公安警察の手口   BOOK
鈴木邦男 (ちくま新書) 680円

 監視社会化する日本では、アナタもいつ公安に睨まれるかわからない。
 先日高田馬場にあるトークライブハウス「トリックスター」で宮崎学さんと鈴木邦男さんの「権力としてのマスメデア」と言うトークライブがあって、わたしゃそれを見に行ってその会場でこの本を手に入れた。鈴木邦男さんは一人一人にサインをしながら、私に向かっては「平野さん、この本は私にとっては史上2番目の売れ行きなんですよ」とうれしそうに言っていたな。こりゃ〜最低2〜3万部は売れているなと思ったら私も何かうれしくなってしまった。まして、この本を企画した編集者は元プラスワンのアルバイトの奴で「プラスワンで働くことによってそれこそ雑多な著名人と知り合いになれたので出版することが出来ました」とその若い編集者から言われた時は何かいい事したみたいでとてもうれしかったな。
 鈴木邦男さんは三島事件に加わった森田必勝?の死に衝撃を受けて「一水会」を結成したが、たんなる反共右翼からの脱皮を主張。テロ、ゲリラなど非合法活動をしない、他人に強要しない、団体の威力を背景に主張を押し通 さないの「非暴力三原則」を掲げ、「発言の場がないからテロだ」という右翼の論理を批判、「言論右翼」と呼ばれた。旧ソ連、東欧の共産主義国家の崩壊を目の当りにして、反共の右翼は最終的に終ったと述べ、民族主義は穏やかな郷土愛に基づく
 おっと話が横道にそれてしまった。  前書きで著者は、現在の日本はどんどん監視社会になっていて、警察官の目で「怪しい」と映るを人物を見つけて荷物検査をしている。「怪しい人間だから調べられるんだ。僕らは関係ない」「国際テロの危険があるからしかたがない」と多くの国民は思っている。果 たしてそうだろうか?と言う民主国家にあるまじき基本的な人権の疑問を投げかけている。そもそも町を歩いている人をいきなり呼び止めて荷物検査をするなんてちょっと前の民主警察なら考えられなかった。これでは戦前、戦中の警察と同じではないか?・・・あなただって公安に監視され、不審者リストに知らない間に不審者リストにくわえられるかも知れない」と私たちや特に環境や人権団体、NGOやNPOなんかのボランティア活動家にも警告を発しているのだ。
 この本の著者・鈴木邦男さんは三島由紀夫〜野村秋介〜新右翼一水会の流れをくむ経歴の持ち主だから過去、公安や警察から徹底的にマークされた経験の中からの著作なのでそれは自分の実体験の「ガサ入れ」や「冤罪」「尾行」「張り込み」「スパイ工作」などの手口が事細かに書かれていて、どうして日本という国が9.11同時多発テロ以降どんどん加速された「警察国家」になってしまったのか?と言うことを警察の「組織構造」や「歴史」をも交えて、誰にでも解る簡素な言葉で書かれているのでとても読みやすい。
 確かに警察や公安は、多くの個人情報を握っている。だから警察や公安が悪事を働いても誰も追求できない。特に国会議員や大手マスコミなんかなんか典型的に警察ともちつもたれつつの関係だ。だから警察権力の数々の不正を暴き出している、宮崎学さんや寺沢有さんそして鈴木邦男さんなんかには敬意を表したい。 (平野 悠)

全国のお坊さんがこっそり明かす 心に残った幽霊供養   BOOK
高田寅彦 (学習研究社) 1680円 
見た目と内容のギャップが「ねこぢる」のような 怪談本!
 長く自腹、原価で怪談本を買い続けると、題名や出版社で当たり外れを嗅ぎ取ろうとする癖がついてくる。毎夏チョーさんのヒゲ毛穴のように大量 に出るが、1冊に1本でもガクブルできる話があれば良し。「どうせ季節モノ、こけおどし、読み捨て」…そんな風潮が版元にも愛読者側にも長くあり、題名も内容も仰々しいものが多かった。稲川ジューンなどのテレビ有名人以外に著者ブランドで怪談本が売れるようになったのは、『新耳袋』と『「超」怖い話』の大健闘・大成功以降のこと。この2つのお陰で、最近は「完全なツクリ」ぽい話は他の本でも流行らなくなってきた。本当に怖いモノを提示して読者に喜ばれる時代の到来…だが、まだ題名には仰々しさの名残がある。これは愛読者にとって嬉しい悲鳴状態だ。前なら「絶対ハズレ、パス」てのが外から見えたのに、最近は買わなくては良書か悪書か判らず、破産寸前なのだ!
