万年東一  BOOK
宮崎 学 (角川書店)上1700円+税/下1800+税

アウトロー万年東一の圧倒的な生きざま
 う〜ん、面白い。なんで「ヤクザ」や「愚連隊」って基本的には社会のクズなのに、その多分一人一人の生き様を見たり読んだりすると私たちまで「血沸き肉躍る」になってしまうのだろうか? それは諸外国での全て隠密に行動する「マフィア」なんかとは性格も姿形も「社会の生き血を吸って棲息している」のは同じとしても、何かまるっきり違うのである。まさにこの作品は宮崎学が演出する「アウトローロマン」の宮崎初の長編傑作小説である。まるで以前の宮崎学大ヒット作「突破者」を読んでいる感覚にとらわれたのは私だけだろうか?
 万年東一とは、あの「愚連隊」のスター、横井英樹銃撃事件で有名な安藤昇の兄貴分だった男だ。万年東一は生涯組織を作りもせず、属しもしなかった。そして最後の舎弟であった宮崎学はこの万年東一を兄貴分として尊敬をしているのだ。昭和13年、社会大衆党党首安部磯雄を襲撃した万年東一は、右翼からもヤクザからも神格化され、中国に渡り大陸のならず者と命をかけてわたり合う。下巻ではあの勝新太郎の映画ヒット作「兵隊ヤクザ」のモデルがこの万年東一だという。とにかく人間のスケールは日本のヤクザ史の3本の指に入るという。
 万年は1908年に生まれ、1985年に没している。この万年東一という男を一言で語るのは難しい。とにかく人間のスケールが破格なのである。こんな所は現在の筆者・宮崎学に何かそっくりなのだ。良家の出でありながら、生まれついての喧嘩好き、瞬く間に東京中の不良の頂点に立ち、「新宿のヤクザの親分で万年に脅されたことのない者は皆無」といわしめ、国士でもあった。不良少年の心性を死ぬ まで持ち続け、弱者を虐める事は絶無、たえず強者に逆らい、誰をも恐れない。そして誰よりモダンでダンディで、インテリでもあり、ものの筋目やけじめを重んじる折り目正しい人物であったという。ロックが不良の音楽と思っている向きのロッカーは断固読むべきである。次から出す音やメッセージは必ずや、どこか変化しているはずだ。 (平野 悠)

吉村智樹の街がいさがし  BOOK
吉村智樹 (オークラ出版)838円+税
駅前商店街はネタの宝庫
 かねてから不思議に思っていたのが、いわゆる手書きの貼り紙には、送り仮名を間違っているものが多くないか?(私の気のせいですか?)「廊下を走しるな」「ここは公共の場です。静ずかにしましょう」「管理人の許可なく無断で水道を使かうことを禁んずる!!」といった具合に・・・。しかもごていねいに、「走しるな」とか「静ずかに」の1文字ずつの脇に◎(ニジュウマル)を打って、己の間違いをはからずも強調してしまっていたりするのが結構プリティーだったりする。とはいえ、縦書き(たいていは)&油性マジックペン&◎を駆使して書き上げられたこれらの作品、余分につけられた仮名の部分からは、不道徳な一般 市民に対する、施設管理人、アパートの大家etc.たちの怒りと主張、プライドが滲み出して、異様な威圧感を漂わせているのもたしか。「神聖なるお堂の廊下を小走りした途端、血相を変えたオニ住職に追いかけられるオイラ」といった地獄絵図を思い描いてしまうのは、私が小心者だからですかい?
 送り仮名に限りませんが、こうした貼り紙を見て思うのは、日本語を扱うのって、かなり高等で困難な作業なんじゃないか。それも単なる警告文とかじゃなく、自分のお店の名前だったりPR文だったりメニューだったりした日には。なんとか目立たなきゃ! お客さんに覚えてもらわなきゃ! サービス業なんだからユーモアも盛り込まなきゃ! という、切実なるプレッシャーが圧し掛かることとなる。その結果 生み出された、駅前商店街に氾濫する珠玉の「街がい」たちを掬い上げるのが、VOWウォッチャーとして知られるライター吉村智樹氏の本書での仕事。(店以外にも、ビルの名前や標識、看板、オブジェなども登場する)。スナックの名前が「せまいの」とは実状を語ってあまりに正直だが、「すしの味はたねとしゃりとさびと 親父の手あかにある 森繁久弥」の看板掲げた寿司店、手あか云々のところはどうか比喩表現であってくれと願うばかり。(保田明恵)
スペースシャトルの落日  BOOK
松浦晋也 (エクスナレッジ)1300円+税

スペースシャトルは巨大な失敗作だった!
