すごい生き方  BOOK
雨宮処凛 (サンクチュアリ出版)1300円+税

30歳になってしまった処凛ちゃん・・・

 そうか? あのリストカッター、いじめ、自殺未遂やオーバードーズ、過激派右翼や新右翼一水会や元赤軍派議長と戦禍のイラクや北朝鮮に行ったりしていてる処凛ちゃんは凄いな。「何でも見てやろう・なんでも体験してやろう」の好奇心の塊の行動派若者の代表格・雨宮処凛ちゃんもついに30歳になったか? それはおめでとうさん。とにかく君は常に今の若者の「生きづらさ」に向かって「そんなことないよ・生きなきゃ」って発信し続けているんだね。どんな偉い養老さんみたいな評論家や社会学者の先生が何を書こうとほとんど説得力がないのに、君が一言発するとそれは呪文の様に悩める若者に伝わり、どこかで体験者しか解らないだろう説得力を持つから不思議なんだよ。
「いじめられてよかった。リストカットしてよかった。自殺未遂してよかった・・・生きづらくて本当によかった・・・振り返ってみれば、今のわたしにとって、全て必要なことだった」って言う君の言葉、やっぱり凄いよ。そして君は「この世の中に正しい生き方なんてない」って自ら収集したアンケートも含めて結論づけて見せる。とてもこんなメッセージ養老さんは書けないと思うよ。
「射殺される事もなく、自爆テロの危険もなく、空から爆弾が降って来ることもない平和な日本で自らの命を絶つ人は『戦場』と呼ばれる場所の民間人犠牲者をはるかに上回っている。この異常な状況について、死にたくてたまらなかった、生きづらくってたまらなかった一人として私自身、真っ向から取り組みたいと思った。この問題を自分の中で乗り越えなくっては、あの生きづらくってたまらなかった時期を無駄 にしてしまう気がした」(本書序文より) 本書は「生きづらかった私の話」の雨宮処凛の実体験から始まる。「若い時期は楽しい・青春は輝いている・そう言ったものは幻想なのだ」と最後に言い切る筆者は・・・だから、だから本書は何か雨宮オーラが徘徊していてリアリティがありすぎる。 (平野 悠)

わたしの菜食生活  BOOK
秋田昌美 (太田出版)1300円+税

菜食生活と動物の権利

 ベジタリアンという言葉は誰でも知っていると思うが、実際にベジタリアンを実践している人は、こと日本においてはまだまだ少ないのが現状だ。欧米では、ベジタリアンを公言している人は多いし、特にロック・ミュージシャンにおいては、ポール・マッカートニーやミック・ジャガー、プリンス、ビースティー・ボーイズなど、ベジタリアンの名前をあげることは容易だ。僕が強烈にインパクトを受けたのは、高校生の頃に聴いたザ・スミスの「ミート・イズ・マーダー」で、屠殺を連想させるあの有名なSEに戦慄した人は多いだろう。もっとコアな所では、ナパーム・デスに代表されるグラインドコアのバンドの多くが、反動物実験などアニマルライツ(動物の権利)の運動に直結する活動をしていることも知ってる人は多いだろう。ベジタリアンが、決して自分の健康のためだけに菜食生活をしているのではなく、こうしたアニマルライツの思想が深く結びついているということが、上記のミュージシャンの活動からもわかる。
 この『わたしの菜食生活』は、日本のミュージシャンである秋田昌美氏(メルツバウ)が、数年前から実践している菜食生活をわかりやすく紹介している本だ。秋田氏はヴィーガン(肉、魚の他、卵や乳製品も拒む)であり、欧米のミュージシャン同様、アニマルライツの思想が深く関与している。昔から動物好きだった秋田氏は、この世から動物虐待をなくすために誰もができる最も簡単な方法が、肉食をやめベジタリアンになることだと言う。
 この本は、菜食生活を目指す人にとってのわかりやすい入門書であると同時に、ベジタリアンでない人にとっても、動物の権利について深く考えさせる内容になっている。僕はこの本を読んですぐにベジタリアンになったわけではないが、ひとつのきっかけになったことは確かだ。今後この本を何度も読み返し、もっと深く考えを巡らせたいと思っている。 (加藤梅造)

