池畑潤二
日本屈指の剛腕ドラマーが亡きソウルメイトへ捧げる豪華絢爛なロックンロールショウ、そこに集いし雄鶏たちの人生交差
2026.06.30
ロフトは好きだったね。とにかく当時のロフトへ行けば誰かしらいたし、何をするにもロフトだった
新潟県湯沢町の苗場スキー場で開催される日本最大級の野外音楽フェスティバル、『FUJI ROCK FESTIVAL』(以下、フジロック)が今年も7月下旬の3日間にわたり開催される。数々の名バンドを渡り歩き、セッションドラマーとして幾多のレコーディングやライブサポートに参加してきた日本屈指の剛腕ドラマーである池畑潤二は、苗場食堂のオープニングバンドとして出演する苗場音楽突撃隊、苗場を通る国道17号にちなんで命名されたROUTE 17 Rock’n’Roll ORCHESTRAのバンマスとして表舞台に立つ傍ら、スタッフの一員として会場内の舞台設営や資材搬入などを手伝っていることで知られる。トップミュージシャンが結集する今年のROUTE 17は、長年MCとしてフジロックを盛り立ててきたスマイリー原島を哀悼し、大江慎也、甲本ヒロト(ザ・クロマニヨンズ)、浅井健一、トータス松本(ウルフルズ)がゲスト参加。また、ギタリストの花田裕之、ベーシストの井上富雄が参加することから、ザ・ルースターズのオリジナルメンバー4人が12年ぶりに再結集することでも大きな話題を集めている。
苦楽を共にした盟友の旅立ちが手繰り寄せた思いがけぬ旧友再会を前に、その胸中に去来するものとは何なのか。フジロックの前哨戦として行なわれる、浦田賢一(ex.サンハウス、ex.ショットガン)率いるHAKATA BEAT CLUBと苗場音楽突撃隊の対バンにはどんな意図があるのか。そして2年後に古稀を迎えるまでにドラマーとして成し遂げておきたいこととは。フジロック本番へ向けてウォーミングアップに余念のない池畑に話を聞いた。(Interview:椎名宗之)
フジロックでの本番前に苗場音楽突撃隊のライブをやる意義
──フジロックの開催が迫ってきましたが、今はその準備に追われて野球をやる時間がなかなか取れない状況ですか。
池畑 いや、普通に練習してる。でも最近は雨のせいで休みが多くてね。
──池畑さんにとって、野球は音楽と並ぶライフワークですよね。
池畑 人生の岐路に立って、野球をやるか? 音楽をやるか? という道を通ってきたからね。高校の頃は甲子園を目指すか、プロのドラマーを目指すか、どっちかだった。その両立はできなかったし、「今週はドラムの練習があるので野球の練習を休ませてください」なんて先輩には言えなかった時代だったから。
──音楽と野球の共通する醍醐味といえば、やはりチームプレイの妙といったところでしょうか。
池畑 どっちも基本は個人プレイなんだけど、みんなと連携していかないと何の結果も出せない。そういったところは同じだね。野球とドラムでは使う筋肉が細かいところではちょっと違うけど、応用が効く。今となっては野球と音楽を両方やり続けていることが随分と助かっている。ドラムは座って叩くけど、ただじっと座っているわけじゃなく、常に下半身を動かしている。そういう身体の動きは野球も同じ。守るときも打つときも止まっているように見えるけど、実は細かい筋肉を絶えず使っている。
──今年は苗場音楽突撃隊のライブが活発ですね。4月3日に浅井健一さんをゲストに迎えて行なわれた『FUJI ROCK NIGHT 2026』に続き、7月6日にはHAKATA BEAT CLUBとの対バンもあって。これは苗場を抜け出して突撃隊の存在をより広く知らしめようとの思いからですか。
池畑 実はこれまでも何度かやってるんだよね。一昨年は東京ではなく京都だったけど。苗場音楽突撃隊はちょっと特殊なバンドだし、東京と離れて地方と連携したライブをやれたらいいなと思って。こういう面白いバンドがフジロックでやってますというアピールの場になればいい。それと、フジの本番前にリハーサルを当然やるんだけど、時間があまり取れなくてね。それならフジでやる曲を事前にライブでやって、そこで身体に曲を染み込ませようと。ライブの本番自体がフジの練習というか。
──2012年にフジロックの苗場食堂で連続のステージを務めるバンドとして結成されて早14年、近年はメンバーもほぼ固定化していますし、練習の時間を増やさずとも阿吽の呼吸で合奏できるのではないかと素人目には思えてしまいますが。
池畑 東京でサッとリハーサルを済ませて本番に向かうこともできなくはないけど、フジはやっぱり特別な場所だから。新しい曲も増やして取り組んでるし。新しいと言ってもゼロから作ってるわけじゃないけど。
──選曲は変わらず、“大将”ことフジロックの創始者である日高正博さんとの共同作業なんですよね?
