監獄記   BOOK
塩見孝也 (オークラ出版)1905円+税

間違いなく面白すぎの本だ。私が保証しますよ
 11月の初旬会社に行ったら私のデスクの上にこの本「監獄記」が、なんか寂しそうにぽつんと置いてあった。私の何ともおもしろ友人の一人、元赤軍派議長の塩見さんが送ってくれた本だ。それも、以前何冊か塩見さんが出版した本より分厚くハードカバーだ。これまで塩見さんの本は何とも私にとってはあまりいただけない本だった。いわゆる「理論本」だったからだ。わたしゃ、もうこの年して「いかに赤軍派が正しかったか(勿論塩見さんの総括反省を込めての論文?であったのだが)」はもういいよって言う感じなので、どうしても遠慮してしまったり途中で放棄してしまうのだが・・・「しょうがねえな〜、読まなかったら又、平野!まだ読んでいなかったのか!バカたれめ!」って怒鳴られるので仕方なしに本書を読み始めた。  一方でこの本を私は読まなければならない義理もあった。わたしゃ、友人のよしみで半年前塩見さんに生意気にアドバイスしたことがあった。 「あのな〜、あんたの総括本の数々・・・リハビリ宣言や、幸福論、赤軍派始末記はどうにも理論的すぎて俺には面 白くなかった。もういいよ、赤軍派がいかに正しかったかは・・・」と勝手な事を言っちゃったのだ。更に続けて私は言う「塩見さんは監獄時代(約20年)は刑務所長や看守から「さん」付けで呼ばせていたって自慢していただろ〜。どんな長く刑務所に入った連中に聞いても、そんなことあり得ないって言うし、もしそうだったらそれは凄いことだって言っているし、塩見さんの獄中闘争記、20年間のいろいろ面 白いムショ話を読みたいよ。監獄ものの本は売れるって言うし、是非書いてみたらいいじゃん」って言った事があった。そのことがこの本を書く切っ掛けになったかどうかは知らないが、塩見旦那は約半年間、我々の所に姿をほとんど見せず必死に書き上げたらしい。
 1970年に逮捕された塩見孝也は27歳から48歳まで、拘置所(13年半)〜府中刑務所での懲役生活(6年)に入る。ちなみに検察の求刑は無期懲役だった。83年秋、刑務所官僚どもにとっては赤軍派議長という恐怖の男が府中刑務所にやって来た。その男がいわゆる「獄中で他の受刑者なんかにいろいろ扇動して、ムショ内紛争をまき散らされたらかなわない」と刑務官達は怯える。物語はそんなところから始まる。だから彼ら刑務所官僚は塩見さんを劣悪な環境「厳正独房」に置き、なんとか「転向」させようといじめ抜く。もし塩見孝也が「転向(過去の自分の行為を反省すること)」したら刑務所官僚の大金星だ。塩見さんの後に続こうとする革命家達や日本の新左翼運動にも大変な打撃だ。だからこのいじめ方が凄い。それでも戦い抜く我らの塩見さん。ホント、あっぱれだ!尊敬する。  これは面白い。特に前半は読んでいてゾクゾク戦慄する。監獄ものとしては最高傑作だ。深夜から読み始めて、面 白すぎて止まらなかった。それほど面白いし、悪徳代官をやっつけると言った感じの痛快物語なのだ。何しろ獄中20年、保釈は一切認められず親の死に目さえ官僚は輸送途中「奪還されたら 誰が責任を取る?」って官僚特有の保身で怖がって許可されなかったのだ。だからまさに満期で戦い抜いた塩見さんは、監獄のジャンヌダルクなのだと思う。彼は間違いなく思想犯・政治犯なのだ。この本は多くの罪で服役している人たちに大きな勇気を与えると思う。
 この本を一気に読み終わって思わず私は興奮のあまり塩見さんに電話してしまった。「この本絶対面 白いよ!凄い!プラスワンでイベントやろう〜」って・・。
 だから12月6日、ロフトプラスワンで「監獄記」出版記念トークを開催する。是非来てください。最近鈴木邦男さんや宮崎学さんも塩見さんも、オールドな連中がいい本を出しているよな〜。私も頑張らねばと思うのだが・・・。 (平野悠)

カシマさんを追う 呪いの都市伝説   BOOK
松山ひろし (アールズ出版)1300円+税
