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先月、私のネット掲示板に見知らぬ女から突然の書き込みがあった。エロ小説としても実に読みごたえのある書き込み文面
にて我々はビックリ、絶句してしまった。彼女は私のことをバックパッカーの先輩として掲示板に訪ねてきた訳であるが、勿論メールアドレスもなくこの主人公は謎の人なのだが、この文面
で思わずオナニーをしてしまった掲示板の読者もいるとのことなので、またまた手抜き風の「おじさんの眼」になってしまうが、私が何か書くよりはこっちの方が全然面
白く、是非ルーフトップ読者にもお裾分けをしたいと思った訳で、こころして読んでください。この記事が本当かフィクションかはその後彼女が姿を消してしまったので確認の取りようがない。
黒人の人とも経験があります、、それよりもアフリカで、、
投稿者:美樹 投稿日:2000年8月14日(月)17時05分 [ ]
それで私が最初にアフリカに着いた時ですが、友人(女性)と一緒に回って
いたのです。入国審査を過ぎたあたりで見た物に驚きました。日本語で書かれた張り紙がいっぱいあって行方不明になった人たちを探す、家族からの依頼書でした。私たち2人はびっくりして、こんなに多くの人が行方不明になって
いるのか、どこへ行ったのか、男の人はどこかで強制労働でも強いられている
のだろうか、女だったらどうなるんだろう、昔ふうに言う、ハーレムのような
所で性の奴隷にでもされているのだろうか、と私たちは震えながら語りあいました。それから数日後、私と彼女は別
れ、一旦別々に旅行した後でまた落ち合う事になり、私は一人になってある国(特に名を秘す、、理由は後述)に着きました。空港を出て、予定していた宿泊先に何とかたどり着こうとしていると、一人の日本人青年に会いました。典型的なバックパッカー風の人ですので私は無条件に信用してしまいました。物腰もていねいだったし。
でも、これがとんでもない食わせ物だったんです。もっと安くてきれいな場所がある、と言われて行った場所は彼の泊っている下宿のような所でした。そこに行くと黒人ではない、浅黒い人たち(アラブ系?)の2人の男性がいました。そして
確か
に空いた部屋もありました。2、3日なら泊ってもかまわない、カギもあると言われて、最初は大変親切だったんですが、夕食が終わって一休みをしている
頃に日本人の青年と浅黒い2人がいきなり部屋に来たんです。そして、、それから3泊4日の間、ほとんど監禁状態のままで私はマワされ続けました。
私は自分がこんな場所でいきなり輪姦されるとはもちろん想像していなかったし、本当に強烈な体験でした。しかもこの3人は絶妙のチームワークで私を押さえ
込み、前からはもちろん、後ろからもヤラれ続け、特に浅黒い2人のモノは強烈なまでに太く、深く私につきささり、私は何度も気を失いましたが、そのたびに
起こされて、責められ続けました。あまりの強烈さに私は一番女らしいヒダの
部分とお尻の間が裂けて穴が一つにつながってしまうのではないか、と思った
ほどでした。また、私は3人のモノを順々にクワえさせられましたが、最初にそれを拒絶するとハサミを持って来て、言う事を聞かなければ丸坊主にする、と脅かされ、実際に少し髪の毛を切られました。私はすっかり観念して、3人の勢いの固まりを順番に口で受け止めながら、そうする間にも、前から後ろからハメられ続けましたが、この時ほど私は自分がメスだった、と思い知らされた時はありませんでした。私の恐れはただ、病気をうつされないか、妊娠するのではないか、という事でした。もちろん、相手はコンドームなどはつけておらず、完全にやりっぱなしで彼らは私の中で思う存分爆発し、私は前に後ろにたっぷりぶち込まれ、さらには口でも彼らの濃い樹液を一滴残さず飲まされました。浅黒い2人が主に
私を餌食にしていたのですが、たまに日本人の番になると、単にヤルのではなく、
私のあそこの毛を剃ったり、思いきり恥ずかしい格好に縛り上げては浣腸を
したり、とやりたい放題で、その間別の2人は大喜びで見ていました。そんな状態で2日が過ぎ、寝る時はベッドに縛られてまったく逃げられませんでした。私はもう許して欲しいと哀願しましたが、聞き入れられませんでした。食事は粗末な物をくれましたが、トイレには行かしてくれず、ちょっとでもトイレに行きたい、と言えば、容赦なしに極太の浣腸をやられました。男3人の前で排せつ物をぶちまける羞恥で私はほとんど正気を失う所でした。そして、これらすべては