池畑 そうだね。さて、今年のROUTE 17 Rock’n’Roll ORCHESTRAはどうするか? と日高さんと話しながら決めていくんだけど、その中で漏れた曲がどうしても出てくる。それをちゃんとストックしておいて、突撃隊でやったりする。
──2013年に始動したROUTE 17が文字どおり大所帯のオーケストラ編成なのに対して、突撃隊は小回りが利いて駆動力もある精鋭部隊といった感じですね。
池畑 いつも「やるのか? やらないのか?」と話す日高さんの指令ですぐに動けるバンドっていうか(笑)。管楽器は一本だけだけど、最小限の人数で最大限のことをやれるバンドだね。
──フジロックの前哨戦として渋谷クラブクアトロで行なわれる『HAKATA BEAT CLUB vs 苗場音楽突撃隊』について伺います。2004年11月に福岡と東京で開催された『HAKATA BEAT CLUB』ですが、池畑さんが浦田賢一さんから打診を受けたのがそもそものスタートだったんですか。
池畑 うん。浦田さんが「ドラマーはいつも後ろに座ってるから前に出たライブをやろう」って。で、いつも前に出てるギターやベース、ホーンセクションはその後ろに立つ(笑)。
──ぼくは東京でのライブを鑑賞したのですが、浦田さん、梶浦雅裕さん、川嶋一秀さん、そして池畑さんのドラムセットが横一列にduoの舞台に並ぶのが壮観でした。『鉄腕アトム』のテーマ曲を筆頭に、50~60年代のリズム&ブルースやロックの名曲が矢継ぎ早に繰り出される圧巻のステージでしたが、もう20年以上前のライブなんですね。
池畑 俺もそう思った。まあ、“HAKATA”と言っても俺や花田(裕之)は北九州なんだけど(笑)。博多には浦田さんたちの系統であるサンハウス、照和を発祥とするフォークを含めた音楽の流れがあって、厳密に言うと北九州とはちょっと違う。でも浦田さんは福岡のどっちのミュージシャンとも交流があり、俺はどっちかと言えばサンハウス系の人たちのほうが知り合いも多かった。
──浦田さんは1978年にショットガンの一員としてデビューしていますが、当時から交流があったんですか。
池畑 なかった。ルースターズが最初に東京へ来たとき、ラフォーレ原宿でオーディションがあって(1980年4月1日に行なわれた、音楽誌『ROCK STEADY』主催のテープ・コンテスト)、そこにゲストで浦田さんたちのショットガンが出ていた。それまで初期のサンハウスの音は聴いていたけど、浦田さんが実際にドラムを叩くのを見たのはそのときが初めて。
先輩ドラマーである浦田賢一とはどんな存在か
──池畑さんにとって浦田さんとはどんな存在ですか。9歳ちょっとの年齢差があるようですが。
池畑 ドラマーとしてはタイプが違うかもしれないけど、根本はどこか似たところがあると思う。プロデューサー気質っていうのかな。浦田さんはドラムに対する探究心が強いし、鍵盤も弾けるからコード感や音楽理論を理解した上で譜面も書ける。歌も唄うしね。今度のライブでももちろん唄ってもらう。俺は叩きながら唄うタイプじゃないけど、HAKATA BEAT CLUBと似たようなことを実はそれ以前からやっていた。ルースターズをやめて九州へ戻ったときに地元のミュージシャンを集めて、自分たちの好きなルーツ音楽をセッションするというHAKATA BEAT CLUBと似たことをね。そこにアップビートでデビューする前の広石(武彦)がいたりしてさ。地元でそういうことをやった流れでレッドスティック&スペクターズというバンドを結成することになり、それが発展してゼロスペクターになった。