 少し前だが、日本人の榎本大輔氏が、史上3人目の宇宙観光客としてロシアの宇宙船ソユーズに乗るというニュースが流れた。搭乗費用は約20億円!! 一般 の人がおいそれと払える金額ではないが、今の時代、とりあえず20億円出せば宇宙旅行ができるのだ。しかし、なんでロシアのソユーズなんだ? 宇宙旅行の期待の星、スペースシャトルはどうしたんだ?
 周知の通り、スペースシャトルは2003年のコロンビア爆発事故のため、2年以上打ち上げが中止されたままだ(今年5月に再開すると言われていたが、7月に延期された)。ちなみにスペースシャトルは1986年のチャレンジャー爆発事故と合わせ過去2回致命的な事故を起こし、2機の機体と14人の乗務員の命を失っている。1981年にスペースシャトルが初飛行を成功させた時、世間では「近い将来誰でも宇宙に行けるようになる」と騒がれたものだが、2005年現在、宇宙旅行を(とりあえず)実現しているのは、1967年に初飛行したソ連(現ロシア)の旧式のカプセル型宇宙船ソユーズだけなのだ。
 そんな折り、ノンフィクションライター松浦晋也の本書をたまたま読み、まさに目からウロコが落ちた。タイトルがずばり「スペースシャトルの落日」で、ここには、スペースシャトルが宇宙船として巨大な失敗作だということが実に明解に書かれているのだ。「えっ!宇宙技術が結集された、あのNASAが誇るスペースシャトルがまさか失敗作だなんて…」と思われる方も多いと思うが(僕もそうだった)、それはNASAの誇大宣伝をみんながなんとなく信じているからで、実際113回飛行して2回も大事故を起こしてる(確率56分の1)わけだから失敗と言う理由はたしかにある。
 本書ではまずスペースシャトルの主な構造を説明し、そしてチャレンジャーとコロンビア、2つの事故の原因を解説している。ここまで読んだだけでスペースシャトルの運行がいかに大変かがわかるが、その次に本書は、スペースシャトルは設計コンセプトそのものが間違っていたことを説明している。特に驚いたのが、あのスペースシャトルの象徴ともいうべき巨大な翼が実際にはほとんど役にたっていないどころか、かえって事故の原因になっているという指摘だ。なんじゃそりゃ。  なぜスペースシャトルは失敗してしまったのか。その原因の一つを松浦は、アポロ計画後のアメリカ航空宇宙産業界が、アポロ計画並に巨額の開発(つまりは官需)を望んだからだと指摘する。メーカーにとってスペースシャトルはなによりも「たくさんお金を使う巨大計画」でなくてはならなかった。つまり「技術開発に、公共投資のような政治的な発想が入り込んでくると大抵ろくなことはならない」のだ。(余談だが、日本の原発産業事情とよく似ているなあと僕は思った)
 まあ、ここまでならアメリカのお家事情だが、実はスペースシャトル計画の失敗によって、世界中が様々な迷惑を被っていることも詳しく記述されている。そして日本は今もこの被害から抜け出せていないのだ。
 人間は技術を追求する生き物だが、その際何を一番大切にしなければいけないのか? 本書から学ぶことは実に大きいだろう。 (加藤梅造)

実録! マーダー・ウォッチャー  MOOK
監修・柳下毅一郎 (洋泉社ムック)1575円
信じられなくとも、目を背けてはならない!全て人間の所業なのだ
 気になる殺人事件が続発する昨今。初期報道(場合によっては一報だけ)の後、「…あれってなんだったのかなぁ」「真相はどうだったんだろう」と思う素朴な欲求を満たしてくれる雑誌や文献は『新潮45』を始め世に多くあります。それらをなるたけチェケし、驚いたり目からウロコが落ちたりしていますが、ひとつ昨今物足りない点がありました。そういった文献の対象は和モノや、古典的有名事件に偏りがちで、海外で最近起きた殺人事件やマヌケな事件の「その後」をぱっと日本語で読める定期刊行物が少ないこと…と嘆いていた事件フリークたちを大喜びさせてくれる書物が出た! エド・ゲインがモデルの『悪魔のいけにえ』をリメイクした『テキサス・チェインソー』公開にかこつけ、映画秘宝別 冊の大判ムックとして刊行された『実録殺人映画ロードマップ』。好評を受け、普通 のムックサイズで装いも新たに刊行された続刊が本書なのです。
