YEARS』)も買って……とハマっていきました。
ヒダカ スタートはバンアパじゃなかったんだ?
クノ バンアパはその後ですね。ビークルを入り口としてバンアパやアスパラを知っていきました。ヒダカさんが選曲・監修したコンピ(『COMPI CRUSADERS ’68~’77 vol.37』、『COMPI CRUSADERS ’78~’87 vol.38』)も買ったし、ヒダカさんが名盤を紹介する本も買いました。
ヒダカ あったね。ぴあから出たやつ(『ヒダカトオルのROOTS CRUSADERS MANIA~アダグジを作った名盤122~』)。
クノ それくらい影響を受けたし、バンドスコア(『Alternative Scorebook “TABLATURE”』)も未だに持ってます。とにかく大ファンですね。あと、僕が当時買ったビークルのTシャツを実家の親父が着てます(笑)。
ヒダカ どのデザイン?
クノ ギターみたいなロゴのやつですね。
ヒダカ ああ、あれはかわいいね。
サティフォ 僕はギリ4人時代のビークルのライブを一度観れたんですけど、そのときに買ったお面が4つ並んでるTシャツをいま母親が着てます(笑)。
ヨシカツ 親御さんがTシャツを着がち(笑)。
ヒダカ ハスキンとツアーをまわったとき、ハスキンがお面デザインのパロディTシャツを作ってきたので、ウチもやんなきゃってやり返したんだよね。
──ノブさんはサティフォさんと世代的に近いですけれども。
ノブ 10代の頃にスカバンドをやってて、当時はベースを弾いてたんです。その頃からビークルの存在は知ってて、ああいう形でシンセを入れるバンドは当時いなかったので衝撃でしたね。あまりに衝撃で、気づいたら自分でもシンセサイザーを弾いてました(笑)。バンドを結成して1年くらいでデビューしたんですけど、当時からよく言われてたんですよ。ビークルのケイタイモさんとキャラが被るって。ケイタさんかSOFT BALLETの森岡(賢)さんと被ると(笑)。
ヒダカ SOFT BALLETのファンに怒られそうだね(笑)。
──ケイタイモさんも最初はベーシストで、ビークルに誘われたときはキーボードを弾けなかったそうなので、パートの変遷も被りますね。
ノブ 経歴も近いですね。ビークルとはフェスやイベントで一緒にやることも多くて、その存在をずっと意識してました。
ヒダカ キャラやアクションが被らないように気を留めて(笑)。
──ビークルにシンセを導入して80年代ニューウェイヴ/テクノポップのミクスチャーを試みるというユニークな発想は、ヒダカさんのYMO好きが為せる業だったんですか。
ヒダカ WEEZER、RENTALSの流れがまずありました。当時のアメリカのインディーでアナログシンセを入れるのが流行ってたんです。THAT DOGとかね。初期WEEZER〜RENTALSのマット・シャープがアナログシンセを使ってやってたことをちゃんとやるバンドって実はいなかった。WEEZERもキーボードがいるわけじゃないし、ライブだとシンセの音をリードギターでごまかしてたし。RENTALSが『NANO-MUGEN FES.』に出たとき(2006年7月16日・17日、横浜アリーナ)、ゴッチ(後藤正文)がビークルも呼んでくれて嬉しかったんですよ。そのときに見た生のRENTALSは意外と鍵盤の比重が高くなくて、ああ、俺が間違ってたんだなと答え合わせができた思い出があります(笑)。そんなにガッツリとシンセを弾かなくても良かったんだなと。
音楽をディグる楽しさがビークルにはあった
──ビークルが残した功績を挙げるすると、どんなところでしょう?