──浦田さんに誘われる前から、気心の知れた仲間たちとルーツミュージックを奏でるという浦田さんと同じようなアプローチをしていたと。
池畑 そのスタイルがのちの突撃隊やROUTE 17にも繋がっていくし、やってることは昔から一貫しているんだね。
──リズム&ブルースやロックの古典といったルーツ音楽を受け継いでいく豊かな土壌が福岡に根付いたのはなぜだと思いますか。やはりサンハウス周辺のディープな音楽愛好家の果たした役割が大きいのでしょうか。
池畑 俺はサンハウスの前に、村八分の影響が比重的には大きかったけどね。もちろんその後にサンハウスの洗礼も受けたけど。結局、みんなが心酔した音楽がそこだったってことじゃないかな。でも俺の場合はルーツ音楽に固執したわけじゃなく、柔軟に何でも聴いていた。新聞配達のご褒美でバイト先から貰ったラジオから流れるいろんな音楽を分け隔てなく聴いていたから。ベンチャーズも舟木一夫も一緒くたでね。ドラムを叩き始めた頃はハードロック全盛だったけど、遡ってビートルズを熱心に聴いていた頃はドラムを叩いてなかった。歌は唄えてもドラムは叩けなかったね。
──最初に手をつけた楽器はバイオリンだったそうですね。
池畑 そう。あとは大太鼓とか、ハーモニカとか笛。
──話を戻すと、池畑さんと浦田さんの共通項をあえて言えば、役者の経験があるということなんですが(笑)。
池畑 浦田さんは俺と違って片手間に芝居をやるんじゃなく、家族のためにドラムをやめて役者に専念したからね。そういう生半可なことをしない生き方は素晴らしいと思う。子育てがひと段落したところでまた一からバンドを叩き始めたのが凄い。それがHAKATA BEAT CLUBの頃で、当時はほぼ叩けてなかったところから猛特訓を重ねたっていうんだから。
──そんな浦田さんとの対バンはどんな感じになりそうですか。
池畑 多分、浦田さんは俺がROUTE 17や突撃隊みたいなことをやってるのを知らないと思う。浦田さんから受け継いだ部分がちゃんとありますよと見せつつ(笑)、浦田さんとどんなリズムの刻み合いや叩き合いをできるのか自分でも楽しみだね。
──花田さんや細海魚さんといった重複するメンバーもいらっしゃるし、選曲も似た傾向になるのかなと思いましたが、どうなのでしょうか。
池畑 楽曲については似て非なりというか、浦田さんとはビートが微妙に違うから、仮に同じ曲をやっても違う聴こえ方になると思う。今回、あえて同じ曲をやってみようかなと思ったけど、バランスを考慮してあえて外した。それに浦田さんの音楽的志向は俺よりもルーツに根差した感じだし、自ずと違いが出るんじゃないかな。たとえば同じリトル・リチャードの曲をやるにしても、俺の場合はCCR(クリーデンス・クリアウォーター・リバイバル)を経由した「Good Golly Miss Molly」なんだよ。浦田さんがCCRの曲を叩いても俺とはまた違うものになるだろうし、ドラマーとして元にあるものの微妙な違いを楽しんでもらえると思う。