 監修者柳下氏訳の力作ルポ『ジェノサイドの丘』やアカデミーにノミネートされた『ホテル・ルワンダ』のモチーフであるルワンダ「1割間引き」100万人大虐殺。カナダの人肉精肉出荷事件。アメリカのネイティブアメリカンにしてネオナチ少年のトレンチコートマフィアより孤独な銃乱射や、近親相姦カルトのドレッドヘア教祖による9人子殺し。イタリアのブラックメタル悪魔崇拝殺人。オランダの「ママの皮かぶってお散歩」事件…と、キラ星のごとき最近の海外殺人事情がぎっちりみっちり詰まっております。
 もちろん日本の事件への目配りもばっちり。「そ、そんな理由で人殺ししちゃうの?」な「激安犯罪」を小説家戸梶圭太と柳下氏の対談で語り尽くすなど、秘宝系ならではの切り口で迫ってくれます。柳下氏を始めとする秘宝ギャングたちが、車で「平成の津山事件」とも称される「加古川7人殺し」現場を来訪するルポも圧巻。文章だけでなく、釣崎清隆の殺人現場写 真や加古川の現場写真などにも張り詰めた緊張感が漂っています。本書の売り上げが良ければ定期刊行化も十分ありえるそうなので、みんなで保存用と愛読用と贈呈用などに何冊でも買いましょう!
 あ、「15歳少年の両親殺し、電熱器タイマー爆発事件」の背景に残酷ゲーム「GTA3」が! と騒がれている現在ですが、ちょうどタイムリーに殺人ゲーム「マンハント」と「GTA3」について詳しく紹介した記事も載っています。筆者は寝食を忘れてこれらのゲームに打ち込み続けたプラスワンの多田遠志っち! なぜか本書では最初から最後まで「清志」になっちゃってるけど(笑)、ぜひこちらも読んでみてね! (尾崎未央)
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セックス・ピストルズ・グレート・コレクション  BOOK
ドール増刊7月号 2200円(限定5000部・シリアルナンバー入り)
ピストルズ・コレクター本の決定版が登場!
 パンク・バンドを中心にアンダーグラウンドのロック・シーン/ロック・バンドを紹介し続け、既に20年以上の歴史あるロック・マガジンのドール。これまでにも「パンク天国1」〜「パンク天国4」、「LEXCON DEVIL/LAパンクの歴史・ジャームスの栄光と伝説」といった増刊号を発売しており、6月1日に新たな増刊号としてセックス・ピストルズのコレクション・ブック「セックス・ピストルズ・グレート・コレクション」を発売した。ご存じのように、セックス・ピストルズといったらパンクの代名詞のような存在で、ピストルズがいなかったら、今の音楽シーンさえも違ったものになっていたと言えるほどの影響力を与えたバンドである。まさに当時のカウンターカルチャーとしてのピストルズは、音楽スタイルはもちろん、ファッション、アートワーク等あらゆる面 でセンセーショナルな存在であった。それだけにピストルズにまつわるレコードやグッズは計り知れない程の量 となり、今やコレクターズ・アイテムになっているものも少なくない。特にレコードは各国でリリースされ、プレスの時期によって仕様が異なっていたりと、マニア泣かせの底無し状態となっている。そんなレコードに関する細かなデータや写 真が満載されたものが、この「セックス・ピストルズ・グレート・コレクション」である。レコードに至っては、7"シングル、12"シングル、アルバムはもちろん、ブートレッグまでも網羅しており、ポスターや書籍に関するデータまでが完備している。冒頭にはピストルズのヒストリーと当時の状況を記したバイオグラフィーも掲載しており、読み応え、見応えたっぷりな内容となっている。珍しいレコードやポスターの写 真を見るだけでも胸躍るもので、ピストルズ・マニアから初心者まで楽しめる一冊だと思う。ギャヴィン・ウォルシュというコレクター著による訳本であるが、彼のピストルズに関する深い愛情と情熱がひしひしと伝わる、完全無欠のピストルズ・コレクション・永久保存版の一冊と言えよう。なお限定5000部・シリアル・ナンバー入りというのもマニアックな仕様でそそられるんじゃないだろうか?