ヒダカ お面でしょうね。MAN WITH A MISSION(以下、マンウィズ)よりも早かった(笑)。ちゃんと許可取ってくれたのはFACTだけなんで、マンウィズは早く許可取りに来い! とここで言っておきます。本名バラすぞ!(笑)
クノ マンウィズのメンバーの一人はヒダカさんじゃないか疑惑が一時期ありましたよね(笑)。
ヒダカ TOSHI-LOWがいろいろ嘘を言いふらしてた。向井(秀徳)君と俺が中身だって(笑)。
──そうしたお面や卑猥なコール&レスポンスといった笑いのエッセンスがある一方、楽曲は異常なまでにポップでキャッチーでハイクオリティというギャップもまたビークルならではでしたね。
クノ ビークルって「お前らちゃんと音楽を聴けよ!」と言ってくれてる感じがありましたね。ちゃんと掘れよ! っていうか。
ヒダカ 確かに啓蒙的ではありましたね。
サティフォ 曲のオマージュ元をヒダカさんの本で知って、そういうことだったのか! と新たな気づきがあったり。
ヒダカ そこはオーケンさん(大槻ケンヂ)の影響ですね。オーケンさんは常に「啓蒙、啓蒙」って言ってたし、筋少にも「啓蒙してくれよ」と唄う曲があるし(「モーレツア太郎」)。
──私見ですが、ヒダカさんは大滝詠一さんや山下達郎さん、フリッパーズ・ギターといったリスナー型ミュージシャンの系譜に位置付けられると思うんです。膨大な音楽知識を蓄積するリスナーだからこそオマージュを多分に含んだ楽曲作りに長けていて、古今東西のポップ・ミュージックに精通していればいるほどビークルの音楽を多層的に楽しめる。
ヒダカ ラッキーな世代なんですよね。YMOもいればLAUGHIN’ NOSEもいるという奇跡に近い時代にいろんな音楽を享受できたので。今のほうが選択肢は多いけど、当時はそれぞれのジャンルで代表的なバンドやミュージシャンが限られていて、ディグっていくのが今よりラクだった。街自体がそういうディグを許してたというか、中古レコード屋が渋谷や新宿にいっぱいあったし、渋谷にはCSVっていうインディーズ主体のレコードショップが公園通りにあった。そこでWILLARDがインストアライブをやったりね。
──CSVは『FOOL’S MATE』の創刊編集長であり、YBO2のボーカル&ベースだった北村昌士さんが顧問として関わっていたからインディーズに強かったですね。
ヒダカ 今はタワーレコードがCSVの役割を担ってるんでしょうけど、当時はもっとピンポイントで、K-POPっぽいものやアイドルっぽいものが入り込む余地はなかった。ガチガチのインディーズの城がCSV渋谷。小滝橋通り沿いにあった新宿LOFTもそのスタンスに近いハコだったと思うし。
──当時のLOFTの周辺にあった新宿レコード、UK EDISON、VINYL JAPANといったレコード店や海賊盤ショップ然り、街全体が濃密な地下音楽文化を醸成することに貢献していましたね。
ヒダカ エアーズとかね。ジミー・ペイジがLED ZEPPELINの海賊盤を熱心に買い漁ったり。日本のブートが一番いいって(笑)。
──世代でいうと、ヨシカツさん、クノさんのように30代後半の方々がビークル直撃世代ということになるのでしょうか。
ヨシカツ ストライクだと思いますよ。とにかくメロがめちゃくちゃいい。
ヒダカ 最初に知ったきっかけはテレビ? 『BECK』とか?
ヨシカツ いや、『BECK』じゃなかったですね。何だったんだろう? 軽音楽部に入ってたので、気づいたらみんな聴いてるみたいな感じでしたね。
ヒダカ モンパチ的な立ち位置(笑)。
ヨシカツ 全員知ってて当然の義務教育みたいな。
クノ モンパチ辺りからインディーズバンドも当たり前のように聴く流れができましたよね。そこにビークルがダーン!と出てきた。僕は『ROCK IN JAPAN FESTIVAL』のライブが各バンド1曲ずつ流れるみたいなスペシャの番組でビークルを見たのが最初かな。
ヒダカ お面がモザイクみたいに入ってるバンドが急に出てきて驚いた?(笑) あれね、あとからお面を入れるのに1曲につき40万円かかるってスペシャに凄い怒られた(笑)。
クノ ちゃんと角度を変えてお面が入ってましたからね(笑)。
ノブ やってることはAVの編集と同じですもんね(笑)。
ヒダカ そうそう(笑)。5人の動きに合わせて手作業でやってたから大変だったみたい。
クノ ×××コールもちゃんと音声処理されて(笑)。
ヒダカ 確かにあれは革新的だったかもしれない(笑)。
クノ あと、『ポップジャム』か何かでマシータさんが恐竜の骨を持ってドラムを叩いてたんですよ。
ヒダカ 当て振りだったからね。
クノ 「これは当て振りですよ」っていうのを全面に出しながら叩いていたのが当時は凄い衝撃的で。そういうのアリなんだ?! って。
ヒダカ (甲本)ヒロトさんやマーシー(真島昌利)もそういうのをやってたから。クロマニヨンズで口パクを無視してパフォーマンスしたり。ああいうのを一度真似してみたかった。
ヒダカの泣ける歌声はエモの権化
──各自、思い入れのある作品や楽曲は?