──福岡発のリズムとビートの礎を築いてきた両者が相まみえるのは22年ぶりですし、本来ならフジロックでしか見られないような演目なので必見ですね。
池畑 HAKATA BEAT CLUBの後も浦田さんとは何かやろうよと言いながらやれてなかったのもあって、やっと共演できることになって良かった。でもタイミングってあるからね。やれないときに無理にやるものじゃないし、ああ、もしかしたら今かもしれないっていう頃合いみたいなものがある。ROUTE 17でもゲストボーカルの候補が何人かいる中で「今じゃないだろうな」という勘が働くから。ある瞬間にふっと「いまお願いしたらいいかもしれない」と感じる流れがある。
──八代亜紀さんや加山雄三さんをROUTE 17でゲストに迎えたときも、そうした流れがありましたしね。事前に共演する機会を経てオファーが実現したという。
池畑 そうそう。鳥羽一郎さんと突撃隊で共演できたのもその流れ。
音楽と人を繋げる橋渡し役だったスマイリー原島
──今年のROUTE 17は、長年フジロックのMCとして活躍したスマイリー原島さんへの追悼を込めたステージになると発表されています。ぼくは原島さんが亡くなった翌日に訃報を知り、ふと池畑さんはどうしていらっしゃるのだろうと検索したら、京都磔磔の餅つき大会に参加されていましたね。仲野茂さんもゲストでいらして。
池畑 そのときに原島のことは聞いていたけど、さすがにその場では誰にも言えず。餅つきが終わって、飲み終わってホテルへ帰るときに茂には話したけど。「明日、熊本へ行ってくるよ」って。
──生前の原島さんと最後に会ったのはいつなんですか。
池畑 去年の11月30日。もともとその時期に熊本へ行く予定だった。去年、苗場で会ったときに「11月に熊本へ行くから遊ぼうね」と話してて、原島も京都の餅つきに行くよなんて言ってた。最後に会った日の原島は体調がいいとは言えなかったけど、必ずまた元気になるだろうと思ってた。
──原島さんとのファーストコンタクトはいつ頃だったのでしょう?
池畑 ルースターズが野音でやったときかな。
──ARBやロッカーズも出演した野音ですね(1981年4月5日に日比谷野外音楽堂で行なわれた『野音開き100円コンサート』)。原島さんがロッカーズのマネージャーだった頃ですか。
池畑 もうマネージャーじゃなかったけど、たまたま東京に来ていたんじゃなかったかな。楽屋で大声で熊本弁を話す男がいて、「誰よお前?」って(笑)。それからずーっと会ってたね。1週間に一度は必ず会ってた。野球も一緒にしてて、リーグ優勝したときは原島が泣いて喜んでたね。
──ルーモアズ(草野球チーム)ですか?
池畑 そう。ルーモアズと言えばもともとは新宿ロフトのチームだからね。それこそ原島とはいつも一緒にロフトで遊んでた。
──原島さんとはどんな部分で波長が合ったのでしょうか。
池畑 向こうがアクシデンツで俺がゼロスペクターをやってたときかな。気づくと俺が着てた服を原島が着てるんだよ。なんで同じ服なのか訊いたら、「こないだ見て格好良かったから調べて買った」って(笑)。
──1985年頃、吉祥寺のバウスシアターでゼロスペクターとメジャーデビュー前のアクシデンツ、同じくメジャーデビュー前のSIONさんと共演したことがあったそうですね。
池畑 ああ、あったね。SIONはまだデビューしてなかった?