トリオリズム  BOOK
叶 恭子 (小学館)1300円+税

「へそ下のこだわり」…入墨はよく注意して入れようね

 6年前『蜜の味 ミレニアム・ミューズ』(幻冬舎)で華々しく書籍界に舞い降りたわれらが叶恭子様が帰って来ました! 前回はちょうど経歴詐称疑惑ただ中だったこともあり、釈明や「孤独な少女時代」を含めた自伝を「構成」するライターがいたのですが本作は版元を替え、一応恭子さまの御名だけが記されています。前作では華麗な男性遍歴を経ながら会社経営、そこで出会った「蝶ネクタイの老紳士」(ホテルニュージャパンオーナーにしてジーブラのおじいさんなアノ人)から超絶大金持ちとの結婚話を持ちかけられ、お城でめくるめく妖しい体験を…てなそれはそれはあめ〜じんぐなお話が展開されていました。ところが6年の間に何があったのか、とにかく今回はお下品、即物的、拝金主義炸裂! 帯の文言も「ペニスには気持ちがある」「富とラブの快感は似ています」。ブサメンから求愛され困っていたのに、「金のリボンをかけたレンガのような」数千万円の札束が吊るされた「マネー・トゥリー」を贈られ一気に変心…わざわざ「愛が生まれた代わりにお顔は見えなくなってしまいました」って!(笑)。各章冒頭に掲げられた格言も味わい深い。車より有価証券だのの入った封筒が贈られるほうが嬉しい、つうその名も「茶封筒」て章冒頭にわざわざ「そうとは呼んでおりますが、白の場合もあります」…人前で読むと笑い死にしちゃうよ! 目くらましのようなセレブっぽいカタカナ語、いちいち小さく註が入るのですが、「ドギースタイル doggie style。わんわんスタイル」てこれ何の本なんですかお姉様!!
 前著は「貢ぎ」を売春と言われる事を恐れてか、巻末の気付きにくい所にフィクションと謳ってましたが、今回は始めっから「わたくしには口にしてはいけない秘密もある」と宣言、大風呂敷が広がりまくる。徹底した非生産的な生活ぶり、ひたすら男性に欲望され、何千万も何億も貢がれる話ばかり。会社経営はどうなった?など細かい事は気にせず、かつて艶笑談として楽しまれていた「超高級娼婦」もの的ファンタジーと思えばいいのです。それで何の構う事があるものか、という潔さを前作より強く感じました。文中、岡本かの子(「芸術は爆発だ!」岡本太郎の母)が若い男と夫公認の上で同居していた話が語られますが、一応かの子は小説家で歌人。若い男達はかの子の文才にも憧れて誘い込まれていた…対する恭子様の武器はひたすらセレブ感、ゴージャスボディなどの不確かなものばかり。堂々とそれを「商品」「武器」に世をふわふわ渡り歩くイメージのみを綴り抜く。果 してこのままどこまで行けるのか、終着点を見守りたい。しかしこの本探してわざわざ大雪の日に書店を何軒も回っちゃった…タイトルより「3P」の字が大きすぎ、気付かないよ! 3P話よりも前半のセレブ貢ぎ合戦大風呂敷の方が個人的には楽しめた。ホリエモンの10倍価格の個人ジェットを差し向けられ、飛行場に敷き詰められた薔薇の花びらを舞わせて出迎えられてェなぁ… 彼女のタトゥーに憧れて「○+」と間違えて(「叶」…)入れちゃった「グッドルッキングガイ good-looking guy」の話など本当に読みどころだらけなんで、店頭から消える前にぜひどうぞ! (尾崎未央)

悪役レスラーは笑う 「卑劣なジャップ」グレート東郷  BOOK
森 達也 (岩波新書)780円+税

力道山が尊敬した「世紀の悪玉」出生の秘密とは?