アルフィー  MOVIE (配給:UIP映画)
7月9日(土)より日比谷シャンテ・シネほか全国順次ロードショー
ミック・ジャガーが音楽で全面 参加
 “世界中の美しい女はマンハッタンに集まる…人の話では”──ロンドン出身の主人公アルフィーは、いつか大富豪の令嬢と恋に落ちることを夢見ながら、ニューヨークでしがないリムジン運転手をしている。そして手当たり次第に女性をくどき、ものにしては捨てていくという典型的なプレイボーイだ。「人生は、まずワインと女」「男にとって女は何はともあれ“F.B.B.”だ。“FACE”(顔)“BOOB”(胸)“BUM”(尻)」を人生訓とするアルフィーにとって結婚や家庭といった言葉は最も縁遠いものだ。「人生にパートナーは要らない」と言い切るアルフィーの周りには、セクシーな人妻、シングルマザー、ビジネスウーマンなど複数の女性が存在するが、特定の彼女は作らず、その間を行ったり来たりだ。
 本作の主演ジュード・ロウは、米ピープル誌が2004年度“地球上で最もセクシーな男”に選んだ人だそうだ。だからってわけでもないんだが、映画の序盤で展開されるアルフィーの自由気ままな恋愛ゲームは、僕のようなモテない男にとっては正直観ていて腹が立つ。こういうのをトレンディーでスタイリッシュな生活と言うのなら、俺には一生縁のない世界だなって感じだ。そんな僕がこの映画を見た理由の一つが、音楽をミック・ジャガーが担当しているからだ。
 そもそもこの映画は1967年に公開された同名映画のリメイクで、当時はソニー・ロリンズが音楽を担当し、バート・バカラックとハル・デイヴィッドがテーマ曲を共作したことが話題になったそうだ。そしてこのリメイク版『アルフィー』では、ミック・ジャガーとデイヴ・スチュアート(ex.ユーリズミックス)が全面 的に音楽を担当し、主題歌や挿入歌もミックが歌っている。特に主題歌「オールド・ハビッツ・ダイ・ハード」は素晴らしいロックバラードだ。そして映画もまた、ミックの歌が効果 的に流れてくる所からトーンが変わり、グッと奥深さを増してくる。それまで女性の気持ちを半ば弄んでいたアルフィー。しかし、実は女性の方がもっとしたたかだった。特に癒し的な存在だったシングルマザーのジュリーにふられたアルフィーは、人生が自分が思うほどうまくいかないことを知る。そして、会社の同僚であり親友でもあるマーロンの彼女ロネットとつい関係をもってしまったことで、アルフィーはとんでもない代償を支払わなければならなくなる。同時にそれはアルフィーに、若さだけではどうにもならない人生の重さを教えてくれるのだ。
 オシャレなファッション、素晴らしい音楽、トレンディーな役者陣を揃えた本作だが、観賞後のこの「苦さ」こそが最大の見所かもしれない。 (加藤梅造)
バットマン・ビギンズ  MOVIE
全国にて公開中
暗闇の騎士は再び還って来る
 アメコミ映画って日本ではあんまり当たらない。メインの客層が馬鹿な負け犬女どもな日本では望むべくもないのですが、つまり負け犬にはアメコミなんていい年したムキムキ男が全身タイツのコスプレでBANG! とかなイメージでしかないからなのでしょうね。コスプレって言ってもバットマンの場合、特殊能力など全くない生身の人間なので、それを守る鎧、としての意味合いがあるんだけどなぁ。
 何やかんやで日本でもかなり認知されているバットマンですが、何よりも大事なキャラ付けとしては、はっきり言って基地外なんですよ彼は。両親を幼少期に悪人に殺され、コウモリの幻覚に取り付かれた挙げ句コスプレして夜な夜な悪を狩る大富豪…女は群がってくるし付き合いもするが、抱える暗黒面 の為か長続きした事はない…間違いなくガイキチでキモメンです。周囲の敵も、ジョーカーとか相当オムツのネジの外れた人たちなのですが、彼らに心配されるほど、あの世界の中で一番病んでいるのは間違いなくバットマンなのだと思います。理想主義のスーパーマンとは異なり、たとえ狂ってても自分の信じる正義(だから時には権力と戦ったりもするんですが)を追い求める、そんな姿勢が混迷を極める今の風潮には合っているんでしょうか。