──テイチク/CONTINENTALのデビュー前、自主制作盤の『新宿の片隅で』の頃ですね。
池畑 バウスでやったときの写真がある。穴井(仁吉)もいたんじゃないかな。
──新宿ロフトでは1985年8月9日に『ロックンロールプレオリンピック』と題して、池畑さんが参加した山部善次郎&ミッドナイトスペシャルとアクシデンツの対バンがありました。
池畑 その当時は山善のバンドでほぼ毎週福岡へ行ってた。高速バスで。
──原島さんの功績はたくさんありますが、ルースターズに関して言えば1999年に『RESPECTABLE ROOSTERS』というトリビュート・アルバムを企画したこと、2004年にBOXセット『VIRUS SECURITY』を監修したことでルースターズの再評価に繋げたのはまさに偉業ではないかと。2002年発表のロックンロール・ジプシーズの『I』も原島さんのプロデュースでしたし。
池畑 なんかいつもいたよね(笑)。もちろんいろいろと感謝してるけど。人と人を繋いでくれる架け橋みたいなところがあったし、原島がいると音楽と人が繋がるんだよね。
──石井聰亙(現・石井岳龍)監督の『RE・BIRTH II』の中で、原島さんのクレジットが“ex.The Accidents”の他に“Friend of The Roosters”と明記されていたのがいかにも原島さんらしくていいなと思って。ビジネスとして関わる前に友人であるという。
池畑 ルースターズのメンバーはみんな社交性がないから(笑)、原島がそこをうまくリードしてくれたところはあるね。
──今年のROUTE 17は原島さんへ捧げるステージにしようと、今年の頭にはすでに決めていたんですか。
池畑 それまで考えていたプランもあったけど、訃報を受けて切り替えた。ここでやるしかないなと。そこから方向性を定めて、常連の(甲本)ヒロトやトータス(松本)に声をかけて。ベンジーは4月のクアトロの時点ではまだ明確に伝えてなかったけど、あとでこっちの希望を伝えたら「もちろん大丈夫ですよ」と快諾してくれて。みんな忙しいなか引き受けてくれて本当に有難い。
──原島さんが亡くなった後のヒートウェイヴのツアーでは、アンコールでアクシデンツの「雨のメインストリート」をやっていると伺いました。
池畑 うん。アクシデンツと聞いていつも思い出すのは、九州で流れてた車のタイヤのCM。お、やったね、CMに起用されたんだ? と思っていたら、いつからかバンドのクレジットが消えたんだよ。タイヤのCMにアクシデンツ(事故)とは縁起でもないってことらしくて(笑)。
ルースターズの曲をやるにはいつもよりレベルを上げないと追いつかない
──そして今年のROUTE 17は、ルースターズのオリジナルフォーが同じステージに立つことがSNSで大きな話題となっています。4人が揃うのは2014年のフジロック以来、12年ぶりとなりますが。
池畑 もちろん原島のこともあるけど、これもまたタイミングっていうか。他のメンバーはわからないけど、自分の中では何か動きがあるときは同じ方向へ行けるように準備を整えてる。最初はどうかなと思ったけどね。4人が揃う形になればいいなとは思っていたけど。
──井上(富雄)さんのスケジュールがよく合ったなと思いまして。ご自身のプロジェクト以外に布袋寅泰さんのツアーでもお忙しそうなので。
池畑 ROUTE 17の翌日が群馬なんだよね(『HOTEI FES』)。ウメズ(井上のこと)にスケジュールを訊いたら「前日はリハーサルだから難しい」ってことだったんだけど、群馬なら苗場まで車で1時間か1時間半で着くだろうって(笑)。でもうまいこと前日のスケジュールが空いたみたいでね。
──ロックの神様の思し召しでしょうか。
池畑 少し調整すればできるだろうと思っていたから。可能性がゼロならしょうがないけど、せっかくの機会だからね。
──大江(慎也)さんとは、熊本での原島さんの葬儀で久しぶりにお会いになったと伺いました。
池畑 うん。仲が悪いとか特にそういうわけでもないし、久しぶりに4人で集まってやるのに大した問題はないと思ってる。フォーマルな感じっていうか、最初の野球の話と同じで、個々人はちゃんとトレーニングしていつでもやれる状態に整えてるからね。
──ルースターズの物語がいまだ完結することなく続いているのがつくづく面白いなと感じます。2004年に22年ぶりに集まったオリジナルフォーが落とし前をつけるためにフジロックで解散ライブを行ない、それ以降、不定期に再集結を繰り返し、さすがに雄鶏の歩みもここまでかと思っていたところへ4人がまた交差する機会が訪れるとは。