日本人青年によるヴィデオ、カメラに撮影されました。3日目になって浅黒い青年2人は順々に姿を消して行き、この頃から寝る時は縛られなくなりましたが、私は疲労困憊でとても動けませんでした。それから日本人青年はゆっくり時間をかけて私をいたぶり、2人きりになるのを待ってたかのように
何度も何度も私の中で果てました。この3日間で私は十数回に渡る男たちの射精を
受け止め、身体の形が変わるほどの愛撫を受けました。きっと私のもっとも女らしい
部分は相が変わってしまったと思います。それから私たち2人は爆睡し、目が覚めたら朝の5時で、青年は熟睡しており、私も縛られていませんでした。睡眠で少し、体力を回復した私は必死の思いで立ち上がり、青年を起こさないようにその部屋を後にし、3日ぶりに外に出た私はガリ股で早朝の街を歩きました。3日間やられつづけた私は股の感覚が無くなっており、普通
にはとても歩けなかったからです。幸いなことには空港が近くだったので何とかたどり着き、また、ロビーで丸一日を過ごした後で飛行機に乗ってその国を去りました。信じられない話ですが、その日が出発の日だったんです。幸いな事にはパスポートその他は盗られる事もなくわずかなキャッシュ、カード類も無事でした。しかし、ブラジャーとパンティ
はほとんど全部青年に没収されていました。飛行機に乗ってからもこの3、4日の経験は信じられず、ただただ、呆然としていました。それから、アフリカに着いた時、行方不明の人を探す張り紙を思いだし、やっぱり、どこかで性の奴隷となっている女もいるのではないか、と思わずにいられませんでした。私を捕まえた3人はいわば、アマチュアだったわけですが、「プロ」もいるのではないでしょうか。
私はモデル上がりのスチュワーデスで自分で言うのも何ですが、容姿には自信が
ある方で、胸もかなり大きいほうなので、人より目立つと思います。しかし、私が信じられないのは自分が捕まって輪姦されたことではなく、行方不明になってる人がいるという事ですが、こんな話は行く前には聞いていませんでした。
何故、マスコミなどで話題にならないのでしょうか?何か理由があるのでしょうか。また、アフリカのような所では本当に人が行方不明になっているのでしょうか。さて、私が最初に国の名前を秘密にした理由は、実は捕まってマワされている時に私は本当に官能の世界とは何か、肉の歓びとは何か、を思い知らされたからです。私を捕らえたあの男たちに生涯2度と会う事はないと思います。しかし、私としてはむしろ、あの3人に感謝したいぐらいに思っています。私の旅行の中でも大切な一時として記憶に残っているため、場所や国の名を
明さず、生、想い出の中にだけとどめようと思ったからなんです。浅黒い2人に前と後ろから責められて彼らの肉の棒が私の子宮の壁を通
じてぶつかり合い、ついにはその2本の肉棒が同時に爆発した瞬間に私は失神し、虫の息で意識を取り戻した時には、もう、本当にこのまま死ぬ
と思いました。それから、次の国で友人と再会しましたが、何だか気の抜けた再会になり
ました。それから、しばらくして生理があった時は本当にホッとしました。
帰って来てすぐ性病のテストも一通り受けましたが、大丈夫でした。今の所。私は黒人とも何度か経験があります。しかし、あまり、感心しませんでした。
確かに凄いパワーでした。でも、性行為そのものにイマジネーションが足りず、何というか、ただ、ヤルだけ、という感じで、こんな事を書けばまた怒られるかもしれませんが、正直言って、こんな所にも知能程度が反映するのか、と思いました。私を捕まえた日本人青年はただ、ヤルだけではなく、次から次へと私に性的な恥辱を与え、その結果
、私は身体を弄ばれているだけではなく、心まで 犯されている、という感じを受け、そのほうが私にとっては「ああ、もう
この男にはかなわない、、」と観念させられる、そんな気分になりました。そういう事もあって私はもう黒人男性とは寝ないと思います。頭のいい人とセックスをする方がたとえ性的には弱くとも、満足度が高い、という気がして。
お疲れさまでした?! ロフトプラスワン席亭・平野 悠
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