脚、頂きに参ります… 口裂け女の陰で脈々と語られた「伝染る」恐怖
 「カシマさん」は40年来密やかに伝えられてきた都市伝説。「口裂け女」や後の「学校怪談」ブームの陰に隠れているが、陰惨、かつ「洒落にならないヤバさ」を漂わせた話だ。地域時代によるが大体共通 するモチーフは手脚の欠損(火傷)。話を聞いた者の元(大抵三日後深夜)に現れ、手や足をもぎ取る。バレリーナ(ピアニスト)志望だが手脚を失った女性だったり(名前はカシマレイコであることが多い)、旧日本軍の英霊だったりと性別 もまちまち。呪いを避けるため取るべき行動も併せて添えられる。●聞いた話を×日以内に×人(3日で5人等)に伝える●呪文で撃退。「カシマのカは仮面 のカ、シは死人のシ、マは悪魔のマ」など●「足いるか」と聞かれ「いらない」と答えると足をちぎられる。「いる」と答えると足を余計にくっつけられるので何を聞かれても「カシマさん」と答える…など。聞き手を巻き込み伝染する『リング』の先駆けともいえる。
 本書はアンケートや鹿島神宮現地調査、メディア記事からカシマさんを追う試みの集積だ。これを読むのは単にいつもの如く怪談本を読むのとは違う感慨があった。実は34歳の私自身、70'sから80's初頭にこの話の洗礼を浴びたのだ。遠足で鹿島神宮に行く1週間ほど前から、同学年内で爆発的かつ隠密に囁かれた…「○日以内に○人に伝えないと足をもぎ取られる」「出られたら呪文を3回唱えると無事」「洒落にならない呪い」という話だった。呪文は 「カシマまします ましますカシマ」…。当時は意味のない言葉だと思いつつ必死に暗唱した…後に「カシマ様がおわします」て意味だと気付き、由来がある物かどうか凄く気になったものの、出身小固有のローカル怪談だと思い込んでいた。しかし長じてゲーム『デビルサマナー』で「カシマレイコ」が片脚を手にしている絵を見て驚愕した。全国的に有名だったとは。それ以来ずっと気になっていたので、本書で発祥起原の可能性や様々な地域/年令の人々によるカシマさん話が網羅されていて嬉しかった。ただ、私は本書を60年代生まれの2人から「死ぬ 程怖い」と別々に勧められたが、怖いとは思えなかったと告白せざるを得ない…つまらないのではなく「子供の頃の記憶」が余りに怖すぎたのだと思う。 勧めてくれた方々は、リアルに口頭でこの洗礼は浴びなかったようだ。
 本書によると、「カシマさん」マスコミ初登場は72年、元日本兵の横井氏がグアムから帰国、小野田氏がルバングで発見され、「戦争の記憶」が一気に人々に蘇った年…など、大変興味深い考察に満ちている。私見だが、72年頃はサリドマイド過が人々の意識に生々しかった頃でもなかろうか。つわり予防/催眠剤などとして妊婦に投与された薬が、胎児に重篤な四肢障害を生んだ事件…日本での障害児出生は1959-69年、和解成立は74年。四肢欠損児らが一般 の目に触れるようになるまでズレがあるだろう事、カシマさん話が囁かれてからマスコミ登場までの時間差を考慮すると、この薬害事件も、闇で四肢欠損に関する怖い噂が広まるのに力を貸した可能性もあるのではないかと思う。デビルサマナー以外にも、「古伝降霊術 百物語」「流行り神 警視庁怪異事件ファイル」など、ゲームの世界にも進出しているカシマさん。80年代以降の人々が、本書を読みどう思うか、更にカシマさんがどう変容、伝えられていくのか、非常に興味深いところである。 (尾崎未央)
ザ・スターリン伝説   BOOK(+DVD)
遠藤ミチロウ (マガジン・ファイブ)2700円+税
社会的異物としてのザ・スターリン
 遠藤ミチロウとザ・スターリン関連の書籍をライフワーク的に刊行しているマガジン・ファイブから、新たな(そして決定的な)一冊が届けられた。「ザ・スターリン伝説〜スキャンダル・スクラップ集【1981-1985】」と銘打たれたこの本は、ザ・スターリンが、そのデビューから解散までに、女性自身、アサヒ芸能、フォーカス、プレイボーイ、東スポなど、あらゆる芸能誌、一般 誌などでセンセーショナルに取り上げられたスキャンダル記事を編集したもので、バンドのみならず80年代前半という時代性そのものを証言する興味深い内容となっている。