 グレート東郷という悪役レスラーがいた。神風と書いた日の丸の鉢巻を締め、高下駄 にハッピ姿、田吾作スタイルと呼ばれる膝にパッチを当てた独特のタイツを穿き、奇襲戦法・反則攻撃を得意とした。ゴングが鳴る前に奇襲をかけ、相手レスラーの目に塩をすり込み、下駄 で殴りかかる。反撃を受けるとニヤニヤと笑って大袈裟にお辞儀をし、油断を誘ってふたたび反則攻撃を繰り返す。流血戦などお手のものであった。日系レスラーであるグレート東郷は、「バンザーイ、パールハーバー!」とリング上で叫ぶ「卑劣なジャップ」を演じきり、全米を敵にまわして不動のヒール人気を獲得する。プロレスというのは、悪役があってこそ興行が成り立つ。東郷のギャランティは破格の値段で、そのあまりの憎らしさに観客からナイフで刺されたことも一度や二度ではないという。
 本書は、映画監督・ドキュメンタリー作家の森達也が、「世紀の悪玉 」「血笑鬼」「蛙のオバケ」「血はリングに咲く花」と呼ばれたスーパーヒール、グレート東郷の伝説に迫っている。岩波新書でプロレス本というのもびっくりだが、森はなぜグレート東郷なんかに興味をもったのだろう。
 日本のプロレス・ファンにとって、グレート東郷はよく見えない存在でもあった。力道山がシャープ兄弟、「銀髪鬼」フレッド・ブラッシー、「白覆面 の魔王」ザ・デストロイヤーなどとの死闘を繰り広げヤンヤの喝采を浴びていた頃、一九五九年に初来日を果 たす。この時すでに四八歳。レスラーとしてはとっくにピークを過ぎていた。だが、アメリカでの成功を武器に外国人プロレスラーのブッキング・マネジャーとして辣腕を振るった。またレスラーとしては、ブラッシーとの流血戦でテレビの前の老人をショック死させるという事件を起こし、オールド・プロレス・ファンを震え上がらせてもいる。ジャイアント馬場など若手レスラーのアメリカ修行にも一役買うが、金のきたなさに「守銭奴」「銭ゲバ」などの悪い評判も絶えなかった。
 森は、日本プロレスの英雄となった在日朝鮮人、力道山(本名・金信洛=キム・シルラク)が、もっとも信頼を寄せた男、グレート東郷の謎に惹きつけられる。東郷は戦争中に日系人として捕虜収容所体験があり、また混血の噂もあったという。サンフランシスコで大邸宅を構えていたというが、「売国奴」を商売にしていた東郷の本心は誰もわからない。グレート小鹿、上田馬之助、グレート草津ら元プロレスラーや、プロレス・ジャーナリストらの証言を通 して、森は「日本人ではなかった」東郷の出生の秘密に迫っていく。 (達磨ナイト)

長い長いさんぽ  COMIC
須藤真澄 (ビームコミックス)756円

ペット飼育経験の有無に限らず必読。 しかし僕はもう二度と読みません。

 近しいものの死、と言うのははっきり言って反則ネタである。最大公約数的「あるある」ネタの最もズルいものと言える。泣くと言う行為は性的カタルシスにも似た効果 がある事くらいは理解しているが、人が死んだら悲しいのは当たり前の事だろう。…しかしその中でも動物モノはもうズルいを通 り越して危険でさえある。
 漫画家・須藤真澄は、愛猫ゆずをネタに漫画を書き続けて来た。ちょっとおみそのちいさいゆずとちょっと常軌を逸した猫バカの作者の日常を描いた作品は猫好きの間ではかなり好評を博し、ゆずの出るゲーム、なんてのも作られた。可愛い絵の中にも、実際に飼っている者のリアリティがあったのだろう。ただ、ここのところしばらくゆずものは読んでいなかった。それは作者が外に出しているゆずに、避妊手術を施していない、という点に何かこう引っ掛かりを覚えた、と言うのがあったのだ(のちに施術した)。
 しかしまさか再びゆずものを読む時、それがその死、別れを描いたものになるとは予想していなかった。意外であった。16才の老猫になったゆず。足腰は弱ってもまだまだ元気、彼との日常は続く…はずであった。別 れ、と言うかゆずの「長い長いさんぽ」の時は唐突にしかも一番来てはいけない時にやってきてしまう…。
 愛するペットとの別れを描いた作品は結構多く存在し、内田百ケンの「ノラや」から谷口ジローの「犬と暮らす」まで多種多様だが、多くは男性視点で、ペットへの素直ではない愛情を描いたものが多かった。この本は女性の飼い主の非常に真っ当な悲嘆を誰でも共感できるように描いているのでなおさらタチが悪い。彼女のネコ漫画を読んで猫を飼いだしたり、教科書代わりに使い、ゆずと共にウチの猫は大きくなった、という読者も多いはずだ。そのゆずの死、というモチーフは実に凶悪である。しかしそれがまた皮肉な事に、ネコの、ぺットの葬り方、と言う実用的な内容になってしまっているのもまた作家視点ならでは、なのかもしれない。
 作者の嘆き、絶望、後悔…正直この後作者は創作活動ができるのか?と心配になる程なのだが、作者はゆずを忘れぬ ように徹底的に猫バカ、つまり今までの作中の自分に忠実に生きようとする。また「2%くらい残っている理性」で悲嘆に暮れ常軌を逸していく自分を観察し、動物葬儀ビジネスの悪趣味さを観察する。余談だが、僕もウチの猫が死んで焼き場に持っていく道すがら「あ、ここにBookOffできてる」とか思ってました。多分その視点を持つ事が、残された者にとって生きるための原動力になっていくのだろう。
 ペット飼育経験の有無に限らず必読。しかし僕はもう二度と読みません。 (多田遠志)

