2024年6月

17(月)

映画木っ端微塵・死


OPEN 18:30 / START 19:00

配信視聴
¥1,500 ツイキャス購入
視聴、購入は7/1(月)まで
配信中の投げ銭(お茶爆50/100/500)も可能です!! ぜひご協力ください!!

会場観覧  ※アーカイブ視聴は当日+¥500で購入可能
予約 ¥2,000 / 当日 ¥2,300 当日券有!お気軽にお越しください
飲食代別・要1オーダー¥500以上
※現金、クレジットカード、各交通系ICカード、PayPay等でお支払い可能です。

このイベントの予約は締めきりました。

【出演】高橋ターヤン、てらさわホーク、多田遠志

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ウワッ死んだ!

やれ"死は救済"だの"死は平穏"だのと死んだこともない人たちは言いますが、今回は別に生命活動の停止を哲学的に語ろうというわけではありません。

大事なのは大抵の場合、映画においては登場人物が死ぬシーンは大きな見せ場であり、派手なら派手な方が目を惹くということです。

スラッシャー系映画では「えー今!?」とか「えーそんな形で!?」あるいは「そんなモノ(武器等)で!?」といった、工夫を凝らしたいわゆる"ビックリ死"は映画そのもののクオリティを左右するものでありますし、憎くて憎くてしょうがないクソヤロウが惨め極まりない死に方をするシーンでは”ざまあ!”の一体感が心地よく劇場を包み込みます。

主要な登場人物が死をもって退場となるようなシーンではそれまでの劇中での思い出がフラッシュバックし、友達を失ったような喪失感に包まれることもありますし、はたまた主人公の死でバツン!と終わる映画もインパクトがあります。
これらは全て、死とは何であるかを誰もが認識していて、さらにはその重みを重々承知しているからこそ、作り手は物語創りに活かしているゆえであります。たとえモブキャラが雑に死ぬシーンであっても、そこに死が存在したということはインパクトとして視聴者の心に残るものです。

ということで、映画における"すごい死"をガシガシ紹介しつつ「しかしあれだね、死ってのは怖いね」とか「死ぬってヤバいよね」等々の具にもつかないような感想を抱こう!というイベントです。
明日また、生きるぞ!