 ロックとスキャンダルというのは、よくある取り合わせではあるが、ザ・スターリンに関するスキャンダルは、そんじょそこらの芸能人のチンケな醜聞とはレベルが違っていた。それはパンクの本家、セックス・ピストルズのスキャンダルにも通 ずる、世の良識派が危機感を抱くような、つまり社会の根幹を揺るがしかねない危険な臭いのするものだった。
 ザ・スターリンの記念すべきマスコミデビューは、音楽誌でもロック番組でもなく、なんと「女性自身」だった。その見出しが(今見るとお笑いだが)、「本誌記者潜入!変態バンド“スターリン”の信じられないショックステージ」と、まるでマフィアの実態でも暴いたような大げさなコピーが踊っている。まあ、確かにデビュー当時のスターリンのライブは、観客はあちこちでバクチクを鳴らし、ミチロウは全裸で放尿、ニワトリの首や臓物がステージや客席を飛び交うという混沌としたもので、週刊誌としては格好のネタだったのだろう。もちろん多くの雑誌が後追いし、特に関東学院の学祭で、公然ワイセツ罪で逮捕された事件は、一躍、スターリンの名を全国に知らしめた。  多くの週刊誌がスターリンをキワモノ扱いでおもしろおかしく記事にしているが、今思うと、こんな非常識なバンドがティーンエイジャーの圧倒的な支持を集めていることに対する一般 世間の焦り(憤り)が、こうした悪意ある記事を書かせていたのだと思う。しかし、スターリンがメジャーデビューし、その優れた音楽性に気づいた一般 誌や音楽誌から徐々にスターリンの本質に迫る記事が増えてくる。特に「平凡パンチ」と「宝島」は好意的で、ミチロウも「ちょうどこの頃になると、今までスキャンダラスなだけで取り上げていたのに、ちゃんとインタビューしてくれるようになったから言いたいことが言えるような状況になった」と回想している。言葉に対して天才的な感覚を持つミチロウの「言いたいことが言えるような」インタビューは、どれも名言が多い。「うたってて気持ちよくなったら、もう終わりだよ。オレは気持ちよくなりたいためにうたっているんじゃない。オレは自分の矛盾を、とことんさらけ出すためにうたっているんだ。」(平凡パンチ)など、ロックの本質を的確に表現している。
 これは僕の私見だが、遠藤ミチロウ(ザ・スターリン)は80年代という軽薄短小の浮かれた時代に、全共闘の負債を一人で引き受けて孤独に闘っていたのだと思えてならない。ミチロウは全共闘の終焉を経験しているが、そういったものがなかったことになっていた80年代に、全共闘世代とは全く異なる方法論で社会と対峙していた。 「伝統的なコミュニケーションなんて一回はぶち壊さなくてはダメだ。それで次に個を捉え直したところから何かを始めるってことが必要なんじゃないか。」という当時の発言からは、スターリンがただのロックバンドとは全く違う視点を持っていたことがわかる。
 ロックファンにとって、ザ・スターリンのCDはすべてマストであるが、本書は音楽面 だけでなく、スターリンの社会的な存在意義を明確にするのにもっとも優れた書物となるだろう。付録のDVD(テレビ埼玉 で放映された82年スターリンの超貴重なライブ)も画質最高で本書の資料的価値をさらに高めている。  (加藤梅造)
電車男   BOOK
中野独人 (新潮社)1365円(そのうちBOOKOFFで¥100)
 底の浅い偽悪ならハナからしないで下さい
 パソコンを使用し、情報を得ているからには2ちゃんねるは時々利用せざるを得ない。それ単体では絶対雑誌もHPも作られないような枝葉末節重箱の隅、というような事でも同好の士が集まって、悪口を浴びせあいながらも情報交換している…そういった利用には2ちゃんは情報収集に欠かせないモノだ、余り有名人叩きとかは好きではないのだが。匿名性は良くも悪くも働く、ということである。まあ顔や名前も出さない奴らがガタガタ言ってるという側面 はあるし、ウソも多く含まれている、そこから取捨選択できる目を持っている必要はある。