池畑 それも野球と同じ。高校のときは甲子園を目指していたけど、途中で音楽の道を選んだ。その一方、甲子園へ出場した先輩やプロになった人もいた。それがここへ来て、甲子園の出場経験のある人や社会人野球で実績を残した人と一緒に野球をやっている。高校のときに終わったと思っていたものが不思議と続いている。野球も音楽もやれば繋がっていくものだなと思うね。
──まさに継続は力なり。
池畑 ルースターズの4人は誰も音楽をやめてないし、ずっと続けてるからね。もうみんな年だからいつまでも若いときのままとはいかないけど、今は若いときとは違うエネルギーの出し方ができるから。それは4人とも同じだと思うし、集まれば自然とまとまれるんじゃないかな。
──毎年のことながら、ROUTE 17や突撃隊のレパートリーは大変な数にのぼるのでしょうね。
池畑 ROUTE 17では通常、20曲くらいの中から絞り込む。ROUTE 17に関してはゲストボーカルありきなので、そのボーカリストがどんな歌を唄いたいかを優先する。以前はこちらから提案することもあったけど、レギュラーに近い感じの人だとある程度選曲してくれる。だいたい12、3曲になるのかな。突撃隊は苗場食堂で3日間やるし、1日につき13、4曲くらいやれば40曲くらいにはなる。深夜はどん吉パークで3日間やるし、全部で100曲まではいかないけど、選曲から漏れるものも含めて延べ数は100曲くらいになるよね。
──それを何年もやり続けるのは至難の業ですね。
池畑 やり終えてしまえばなんてことはないんだけど、それまでに費やす時間と労力がだいぶある。1曲を決めるのも簡単なことじゃないし、「はい、これとこれとこれでいこう」と即決はできない。去年のフジが終わった時点から考えているはずなのにね。とにかくやることが多いので、ここ何年かはフジで他のライブをほぼ見れない。午前中はずっと譜面を見ているし、一つの演奏が終わればすぐ次の準備に取り掛からなくちゃいけない。
──それでも池畑さんはバンドマン兼スタッフとしてフジロックに関わり続け、もはやライフワークと言っても過言ではありませんよね。
池畑 結局、そういうのが好きなんだね。フジはただライブをやるのではなく設営もあるので、開催前の2週間くらいは音楽と向き合う時間が取れない。苗場で泊まり込みして作業をするから。今はその設営期間に3回くらい東京へ戻ってドラムを叩くことに集中する。以前は本番直前に東京へ戻ってリハーサルをやっていたけど、本番までの2週間のうちにしっかり叩いておかないと感覚が鈍ってしまう。
──去年から今年にかけてはヒートウェイヴのツアーや突撃隊のライブもあり、例年に比べるとコンディションをキープする機会には恵まれていたのでは?
池畑 そうだね。ただ今年はルースターズがあるから。いつもと違ってもう一段階、二段階くらいレベルを上げないと追いつかない。ルースターズみたいな曲をやるとなるとね。とはいえ基本はROUTE 17だし、その中にうまく溶け込んでもらうような感じにはするけどね。
音楽も野球もやり続ける限りは終わりがない
──今年の10月にオープン50周年を迎える新宿ロフトについても聞かせてください。池畑さんと言えばとかくルースターズのことばかり注目されますが、1985年から翌86年にかけては山善さんのバンドとゼロスペクターとして何度も出演していただいていました。1985年11月29日、30日には『DYNAMITE KICKS・池畑潤二2DAYS』というイベントも行なわれていたり。
池畑 ああ、あったね。ロフトと言えば、ルースターズのテープを最初に持っていったのは俺なんだよ。ロフトに出るために昼のオーディションを受けないといけなくて、そのためにマネージャーだった石飛(智紹)か誰かとテープを持っていったんだ。
──それが1980年10月27日のロフト初出演に繋がると。当時は客としてロフトへ行くことはありませんでしたか。
池畑 なかった。昼間のロフトにテープを渡しに行ったのは、もう上京した後だったと思う。
──東京での初ライブはルイードでしたね(1980年7月5日)。
池畑 そう、ルイードが先だった。ルイードでそれなりにやれるようになったので、次はロフトだと。
──ARBなどロフト常連バンドとの交流は?