ヒダカ 僕はないですね。
──当人は言いづらいでしょう(笑)。
ノブ 僕は『BEST CRUSADERS』ですね。18、19くらいの頃、北浦和KYARAというライブハウスに通ってたんですけど、バーカウンターの後ろにバーッとCDが並んでて、そこに『BEST CRUSADERS』があったんです。当時、むっちゃ流れててビークルの存在を知りました。
ヒダカ 店員の私物だったんだね。
ノブ そうですね。
ヒダカ 石毛(輝)か(松本)誠治?
ノブ ちょっと覚えてないですけど、当時のKYARAにはHAWAIIAN6とかメロコアのバンドもよく来てて、あの当時の思い出と共に『BEST CRUSADERS』があったというか。何度も聴いて「シンセ、めっちゃええな!」と思って。
ヒダカ あんな地味なジャケットなのにね(笑)。
サティフォ 僕はやっぱり高校の頃に聴いてたインディー期ですね。『FORESIGHTS』、『SEXCITE!』を死ぬほど聴いてました。
ヒダカ “サイト”シリーズ。
サティフォ はい。メジャー期はツアーに一度呼んでもらえたのもあって、『popdod』がやっぱり思い出深いです。ツアーの移動中に車の中でよく聴いてましたね。
ヒダカ 竹内電気のデビュー直後だったっけ?
サティフォ そうですね。BabeStarからアルバム(『OK!!』)を出した直後の2008年でした。
ヒダカ とにかく誰も喋らなかったよね。
サティフォ 喋ってないですね。もうビークルのことが好きすぎて。
ヒダカ なんか暗くて冴えない奴らが来たぞ! って嬉しくなっちゃった(笑)。俺たちもぜんぜん冴えてなかったから。
──40代前半のノブさんとサティフォさんが共にLASTRUM時代の作品に愛着があるというのは何だか象徴的ですね。
ヒダカ 普通、そこからメジャーへ行くと離れちゃう人も多いのに、有難い限りですね。
サティフォ メジャーへ行っても曲のクオリティはぜんぜん変わってなかったし、僕はとにかくヒダカさんの声が大好きだったんです。なんか泣けるんですよね。エモの権化っていうか。
ヒダカ 磯部(正文)さんの真似ですよ(笑)。ハスキンのおかげです。ハスキンの初期のシングルとかを意識してビークルに取り入れたところはありますね。もともと渋谷系を通ってきた世代なので、小山田(圭吾)君やオザケン(小沢健二)みたいに唄いたかったけど、あんな声は出なかった。
──ちょっと話が逸れますが、『極東最前線』に提供した「海の原」を契機に、ハスキンが英語詞中心のスタイルから日本語の歌詞を取り入れるようになったのをヒダカさんはどう感じていたんですか。
ヒダカ 本人たちのデシジョンならぜんぜんいいんじゃないかと思いました。バンアパもそうですけど。もっと多くの人たちに届ける上で日本語で唄うという理由がちゃんとあったんだろうし。俺はそもそも多くの人たちに届ける気がなかったので。今もぜんぜんないですけど(笑)。
──それなのに、ビークルのコピーバンドをやりたいという人たちがこんなにいて。
ヒダカ みんな気が狂ってますよ(笑)。まあ、同じ人種が集まったってことですよね(笑)。
サティフォ ヒダカさんの声はネオアコみたいなオケにもめっちゃ合ってるなと思って聴いてましたけどね。
ヒダカ ネオ・アコースティックへの挑戦ってことで、GALLOWのようなユニットを頑張ってやったりしましたね。(カトウ)タロウの声で高い所を足すみたいな発想で。
──ヨシカツさんの一番お気に入りの作品はやはり『P.O.A. -POP ON ARRIVAL-』ですか。
ヨシカツ そうですね。リアルタイムだったので思い出にも残ってますし。
ヒダカ あれはジャケもいいしね。強いピンク色を基調として謎の生き物が写ってて。
──今のヨシカツさんの髪の毛もピンクですね(笑)。