 おおむね罵倒やら祭りやらと悪口雑言が飛び交うのが当たり前の2ちゃんにおいて、たまーにいい話というか、世のためになるようなことがある。ネコ虐待した奴を皆で手分けしてポリに突き出したりとか。でもそれが何だってんだ? ワルぶっていても「これはちょっと…」とモラルを超えた事象があると、とたんに引いてしまって善人ヅラする(しかも「匿名さんの多数決」で)、しょせんカッコだけのまさに偽悪なわけだ。昨今の香田さん殺害映像だって、あれだけ騒いでいたのにいざ映像が出ると「……」。お前らアメリカ人が大絶叫しながら首ゴリゴリされてた時は大喜びしてた癖に日本人になると途端にドン引きかよ、おめでてーな! であります。何であれ、感情やモラル、そんなものが絡んでくると途端にDQNになってしまうあたり、ああネオむぎ茶恐るべし、であって。悪を貫くのは意外に難しい、と言う事なのだろうか…。
 この『電車男』は…まあ大体想像はつくでしょうが、僕は嫌いです、この本。元々恋愛モノというだけでかなり点は低くなってしまうのは僕がハードゲイだからかと思いますが、実は引きこもりがちな2ちゃんねらの実態が今や『セカチュー』とかと一緒くたに「感動」という暴力やセックスよりもタチの悪いエンタメとして消費されんとしているわけですよ。それも「おれたちの起こしたムーヴメント」と言えるんでしょうかね?「電車で酔っ払いから女性を助けたオタがデートに誘いたくてねら達の助けを請う」…余りに陳腐でその内TVドラマにでもなるでしょう。「めしどこかたのむ」=「助けて下さい!」にしか思えないし。なんだかライターor編集の息がかかっているのではないか?との疑念が拭いきれません。こなれすぎだよねえ正直。そんなんだったら生まれた子供が奇病持ち、愛情と憎悪に引き裂かれながらわが子の最期までを実況した『完全型心内膜床欠損症新生児1000グラムさあどうする?』(http://rsr125r-web.hp.infoseek.co.jp/1013434435.html)の方がよほど胸を打つのだが。出版できないか。しかしその出版不可能さ加減も2ちゃんの魅力だったりするのだから、こんなツマんないムーブメントにまとめてほしくはないと思うのであった。(多田遠志)
自殺されちゃった僕   BOOK
吉永嘉明 (飛鳥新社)1400円+税
 自殺されてしまった者が生きるということ
 身近な人が自殺しようとした時、その人の深刻度にもよるが、多くの場合それを止めることは容易ではない。人生に絶望している人に対して、もっともらしい正論や説教を言ったところで何の役にも立たない。一口に自殺といっても、その理由は個々人固有のものだから、そこでは宗教や哲学などの抽象的なもの、あるいは親しくもない他人の助言などは無力だ。  著者の吉永嘉明は3人の身近な人に「自殺されちゃった」という現実を基に本書を書き上げた。その3人とは──人気漫画家であり友人だったねこぢる。日本一のドラッグライターであり先輩編集者だった青山正明。そして、同じ編集者であり最愛の妻だった巽早紀。とりわけ自分と生活を共にするパートナーであった巽早紀の自殺は、吉永氏を悲しみと絶望の淵に落とし入れた。妻が自殺したことによる無力感と極度の自律神経失調症に苦しんだ吉永氏はほとんど後追い自殺寸前の所まで行ったが、その自殺を踏みとどめさせる1本の命綱が本書の執筆だった。 「単に悲しみにひたるのではなく、この悲しみを少しでも意味のあるものにしなくてはいけないと思った。そうでないと僕は悲しみに溺れて救いようがなくなってしまう…」