ザ・ハードコア ナックルズ  MAGAZINE
(ミリオン出版)500円

ジャーナリズムの火は消えず!

「NONFIXナックルズ」のタイトルが変わり、今号から「ザ・ハードコア ナックルズ」となって新装刊された。A5の判形は、在りし日のスキャンダル雑誌「噂の真相」をも連想させるが、この「ザ・ハードコア ナックルズ」は、実話誌のブームを牽引する「実話ナックルズ」ゆずりの過激な内容とエンターテイメント性を受け継ぎ、硬派だが面 白い内容になっている。  個人情報保護法の施行や名誉毀損の損害賠償額の高額化などで、かつてはジャーナリズムを標榜していた雑誌の多くが日和見主義的で軟弱なものになっている中、「ナックルズ」は抗議にも訴訟にも負けずに、堂々と刊行を続けている。ほんとにこういう雑誌が頑張っていることで、ともすればどうにかなっちゃいそうな表現の自由の火が今もまだ消えずにいるのだと思う。  この新装第一号でも、小池百合子の不倫、安倍晋三のマルチ広告塔、吉本興業スキャンダルなど、政治、芸能といったタブーの領域をガンガンと追求している。また特集の「消えた殺人者たち」では世田谷一家殺人事件といった未解決事件の深層に切り込んでいる。連載陣も松沢呉一、大塚英志など過激な人が多く、今後の展開が楽しみな雑誌だ。

弓道士魂  COMIC
平田弘史 (マガジンファイブ)2400円+税

死にものぐるいの士道物語

 江戸時代の初期、京都三十三間堂を舞台に行われた「通 し矢」という弓競技の話をもとに劇画化した作品。「通し矢」とは当時死人が出るほど“ブーム”になった競技で、それぞれの藩主が異常なまでに競争心を燃やし、藩をあげて新記録更新を目指していたそうな。その中でも特に犬猿の仲だったのが共に家康を父に持つ尾張藩主の義直と紀伊藩主の頼宣で、主人公は“紀伊藩所属”の星野勘左衛門という下級武士。ストーリー的にはその勘左衛門の成り上がり話…だけではとどまらない、「武士道」というものを通 しての「人間の本質」に迫った内容になっている。もうちょっと具体的に内容に触れるとすると、最初は褒美ほしさや自分自身の意地で「通 し矢」に向かっていた勘左衛門も、死にものぐるいの修行やいくつもの事件、階級差別 などを通して心身共に成長し偉業を成し遂げるのだが…みたいなね。う〜ん、分かりやすい。
 オレの大好きな漫画『花の慶次』もそうだけど、武士の生き方っていうのは男だったら一度は憧れるもんだと思う。ひとつのものや事に異様なほどの執着を見せたり、その執着が時に命に関わったりして…どこか「不器用」な感じがたまらない。その上「刹那的」だったりして、男は胸キュンになっちまう。
 ただ、ちょっとだけ惜しいなと思ったのは、終わり方かな…。ま、実話が基になってる話だからしょうがないのかもしれないけど…ちょっと地味な感じがした。地味って言っても…空虚感漂う感じって劇画で表現するのは難しいだろうしね…。って、ある意味終わり方をバラしちゃってるけどね…ごめんなさい。でもこの本は、終わり方どうこうとかオチがどうこうって本じゃないはずだから、別 にあまり気になさらずに。
 ということで、戦国時代とか初期江戸時代あたりの武士モノが好きな人は押さえておいた方がいい本だと思う。それに、捉えようによってはそこらへんに氾濫してるビジネス本とか自己啓発本よりためになると思うんだよな。ただ、そこまで読み取れるかが問題なだけで。いつの時代も「修業」ですな。 (東 健太郎)