ヨシカツ はい。あのジャケから抽出してこうなりました(笑)。
ヒダカ 俺の影響?(笑)
ビークルのスプリットシリーズの形式をcinema staff×アルカラのスプリットEPで踏襲
──クノさんも思い入れが強いのは『P.O.A. -POP ON ARRIVAL-』以降ですか。
クノ リアルタイム性でいうと『P.O.A. -POP ON ARRIVAL-』ですけど、衝撃的だったのは3枚のスプリットシリーズなんです。YOUR SONG IS GOODとの『BOOOOTSY』、TROPICAL GORILLAとの『CELL No.9』、ASPARAGUSとの『NIGHT ON THE PLANET』。メジャーでこんな痛快なことがやれるんだ?! と思ったし、その3枚のおかげで聴く音楽の幅も広がりました。cinema staffでもそういうのを真似したくて、アルカラとスプリットEP(『undivided E.P.』)を出したんです。あれはビークルから教わったスプリット文化の賜物で、僕らも同じことをやりたくて。
サティフォ 収録曲のバランスもいいんですよね。コラボ曲あり、新曲あり、お互いのカバー曲ありで。
クノ そうそう。僕らもアルカラとのスプリットで丸々同じことをしたんです。
ヒダカ あのスプリットシリーズはパンクマナーを無理くりメジャーに押し込んだので、ソニーに理解されるのに凄く時間がかかったんですよ。現場のスタッフはインディーズ好きな連中が多かったけど、賛同が得られない上の人たちを説得するためにこれまでの売れた実績をアピールしたり、予算を抑えめにしたりして。あの3枚は本来1枚で録る予算で制作するみたいな発想でしたね。
──先ほどクノさんが音楽を掘る(ディグる)ことの大切さをビークルから学んだという話がありましたが、ヒダカさんにお勧めされて良かったと思えた音楽とはたとえばどんなものですか。
クノ ヒダカさんの選曲・監修のコンピ(『COMPI CRUSADERS ’68~’77 vol.37』)に太田裕美さんの「木綿のハンカチーフ」(シングル・バージョン)が入ってたんですけど、僕は世代じゃないから知らなくて、めっちゃいい曲だなと思って。
サティフォ あと、BEATLESよりもMONKEESという価値観。MONKEESのことはぜんぜん知らなかったので。それとBEACH BOYSとか。僕は古い洋楽をまったく通らずに来たので、ヒダカさんの啓蒙を通じてそういう音楽に出会えたのはとても新鮮でした。
ヒダカ そもそも洋邦のバランスが取れてるリスナーってわれわれの時代は少なかったし、当時は基本的にハードロックやプログレを始めとした洋楽至上主義でしたし。そういうひと世代上の偏屈おじさんたちに対して日本のロックだって格好いいんだぜとどんなふうに知らしめるかが凄く難しかった。
──TEARS FOR FEARSやジョージ・マイケルといった洋邦のメジャーどころもちゃんと押さえつつ、たとえば日本のオルタナティブ・ロックバンドも参加した『YOYO A GO GO』のようなオリンピアのインディーフェスのコンピまでもれなくチェックしている振り幅の大きさとバランス感覚がヒダカさんの絶妙なセンスのように感じます。
ヒダカ 沢田研二とbloodthirsty butchersを並列で聴けるっていうね(笑)。そんなのたぶん俺くらいでしょうし、そもそも俺自身、気が狂ってるんです(笑)。太田裕美さんとCLASH(「JANIE JONES」)を同じコンピに入れるくらいですから(笑)。
クノ あと、ヒダカさんが着てるTシャツのバンドを聴いたりもしました。CIRCLE JERKSとか。
ヒダカ 当時はビリー・アイドルがやってたGENERATION XのTシャツとか好んで着てたね。
