復活28回目

2000年1、11プラスワン事件の真相 後編

  先号「おじさんの眼」にて、この事件を盛り上げるだけ盛り上げてしまって、「困った事になった」と後に後悔先に立たずとはまさにこの事だと実感している。前回の「おじさんの眼」の記事は色々な反響を呼んでしまって、後編の記事の書きようがなくなってしまった。そのほとんどは興味本意の「それでどうなったの?」という事だったが、出来たらこの事件の後編を書くのはやめようと思っていた。しかし「それはまずいですよ!」という意見が多く、私は逃げ場を失ってしまった。出来たらこんな事は書きたくないと思う心境の中、パソコンンのキーボードを睨み、一行も書けない日が続いた。
原稿締切の日をもう2日も過ぎている。
当日の鈴木邦男さんは、植垣さんの抗議にただただ「全面謝罪」でしかなく、いわゆる論争という形にはならなかった。怒り心頭の植垣氏は壇上で上げたこぶしを下ろしようがなく、何度も「苦笑」するしかなかった。
昨年12月の週間スパ!での鈴木邦男さんのコラム「夕刻のコペルニクス」は読む人にとっては植垣さんやその周辺の人々を怒らせる内容だった。作者の意図とは別 にその内容は誹謗中傷ととられても仕方がない内容であった。「殺人鬼、地に落ちた元革命家、廃人、ストリッパーに対してのストカー」等々が書かれていた。
司会進行役を仰せつかった私は、ステージでただただ両者の成り行きを見守るしかなかった。
困惑の思いの中、植垣さんは記事の内容を読み上げ、どこにそのような事実があるか? と言うことを鈴木さんに問いただしていく。
「この記事に対して鈴木さんはどう思っているのか?」と冒頭に鋭く切り出す、
「このスパ! に書かれた内容はある程度の事実にもとずいて、その上で自分の妄想とかフィクションで物語を作った。こうなったら面 白いだろうな〜という感じで書いてしまって、まあ、心の広い植垣さんの事だからこのくらいのことは許して貰えるだろうと言う甘い気持ちがあった。自分の考えが甘かったのだけれど、植垣さんに不快な点があったのならば心からお詫びします。自己批判します」と頭をたれる鈴木さん。
「謝罪すればそれで全て終わると、、、?」と植垣さんの追求は続く。
会場からは、あまりにもの鈴木さんのしょげかたに「悪気で書いたわけではないので、何とか許してやって欲しい。スパの夕刻のコペルニクスは、右翼や左翼が決して恐いものではなく、これらの人々の存在を我々運動を知らない世代にとてもいい親近感を持たせてくれる、本当に数少ないコラムだ。」などと鈴木邦男擁護の意見が続く。ストーカー行為をされたと書かれた現役ストリッパーのS子さんが、「確かにこの記事は事実ではない事は多いけれど、私は書かれて嬉しかった」と発言。
鈴木邦男担当の河井編集部員が「植垣さん、申し訳ありません、これも担当編集の私の未熟ゆえ、本当に申し訳ないと思っています。これからはもっと鈴木さんと話し合って、これからはこういうことのないように記事を書いて貰おうと思っています。お怒りはごもっともでしょうが、そこを何とか、、、」
一水会の若手幹部の発言「確かに最近の鈴木さんのコラムには、会としても実に迷惑しているし責任を負えません。会にかかわる政策上のことであったら、私たち一水会は鈴木さんの楯になる覚悟はあるのですが、しかし、このスパの一連の記事は鈴木邦男個人の発言です。それだけは解って下さい」さらに木村三浩一水会新会長の発言「一連の鈴木さんのコラムに迷惑している人は多い。だが鈴木さんの作風を分かって欲しい。本当に悪意はまったくないのだから、その点は理解して欲しい、そして新体制になった一水会を見て欲しい」
「そうなんですよ! 私のコラムに関してはみんな怒っているのです。全て私個人の責任です。やるなら私個人を狙って下さい、お願いしますよ。ただ、僕は植垣さんにしても、宮崎学さんや松原さんにしても、尊敬し愛しているているから書くのであって、嫌いな人だったら絶対書きません」と鈴木さん。
幸いにして、鈴木邦男さんの「居直り」は全くなく、会場はだんだんなごやかな雰囲気になっていく。
私はここまで、事実経過を書いていて、なんともやるせない気持ちになって行った。鈴木邦男さんはプラスワンにとって「恩」のある人だ。出演者がなかなか見つからない、客は入らないプラスワン創世記において鈴木さんは数十回もの素晴らしいイベントを行ってくれている。その自由奔放な発言を見ている私は「この人本当に右翼なのか?」と疑問を持ちつつ、いつの間にか鈴木さんのファンになってしまっている。そんな私がこんな記事を書かねばならないなんて、実に悲しくなってきた。
しかし、鈴木さんはこの場でいさぎよく「自己批判」している訳だし、もうこういう記事は書かないに違いない。
つい先日ある私が大好きな行動右翼の人から電話があった。
「平野さんのおじさんの眼はうちの若い者が一生懸命いつもみんな読んでいる。そしてこの記事に怒っている若い衆が多い。これは困ったことだ!」という。
「えーっ、こんなコラムを右翼の若い衆が読んでいるって!」思わず私は悲鳴を上げてしまった。たかが居酒屋のオヤジが書くコラムなんて、、と思いながら何とも複雑な思いが私の意識を交差した。
又、私の敬愛するある右翼の大物氏から「なぜ、平野さんは鈴木邦男をそう言った形で持ち上げるのか理解できない、鈴木邦男はもはや右翼ではない。」と言われた。
確かに、今や時代は「右翼も左翼」もない。人類史終焉に突き進みつつあるこの時代、右翼とか左翼とかの壁は取り外し、少しでもこの日本の閉塞した状況を良くして行かねばならないという機運は確実に進行している。
 何を書いているんだか分からなくなって来ている ロフトプラスワン                            席亭 平野悠

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