ホテル・ルワンダ MOVIE
シアターN渋谷、川崎チネチッタなどで公開中(全国順次公開)

やっと公開にこぎつけた「黒いシンドラー」

 ルワンダで1994年に起こりたった100日間で100万人が殺害された、ツチ族とフツ族の2部族間の民俗闘争が原因となった一方的大量 虐殺は、事件勃発時には世界には報道されなかった。声を大にして言いたい所だが、これは間違いなく黒人が被害者であったからこその放置である。「おーおー、クロ同士が殺しあっておるわい」と思っていたのだ先進国は。ないしは劇中のカメラマンが語るように「世界の人はまあ可哀想ねえ、って思うけど、その後何もかも忘れてディナー」所詮TVの中の出来事としか思わない、と。日本人の被害者のいない国際ニュースは扱いが低い、に類する事なのだろう。白人の乳首や性器はボカシ入るけど、土人はノーチェック、と同じ事である。
 ルワンダ内ではツチ族のゲリラがフツ族の無抵抗な住民への無差別 大量虐殺が横行している。そんな中、国随一のホテルのオーナーが何もかも投げ打ち、ゲリラへの賄賂も厭わずホテルを開放し、難民達の命を救った、そんな実話の映画化である。作品はアカデミー賞にノミネートされたのだが、「客入りが見込めなさそう」という理由で日本公開されていなかった。しかし、熱心なファンの署名運動によって上映にこぎつける、という異例の現象が話題となってもいる映画である。
 山刀(マシェーテ)で女子供の腕や首を撥ね、放棄された屍体で川面 や道路が埋め尽くされ…とナチスと並ぶ程のホロコースト、これを映像化するのにスプラッター切株シーンは不可避なのではないだろうか、と思う所だが、商店に並ぶマシェーテや道路ガタつくなあ、と思ったら道びっしりの屍体の上走ってた、等のシーンでうまく匂わせている。
 出てくる白人がまた揃いも揃って使えない奴ばっかでイラ立つ事しきりである。「平和維持軍だから仲裁はせず」と虐殺を前にしても手も出せない国連軍、せっかく来た救援部隊は「上の命令なんでスンマソン」と金持ちの外国人だけ救出、世界に虐殺の実態を伝えたものの危機が及ぶとさっさと国外退去してしまうマスコミ。全世界に見捨てられた中、ホテルマンは独りホテルに押し寄せてくる難民達をホテルの収納能力、資金の枯渇にかまわず救おうとする。「ブギーナイツ」でロカビリー好きの黒人ステレオ屋、と言う多重人格的な難しい役柄で男を上げたD・チードルの名演が光る。
 この映画の上映運動の発起人は1人の大学生。NPOを立ち上げ…というと「ケッ運動系かぁ」と思われがちだが、当人、ルワンダの事件の記事は全てスクラップ、現地にも赴き(まだ危険です)、映画のモデルとなったホテルマンを来日させ…あんたマニアだよ! 熱心な活動と趣味は紙一重と見つけたり。 (多田遠志)

