復活46回目

宮崎学(突破者)参議院選挙運動の怪


 ちょうど20数年前、日本がバブルに酔いしれる何年か前のことだった。私は革新系無所属候補新人の世田谷区議会議員選挙の「選挙参謀」をやったことがあった。候補者自身はほとんど知名度もなくそれは全くの組織選挙とは無縁でただただ若者等の浮動票を当てにした選挙運動であった。訴えたのは、原発反対、莫大な区民の税金を使った「世田谷美術館」建設反対、砧緑地公園に野外音楽堂を作ろう!であった。推薦者はイラストレーターの黒田清太郎氏(ポスター等)、応援弁士にはポルノ監督の山本晋也氏に頼み込んだ。
 選挙カーのスピーカーからの「連呼」はやめて、ジョンレノンやジャニス、キャロルキング、マンハッタントランスファー(当時はやっていた)などを流し続け、道行く人々もバイクに乗ったあんちゃんも一緒にロックの名曲を歌ったりしてくれて走った。候補者には選挙カーにはのせず、ず〜と道路を走って貰った。
 下北沢駅等の街頭演説会では、山本監督の「選挙に受かったら、みんなでポルノを見よう!」などほとんど冗談で、駅周辺の会場は黒山の人だかりで観衆は沸きにわいた。「趣味ー漫画とプロレス」なんてフレーズは若い連中には大受けだった。でも、「こうい聴衆の若い奴は選挙には行かないだろうな〜」とは思ってはいたのだが。あまりの「評判の良さ?」に「これはもしかしたら受かるかも知れない?」と思ったもんだった。しかし、選挙当日は曇りのち雨、投票率は30%も行かなかった。選挙結果は無惨にも800数票しか取れなく惨敗した。そう、狙っていた若者層はほとんど選挙に行かなかったと言う訳だ。選挙なんてそんなもんだと実感した。
 2001年なんとも蒸し暑い7月下旬、宮崎学が私の事務所にやって来た。
「平野、今度の参議院選挙の事なんだけど、出馬するので応援をよろしく頼む」と宮崎学は言う。
「俺は、もう選挙なんか20年も行ったことがない。そもそも俺は選挙は嫌いなんだけど、困ったな〜それは宮崎さんの決定ですか?」「うん決定だ。それでお願いというのは、俺が選挙に出馬出来る環境を作って欲しい」
「でも、当選する可能性はあるのですかね?」
「う〜ん、それは無きにしもあらずだが、俺の本は合計100万冊以上売れているわけだし、当落すれすれまでは行くのではないか、今回の小泉、田中異常人気で、著名人はみんな逃げ腰になっているし、俺が出馬しなければならない事になってしまったんだ。みんな小泉ファシズムにだまされているわけだし、これを何とかしたい……。」
「で、どこから出るんですか?」
「新党 自由と希望だ」
「えっ、元国家公安委員長の反創価学会一色の白川の所ですか? 俺、どうもあの候補好きではないんだけれど……解りました、とりあえず、”宮崎学出馬せよ!”の勝手連を立ち上げ、ホームページとプロモーションビデオを作りましょう。電脳突破党のまさにインターネット選挙ですね」と答え、私はネット上に「歌舞伎町魅惑の勝手連」を立ち上げ、宮崎選挙に好むと好まざるを得ず参加する事になった。これも「渡世の義理」だと自分を納得させた。
 しかし、いざ選挙戦にに突入してみると、マスコミは白川、宮崎氏は完全泡沫候補扱いだった。宮崎がこの選挙に立候補しているのも知らない人が選挙戦後半になっても、ものすごく多い状況だった。ポスターもほとんど張られていないし、選挙ハガキも送れていない。更に、ふっと、足下を見渡して見ると、「電脳突破党」の組織は「宮崎出馬是非論」で協力しない連中が沢山いるし、選挙のプロは一人もいず、選挙事務所もない、資金もない、勝手連等のボランティアの数も少ない、あげくに、「宮崎学公安スパイ説」までがネット上で飛び交う始末だった。宮崎出馬に合わせた陰謀が働いていたのかも知れない。ほとんどのマスコミ関係者は「宮崎が受かる確率は0%、絶対ない」と言い切る。そんな情報が飛び交う中で、私は宮崎選挙を頑張る気がだんだんなくなって行った。私の疑問と宮崎に対しての不満は増大していった。腹が立っていた。それは選挙戦を全く戦える状況がないのに「当選見込み0%・・・なぜ宮崎は出馬したのか?」と言うことだった。宮崎選挙に興味が、関わる気持ちがだんだん無くなっていった。
 選挙も終盤に突入した頃、私はふっと、ある妄想に入り込んだ。それは「待てよ、私は宮崎氏とは6年のつき合いになる。突破党員にもなっている(活動はほとんどしていないが)が一番今の状況を認識しているのは本人自身であるはずだ。頭のいい宮崎には必ずなにか「秘策」かあるはずだ!と直感した。「うん、これはなんだか解らないけど、この宮崎のまか不思議な意志に乗るしかない」と思った。
 そして、投票日2日前、8月27日新宿アルタ前の最後の大演説会のプロデュースを任せるからやってくれと宮崎氏からの要請があった。歌舞伎町魅惑の勝手連はアルタ前の大演説会の準備に取りかかった。勿論これは徹底的に楽しいお祭りにするしかないと言う判断でアルタ前でロックグループやラッパーを招いて聴衆を踊り狂わせよう、アルタ前をレイブパーティ会場にしようと計画した。出来れば新宿騒乱(あるわけないか?)まで行けば面白いことになると準備を開始した。しかし、日本の「公職選挙法」はがんじがらめ(アメリカの大統領選挙の様には行かない)の古い規則ばかりで、会場にスピーカーは持ち込めないし、照明やレザー光線などは使えないことが解ってこの戦術は挫折してしまった。
 しかし、演説会はやるしかない。宮崎候補の応援弁士には、ターザン山本、だめ連、PANTA、今井亮一等の人たちが参加を約束してくれた。司会はアイドルニュースクールの金井覚氏で徹底的に選挙の面白さを追求したが、その会場に「新党自由と希望」の党本部の宣伝カー、白川候補と比例名簿の私にとっては訳の解らない人たちが入り込んできた。応援弁士と司会の金井覚氏、宮崎候補の掛け合いトークには通行人は立ち止まって大群衆となってくれるが、他の候補のつまらない演説にはだれも見向きもしない。そんなつまらない演説が長々と続く有様になってしまった。まさか白川氏達に「帰っていいよ」とは言えず、私の作戦はまたもや失敗した。何か馬鹿馬鹿しくなって、私は演説途中で逃げるように帰ってしまった。
 宮崎の選挙結果は見るからに無惨であった。いくらなんでも、20万票は行くと思っていた。宮崎得票数は1万5千ちょっと、あげくの果て党首である白川氏まで落選した。
 そして、5年間続いた異色政党「突破党」は8月15日正式解散した。選挙が終わってから私は「一体宮崎はなぜ、受かりもしない選挙に出馬したのだろか?」まさか白川を当選させるためとは理解できなかったからだ。そして私はこの不可解な”謎解き”を開始した。あらゆる情報を集めた。ついにその「謎」は解けた。まさか私が解いた”謎”をここで発表するわけには行かないし、宮崎戦略は失敗してしまったが、しかし「さすが宮崎!」とうならせる結論に達した。私は今、宮崎学を評価している。この男が大好きだ。この男の側にいると実に面白いことが沢山あって、毎日興奮している。


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