 でもね。この本に関しては、仰々しさとは正反対の意味で、フリークたちの食指が動かなかった。表紙といい、ほのぼの系題名といい…「怖そうじゃない」「仏教的倫理観でお説教されそ」と見かけた人は思った筈だ。ネットでは7月の出版直後、少し話題になったがすぐ忘れ去られた。夏の始まりという時分は『新耳』『超怖』新刊が出ることもあり、ハズレかもしれない本に突っ込む気分では皆ないのである。ところが。
 2大巨頭ほか、さたなきあ、朝業るみ子…など毎夏おなじみものの刊行が一段落した9月頃、再びこの「幽霊供養」の話題が囁かれるようになった。遂に、あちこちの怪談系スレッドにこの推薦を「マルチポスト(コピペ文ばらまき。ネチケット的にとても嫌がられる)」する人が現れ、後に悪意はなく本当にいいので読んで欲しいのだとの弁明が出る騒ぎにまでなった。  かなりのジャンキーな私自身、正直「これは一番最後でいいだろう…」と思っていた。だが。マルチポスト騒ぎを見て、急に興味が出て、やっと最近読んだ…参った!! こんなほのぼのした表紙/題と全く裏はら、超鬼畜でスプラッタな話に悶絶。平山夢明氏の書く本でトリを務めてもおかしくないぐらいの物凄い血みどろ話が、さらっと出てくるのだ!
 大阪の一心寺という寺にまつわる…いや、正確にはまつわらないが…戦時中の話。マルチポストされたのもよくわかった。「幽霊供養」と謳ってるのに(これ編集の意向で毒を薄めるためにつけてるんじゃないかな多分)、霊などより生きた人間の方がよっぽどオトロシイ、て話。飢餓地獄、軍隊内の人間模様の地獄。幼時、くり返し著者が聞いたという父親の実体験だけあり、全く淀みない筆致だが、厭ぁな生理的嫌悪感を喚起、音・臭いまで溢れ返るような鬼気迫る1編だ。陰惨だが読後に爽やかにもなり、真っ当に生きよう…と思わせてくれる。かなりの筆力だ。真ん中に配置された章だが最後に読むべし。といって他の章がつまらないわけでは全くなく、貸金庫からのたくる老女の手、土塀上を遍路女が這い回るなど、一読肌に粟が立つ話満載。絶対損しないから、とにかく読んで欲しい。
 ちなみに単に話の都合上登場するだけで、一心寺が恐い訳ではない。だが遺骨を練り混んだ?仏像を10年1度作る寺なのだとか。まだまだ知らない事が世には沢山ある… (尾崎未央)
ボクのブンブン分泌業   BOOK
中原昌也 (太田出版) 1869円
作家に必要なもの…それは死なぬ程度の不幸である
…ヒドいタイトルである。ここまでひどいのはそうそう見た事がないですね。そもそも著者、中原昌也氏はダジャレの名手としても知られ、その惨状は当店プラスワンのイベントでも御覧になられた方がいらっしゃるかとは思うのですが。この本、中原氏が今まで方々で書き散らしてきた原稿を集めた、というのでありますけれども。とうぜんこういうのには巻末に「『…』誌に掲載」なんて「初出」が載っています。へー、スタジオボイス、モノマガジン、Remix、SMスナイパー、いろいろ書いてるんだなぁ…ん? 「ロフトプラスワン壇上で執筆」? んなことあったっけ? …ああ、以前「ヤケクソ祭り」にてゲストとしてやってきた中原氏、「締切明日なんだよね」と壇上でいきなりノーパソを開き、ゲストにもかかわらずテキトーな相槌を打ちながら(当然ダジャレも入れつつ)、1本原稿仕上げたことがあったなあ…これだったのか! しかしそんな状況の「初出」、我が国の文壇界においても、10年足らずのプラスワンの歴史においても他に例をみないものであるのは間違いないですな。 しかしこの、コラム集とでも言うべきごった煮な本を見るに、ここまで活動範囲が多岐にわたっている人もいないなぁ、と思ってしまいますね。本業の音楽、映画、文学だけでなくゲームや小学校時代の作文まで出てくるのでありますから。