 大ヒットした「バットマン」。T・バートンの好きにやらせ過ぎて陰々滅々、フリークスがこの世の果 てでドツき合う、こわれ者の祭典になってしまった大傑作(今観ても泣けます)の「〜リターンズ」。その反動でド派手なキンキラキンの2丁目のショーパブみたいになっちゃった「〜フォーエバー」「〜&ロビン」……それらを受けての今回の「〜ビギンズ」ですが、バットマンの中の人は太陽の帝国やアメリカン・サイコの基地外役者界期待のホープ、C・ベールでありますからやっぱりサイコの方がウケる、と踏んだのでありましょうな。中身は…よかったですよ。でもね、日本での広告展開、ケンケンケンケンうるさいよ。ワタナベケンなんかチョイ役じゃん! 
 …ま、これでバットマン第1回である『イヤーワン』が映画化されたのですから、次はバットマン最終回(『さよならドラえもん』のようなものです)、アメコミの歴史を変えてしまった『ダークナイト・リターンズ』を映画化してほしいものです。ヒーローそのものが反社会活動となった管理社会、もはや老境に差し掛かったバットマンが老いと狂気に蝕まれながらも全世界を独り敵に回して政府のイヌとなったスーパーマンと最後の対決に臨む… これが映画になったらもう2度とバットマンの映画、なくてもいいです。バットマン役はC・イーストウッドで! (多田遠志)
マリといた夏  MOVIE
(配給:アルゴピクチャーズ)8月シアターイメージフォーラム他ロードショー
韓国発信。アニメーションの可能性が詰まった映画
 いくら韓流ブームになっても、その独特の台詞まわしや演出に対する違和感を取り払うことができず、結局韓国ドラマにはなじめなかった。韓国アニメーションも同様に、きっとしっくりこないのだろうと思っていたが、この「マリといた夏」に関して言えば、そんな心配は一切無用だった。どこか懐かしく、そしてすんなりと心に浸透していくこの作品の世界観は、「韓国版ジブリ」といえば想像しやすいかもしれない。しかし、決して単なるジャパニメーションの真似事という訳ではない。ディズニーアニメより遥かに現実味を帯びていて、日本のアニメより計算しつくされていないところが、とても斬新な印象を残した。というのも、前者ほどエンターテイメント性に偏ることもないし、最近の日本アニメの特徴ともいえる、環境破壊や人間の驕りを暗に警告するようなメッセージ性も、この作品においてはみてとれなかった。  大人になった主人公(ナム)が幼馴染と再会し、共に過ごした少年時代を振りかえるシーンからこのストーリーは始まる。小学校時代のナムは、父親を事故でなくして以来、自分の殻に閉じこもっており、常になにかに不安を感じているような内向的な少年だった。そんなある日、ひとつの不思議なビー玉 と、その中に住む少女・マリと出会い、ナムの日常は少しずつ変化してゆく。ムムム作中で、ナムは「現実世界」と「マリの住む世界」を何度も何度も行き来する。そこに、はっきりした区別 はないので、「今観ているのはどちらの世界だろう?」などと、変に頭を使おうとしたため、私は途中から少し混乱してしまった。そこで、ふと「いつの頃から、明確な理論づけなしでは、物事を受け入れられなくなったのだろう。」と考えた。例えば、映画を観るにしろ、「このシーンは伏線で、このモチーフは○○を象徴している。」なんて、無意識のうちに頭のなかで合理的な説明を見つけようとしていることに気づかされた。  