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LOFT PROJECTのスタッフが新宿ロフトで観たライブで一番印象深いものをレポート!隔週更新!!

第1回 「江戸アケミ十三回忌の夜」 加藤 梅造(LOFT PLUS ONE)

2003.1.31(fri) 新宿ロフト じゃがたら2003 業をとれ!〜江戸アケミ十三回忌 天国でのゴール〜
パンフレット
▲当日配布されたパンフレット。イラストはしりあがり寿氏。

 仮に、パンク元年を(SEX PISTOLSがデビューした)1976年とするなら、その後、世界のロックシーンを揺るがしたポストパンクの波は当然日本にも直撃し、特に80年代前半は、次々と新しいタイプのバンドが、玉石混淆の如く現れては消えていった。彼らの多くは、既成の音楽概念をどれだけ壊すことができるのか、そして、まだ誰も到達したことのない領域にどこまで自分を持っていけるのかを第一に置いていた。最初から常識を無視した彼らの表現は、端から見れば非常識の世界、もっと言えば狂気の世界にも映った。

 1979年に結成されたJAGATARAは、80年代の、いわゆるパンク/ニューウェーブなどと呼ばれていたシーン(まだインディーズという言葉もなかった)の中でもひときわ目立つ存在だった。特にボーカル、江戸アケミのステージ・パフォーマンスは、ロックの既成概念には全く収まらないものとして話題になった。

ライブ写真 新宿2丁目のストリップ劇場で行ったライブでは、蛇や鶏を喰いちぎり生で食らった。吉祥寺マイナーでは服を脱ぎ、放尿、浣腸、脱糞しながら客を追い回した。雑誌HEAVEN主催イベント「天国注射の夜」では、ナイフで自分の額を切りつけ、救急車で病院に運ばれた。こうした過激なライブは、すぐに口コミで広がりJAGATARAはライブハウスの動員記録を次々と更新することになった。当時、パンクの拠点だった新宿ロフト(当時はまだ西新宿にあった)にも出演していたが、ある時、ライブ前にバルサンを焚いて火災報知器が鳴り、大騒ぎになったことがあると聞いている。

 レコードデビュー後は、こうしたパフォーマンスだけが話題になる状況に嫌気がさし、純粋に音楽だけで勝負するようになる。幸い、音楽的にも高い評価を受けるようになったJAGATARAだが、その後、江戸アケミは精神に変調をきたしてしまう。次第に言動がおかしくなり、ライブもままならず、83年暮れには入院する事態にまでなった。アケミの療養中、活動休止状態になったJAGATARAだが、85年の「アース・ビート伝説'85」で復活。以降は、ライブ、レコーディングとも充実した活動を展開していった。

 しかし、90年1月27日、アケミは自宅で入浴中に溺死。常用していた精神安定剤を飲んで眠ってしまったのが原因だった。

 まさに80年代を疾走したJAGATARAは、同時代のどのバンドにもまして、精神的にも音楽的にも常にギリギリの所まで勝負していた。今では普通に使われる「テンパる」という言葉も、流行語になる前からJAGATARA内では日常的に使われていたそうだ。そう、JAGATARAは常にテンパっていた。何に対して?

 アケミの死後出版された詩集『それから』に、アケミのこんな発言が収録されている。
「東京には何かメチャクチャなエネルギーが渦巻いてる気がするね。それが正のエネルギーだったら受け取れるんだけど、なんか受け取っちゃいけないような負のエネルギーで、それに対抗するために俺は音楽やんなきゃならないんだって思う」

イベント写真 80年代というバブルの熱狂期(当時は、その後にバブルがはじけるなんて誰も思ってなかった)、消費スピードはどんどん加速し、(世界のごく一部の)先進国の人々が物質的快楽を享受する一方、経済格差、環境破壊、軍需拡大、原発産業などはますます進行していった。もしかして江戸アケミは、そういった巨大な流れに抗うため、一人テンパって音楽をやっていたのではないか。まるで、大火事の森で一滴の水を運んで火を消そうとするハチドリのように。当時、端からは狂っているように見えた江戸アケミだが、90年代のバブル崩壊、湾岸戦争、チェルノブイリ原発事故などを例に出すまでもなく、狂っていたのはむしろ社会の方だったのは明らかだ。

 アケミがいなくなってから13年。江戸アケミの13回忌にあわせ、『じゃがたら2003“業をとれ!”〜江戸アケミ十三回忌 天国でのゴール〜』という追悼ライブが行われた。じゃがたら、そして江戸アケミに縁のある多くの人達──ミュージシャン、スタッフ、アーティスト、出店者、そしてお客さん──が集まり、歌舞伎町の新宿ロフトを埋め尽くした。そこには、リアルタイムにじゃがたらを知らない世代もたくさんいた。この追悼ライブが、単なる同窓会ではなく、江戸アケミの発したメッセージを今の時代に共鳴させる目的で開催されたことを、この日集まった人達が証明していたといえるだろう。

 江戸アケミが十数年以上前に鳴らした警鐘は、残念ながら今の時代にも消えてはいない。私達が自分自身の「業をとる」ことができる日は来るのだろうか?

【資料】じゃがたら2003“業をとれ!”ROOFTOPインタビュー(2003年1月号)
http://www.loft-prj.co.jp/interview/0301/10.html

加藤 梅造
文 ◎ 加藤梅造 (LOFT PLUS ONE)

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