 まったく話題の噛み合わない女子高生との対談、ハードがぶっ壊れ、お題のゲームをやらぬ ままいつものごとくに愚痴り続けるゲーム誌の連載…。絵などろくに描いていないのに個展を頼まれ仕方なく客の前でイヤイヤ描かされた油彩 画…
 かつてTVブロスにて「僕は昔から家族そろって長嶋ファンで」とか「本業はフルート奏者です」だの「ピアノの調律で生活してる」だの「最近事故で妻と子をいっぺんに失った」とかウソばっかり書いて打ち切りになった先生ならではの玉 稿ばかりであります。どの原稿も「金がない」「つらい」「文章なんか向いてない」とお馴染みの先生の生活への不満が充ち満ちているのですが、実はこれってよく考えると日本近代文学の骨子である、成年男子の生まれいづる悩みのようなものをあーでもないこーでもないと懊悩する、あの形にとてもよく似ていることに気付かされます。なるほどなあ、彼こそが死に絶えかけた「純文学」の後継者、数少ない生き残りであるとも言えなくはないわけですな。文章を読むだに最近プライベートで色々辛いこともあったようですがね、実人生が文章に(すぐ)反映してしまうあたりも真に全身小説家である人なんだなあと思えてしまうわけです。文章生活の維持のためにも、グチったり不満をぶちまけたりできる程度には不幸であってほしいこれからも、なんて思うわけです。応援しますよ! (多田遠志)
郵便配達夫シュヴァルの理想宮   BOOK
岡谷公二 (河出文庫)¥798(税込)
 美しきくるくるぱー
 『アウトサイダーアート』という言葉を説明すると「専門の教育を受けない人が創った作品」とか、「評価を期待する事なく情熱の赴くままに創られた芸術」とか言われるんだろうが、その定義は曖昧だ。芸術家なんて大体がアウトサイダーと相場が決まっているからだ。その芸術家の中でもでもよりくるくるぱーの人が創った芸術作品て事だ。  フェルディナン・シュバルが33年かけて創った“シュバルの理想宮”と呼ばれる建物は異論の余地ない『アウトサイダー・アート』だろう。パリから遠く離れたフランスのド田舎の小さな村オートリーヴで、郵便配達夫として暮らしを立てていた一見フツウのおじさんが33年をかけてガウディと並ぶとも言われる建築物を、たった一人で創ってしまったんだから。
 1836年に生まれたこのシュバルおじさんは、建築の専門教育どころか教育と言うもの自体あまり受けられなかったが、郵便物の中の美しい絵はがきや当時の雑誌『マガザン・ピトレスク』の挿し絵を見て宮殿のイメージを脳内に描いていった。ある日の配達中につまづいた石がおもしろい形をしているのを見たシュバルおじさんは宮殿建設を決意したと言われている。言うはたやすいが毎日配達の仕事を終えて更に何十キロも歩いて石がある場所に行き、ポケットと手押し車いっぱいに石を拾い帰る。村の人々はもちろん「キチガイがいるだ」と思っている。
 石工の技術を教えてくれる人はない。誉めてくれる人もいない。多くはない収入の一部をセメント代に当てる事になる。それでもシュバルおじさんは郵便配達の仕事以外の時間の殆どを石運びと建設に費やした。
 シュバルおじさんを駆り立てるのは絵の中でしか知らない遠い国の美しいモスクや宮殿への憧れと脳内に描いてきた自分だけの宮殿の強烈なイメージだ。キチガイと言わば言え。シュバルおじさんにはそんなの関係ない。幾度となく夢想してきた理想宮をこの世界に現出させる事がシュバルおじさんの人生の全てだから。シュバルおじさんは美しきくるくるぱーだから。
 あっ、シュバルおじさんがもし現代の日本に生まれていたら『探偵ナイトスクープ』で、桂小枝に取材されていたかも。 (伊藤ゆかり)
宜保愛子の私の恐怖体験   COMIC
原案・宜保愛子 作画・藤堂洸子(講談社) 420円(税込み)※消費税3%時代だけど…
 自称霊感少女とは一線を画す真の霊能力者の人生!?