しかし、そもそもそんな理屈には縛られないのが「子供」であり、イ・ソンガン監督はその「子供」だけに許された特別 な世界を、ありのままにアニメとして表現した。そのような作品に対して、私の硬くなった頭が通 用する訳がない。そう割り切って、途中からはあえてなにも考えず、映像に身を任せて作品を鑑賞した。そうすれば、「マリの世界」というのはとても心地がよい。ずっと夢の中にいるような感覚というのが、最も近い表現かもしれない。  監督自身が「この作品は、大人にこそ見て欲しい。」と、インタビューで語った通 り、子供時代を通り過ぎた大人が、頭をカラにして鑑賞する。忙しい日々でフル稼働させている頭を休めた時に、普段はなかなか思い出すことのない、子供の頃の夢のある世界が再び現れそこにどっぷりと浸る。そんな特別 な時間を与えてくれるこの映画は、アニメーションの新しい可能性を見せてくれたように思う。 (杉浦もも子)
BAADASSSSS!  MOVIE
(配給:ミラクルヴォイス)9月シネセゾン渋谷にてレイトショー
ブラック・ムーヴィー誕生の瞬間
 時たま、時代を変えてしまうのではないかと感じさせられてしまうほどの熱気みたいなのを含んだものと出会うことがあります。マイルス・デイヴィスとかジェームス・ブラウンとかスライ&ザ・ファミリーストーンとか(同時代にいた黒人ばかりなのに自分でもびっくりしましたが、そういった嗜好みたいです)。そういったものに、その有様をガツンと見せつけられると、かなりハッとさせられます。ぼくは何をわかった気になっているのかと。
 で、今回観たこの映画にも、ハッとさせられました。 「ライト兄弟以前は、有人飛行は存在しなかった。彼らが出現してから、我々は月や宇宙に出て行くことが可能となった。メルヴィン・ヴァン・ピープルズの前には黒人のブラザーが立ち上がり、人々の前で意思を表明する映画など存在しなかった。」(劇場パンフレットより)  1971年に上映されたMelvin Van Peebles監督の自主製作映画「Sweet Sweetback’s Baadassss Song」。
 白人を殺した黒人が逃げ切ってしまうという、当時のアメリカ社会においては有り得ないはずだった映画。その内容ゆえに、メジャー製作会社からは相手にされず自主製作で撮り始め、資金難やスタッフの不当逮捕、疲労から片目の視力低下等々の困難に立ち向かいながら完成。そして上映まで漕ぎ着ける。
 その結果、白人たちからは恐れおののく呻き声が、黒人やそのほかのマイノリティーたちからは驚喜乱舞拍手喝采が送られた。
 メルヴィンの息子で「Sweet Sweetback’s Baadassss Song」にも出演していたMario Van Peeblesが監督・製作・脚本・主演した映画が、この「BAADASSSSS!」。
 これは、「Sweet Sweetback’s Baadassss Song」撮影当時の状況を丹念に描写 した、ドキュメンタリータッチでノンフィクションの作品。  出演者が皆、最初っから最後まで驚くくらいにスタイリッシュで超格好良い。当時の皆はこんなにも格好良かったのだから、当然出演者は皆格好良くなければ許さん、という意識。いまの自分があるのに多大な影響を及ぼした父とその家族に対する尊敬と感謝と愛情の念。そして、「Sweet Sweetback’s Baadassss Song」というエポックメイキングに関わった人間としての意識。
 「BAADASSSSS!」はそんなこんなをドッカンドッカンどころじゃないくらいの勢いでぶつけてくる映画。また観に行きます。「Sweet Sweetback’s Baadassss Song」は同じく秋にユーロスペースにてレイトショーするとのこと。この作品を未見のぼくは、こちらもとても楽しみ楽しみ。 (宮城 剛)