サティフォ ヒダカさんが凄いのは、オマージュの元ネタに独自のエッセンスを加えるところなんですよね。
ヒダカ イントロはわかりやすくDEVOっぽいんだけど、その次に来るメロディが違うとかね。こっちはあくまでパクリじゃなくオマージュでありパロディなんで、そもそもバレてもいいっていうか。お客さんに訊かれたら「ここは×××のオマージュだよ」って当時は普通に答えてたし。
クノ 『MUSICRUSADERS』っていうカバーアルバムも一通り聴いてから気に入った曲のオリジナルを聴いたんですけど、原曲に忠実ってわけじゃなく、ちゃんとビークルなりの捻りがあるんですよね。
ヒダカ ボズ・スキャッグスの「WE’RE ALL ALONE」もぜんぜんちゃうやん! だしね(笑)。
サティフォ ALLのトリビュートアルバム(『IT’S GONNA BE ALLRIGHT』、ビークルは「LONG DISTANCE」をカバー)を聴いてオリジナルを聴いたり、WEEZERのトリビュートアルバム(『ACROSS THE SEA A TRIBUTE TO WEEZER』)にNATSUMENとヒダカさんが参加した曲(「SURF WAX AMERICA」)を聴いてNATSUMENを知ったり、ヒダカさんを触媒にして広がりが生まれるんですよね。
ヒダカ NATSUMENはマシータが在籍してたバンドで、リーダーのAxSxE君がその前にやってたBOATってバンドが凄すぎたし、もっと聴いてほしい気持ちもあったんですよ。こっちが売れて注目を集めてるならその力でもっといい音楽を知ってほしいっていう、やっぱりそれも啓蒙ですね。全部オーケンさんのせいです(笑)。
──ヒダカさんがLD&K RECORDSの社員として働いていた時代の視点が活きた部分もありますよね。
ヒダカ そうですね。裏方仕事の視点もありつつ、自分もバンドマンなのでバンドが一番恵まれないともったいないっていうか。その感性でよくメジャーに行けたなと思いますけど(笑)。
クノ しかも当時のメジャーって、今よりずっとメジャー感がありましたよね。
ヒダカ 今よりぜんぜんパワハラな時代だっただろうし、ずっと衝突してましたね。どっちかって言うとこっちがパワハラしてたかもしれないけど(笑)。35歳でソニーからメジャーデビューしたので、大概の社員より俺のほうが年上だったんです。だからいま思えば威張り散らかしてたかもしれない。当時のソニー社員の皆さん、ごめん!(笑)
なるべく身軽にやりたいし、泣かれると困っちゃう
──そもそもの話なのですが、一角のキャリアを積んだ上でコピーバンドをやるのはある種の身軽さというか、ちょっと無責任かつ無邪気でいられるのが醍醐味みたいなところがあるのでしょうか。
ヒダカ 俺はまさにそういう感じで楽しませてもらってます。
サティフォ 単純に好きな音楽を演奏できるっていうのが楽しいですね。各自、いろいろ経た人たち……付き合いもみんな長いので、この面子でいまこうしてやれてるのが凄く楽しいです。
──30代後半、40代にもなって敢えてコピーバンドをやる面白さもあるんでしょうね。
ヒダカ そもそも40代、50代でやるもんじゃないからね(笑)。
サティフォ 20代、30代前半の頃はみんなメジャーで世に出て、コピーバンドをやる環境なんてなかったけど、それも一旦落ち着いて、それぞれ好きなことをいい塩梅でできるようになった時期なのかなと思います。
ヒダカ ちょっとパパ会みたいな感じだよね。子育てが一段落して好きなことをやれるパパ友同士みたいな(笑)。
──ヒダカさんとしては、STARBEMSという本体があるからこそできる本気の余興といった位置付けでしょうか。
ヒダカ とにかく責任を負いたくないんで。ビークルに関しては(笑)。
──コピクルでお面を作らないのも責任を負いたくないからですか?