 ボクは霊感少女、少年といったタイプの人たちが非常に苦手だ。基本的にボクが、いわゆる霊能者の人たちが語る、霊の存在や、死後の世界を信じてないというのがあるんだけど、それ以上にこの手の、自分に他人とは違う特殊な能力があると思い込み、お節介にも他人にアドバイスをかましちゃったりするような人って、大半が全く周りの空気が読めないイターイ人たちだからなのだ。…イヤ、中には本当に特別 な能力を持っている人もいるんかもしれないけど、ほとんどの霊感少女、少年は、勉強でも、ルックスでも、運動能力でも、人望でも、全く人の気が引けないような凡庸な人間で、なんとか誰かに相手にしてもらいたい…という所から、客観的に判断しようがない能力を「ある!」と言い張ることによって、他人との差別 化を図り、注目を集めたい…というような所から始まってるんじゃないかなぁ〜と思う。だから、飲み会とかやってても、普通 に会話してても誰にも相手にされないから、何の脈絡もなくいきなり「アレ? ○○ちゃんの肩の上…何か見えるんだけど」とか言いだして、自分に注目を集めようとするのだ…。また、こういう話に過剰に乗っかってくる馬鹿が多いのも困りもの。一気に酒が不味くなること請け合いなのだ。
 さて、そんな自称霊感少女などとは一線を画す真の霊能力者・宜保ラヴ子センセイの人生を漫画化したのがこの作品。霊よりもなによりも、表紙に描かれているかわいらしいこの少女が宜保ラヴ子センセイ本人であるという事実に度肝を抜かれた。…漫画って何でもありだな! …内容はと言うと、幼少期のラヴ子ちゃんが、クラスメイトたちがフツーに過ごしている教室の中で、一人だけいないはずの生徒が見えちゃって、その霊に取り憑かれちゃったり、近所の川でガンガン土左衛門が上がりまくったり…「…そりゃ〜、こんな子供時代を送ってたら性格も(顔も)ゆがむわ…」というくらい毎日毎日至る所で霊と遭遇し、血のにおいがプンプンするいかがわしい事件に巻き込まれていくという内容。イヤー、自称霊感少女たちも、これくらいヘヴィーなトラウマを多数抱えてるっちゅうんなら、ちょっとは話を信じてあげてもいいけど…そんなトラウマさんとは友達にはなりたくないわな、やっぱ。…ちなみに、同じようなシリーズで、池田貴族のバーションもあるのだ、こっちも「そりゃガンにもなるわな」…といったかなりヘヴィーな内容。近いうちに細木数子バージョンとかも出るんだろうなぁ。 (性感少年・北村ヂン)
へんないきもの   BOOK
早川いくを (バジリコ)1500円+税
ぼくらはみんな生きている
 奇妙な形状や生態のいきものをずらずらと紹介するだけの本が唐突に発売!で、なぜか注目を集めている。アマゾンの和書売り上げランキングでも、(瞬間的に)堂々7位 を記録する大健闘ぶりなのだ(ちなみに8位は、冬ソナ2005年度カレンダー)。
 リアルなイラストとともに、クールな筆致で紹介される、「へん」としか形容不能ないきものたち。ページをめくる者は誰しも、帯に書かれた「どうしてこんなに変なのか!」という、敗北感と感嘆の入り混じった呻きをもらさざるを得ないだろう。「便所すっぽんに春巻きをくっつけたような」ムカデメリベあたりはまだ、そのアナーキーな(?)形態が笑いを誘うぜ、などと余裕の感想をかましてもいられるが、消化器官も生殖器官も脚の中に格納された、生命体=脚だけ、というウミグモの項にいたるころには、体がむず痒くなってくる。ほかにも、オスの体積はメスのわずか20万分の1、幼生期に成体のメスに見つかったものだけがメスに吸い込まれ、その体内でオスとして成長するボネリムシや、手でつかむと強いグレープフルーツの匂いを発するヤマトメリベなど、わけのわからぬ やからの、わけのわからぬ生き様を次々と突きつけられては、笑ってよいのやら泣いてよいのやら。まさに“後味の悪い”いきもの満載なのだ。
 だが、この「どうしてこんなに変なのか」という問いかけに対する答えなどない、と気づいたとき、気持ち悪ゥ〜い、バカそうだよね、といった低次元の感想はいつしか消え去っている。代わって湧きあがるのは、意味不明の形状や特徴を背負った不条理な運命を、黙って己が身に引き受けて、粛々と生を営みつづけるいきものたちへのいとおしさだ。