ヒトラー 〜最期の12日間〜  MOVIE
(配給:GAGA) 7月9日 シネマライズほか全国順次ロードショー
最期の秘書が見た、人間ヒトラー
 今夏は話題の映画が目白押しだが、個人的に一番興味深いのがこの『ヒトラー〜最期の12日間〜』だ。制作はドイツで、公開されるや賛否両論の激しい議論を巻き起こし社会現象にまでなった。例えば、同じドイツ国内でも「殺人鬼の人間性を振り返る必要など、どこにあるのだろうか(ターゲスシュピーゲル紙)」、「切に忘れたい事実を強烈に映し出す偉業は誰しもができるものではない。素晴らしい(シュピーゲル紙)」と評価は両極端だし、イスラエルに至っては「ドイツはユダヤ人大虐殺の歴史を取り繕い美化している(エルサレムポスト紙)」と痛烈な批判があがっている。まさに公開すること自体が一つの事件となっているのだ。
 「私はドイツ語を使い、ドイツ人俳優とドイツ人監督でこの映画を撮影したかった。」と製作/脚本のベルント・アイヒンガーが語っている通 り、この映画はドイツで制作されたことに大きな意味がある。ドイツにおいてヒトラーは最大のタブーで(ちなみにナチスを賛美することは法律で禁止されている)、映画界でも今までヒトラーを正面 から映画化したことはなかった。しかしタブーとは容易に美化される恐れがある。むしろ、タブーを破ってその対象を正確に捉えることの方が、ナチスを生んだドイツが、二度と同じ過ちを繰り返さないためにも必要なことではないか。そうした強い意志がこの困難な映画を完成に導いたのだろう。
 ヒトラーを演じるブルーノ・ガンツは、当初この役を引き受けることを迷ったそうだ。確かにヒトラー自体が、宣伝大臣ゲッベルスの細かい演出を受けた名俳優とも言える存在で、その記録フィルムも膨大に残っている。多くの人のイメージにあるヒトラー像を裏切らないようにヒトラーを演じることは役者にとって相当難しい作業だろう。しかし、映画を見た人が最初に驚くのは、あまりにもイメージ通 りのヒトラーの姿だ。風貌もそっくりだが、拳を振りあげ興奮して演説する姿などはまるでモノクロ記録映像の中のヒトラーそのもの。ブルーノ・ガンツの名優ぶりを改めて認識させられる。
 この迫真のヒトラーは、映画の中でもう一つの顔を見せる。側近からは常に恐れられたヒトラーは、愛人エヴァ・ブラウンやゲッベルスの子供達に対してはとても優しく接する。そして、この映画のもう一人の主役であるヒトラー最期の秘書ユンゲに対するヒトラーは、フェミニストとも思える程優しい初老の老人だ。おそらく、こうしたヒトラーの人間らしい(?)描写 が、この映画を嫌悪する人にとって許せないものなのだと思う。ヒトラーは悪魔の殺人鬼であって、決して人間らしい側面 などあってはならないのだ。
 しかし、ヒトラーの二面性を描いたことにこの映画の大きな意味がある。もしこの映画がヒトラーと側近のナチス幹部だけが中心で、一介の秘書に過ぎないユンゲが脇役の一人だったら、映画はもっと凡庸な作品になっていただろう。ヒトラーは悪魔でもなければ鬼でもない。若い時には画家を目指していた普通 の小市民だ。同様にナチスの幹部、ゲッベルス、ゲーリング、ヒムラー達も聡明な普通 の人間だったのだ。その普通の人間達が、ナチスという恐怖の集団を作り上げてしまった事実こそ、現在の私たちが学ばなければいけない最大の部分なのだと思う。