ヒダカ そういうことです。もうホントに身軽にやりたい。SATURDAY GOOD-BYESをやって反省したのは、ライブで泣くお客さんがいるんですよ。こっちは楽しいだろ? と思ってやってるんだけど、泣かれると困っちゃう。だからなるべくエモくならないようにしたいなと。
クノ どうしたらエモくならなくなるんですかね? 全部新曲でやるとか?(笑)
サティフォ 新曲をやったら、もはや何のコピーなのかわからない(笑)。
──STARBEMSの楽曲がビークルの延長線上にあるのは確かですが、パンクやラウド感の含有率で大きな化学変化が生じますよね。
ヒダカ 基本は同じ人間なのでそう大きな変化もないっちゃないし、STARBEMSに関してはパンク感を強めてるだけみたいな。ドリンクバーでジュースを混ぜる配合を変えてるだけみたいな感じというか。気持ちとしてはそんなに変わらないんですけど、まあ有り難いことですよね。ビークルの曲は自分が好きなものも多いし、それを人前でやれる機会を与えてもらったのは有り難い。しかも何の責任も負わずに、ギャラもいいだなんて(笑)。
ヨシカツ そこが見出しになっちゃいますよ(笑)。
──9月14日に行なわれる新宿LOFTでの演目はもう決まっているんですか。
ヨシカツ 曲目は固まってます。
──ライブでやれない曲はあるんですか。
ヒダカ この5人なら大丈夫だと思いますよ、技術的には。
──当時レコーディングはしたものの、ライブでやらなかった曲はありましたか。
ヒダカ つまんないからやらなくていいか、っていうのはありました。UMUの曲とか(笑)。メジャーに行ってからはないかな。一応、一通りライブでやってるはずです。
──今後についてですが、ノブさんが渉外担当となってライブのオファーを受ける感じですか。
ノブ そうですね、はい。
ヒダカ おそらく話を受けた人が担当するみたいなことになるんでしょうね。誘われた経由みたいな。ヨシカツが誰かに誘われたらヨシカツが仕切るっていう。
──では、気軽にライブに誘ってくださいと書いても大丈夫ですか。スケジュールさえ合えばということで。
ヒダカ NGは別にないですね。
クノ おッ! やった!
ヒダカ マンウィズは早く俺たちを呼べよって感じですけど(笑)。
──今度のLOFTはONIGAWARAとの対バンですが、ワンマンは時期尚早であると?
ヒダカ このタイミングでワンマンをやると重くなるだろうし、みんな泣くでしょ?
クノ 泣き防止の対バンですね(笑)。
ヒダカ こっちはヘラヘラしながらやりたいので。お客さんに泣かれるとそうもできないから(笑)。まあ、ヘラヘラしますけどね。知ったこっちゃないんで(笑)。
サティフォ とりあえずONIGAWARAが全力で涙をストップさせておきますんで(笑)。
ノブ 泣いてる人がいたらそこへ目掛けて僕がダイブして、フロアをむちゃくちゃにします(笑)。
ありきたりなことをやってもつまらないし、ビークルらしくない
──先日の『FORTY DEGREES JAPAN』もビークルの活動時を知らない若い世代に向けた格好のアピールの場になったでしょうし、楽曲の普遍性も高いので、コピクルの活動は新たなファンを獲得することになるのでは?
ヒダカ いま20代前半の子だと親が聴いてたとか、アニソン経由で知ったとか言われることがけっこう多くて、こっちは凄くラクなんですよね。その子たちにはビークルに対するエモさがないから。純粋に曲の良さで聴いてくれてるので。そういう若い人たちにもコピクルのライブを観て欲しいけど、どうなんだろう?
──若い世代は60年代の曲でも新曲として聴けるフラットさがありますよね。
ヒダカ 自分もそういう聴き方を10代の頃からしてましたから。BEATLESなんてとっくに解散してたし、エルヴィス・プレスリーも亡くなってたし。それでもフラットにエルヴィスの曲を聴いていいなと感じてた。ビークルに対してもそれくらいの軽いスタンスでぜんぜんいいというか。もちろん俺だってリアルタイムで好きだったバンドが再結成したらエモくなるだろうし、その気持ちもわかるけど、自分のことになるといろいろ面倒くさいんで(笑)。
──そもそも湿っぽくなるのはビークルに似合いませんからね。
ヒダカ うん、そこが一番デカいかもですね。
──話しながらいろいろ決まりましたね。バンドの略称はコピクル(またはピークル)、リーダーはサティフォさん……。
サティフォ 違います!(笑)
──あと決まってないことは?
