四人囃子は知ってるよ。 でも、レッチリなんか知らない。

最近のこの小誌(ルーフトップ)の内容がものすごく充実しすぎて、それも小さい字でびっしりと書かれていてルーフトップ編集部の収支は大幅な赤字にもかかわらず、荒木編集長以下スタッフは意気軒昂だ。それでなんでルーフトップが今、評判がいいのだろうかと考えてみた。
 副編の椎名宗之(某大手音楽出版社よりヘッドハンティングかリストラされたから我が社に来たのか不明(笑)に聞いてみた。 「インディーズマガジンがなくなって、こういった中堅どころや音楽誌に無視されている元気のいいこれからのバンドを積極的に取り上げているからなんでしょうかね?(笑) 若干の広告は入っているけれど、音楽雑誌にありがちの広告取ってヨイショ記事でバーターみたいなことをしないように意識している編集方針とプラスワンのサブカルや環境や政治問題を平気でゴッタ煮みたいに取り上げているからではないですか、とにかく評判はいいです。あとこの体制をどこまで続けて行けるかどうかは赤字に悩む小林社長の判断にかかっていると思います」といささか手前味噌だが、私はいつもこの小誌を持ち歩いていて、会う人にあげると大抵喜ばれるのだ。
 特に今までこいつ字も書けないだとうと思っていたロフトに群がるロック馬鹿野郎どもが珠玉 の文章を書きはじめていてびっくりしてしまうのだ。加藤梅造、斉藤嬢、椎名副編の文章力はプロとしても通 用するとは前から思っていたが北村、畠山、荒木編集長、山田のレポートというかその雑文は実にプロっぽくなく新鮮で面 白いしフリーペーパーの大胆さでロフトグループ各店に来るお客や従業員にまで記事を書かせると言った放心が受けているのかも知れない。このフリーペーパー一冊の文字量 は毎月分厚い単行本を出版する量に匹敵する作業を毎月しているのだ。この天下御免のルーフトップは自由な言論を目指して?続いているんだけど、みなさんも満足していただけているでしょうか?  

 さて今月のテーマはやはり野外フェスティバル(フジロック)でしょ。かの有名らしい「レッチリ」を知らない私でも「四人囃子」を知らないうちの子供(高校一年)でも本当に楽しめた。わたしゃレッチリってコミックバンドたと思っていたよ(笑)。「レッチリってチャンバラトリオみたいなんでしょ?」って言ったら馬鹿にされた(笑)。このフジロックのレポートはこの小誌で荒木編集長がやると思うし、「バースト」10月号の私のコラム「日本のウッドストックをフジロックで見た!」で書いたので読んで欲しいのだが、多くの商業主義の大物でさえ出させれば儲かるロック野外コンサートの企画主体とはまさしく一線を画する画期的なものだった事、そして何よりも子供や追っかけの少女がほとんどいないのも驚きだったし、あの歴史的なウッドストックの思想を受け継ぎ、あらゆる戦争を否定し、地球環境破壊、差別 や迫害など全地球的な人類の課題までちゃんと射程距離に置いたとも言える(誉め過ぎか?)とてもすばらしい3日間であった。
 ここでのフジの企画に関わったスタッフ、心あるフジに参加したロックファンに経緯を持ちたいと思った(絶賛)

 さて、話は変わって何とも私はこの夏壮大な計画を立てていたのだ。それはひょんな事からその発想にとりつかれた。もう2年も前に出した私の単行本処女作「旅人の唄を聞いてくれ」(ロフトブックス刊)が未だに地味だけど少しずつ売れ続けているという代理店の一言だった。折しも友人の宮崎学が「平野、俺はこれから文豪の道にいそしむのでもう政治とかにはバイバイさ〜」と言った言葉に刺激されたのかも知れないが、またなんかリアリティのある単行本を出版したくなかったのだ。それにはどうすればいいのか考えた。そして年とか自分の置かれている状況を無視して考え出されたテーマが「この夏、赤ヘルオヤジライダーとしてバイクを操って日本の野外コンサートを総なめにし、地方都市のライブハウスを周りながら晩秋には紅葉前線を追いながら冬には沖縄にたどり着き、そこでじっくり沖縄移住計画の準備すべく行動を開始し、それらの行動計画の課程を単行本とビデオにしてみよう」と思った。この計画を実現すべく老骨にむち打っていざ出陣とバイク(スズキスカイウエーブ400)にキャンプ道具を積み込み、かみさんには来年の春までは東京には戻らないだとうと言いつつ、「相変わらずこんなつきあいきれない馬鹿な男にはいつでも三行半を・・・」と言い残し、まずは佐渡島で行われるレイブ系野外パーティー「anoyo」に参加を試みたのだが、思わぬ バイク事故のため見事に挫折してしまった。ライブ開催前日バイクで事故った怪我は、重要な血管や骨にはラッキーなことに損傷はなかったが、やはり28貼り縫った右足は来年の春までのバイクでの「旅」の続行、そして私の多分人生最後のライフワークである沖縄コミューン計画は若干の間延期せざるを得なくなったのだ。
 もっと私的に大問題だったのは、怪我をしてその療養のため一度は捨てた(笑)自宅にやむをえず戻ったと言うことなのかもしれない。まあ、私の家族がこの私の哀れな姿を見て冷笑したかはどうかは別 にして、これでは私の男が立たないと悲しみに明け暮れ毎日を過ごした残暑厳しいこの夏だった。とにかく今更ながら後悔先に立たずなのだが、この年を持って無理をしすぎた様で普通 怪我をして抜糸まで10日前後だというのに2週間以上かかったし、怪我からもう一ヶ月以上もたつのに未だ足の腫れは日数、まだちょっと歩くと足に血がにじむという状況なのだ。酒を飲むと夜中はずきずき痛むしあまり歩けないが毎日酒を飲んでいる(爆藁)。

 長渕事件(あえて私はこういう言い方をしている)は週間朝日、ダカーポ始め東スポ一面 カラーでと仕掛けまくったのがどうも歌っている本人が全く登場しないので困っている。「アメリカが育てたテロリスト・・・ビンラディンがモグラになっていまっている。戦争に正義もくそもありゃしない」と言った歌詞内容について、これって本当の事じゃん!と思うのだが、この曲が日本でヒットしたらアメリカと外交問題に発展しかねないという記事にも何のリアクションもなく、8月14日毎日新聞朝刊の「放送されない反戦歌」の記事にも無反応で長渕氏側の一切の取材拒否が続き、この歴史的な反戦歌の歌詞を長渕氏側に守る気がないと私は見たので忘れることにしたいと思うのだ。所詮こんなものよと言いながら・・・。

   高校野球の決勝の夕刻、私は排気ガスが戻った東京の歌舞伎町から5分ほど離れた明治通 りを見下ろすマンションの九階でこの原稿を書き、時をおり街行く人を眺め、いつまでも続く明治通 りのトラフィックジャムを不思議そうに見ながら、夕暮れに浮かぶ魔か不思議でなんとも幻想的な摩天楼を眺め、一人ぽつねんと物思いに耽りながら家出円満別 居(笑)状態の「決起」を持って全てのしがらみを切り捨てたい衝動に駆られた自分を鑑み、50歳を過ぎて必然的に一人きりになってしまった自分を「どんな事があっても、所詮人間は孤独のうちに生まれ孤独のうちに死んでゆくのだ」と自己を納得させながら、今・・・静かに(笑)大都会の片隅に生息して傷の回復を待っている。

ロフトプラスワン席亭・平野 悠
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