 著者自身「理屈でなく感情で書く」と記したように、本書は身近な3人が自殺に至る経緯を客観的な分析を交えると同時に、非常に個人的な体験として記述している。「あんなに人のことを案じてくれたねこぢるだったのに、なんで自分の命は粗末に扱うんだろう。」「僕は、贅沢な死を迎えたふたり(註:ねこぢると妻)を認めることはためらいがある。」と、死者にむけての問いかけがあちこちに露呈されている。しかし、本書が作者の個人的体験を記した追悼録かというとそうではない。本書には吉永氏がどうしても書かねばならない明確な理由があった。それは、本書を読んで一人でも多くの自殺者が減って欲しいという、あまりにもストレートでかつ困難な目的だ。
 吉永氏はかつて青山正明と共に、一大「鬼畜系」ブームを作った『危ない一号』を編集しており、ねこぢるや巽早紀ともそうした周辺の人脈で知り合っている。ドラッグ、死、変態、フリークスなどをタブーなく扱う「鬼畜系」には当時多くの若者が引き寄せられた。そして彼らの多くは、やはり『危ない一号』でも執筆していた鶴見済の『完全自殺マニュアル』を熱狂的に支持した。
 つまり、吉永氏はドラッグにハマってどうにもならなくなったり、虚無感に囚われ『完全自殺マニュアル』を本気で実行してしまう人達の気持ちを誰よりもよく理解している。だからこそ、本書は吉永氏にとってどうしても必要だったのではないか。最愛の妻の自殺を「あれが理論的に突き詰めていった合理的な答えだったんだ」と理解する一方で、「宗教やクスリ、自殺は最終兵器だ。この世に自分ただひとりならいい。実際にはいろんな人と接し、遊び、働き、ひとりぼっちなんてありえない。その誰かをあらかじめ捨ててしまっている」と必至に抵抗する。そこには、生き残ってしまった者からこれから死のうとする者に対しての痛切な(しかもあてどもない)呼びかけが聞こえてくる。
 たぶん、中高年で自殺する人の多くは若い頃に自分が自殺するなんて想像してなかっただろう。今や自殺は死と同様に、人々のすぐ隣でその暗い戸口を開いている。自殺に囚われた人にとって、本書が命綱の一本になるかどうかは誰にもわからない。ただ、吉永氏はそれがどんなに細くてもその手綱を放さないと決意している。それが生き残った自分にとって唯一の道だとでもいうように。  悲しみの淵で本書を書き上げた吉永氏と、執筆をサポートした編集の赤田祐一氏に、僕は心から敬意を表したい。 (加藤梅造)
ファック・ミー・テンダー   BOOK
大泉りか (講談社)1,470円
 栗戸理花こと、大泉りかのデビュー小説
 そのパフォーマンスがあまりにも過激でスキャンダラスな為、オレが個人的に“SM界のスターリン”と呼んでる(笑)、噂のエロティックパフォーマンス集団“ピンクローターズ”の栗戸理花こと、大泉りかのデビュー小説がこの“ファック・ミー・テンダー”である。プラスワンでSMショーをやったり、常磐響さん撮り下ろしのセミヌード写 真集を出したりと、マルチな活動をする理花ちゃんだが、本人に聞いたところ“実は一番好きな事は文章を書くこと”だそうで、確かに読んでみるとデビュー小説とは思えない、驚く程高いクオリティーと、独特の緊張感が最後まで持続した作品で一気に読まされてしまい、普段のプラスワンのステージでのあの何をしでかすか分からない理花ちゃんしか見た事ないオレにとっては思わぬ 才能に驚かされたという感じで、帯の“衝撃のデビュー小説”というフレーズに偽り無しの素晴らしい作品だと思った。
 話の内容は理花ちゃんの自伝的な、というか自伝だとオレは思ってるが、同じ大学に通 いながらヌードモデルの仕事をしてるリカ、そしてキャバ嬢をしているミキという、女子大生とは違うもう一つの顔を持つ二人の女性が、様々な事に巻き込まれていく話が交互に続くという、ちょっと変わった手法で進んでいく。他人の前で裸を見せる事に楽しさと虚無を一緒に感じながらもヌードモデルを続けるリカは、SMやハメ撮りなど段々とハードな仕事をするようになり、いずれ仕事が親にばれたり、傷付きながらも途中、色んな事に気付いていきながら、なんとか前に進んでいこうとする。キャバ嬢のミキは、店に来る客達と次々と寝ながら金を稼ぎ続けるが、ある時自分が客と寝ることをやめないのは、それが今までの自分を否定する事だからという事に気付いてしまう。そして二人は色んな壮絶な経験をしていきながら、何かが変わったとお互いが感じたその瞬間、再び最後に出会う。その二人の女性はきっと理花ちゃん自身なのだろう。
