2020年2月

03(月)

黄色い肌の異常な夜

TO CLINT EASTWOOD FROM FAR EAST ISLAND


OPEN 19:00 / START 20:00

前売¥2000 / 当日¥2500
(いずれも税込・要1オーダー¥500以上)
※ご予約・お問い合わせはネイキッドロフト店頭 webにて受付中!

このイベントの予約は締めきりました。

【MC】
佐々木敦
【出演】

町山広美
五所純子
児玉美月

クリント・イーストウッドを通して考える。
アメリカ、戦争、フェミニズム、男の中の男、そしてニッポン。

ハリウッドを、いやアメリカ合衆国そのものを代表/象徴/体現しているといっても過言ではない、巨匠クリント・イーストウッド(89歳)。
西部劇のヒーロー役で俳優としての人気を爆発させたイーストウッドは、1971年、女性のストーカーに生活を脅かされるラジオの人気DJ役を自ら演じた『恐怖のメロディ』で映画監督としてもデビュー。
以後、西部劇にとどまらず、サスペンス、ノワール、ミステリー、ラブロマンス、メロドラマ、冒険映画、ロードムービー、伝記映画、戦争映画、ミュージカル、実話…あらゆるジャンルで「名作」と呼ばれる作品を残してきた。

しかし、自らの出発地点からブレないのがイーストウッドだ。
この長い長いキャリアの中で一貫して、英雄とはなにか、ひとはいかにして英雄になるのか、そして英雄になってしまった男の苦悩と悔根、その美学を追求し続けてきた。

対立する正義、矛盾しあうポリシー、出口なき葛藤。愚かな人間たちの火花がぶつかりあう「戦場」のフロンティアで、ただひとりゆっくりゆったり歩く男がいる。肉体的/精神的に致命的な傷を負いながら、愛するもののため、絶対に守るべき何かのため、己の弱さに打ち克ち、脅威に立ち向かう。望んでいないのに、いつのまにか英雄の使命を負ってしまう。
そのニヒルな微笑に、物憂げな背中に日本中の男たちしびれ続けてきた。カッコいいとは、きっとこういうことなのだろう。

本国アメリカに先駆け、「映画作家」としてのイーストウッドをいち早く発見し、歓迎し、支持してきたのはほかならぬこの日本だ。
イーストウッドと日本の因果を語るに、近年の太平洋戦争兄弟作を待つまでもなく、イーストウッドの西部劇ヒーローとしての出世作『荒野の用心棒』(1964)が黒沢明の『用心棒』(1961)の(非公式な)リメイクだったという野暮な運命論も頭をよぎる。

だからなのかなんなのか、日本でのイーストウッド信仰は、諸外国と比べてみても異様だ。例えば、トランプ支持を公言していたが、日本ではなぜかその政治性が問われることはほとんどない。戦後日本の(屈折した)保守/リベラルの垣根を、なぜかイーストウッドだけは、軽々と超越、いやむしろ包摂しているかにみえる。

確かにイーストウッドは複雑だ。まるでアメリカのように。戦争のように。セックスのように。
考えはじめると、すぐに壁に突き当たる。落とし穴にはまる。取り込まれてしまう。
こんなにも曖昧で巨大だと、このイーストウッドにこそ、あるいは日米同盟の秘密があるんじゃないか?なんて大それた陰謀論をささやいてみたい気持ちにすらさせる。

思えば『恐怖のメロディ』の直前、師ドン・シーゲルのもとイーストウッドが俳優のみに専念した最後の作品となった『白い肌の異常な夜』(1971)は、女たちから誘惑されまくるという、男なら誰もが鼻を荒げるハーレムの宴が、気持ちよくて最高なユートピアなどではなく、モテまくるのは実は地獄である、と告げたものだった。
しかし、そこで描かれた女の世界とは、あくまで男が妄想する「女の園」、男が興奮する「女の性欲」ではなかったか。

それから時代は移ろい約半世紀、イーストウッドが、誰がどう見ても「男の中の男」ではない、女にモテない“普通”の男たちを、合衆国を救った<ヒーロー>として描いたのと同じ2017年、“ガーリー・ムーヴメントの旗手”ソフィア・コッポラが、『白い肌の異常な夜』での男/女のまなざしの力学を鮮やかに反転させ、女たちの秘密の世界を「私たちの園」、「私の性欲」として活写したのは偶然だったか、必然だったか。

2020年の日本では『白い肌の異常な夜』は、『ビガイルド/欲望のめざめ』からさらにもう何周も反転するだろう。
奇しくもここでもイーストウッドは、男は、世代の異なる複数の魅力的な女たちに囲まれてしまった。
『15時17分、パリ行き』の男たちとは異なり、自分の正しさを証明するために”SABAGE(蛮族)”を設定する必要もなく、ヒーローになる必要もなしにプライドを保つ方法をすでに知っている三人の女性の論客、即ち町山広美さん/五所純子さん/児玉美月さんに、ハーレムになんてそもそも憧れてない、ニッポンの知性・佐々木敦さんをMCに迎え、極東の島国より”父なるアメリカ”クリント・イーストウッドを睨み返す宴「黄色い肌の異常な夜」が始まる。ここから始める。

 

【登壇者】
・佐々木敦(ささき・あつし)
XXX。HEADZ/SCOOL。著書多数。最新刊は『私は小説である』『この映画を視ているのは誰か?』『アートートロジー』

・町山広美(まちやま・ひろみ)
放送作家、コラムニスト。バラエティー番組を持ち場として、現在の担当番組は『有吉ゼミ』『マツコの知らない世界』『MUSIC STATION』ほか。『幸せ!ボンビーガール』ではナレーターも兼任。映画レビューも連載「In Red」「アンドガール」など女性誌を中心に多数執筆。著書に『イヤモスキー〜イヤヨイヤヨモスキノウチ大全〜』(文春文庫)など。イーストウッド論でキネマ旬報デビュー(2月上旬号)!

・五所純子(ごしょ・じゅんこ)
文筆家。著書に『スカトロジー・フルーツ』(天然文庫)、共著に『虐殺ソングブックremix』(河出書房新社)、『1990年代論』(河出書房新社)、『心が疲れたときに観る映画』(立東舎)など映画・文芸を中心に多数執筆。サイゾーで「ドラッグ・フェミニズム」、I-D Japanで「映画の平行線」を連載。

・児玉美月(こだま・みづき)
映画執筆家。「トランスシネマにおけるトランジションの考察」 (トランスジェンダーを主題とする映画の表象分析)で大学院修士論文を執筆。リアルサウンド映画部、映画芸術ほかで批評を執筆。