平野悠
Yu Hirano


 1944年8月10日、東京に生まれる。「株式会社ロフトプロジェクト」代表取締役、またの名を「ロフト席亭」。  大学時代はご多分に漏れず新左翼運動にはまり、大学をやめて郵政省に入省し、新左翼系労働運動に従事。逮捕歴3回。70年逃走、そして自立。

 71年、ジャズ喫茶「烏山ロフト」をオープン以降、東京になくなってしまったロック・フォーク系のライブハウスを開業。73年「西荻窪ロフト」、74年「荻窪ロフト」、75年「下北沢ロフト」、76年「新宿ロフト」、80年「自由ヶ丘ロフト」(ロック居酒屋)を次々にオープンさせたほか、77年にレコードレーベル「ビクター/ロフトレーベル」、94年にプロダクション「ピンクムーン」、95年にレコード店「タイガーホール」を立ち上げる。

 82年、「新宿ロフト」だけを残し、各店舗を閉鎖または暖簾分け。無期限の海外放浪に出る。5年間にわたる海外でのバックパッカー生活(100ヵ国制覇)を経て、カリブ海の島ドミニカ共和国にて市民権を獲得。87年に日本レストランと貿易会社をドミニカに設立。90年、大阪花博のドミニカ政府代表代理、ドミニカ館館長に就任。91年にドミニカ完全撤退、92年に帰国。

 91年、「下北シェルター」をオープン。94年、バンドマン100人を集めた「新宿ロフト」立ち退き訴訟イベント「KEEP the LOFT〜ででで出てけってよ〜」を日比谷野外音楽堂で開催。95年、「新宿ロフト」立ち退き裁判和解成立。同年7月、世界初のトークライブハウス「ロフトプラスワン」をオープン。97年、日本武道館にて「新宿ロフト」のオープン20周年記念イベント「ROCK OF AGES 1997」を開催。  近年では、04年にネイキッドロフト、07年に阿佐ヶ谷ロフトAとトークライブハウスを次々とオープンさせている。著作に「旅人の唄を聞いてくれ!〜ライブハウス親父の世界84ヵ国放浪記〜」(99年、ロフトブックス刊)、「ニッポン放浪宿ガイド200〜人生を変える旅、運命を変える宿〜」(05年、山と渓谷社刊)、「ライブハウス『ロフト』青春記」(12年、講談社刊)がある。また、07年には大衆音楽の発展に貢献した音楽関係者に贈られる「音楽主義AWARD」(音楽制作者連盟の設立20周年記念事業)を受賞。還暦を過ぎてこだわっているテーマとして「音楽」「旅」「政治」「脱原発」を掲げ、日々それらとふれあい続けて今に至る。