 この心境をご理解いただくために、私の胸を切なさで満たしたキンチャクガニを紹介して結びとしたい。このキンチャクガニ、その生涯において四六時中、たとえエサを食うときですら片時もイソギンチャクを放さないという。そして、必死に握り(?)締めたイソギンチャクで、敵を威嚇しているらしき姿を描いたイラストに添えられた、最後の一文を読んだ瞬間、私は、血も涙もない借金取りが、公園でノラ猫にミルクをあげているのを見てしまったときのように(って、実際見たことはないが)、なんとも不思議な感慨に打たれたのであった。この感覚に胸の奥がツンとなるのは、私だけではないはずだ(多分…)。
 「コドラ星人似のこのカニは両手に『ボンボン』を持っている。…(中略)…これは実はイソギンチャクで、彼らはこのイソギンチャクにエサをとらせたり、敵を追っ払ったりして、いいように利用して生きているのだ。…(中略)…金づるを失っては大変なので、絶対放さないよう、ハサミもイソギンチャク挟みに特化した進化を遂げている。…(中略)…だが、脱皮のときだけはイソギンチャクを脇にそっと置き、体が固まるとまた持ち直すという。(傍点引用者)」 (保田明恵)
空気の壁   BOOK
鮫肌文殊+山名宏和 (太田出版) 1200円+税
 夜中に食べるカップラーメンのように  『ニッポンの少数民族』に引き続き、周囲のマンウォチング本が本著だ。前回は、ちょっと「これは、変わった人だね」という視点から一気に「それはナイだろう!」とキツい注意含みな視点となっている。『ニッポンの少数民族』をほほ笑みととると、『空気の壁』は眉間にしわよせ指摘。実は読むの怖い……と思いました。がさつで無精な私。もしかしたら「自分が該当しているんじゃないか!?」と、思ったからなんですが。手にとるまでの数分間。「該当してるかも……いやないよ」と悶々とした挙げ句、「でもその壁知らずに生きてたら……」と思うが決定打。そのタイトルの魔力に引き込まれ手にとってしまった。そして一度読みはじめるとページを進めるのがやめられない!
 218にも及ぶ数々の「空気の読めない人」。身内をネタにしちゃってるよ!でも書くんだよ!!と著者二人がファミレスで魂焦がしている臭いすらしてくる抉るような指摘群。だけれど、イラスト入りのコラム形式で生々しく感じず、ついぷぷっと笑ってしまう。その読みやすさと相まっていく「私!? いや該当してないかもしれない……でも……」とパンドラの箱を開けるスリリングさ。夜中に食うカップラーメンのようにページを進めてしまう。自虐的エンターテイメント、かつ自分は大丈夫なのか?と仕草の「家庭の医学」の本著。読み始めると麻薬のように止まりません。そして、該当していても処方箋を読むと心が軽くなるので大丈夫でした。(斉藤友里子)
SFソードキル   DVD
東宝より発売中 4725円

 日本が誇る至宝、藤岡弘、の勇姿を見よ!
 やれ踊るどーたらとかが国際進出とかいってもね、まだまだ日本の映画は井の中の蛙、役者でハリウッドに進出、なんて人はほとんどいなくてせいぜい高倉、渡辺のWケンさんくらいでしょう。日本の役者がなかなか向こうの映画に出られぬ のは、ハリウッド(orアメリカ)の俳優協会、というものに所属してないと利益を得るような役者活動はできないわけであります。進出もなんて楽じゃぁありませんな。まあ『メジャーリーグ』の石橋貴明みたいな事務所の力にモノいわせて出る、て人もいますけど。同じ石橋でも石橋湊さんなどは『クロッシング・ガード』のニコルソンの経営する宝石店のマネージャーのオカマ役をノーギャラで頑張っていたりするんですから他も見習ってほしいと思います。サムライとかヤクザやんなきゃ日本人には道開けないハリウッドの方にも問題ありますけどね。しかしそんな中、80年代にすでにキチっとハリウッド進出を果 たしていた男がいたのであります。そう、それが藤岡弘、(「、」までが芸名なのでみんな覚えておこう)だったのです。