池畑 当時はよく知らなかった。その前のリンドン(田中一郎が在籍していたバンド)は中学のときに聴いたことがあったけど。
──1985年当時のロフトのスケジュールを見ると、「ゼロスペクター(Dr.池畑潤二)」「山部善次郎&ミッドナイトスペシャル(Dr.池畑潤二)」といった出演表記なんです。つまり池畑さんの名前を出したほうが集客に繋がると当時のロフトは考えていたんじゃないかと思って。
池畑 そうなのかな? 当時は蟹江(信昭)ちゃんが店長の時代だよね。
──そうですね。当時のバンドブームについては、その渦中にいながらどんなことを感じていましたか。
池畑 アナーキーやARBでロフトの集客を競い合って、もちろんそこにルースターズも入り組んで、誰がトップか? なんて鎬を削ってた。でも当時はその次の景色を見ていたんだろうな。この先どうなるんだろう? って。でも多くのバンドはそうなんだろうけど、それくらいだと自分たちがどの地点にいるのかまだわかっていない。ルースターズもルイードやロフトの後に久保講堂とかでライブをやったりしたけど、特に何かが変わるわけじゃなかった。動員が増えて注目を集めつつあるのは感じていたけどね。
──さまざまなセッションドラマーとして活躍した後は柴山俊之さん率いるRubyでもロフトのステージに立っていらっしゃいますし、ロフト40周年の際には『ROCK OF AGES 2016 〜big beat together with spirits, stay alive〜』と題したスペシャルイベントをロフトと共同プロデュースしていただきましたし、半世紀近くにわたってロフトと関わり続けてくださるのが本当に有難いことで。
池畑 シゲ(ロフトプロジェクト前代表の故・小林茂明)の存在も大きかったね。シゲも一緒に野球をやってたし、あいつに「ロフトの周年で何かやってもらえますか?」とお願いされると断れなかった。ロフトは好きだったね。思い出がいっぱいある。小滝橋通りからの移転候補として初台とか笹塚方面があって、その設計図を見せてもらったこともある。とにかく当時のロフトへ行けば誰かしらいたし、何をするにもロフトだった。あの時間は何だったんだろうね? まあ、他にやることもなかったし(笑)。
──原島さんやシゲさんといった仲間の旅立ちに直面するたび、あとどれくらいドラムを叩けるだろう? と考えることはありますか。
池畑 70歳くらいまでは叩きたいと思っていたけど、もうすぐだよね(笑)。
──池畑さんの満50歳を祝した『BIG BEAT CARNIVAL』の開催が2008年、もう18年前ですからね。2年後は古稀の盛大なイベントをやろうと考えていますか。
池畑 何も考えてない。そもそも50になったのがついこないだみたいな感覚だから(笑)。
──53歳で苗場音楽突撃隊が始まり、54歳でROUTE 17 Rock’n’Roll ORCHESTRAが始まり、その後も菊さんとのギラギラバンドやMIKA RANMARUなどにも参加しているわけですから、50代以降も濃厚濃密なドラマー人生を歩んでいると言えませんか。
池畑 そうかもね。日々ドラムを叩き続けて、「なんでこんなことを若いうちに気づかなかったんだろう?」という発見がいまだにあるから。やればやるだけ叩けるようにもなるし。若いときにしかできないのは技術的なものじゃないから、特にツールを持たなくても闇雲な力とエネルギーだけで行けてしまう。今は歳を重ねたからこそそうしたツールが必要になってくるとは思うけど。でもルースターズをやるには若いときのような力とエネルギーが必要で、自分の中のギアをだいぶ上げないとああいう演奏はできない。そういう怖さに似たものをよく理解してるから覚悟はしている。
──これだけの長いキャリアの中でソロ名義の作品、ジャズで言うところのリーダー作品を発表しようと考えたことはありませんか。