プライドと偏見 MOVIE
(UIP映画 配給)1月14日(土)より有楽座ほか全国一斉ロードショー

岩波文庫の定番・ジェーン・オースティンの「高慢と偏見」を美しく映画化

 18世紀末、女性に財産相続権がなかったこの時代、“結婚”は女性にとって人生のすべてだった。物語は、イギリスの田舎町が舞台。娘ばかり5人のベネット家の隣に、大金持ちの貴公子ビングリーが引っ越してくる。美しく慎み深い長女ジェーンと読書が好きで才気溢れる次女のエリザベス。そして、快活なビングリーとその親友で気位 の高いダーシー。ジェーンとビングリーがたちまち恋の芽生えを感じる一方、エリザベスはダーシーのプライドの高さに反発を抱く。そこに現れた青年将校ウィッカムの話から、エリザベスはますますダーシーに嫌悪感を募らせる。しかし、嫌ってはいても、なぜかダーシーの存在が気になってしかたがない。その理由が自分の偏見にあったとエリザベス自身が悟る頃、ベネット家の一番下の娘の身にとんでもないことが起こっていた……。  原作はイギリス女流文学の頂点をなすジェーン・オースティンの代表作「高慢と偏見」。この200年前に書かれた名作を現代に蘇らせたのは、『ブリジット・ジョーンズの日記』や『ラブ・アクチュアリー』などラブ・ストーリーに定評のある制作スタジオ、ワーキング・タイトルである。
 素直に「愛している」と告白すれば心の扉が開くと知りながら、“プライドと偏見”によってすれ違っていくエリザベスとダーシーを中心に、人生のあらゆる幸せを〈愛〉に凝縮、“恋と結婚”という永遠のテーマを描き、今を生きる女性たちにも共感できる人物描写 とストーリーが新鮮な作品となっている。(U)

只今、絶賛公開中!
お待たせしました! 男の墓場プロダクション、待望の二本立て上映!!

『怪奇!幽霊スナック殴り込み!』
 浅草でスナックを営むユキの亭主は刑務所に服役中である。新宿の巨大暴力組織の人間を殺傷してしまったのだ。刑務所内で巨大暴力組織からの報復を回避するため、ユキは司法当局と取引を交わした。内偵活動の協力である。時には女の武器を使いながら…。司法当局の手先の男とも肉体関係ができてしまっているユキ。ユキは毎日を悩み苦しみながら生きていた。が、ある暴力団組織に近づいたことでユキは窮地に陥る。そこへ夫と刑務所で同房だった渡世人が現れる。ユキを窮地から救うために立ち上がる渡世人。さらに、ひょんなことからスナックに居つくことになった幽霊3人も合流し、壮絶な超常バトルが開始される。
『任侠秘録人間狩り』
 新宿を舞台にして、女性を誘拐、拉致して男性に斡旋する犯罪組織があった。そこにある日、客として現れた謎の男、飯島はまったく素性がわからない。堅気とは思えないその雰囲気。暴力団関係者? それとも警察? 疑念を抱きながらも、組織は飯島を女性の監禁場所である熱海へと連れていくことに。熱海へ向かう車中で徐々に明らかになる飯島の素性。そして目的! 折しも、新宿では関東と関西の巨大暴力団体どうしの話し合いが持たれていた。飯島の目的が明らかになったとき、物語は一気にラストへ突入。男たちの熱いバイブレーションが炸裂する!


「いい話を作りたい」というところから全てが始まりました。
 嫌な話でも、ただのショッキングな話でもなく、誰がどう考えても「こうしたほうがいいだろう」ということを、例えば「弱いものをいじめるよりも、そういう人を助けるほうがかっこいい」みたいなことを、ちゃんと提示していく作品を作る集団があってもいいんじゃないかと思っていたんです
。  最近よく見受けられますけど、悪役なのにそれを妙にかっこよく描いたりするじゃないですか。そういう風潮に対して常々疑問を感じていました。
「みっともない人はみっともない、ちゃんとした人がかっこいい」ということをきちんとやってみたかったんです。言ってみれば、以前はよく作られていた「任侠映画」ですよね。 こういうジャンルの物語を今も続けているところがあれば、映画を作るなんていう途方もないことは始めなかったかもしれません。ほんとうに大変なんですから(笑)
 映画制作には体力、労力、時間、場所、資金、そしてなにより多くの人の手が必要でした。  撮影中は人の優しさ、(女性もいらっしゃいましたが)男気、温かい励ましを、ずっと感じていました。まるで一本の映画を見たかのような感動が常にありました。  自分達が今やろうとしている作品作りは、作り続けることで初めて意味が出てくるものだと思っています。もう、ライフワークですね。

──── 杉作J太郎監督

シネマアートン下北沢にて2本立てレイトショー
東京都世田谷区北沢1-45-15 スズナリ横丁2階
TEL.03-5452-1400
●特別鑑賞券1300円
●20:00〜 (劇場窓口、渋谷TSUTAYA、シネセゾン渋谷、シネ・アミューズ、渋谷シネ・ラ・セット、中野タコシェで発売中)
■連日上映終了後、杉作J太郎監督他、豪華ゲストを迎えてイベントあり