 ヒトラーの人間描写と並んで、この映画のもう一つの見所は、戦争末期、ソ連軍がベルリンを包囲し、ナチス幹部の誰もが敗戦を確信する中の最期の12日間の人間模様だ。最期までヒトラーに忠誠を尽くす者、抵抗して裏切る者、あきらめて享楽にふける者、戸惑うだけの者など、組織が崩壊する間際の人達の葛藤劇は、ある意味、人間社会の普遍的な現実を描いている。そして、もはや誰が見ても常軌を逸したヒトラーの妄言や命令に対し、周囲にいる誰もがそれを止められないという悲しい現実。強さを求め恐怖に支配された人間達の弱さをまざまざと見せつけられる。もちろんこれはナチスだけに限らず、社会の至る所で今も起こっている。一国の元首から、会社の代表、いじめ集団のリーダーに至るまで、ミニ・ヒトラー的な存在はいくらでもいるだろう。だからこそこの映画でのヒトラーは殺人鬼ではなく一人の人間として描かれなければならなかったのだ。
 他にも、ベルリン市街のリアルな爆撃シーン、ナチス幹部達の退廃的な酒宴のシーンなど見所は多い。155分の上映時間に一切の弛緩がなく、特に映画のラストには誰もが息を飲むだろう。この今年最大の問題作を是非、映画館のスクリーンで体験して欲しい。そして自分自身の中のヒトラーをじっくりと見つめて欲しい。 (加藤梅造)
マイアミ・バイス シーズン1 DVD-BOX
(ユニバーサル・ピクチャーズ・ジャパン)17800円
皆さんのお茶の間が火曜9時のテレ東に! (非関東圏の人ゴメン)
 DVDなんてあんま買わないよねー、レンタルでいいじゃんねー、などという発言をよく売り場で聞く。確かに。しかしレンタルは盤質が悪く、いきなりネタばれの箇所に飛んでしまったりする、それに特典映像も観られないし… と色々言い訳はあるのだが、ボク自身の問題に限って言わせてもらえばDVD購入は少年期の自分の代行復讐である、と言える。テレビは1台という家庭環境で子供にチャンネル権などあるわけもなく、途中で「寝なさい」と言われて鑑賞を中断せざるを得なかった作品が山ほどあるのだ。多くはホラーやエロだったりするのだが…。自分の金で映画を観られるのはまだ先の話だったボクの映画生活というのは、コマ切れな場面 の断片の記憶で彩られている。DVD売り場にそんな作品があると矢もタテもたまらず買ってしまっているが、それは好きな映画を自由に観られなかった小さい頃の自分への供物なのかもしれない。買い求め、所有したことで満足しているのかもしれないけれど。
 今回出るこの「マイアミ・バイス」もそんな内の1つだった。80年代の麻薬はびこるマイアミで潜入捜査する刑事物。ヤクの売人の所に上客のフリして潜入、というオトリ捜査が必要なほどアメリカのドラッグ問題って深刻なんだなぁ、と当時も思いましたね。同時期にはやったMTVの影響も大きく、全編80's音楽山盛り。というか意味なくミュージシャンのカメオが多くてね、JBが教祖のカルトでLSDキメた信者が、マンダラの中央でJBフェイスがグルグル回っている幻覚を見たり、他にもイギー・ポップ、ジーン・シモンズ、フランク・ザッパなどが出てたみたいですよ。個人的にはフィル・コリンズ(声:せんだみつお)が気になります。
 刑事物にファッション性を盛り込んだのもこの作品が先駆かと。アルマーニスーツの刑事とかですな。これを日本流に解釈すると、どうして「あぶ刑事」になってしまうんでしょうか。でも前の週木っ端微塵にされたのに次回ではまた新しいフェラーリ乗って来た時はさすがに「オイオイどれだけ収入あんだよ」と子供ながらにも思ったものじゃよゴホゴホ。
 しかし考えてみるとナイトライダーとかAチームとか、何だか最近狙いすましたリリースばっかですね。ネットもなく、ツタヤもまだ近所にない、TVで映画や海外ドラマ観るしかなかった20〜30代は狙われてますよ。コンピューターゲームの主な購買層もドラクエ世代の、ゲーム止められなかったこの辺なんだから、辛い所だなぁ。しかもこの『マイアミ〜』、確かシーズン10まで続いたんじゃなかったっけ? …過去の自分への癒しにも金はかかる、ってことだろうか、トホホ (多田遠志)