ヒダカ リリースですかね(笑)。
──オリジナルメンバーが在籍するコピーバンド自体が異例なのに、まさかのリリースまで(笑)。
クノ これで新曲が出たらコピーバンドじゃなくなりますよね。コピーバンドとは何なのか? という問題提起になる(笑)。
ヒダカ 世間に対してあえてそういう揺さぶりをかけたい気持ちもあるけどね。常人のすることはしたくないし、俺は世間が許す限り狂人でいたいので(笑)。
──バンド継続にあたり、ヒダカさんを支えるみなさんはプレッシャーみたいなものはありませんか。
サティフォ もう怖くないですね(笑)。
クノ 最初はビビりましたけどね。ホントにヒダカさん来るんだ?! みたいな(笑)。
サティフォ 最初にリハに入ったときから嬉しさしかないですね。
クノ 確かに最初から緊張よりも嬉しさが勝ってましたね。
サティフォ 曲はもう体に入りまくってるんで。
──ではリハの頻度もそれほど高くない?
ヨシカツ 曲の構成は頭に入ってるんで、ライブ前にリハを一度やれば充分かなと。ちょっと練習すれば意外とできます。
──当時のライブ映像を見てパフォーマンスまでコピーしたりは?
クノ ちょっと走ったほうがいいかな? とか(笑)。
ノブ マシータさんのドラムってめっちゃ走るもんね(笑)。
クノ 最初のライブは音源のテンポに忠実すぎてビークルっぽくないところがあったので、こないだのライブはわざと走ってみたんです。ライブ映像を見て研究して。
ヒダカ 物理的にステージを走りまわるのはノブの役目だけどね(笑)。
──今後決まっているライブは?
ノブ 今度のライブでお知らせできることがあるかもしれないので、乞うご期待! って感じですかね。
──この先、コピクルとして取り組んでみたいのはどんなことですか。
サティフォ いい曲がまだまだめっちゃあるので、機会があればいろんな曲を演奏して楽しくライブをやりたいです。
ヨシカツ 僕はコピバン初の武道館を目指したいですね(笑)。
ヒダカ オリジナル曲を一切やらない武道館(笑)。
ノブ それはむちゃくちゃ面白い! コピバンだから機材の持ち込みも最小限で、セッティングも片付けも全部自分たちでやって(笑)。
ヒダカ 武道館はスペシャのイベントで、“電気グルーヴ with BEAT CRUSADERS”として出たのが最初で最後かな(2008年3月15日に行なわれた『SPACE SHOWER Music Video Awards』)。俺としてはビークル単体で出るよりも、そういう電グルのバックバンド的なほうが嬉しかったのでぜんぜん良かった。この中で武道館に単体で出てるのはヨシカツだけ?
ノブ telephonesもやってます。結成10周年のときに。
ヒダカ そうだった。経験者が2人いると心強いね。じゃあ仕切りはヨシカツで(笑)。
──ビークルのライブで最大キャパはどこだったんですか。
ヒダカ Zepp Tokyoかな。『ROCK IN JAPAN FESTIVAL』のメインステージで3、4万人入ってるのを見ると、武道館は別にいいかなとか思ったりして。
ノブ ビークルはやっぱり、SHELTER、LOFT、Zeppのイメージが強いですね。
ヒダカ その中ではSHELTERが一番好きだね。
クノ 僕はさっき話に出た、コピバン初の新曲リリースが世間的にも面白いと思う。コピバンの定義も壊したいし、どうせやるならいろんなものを壊したい。
ヒダカ いいね。ありきたりなことをやってもつまらないし、ビークルらしくないし。俺の野望はですね、コピーバンドで『ROCK IN JAPAN FESTIVAL』に出ることです。むしろ武道館よりもハードルが高い(笑)。それも一番デカいステージで。山崎(洋一郎)さんに連絡してみようかな(笑)。
SHINJUKU LOFT 50th ANNIVERSARY|COPY CRUSADERS×ONIGAWARA
【出演】
COPY CRUSADERS(Vo.ヒダカトオル / Gt.サティフォ / Ba.ヨシカツ / Key.ノブ / Dr.クノヨウヘイ / Guest Vo. 髙橋瞳)
ONIGAWARA
【日時】2026年9月14日(月)
【時間】開場18:15 / 開演19:00
【料金】前売¥5,000 / 当日¥5,500(共にドリンク代別)
※前売チケットは完売
【会場・問い合わせ】
新宿LOFT 03-5272-0382
東京都新宿区歌舞伎町1-12-9 タテハナビルB2
▼COPY CRUSADERS オフィシャルXアカウント
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