 この小説の中には、いかにも怪しげな二人の男が登場する。一人はリカの事務所の社長で、リカにレイプまがいな事をしたり色々な場面 でリカを翻弄させる。もう一人はミキが金目当てではなく、自分の意志で会い続けセックスをし続ける男で、その男もミキを翻弄し続ける。そのいかにも怪しい男二人はホント身勝手で読んでて胡散臭さを感じさせるが、同時に男の何とも切ない孤独と疲労感も感じさせてしまう。女性はみんな読みながらきっとリカとミキに自分を照らし合わせるだろうが、男は読みながらみんなこの怪しい男二人にきっとシンパシーを抱いてしまうだろう。 (シンスケ横山)
「自由」って何だ?ジャムバンドPHISHが伝えた「僕たちの自由」 BOOK
菊地 崇:文 安部英知:写真 (マーブルトロン)2400円+税
 PHISHとの自由への旅。You Enjoy Myself
 グレイトフルデッド以降のオルタナティブ・カルチャーを代表するバンドPHISH。1983年にアメリカ北東部ヴァーモントで結成。オーディエンスとコミットするかのようなインプロヴィゼーションを含んだショーを活動の主軸とし(通 算1183回のショーと674種の曲を22,000回以上演奏したそうだ!)、ライブ会場で生み出される音を追求し、野外のキャンプ・インショーでは数万人のPHANS(PHISHファン)を集める。
 テープ・トレード、ライブ音源のダウンロード配信などシェアリング・マインドを貫き、数多くのファン・コミュニティー、周辺カルチャーを生み出した。
 99年、フジロック・フェスティバルで初来日、3日間連続のショーを慣行。翌年5会場による再来日ツアー。04年5月に突然の解散宣言。8月のヴァーモント州コヴェントリーが最後のショーとなり、21年余りの旅に1つのピリオドを打った。  本書は、熱心なPHANでありオルタナティブ・音楽ライター菊地 崇氏による、PHSHとの熱を帯びた旅の記だ。
--- I Love You More Than Words Can Tell  PHISHの解散のアナウンスで、私の心に真っ先に思い浮かんだ言葉だ。そう、言葉で表現できないんだから、ショーで自分が持っている術で表現するしかないじゃない。8月(日本ではお盆の真っ最中、ハイシーズンにもほどがる)コヴェントリーにたどり着いた多くのPHANと同じように、あせる気持ちと格 闘しながら、ショーとエアー・チケットと会場までのアクセス方法をゲットしたにも関わらず、寸前で自分の意思で渡米をやめた。断念したのではなくて、やめたという方がしっくりくる。ジャムバンドの一番の魅力である「楽しむこと」ができないんじゃないかという思いが強くなってしまったからなのだ。だから本書の誕生はPHANのはしくれの私としては、そりゃ嬉しかったけれど、やっぱり自分が行かなかったということがどう心の化学変化を起こすのか心配だった。でもその心配は全然無用だった! コヴェントリーを体験できなくても、もっと言ってみたらPHISHさえも知らなくても、PHASHがもたらした旅を、ありありと追体験&シェアリングできるくらいの、懐の深い自由に満ちた一冊だったからだ。 「楽しむこと」「自由であること」って何だ? と思った人はぜひ手にとってほしい。ここからまた、たくさんの不思議な旅が始まることを祈って。(PLEASURE-CRUX 荒木智絵)
華氏911   DVD
ジェネオンエンタテインメントより発売中 3990円

 ブッシュ(バカ)再選の今だからこそ見るべき ショック映画
 恥ずかしながらこの映画、劇場では未見である。まあ大体公開していた恵比寿って所は周辺のザーマス住民のためにTSUTAYAは「ワンちゃん入店OK!」なんですよ! そんな生類憐みの令な所に行けるか!