 その作品がこの『SFソードキル』。日本の戦国時代のサムライが現代アメリカにタイムスリップというイカしたもの。もちろんサムライ=藤岡弘、なわけですよ。B級なジャンルものにもかかわらず、いつも通 り氏は全力投球、「ウヌハダレジャ!」と侍魂全開で、見た事もない鉄の馬(自動車)に切り掛かり、刀も立たぬ とみるや納屋に忍び込みタイヤをパンクさせるわけです。これが滑稽にならぬ のはやはり藤岡、の男気と本気のなせるわざでしょう。ああこの調子でミフネももっと真面 目にやっとけば今ごろはオビ・ワンだったのに…。
 ともかく藤岡、のプライベートでも北海道の大津波の時、誰よりも早くかけつけた男(災害地に救済をちらつかせて布教に来るカルト教団たちよりも早かった!)、自宅を道場にしている男、お笑いのバラエティに出されてもはにかみつつも決して己を崩さない、そしてもちろん伝統ある探検隊の2代目隊長、そんな藤岡弘、の魅力が満載であります。この作品でもタイムスリップのカルチャーショックにもめげず、様々な障害を乗り越えて巨悪を斬っておられます。是非『SFソード・キル2』を作って、侍かぶれのトム公(チビ)など切り捨ててほしいものであります。  さておき、このDVDには藤岡弘、本人によるコメンタリーが収録されております。弘、の男気本気汁を2度3度と飲み干し、そして味わえ。(多田遠志)

パニッシャー   MOVIE ソニー・ピクチャーズエンタテインメント配給
11/13(土)よりニュー東宝シネマほか全国東宝洋画系にてロードショー
  70年代、不安の時代に生まれたアンチ・ヒーロー<パニッシャー>
「法の目をかいくぐり、裏社会をも支配する資産家ハワード・セイント。ある夜、溺愛する息子ボビーが、密輸取引現場でFBIによって殺される。やがて、ボビーを死に至らしめた一人の男が浮かびあがる。FBI潜入捜査官のフランク・キャッスルだ。そして、セイントによる残忍な復讐劇が幕を開ける。それは、キャッスル一家全員の虐殺だった──。セイント一味による地獄のような惨劇の末、愛する父、妻、息子を失うキャッスル。一人生き残った彼は、経験上この残忍な悲劇を法律では十分に罰しきれないことを知る。そして、法に代わり自らが制裁することを心に誓い、闇の私刑執行人“パニッシャー”へと生まれ変わる。」
 と、いきなり資料丸写しで申し訳ない。私、普段アクションヒーロー映画はほとんど観ない上に、このパニッシャーというのが“スパイダーマン”のようなアメコミの有名なキャラクターだということも知らずに観に行ったので、上記のような映画の導入部を観た段階では「ああ、ありがちな復讐映画か〜」とかなり退屈モードになっていた。
 その後物語は、パニッシャーことキャッスル(トム・ジェーン)が、隠れ家のボロアパートにせっせと武器を調達し、007のような改造武装カーを作り、来るべき復讐に備える。宿敵ハワード(ジョン・トラボルタ)一味の行動パターンも掴み、いよいよ単身敵地に殴り込みか!と思いきや、キャッスルはハワードの見えない所で様々な裏工作をしながら、心理的にハワードを追いつめていく。派手な復讐劇を期待する人はここらで肩すかしを食らうだろうが、逆に僕はこのもたもたした展開を見て、キャッスルことパニッシャーの慎重さ(というか、ヒーローとしてはいささかセコい)部分に興味が湧いてくる。
 ボロアパートの隣人であるひきこもりゲームヲタや、気の弱いデブ男、DV男に悩む薄幸の女らと、社会の底辺を生きる者同士のちょっとした交流もありつつ、ハワードから送られた刺客がおかしなカントリー野郎だったりロシアンプロレスラーだったりと、余計な敵との戦いがあったりしてなかなか肝心の復讐劇が始まらない。もちろん最後にキャッスルはハワードのアジトへ乗り込むのだが、これも派手というよりは意外に地味な展開だ。
