剛田武の地下音楽入門 第3回:ガセネタ



故・間章氏が晩年に「このバンドの為なら何でもする」と語ったバンド「ガセネタ」は、吉祥寺マイナーを中心とする東京地下音楽シーンの初期1977年~79年の2年間だけ活動して解散した。当時レコード等の音源リリースもなく、そのまま忘却の彼方に葬り去られても不思議はなかった。しかし解散から13年後、突然その存在がゾンビのように世の中に蘇ることとなった。そのきっかけは1992年に元メンバーであり当時フランス在住だった大里俊晴が著した小説『ガセネタの荒野』であった。ガセネタの結成から解散までのあらましを当時の様々な人間模様と数々のアクシデントを交えて語る自伝的ストーリーは、暴露的な内容も多々含まれ、地下音楽に興味を持つ一般読者のみならず、登場人物のモデルとし て実名で登場する関係者の間に衝撃と波紋を齎した。

自著『地下音楽への招待』でそれと同じかそれ以上の波紋を巻き起こした当事者が言うのも烏滸がましい気がするが、『ガセネタの荒野』が火をつけたお陰で、ガセネタの初音源CD『SOONER OR LATER』が1993年にリリースされる結果になったのだから、雨降って地固まる/ 諍い果てての契り/ 災い転じて福となす/ 怪我の功名 /人生万事塞翁が馬といった諺が地下音楽界でも有効なことの証である。

その18年後の2011年には『ガセネタの荒野』の復刊に併せて10枚組BOX『ちらかしっぱなし-ガセネタ in the BOX』がリリースされた。「雨上がりのバラード」26テイク、「父ちゃんのポーが聞こえる」27テイク、「宇宙人の春」17テイク、「社会復帰」11テイク、プラスその他11テイク、以上670分92テイク収録という過剰というしか無い膨大な音源は、過剰さを加速させる演奏に相応しいヴォリュームであった。更に追い討ちをかけるようにベスト盤『グレイティストヒッツ』もリリースされた。

そして2017年初頭に『Dokkiri! Japanese Indiews Music, 1976-1989 A History and Guide』の著者であるKato David Hopkinsによる『ガセネタの荒野』の英語版が出版され、それに併せて7inchシングル『ガセネタ』がリリースされた。収録されたテイクは1978年春明治大学での録音。既発音源と思われるが、アナログの太い低音により迫真性を高めたサウンドは、ガセネタの過剰な音楽を更に濃厚にコンデンスしている。

ガセネタの音楽には”パンクよりも自由な世界へ”という『地下音楽への招待』のキャッチコピーがそのまま当て嵌まる。「不失者」「ノイズ」「光束夜」など同時代の地下音楽バンドに比べてひと際性急なスピード感は所謂<パンク>に通じるが、凡百のパンクスを蹴散らす過剰な情報量と音数は、全く異なる次元に存在している。当時吉祥寺マイナーで企画されたコンサート「うごめく・気配・きず」の”東京のパンクロックはその99%がニセ物だ”というマニフェストを最も饒舌に体現していたのがガセネタと言えるだろう。これまでのリリースのすべてが『ガセネタの荒野』という1冊の書籍が”仕掛けた”復活劇という事実も興味深い。山崎春美が「言葉の人」という訳でもなかろうが。

Profile
ガセネタ:
山崎春美(vo)
大里俊晴(b)
浜野純(g) ※元連続射殺魔、後に灰野敬二の不失者に参加
村田龍美(ds)
高野(ds)
乾純(ds) ※後にザ・スターリンに参加
佐藤隆史(ds) ※吉祥寺「マイナー」店長、ピナコテカ・レコードを設立

1977年、大阪から上京した山崎春美、連続射殺魔の浜野純、大里俊晴が、園田佐登志が主宰する明治大学の現代音楽ゼミで知り合い、自称「ハードロック」バンドとして結成する。時期や参加メンバーによって「こたつで吠えろ」「て」「ガセネタ」など名前を変えながら「吉祥寺マイナー」や大学学園祭などで活動。1979年4月解散。
2015年11月17日(火)東京都 新宿LOFT「SHINDACO~死んだ子の齢だけは数えておかねばならない」にてガセネタとして復活。その時のメンバーは山崎春美(Vo)、成田宗弘(G)、松村正人(B)、乾純(Dr)。



2017年3月7日(火) 新宿ロフト
ガセネタだけGIG 「ガセネタ」(他なし)
OPEN 19:00 / START 20:00
ADV¥2500 / DOOR¥3000
ガセネタ:山崎春美(Vo) / 成田宗弘(G) / 田畑満(B) / 乾純(Dr)

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