 さておき、この作品、何やらワイドショーでは盛んにケナす風潮があった。やれ「映画を政治に利用するなんて」「ドキュメンタリーに主観を入れるなんて」「こんなものに賞を与えるなんてカンヌも終わりだ」等々、もうケチョンケチョン。でもね、いつ誰がドキュメンタリー=客観的なものと決めた? 完全に客観的なドキュメンタリーなんてありえないと思うが。
 ともかくようやくDVDにて観てみた。ブッシュ家とビンラディン家の怪しい関係、そもそもインチキなブッシュ息子(バカ)初当選のカラクリ、石油目当ての企業に操られた戦争…論の飛躍と極端な仮説で巨大な権力を叩くというより、非常にスタンダードに作られていて、正直アメリカほどには情報統制されていない我が国では既に知っているものもあるが、逆にアメ公はそんな事も知らないで平気でいるのか、と勉強になります。『ボウリング・フォー・コロンバイン』のような痛快さは前半までで、後半、イラクでの被害、戦死した兵士の母親etc…に話が移行していくにつれムーア独特の語り口は陰を潜めてしまう。皮肉な事に、事実の深刻さがかえってこの作品を中立なドキュにしているように思える。アメリカの空爆による、日本のTVでもオンエアできないような引き裂かれた死体、泣き叫ぶ幼児、等の凄惨な画は正直筆者も引く程の光景だ。考えるに、つまりこの映画を見て拒絶反応を示している人は、社会派ドキュだと思っていたら『デスファイル』『ジャンク』のような死体ビデオを観させられた、生理的嫌悪感を含んだ怒りなのではないだろうか? ムーアの視点はどうあれ、映っている事象は事実なのだが。その一翼を日本が担っているという事実も。
 ムーアの『ゆきゆきてリベラル』も通じない程の重々しさ、提起される問題点…。そんなアメリカや、その属国日本に生まれてしまった我々はいったいどうしたらいいのだろう? 本編からはその答えは導き出せない。『ボウリング〜』のクライマックスでのNRA(全米ライフル協会)のC・ヘストンと対決…というような暫定的カタルシスも見出せないまま映画は終わってしまう。ムーアの意図、「ブッシュを落とせ」…これも潰えてしまった。アメリカ人ってホントに(以下略)。だからといってこの映画のメッセージが無駄 だったとは思わない。米大統領は普通、自分の真にやりたいことは2期目から施行する、というらしい。その2期目に直面 したオレらにとって世界の命運を握る男(バカ)の実像を知っておくことは大変重要なのではないか。 (多田遠志)

ウォルター少年と、夏の休日   DVD
ポニーキャニオンより発売中 4700円
  魔境テキサスより、すてきなおじいたんとの夏の休日
 映画の舞台はテキサスです。テキサスと言えば良識ある方々が真っ先に思い浮かべるのは、『テキサス電ノコ大虐殺』でしょう。このウォルター少年が無理矢理ママに連れて行かれる所も、泣く子も黙る凶暴なじじいの棲む家なのです。ガーン!!
 原題は『SecondhandLions』 “中古ライオン”です。『ウォルター少年と、夏の休日』なんて呑気な邦題がついてますが、テキサスなので『老いぼれライオンと灼熱のあばら屋』とかにした方がいいです。
 弟のガースおじさん役のマイケル・ケインは元『国際諜報局』の人です。あと『アルフィー』とかゆう名前で女性をいてこましたりもしていたそうです。兄のハブおじさんのロバート・デュバルは、『地獄の黙示録』でワーグナーをかけながらマグ片手にサーチ&デストロイのキルゴア中佐とか、『名付け親』とか言う映画でイタリアンマフィアの相談役とかやっていた人です。二人とも超かっこいいです。ファザコンがこうじてじじい好きになってしまった私にとってはアイドル映画です。数々の試練をくぐり抜けて来たおじさん達は私にとって魔法使いみたいな存在です。冒険譚を語って聞かせてもらうのはおじさんファンの夢です。冬のソナタみたいなもんです。良く知らないけど。いわゆる萌えですよ萌え! 悪いか!!
 ともかく堅気じゃないじじい二人の家に親の勝手で放り込まれると言う悲劇からこのお話は始まります。頑固なおじさん達は生活に踏み入られるのが嫌いです。おじさん達が大金を隠し持っていると言う噂に釣られてやって来るセールスマンには容赦なく銃で応戦します。テキサスの荒野に建つ一軒家に迷い込めば皮面 を付けた大男に追い回されなくともロクな事にはならないと相場は決まっているのです。
 そんな家に放り込まれたウォルター君はいつ縛って庭のお池に捨てられてもおかしくない過酷な状況に置かれる事になったのです… これは正しいファミリー映画の導入部だと思います。だって私の大好きな『秘密の花園』だってひとりぽっちのメアリーはムーアに聳える幽霊屋敷に連れて行かれるところからお話が始まります。恐怖の要素があってこそ少年少女の成長物語が成り立つんじゃないでしょうか。  さてこのウォルター君の場合は、悪魔のいけにえとなるか、花園を見つけるのかは見てのお楽しみって事で… (伊藤ゆかり)