池畑 ないことはないけど、いまだに考えがまとまらない。あと、自分なりのドラムの極意みたいなものを若い世代へ伝えたい思いもある。それもどんな形がいいのか模索してる。そういうのを70歳までの目標にしようかな(笑)。
──当座の目標は満足のいくライブを一本でも多くやることでしょうか。
池畑 自分の中ではドラマーとしていろいろと試しながらやりたいことがまだいっぱいあるんだよ。その感覚は一つのことをやり続けている人なら誰しもわかると思うし、やり続ける限りは終わりがない。
──やり続ける限りは終わりがないのは野球も同じでしょうか。
池畑 そうだね。野球は走れなくなったら終わりかなと思ってる。そのために多少のトレーニングはするけど、それで身体が動くようになると必要以上に動かしてしまうから、怪我のリスクが逆にまた高まる。動かないほうが怪我のリスクが低くて、動くがために怪我をしてしまうだなんて、実に悩ましい問題だね(笑)。
HAKATA BEAT CLUB vs 苗場音楽突撃隊
【出演】
HAKATA BEAT CLUB:浦田賢一(Ds)/ 池畑潤二(Ds)/ 藤井尚之(Sax)/ 花田裕之(Gt)/ 細海魚(Key)/ 山口洋(Gt)
苗場音楽突撃隊:池畑潤二(Ds)/ 花田裕之(Gt)/ ヤマジカズヒデ(Gt)/ 細海魚(Key)/ 青木ケイタ(Sax)/ 隅倉弘至(Ba)/ TanyHoliday(Vo)/ ゲストボーカル:釘屋玄(暴動クラブ)
【日程】2026年7月6日(月)
【時間】開場18:00 / 開演19:00
【料金】前売¥8,000 / 当日¥8,800 / 学割チケット¥3,000
*学割チケットは当日券のみ、学生証をご提示ください。
*ご入場時ドリンク代¥600が別途必要です。
*渋谷クラブクアトロ、イープラス、チケットぴあ、ローソンチケットでチケット発売中
【会場・問い合わせ】渋谷クラブクアトロ 03-3477-8750
FUJI ROCK FESTIVAL 2026
【出演】
ROUTE 17 Rock’n’Roll ORCHESTRA
feat.大江慎也, 甲本ヒロト, 浅井健一, トータス松本
“THANKS, SMILEY HARASHIMA”
《メンバー》
池畑潤二(Ds)
花田裕之(Gt)
ヤマジカズヒデ(Gt)
細海魚(Key)
井上富雄(B)
隅倉弘至(Ba)
梅津和時(A.Sax)
田中邦和(T.Sax)
タブゾンビ(Tp)
青木ケイタ(B.Sax)
丈青(Pf,Key)
スティーヴ・エトウ(Per)
タニーホリデイ(BackingVo)
《MC》
クリス・ペプラー
【日程】2026年7月24日(金)
【時間】午前11:00〜午後12:00
【会場】新潟県湯沢町 苗場スキー場|Green stage
*詳細はこちら
HEATWAVE TOUR 2026 -Mr. OUTSIDE- Complete
2026年12月13日(日)京都 磔磔
2026年12月18日(金)福岡 BEAT STATION
2026年12月26日(土)東京 duo MUSIC EXCHANGE
*詳細はこちら
HEATWAVE『Mr.OUTSIDE』
2025年4月8日発売
NO REGRETS HWNR-040
¥4,000(税込)
https://heatwave1979.stores.jp/
【収録曲】
Motorcycle
私は土地を買わないだろう
Seize the Day
ディスタンス
Empty (空)
裸足のマリー
大雨洪水警報
Money
ボーダーライン
火を熾すとき
世界は新しいものを受け入れる
Paddy’s Green Shamrock Shore
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