|
四人囃子は知ってるよ。 でも、レッチリなんか知らない。 最近のこの小誌(ルーフトップ)の内容がものすごく充実しすぎて、それも小さい字でびっしりと書かれていてルーフトップ編集部の収支は大幅な赤字にもかかわらず、荒木編集長以下スタッフは意気軒昂だ。それでなんでルーフトップが今、評判がいいのだろうかと考えてみた。 さて今月のテーマはやはり野外フェスティバル(フジロック)でしょ。かの有名らしい「レッチリ」を知らない私でも「四人囃子」を知らないうちの子供(高校一年)でも本当に楽しめた。わたしゃレッチリってコミックバンドたと思っていたよ(笑)。「レッチリってチャンバラトリオみたいなんでしょ?」って言ったら馬鹿にされた(笑)。このフジロックのレポートはこの小誌で荒木編集長がやると思うし、「バースト」10月号の私のコラム「日本のウッドストックをフジロックで見た!」で書いたので読んで欲しいのだが、多くの商業主義の大物でさえ出させれば儲かるロック野外コンサートの企画主体とはまさしく一線を画する画期的なものだった事、そして何よりも子供や追っかけの少女がほとんどいないのも驚きだったし、あの歴史的なウッドストックの思想を受け継ぎ、あらゆる戦争を否定し、地球環境破壊、差別
や迫害など全地球的な人類の課題までちゃんと射程距離に置いたとも言える(誉め過ぎか?)とてもすばらしい3日間であった。
さて、話は変わって何とも私はこの夏壮大な計画を立てていたのだ。それはひょんな事からその発想にとりつかれた。もう2年も前に出した私の単行本処女作「旅人の唄を聞いてくれ」(ロフトブックス刊)が未だに地味だけど少しずつ売れ続けているという代理店の一言だった。折しも友人の宮崎学が「平野、俺はこれから文豪の道にいそしむのでもう政治とかにはバイバイさ〜」と言った言葉に刺激されたのかも知れないが、またなんかリアリティのある単行本を出版したくなかったのだ。それにはどうすればいいのか考えた。そして年とか自分の置かれている状況を無視して考え出されたテーマが「この夏、赤ヘルオヤジライダーとしてバイクを操って日本の野外コンサートを総なめにし、地方都市のライブハウスを周りながら晩秋には紅葉前線を追いながら冬には沖縄にたどり着き、そこでじっくり沖縄移住計画の準備すべく行動を開始し、それらの行動計画の課程を単行本とビデオにしてみよう」と思った。この計画を実現すべく老骨にむち打っていざ出陣とバイク(スズキスカイウエーブ400)にキャンプ道具を積み込み、かみさんには来年の春までは東京には戻らないだとうと言いつつ、「相変わらずこんなつきあいきれない馬鹿な男にはいつでも三行半を・・・」と言い残し、まずは佐渡島で行われるレイブ系野外パーティー「anoyo」に参加を試みたのだが、思わぬ
バイク事故のため見事に挫折してしまった。ライブ開催前日バイクで事故った怪我は、重要な血管や骨にはラッキーなことに損傷はなかったが、やはり28貼り縫った右足は来年の春までのバイクでの「旅」の続行、そして私の多分人生最後のライフワークである沖縄コミューン計画は若干の間延期せざるを得なくなったのだ。 長渕事件(あえて私はこういう言い方をしている)は週間朝日、ダカーポ始め東スポ一面 カラーでと仕掛けまくったのがどうも歌っている本人が全く登場しないので困っている。「アメリカが育てたテロリスト・・・ビンラディンがモグラになっていまっている。戦争に正義もくそもありゃしない」と言った歌詞内容について、これって本当の事じゃん!と思うのだが、この曲が日本でヒットしたらアメリカと外交問題に発展しかねないという記事にも何のリアクションもなく、8月14日毎日新聞朝刊の「放送されない反戦歌」の記事にも無反応で長渕氏側の一切の取材拒否が続き、この歴史的な反戦歌の歌詞を長渕氏側に守る気がないと私は見たので忘れることにしたいと思うのだ。所詮こんなものよと言いながら・・・。 高校野球の決勝の夕刻、私は排気ガスが戻った東京の歌舞伎町から5分ほど離れた明治通 りを見下ろすマンションの九階でこの原稿を書き、時をおり街行く人を眺め、いつまでも続く明治通 りのトラフィックジャムを不思議そうに見ながら、夕暮れに浮かぶ魔か不思議でなんとも幻想的な摩天楼を眺め、一人ぽつねんと物思いに耽りながら家出円満別 居(笑)状態の「決起」を持って全てのしがらみを切り捨てたい衝動に駆られた自分を鑑み、50歳を過ぎて必然的に一人きりになってしまった自分を「どんな事があっても、所詮人間は孤独のうちに生まれ孤独のうちに死んでゆくのだ」と自己を納得させながら、今・・・静かに(笑)大都会の片隅に生息して傷の回復を待っている。 ロフトプラスワン席亭・平野 悠 |
| トップページに戻る |