 地味と書いたのは必ずしも悪い意味ではなく、派手な銃撃戦や爆弾戦といったものを期待した場合の地味ということで、実際一人で巨悪を相手に復讐するとしたらこんなもんだろう(まあそれでも普通 は無茶だが)。後で知ったのだが、アメコミにおけるこのパニッシャーという男は、それまでのスーパーマンなどに代表される超人的なヒーローに対するアンチヒーローといった存在で、なんの特殊能力も持たない普通 の人間が絶望の末、ヒーローを目指すという所が特徴なんだそうだ。確かに全編を覆う暗い雰囲気は、パニッシャーが陽の当たるヒーローではなくあくまで闇の存在だからだろう。まあ「異端のヒーロー」というのは子供向けではない大人の魅力がありますからね。  個人的には、少々ベタではあるが、ハワード一味に拷問されながらもキャッスルの居場所を教えなかったひきこもりゲームヲタに拍手でした。ちなみに続編制作も決定したそうです。(加藤梅造)
にがい涙の大地から   MOVIE
監督/撮影/編集:海南友子 (88分) 上映中(下記参照)
 戦後なんてどこにもない
  映画は中国のとある料理店のシーンから始まる。そこで働くリュウ・ミンは、27歳とまだ若くとても端正な顔立ちをしているが、その表情はとても暗い。彼女は一家が抱える莫大な借金のため日夜寝る間もなく働いているのだ。一家を支えていた父親は仕事中に旧日本軍が遺棄した砲弾の事故に巻き込まれ、手足がふっとび18日後に死亡。残ったのは莫大な治療費だった。
 監督の海南友子は2年前に中国を旅行していた際に、偶然、このリュウ・ミンと知り合った。最初はもちろん彼女の家の事情など知らなかったが、リュウ・ミンの表情のあまりの暗さに疑問を持って訊いてみた所、そうした事情を話してくれたそうだ。もともとNHKの報道ディレクターで今はフリーの映像作家として働いている海南氏は、リュウ・ミンの話を聞くうちにこの問題をきちんと取り上げたいと思った。この問題、つまり戦争の負の遺産である旧日本軍の遺棄砲弾・毒ガスの問題についてだ。
 戦時中、日本軍は、占領した中国の黒竜江省に七三一部隊という細菌兵器の研究所を置いていたのは今では有名な話だが、国際条約で禁止されていた細菌兵器や化学兵器の研究はもちろんトップシークレットで行われていた。中国人など女子供を含む3000人以上の捕虜が実験台(これは「丸太」と呼ばれていた)として生きたまま殺されたと言われている。日本軍は敗戦後、細菌兵器や化学兵器の発覚をおそれ各部隊が持っていた兵器や施設を組織的に破棄するよう命じた。混乱の中、各部隊はこれらの兵器をとにかく隠すため地中に埋めたり海に捨てたりして撤退したそうだ。当然遺棄した場所はほとんど把握されていない。
 この遺棄砲弾・毒ガスがなぜ今頃問題になっているかというと、ここ最近の中国の経済的発展によって建設ラッシュが続く中、これらの遺棄兵器が次々と発見され、爆発事故が相次いでいるからだ。昨年の8月にも黒竜江省チチハル市で大規模な毒ガス事故が発生し、一人が死亡したニュースが大きく報道されている。日本ではあまり話題にならないが、中国ではかなり深刻な問題になっているのだ。
 海南氏が単身、カメラ片手に中国で取材を始めると、リュウ・ミン同様に遺棄兵器の被害で苦しんでいる取材対象が次々と見つかり、その数はおよそ60人にも及んだ。ある者は失明し、ある者は生殖機能を奪われ、ある者は下半身が吹き飛んで死亡した。そして不幸なのは被害者だけでなくその家族もであった。なぜなら、彼らに対する賠償は今のところ一切ないからだ。(彼ら遺棄兵器被害者達は日本政府を相手に訴訟を起こしているが、あくまで責任を認めない日本政府との裁判はいまだに続いている)
 正直、非常に重い映画である。映画はエンターテイメントだと思う人は見ないほうがいいだろう。しかし、映像という表現手段が持つドキュメンタリーとしての力が圧倒的に迫ってくる作品だ。新聞で報じられる裁判結果 の報道からは想像もできないような人間の悲しみや苦しみがそこにはある。このヘヴィーな映画をほとんど一人で完成させた監督の行動力には本当に敬意を表するばかりだ。
 リュウ・ミンが、かつて暮らしていた家の前を訪れ、幸せだったころの思い出を話すシーンで見せる穏やかな表情が忘れられない。彼女の幸せを奪ったのは一体誰なのか? 是非自分の目で観て考えてもらいたい映画だ。 (加藤梅造)
●東京では、11月9日、24日、26日 渋谷アップリンクで上映。
その他上映情報は、http://www.kanatomoko.jp を参照