梶君 ●今月のお客様は、3月3日にソロアルバム「ナカナオリ」をリリースする笹野みちるさん(京都町内会バンド / ex東京少年)です。

梶原 みちるちゃんの活動の中で、がんばってやっている時期と、何かもうダメだって京都に帰ってしまう時期がありますよね。
笹野 そうですね(笑)。もう、典型的な躁鬱系アーティストだって言われ続けて、わたしもそうやなって思いますもん。でも最近は割と平常心をたもっているかな(笑)。
梶原 それは、素晴らしい事じゃないですか~。なんでそうなってしまうのか? 適当に生きていれば、そういうつらい事にはならないと思うんだよね。なんか、自分の中に使命感だとか「なにかやらなきゃ!」的なものが強くあって、でもそういう理想だったり目指すものに行き着けなかったときに、そういうもどかしさの中で「もうダメだ」とか思うのかな?
笹野 そうですねぇ。結局ね、愛情に飢えていただけ(苦笑)。昔はそれを認められなくて、「自分には高い理想があるからこそ現実との折り合いがつかなくて、しんどくなるんやわ、私は」って思っていたんだけど。でも実際は、人目が非常に気になるタイプの人間で、「こういう事やったら、他人にどう思われるやろう?」「人に認められたい~!」っていうエネルギーで活動してきただけなんですよ。だから<承認欲求>だけで、ガーーッてやるんです。だけど、承認されてしまった瞬間から、気が済んでしまう。その後疲れてしまって。そういう事が続いてしまったのかな。最近思うのは、音楽って、自分の心深く思っている夢だとか理想だとかで、物質的な数字とかじゃないでしょ。そういう自分の心深い世界をもっていて、その世界が自分の中で独立して、胸のなかで温め続けてやっと、アーティスティックな歩み出来るんだって判って。だけど、その当時の私は、そんな事考えた事もなかったし、ただただ認められたいがためだったんですよ。現実、親子関係がうまくいかなくて。母親の愛情が欲しかったんだなって思いますね。単純な暖かみを求めているけど、たまたま自分の母親は愛情の表現が出来ない人で。自分の中では、母親の愛情っていうのは見果 てぬ夢としてずーっとあって。しょうがないから、代わりのもので埋めるんです。とにかく私を認めて!って。

梶原 次のソロデビューしてカミングアウトの時、自分の中で納得して、始めたように思うんだけど。
笹野 カミングアウトは、すごくいろんなレベルで考えないと判りにくいんですが。行為自体はよかったって思う。自分の使命感としてやるべきやったし、やったおかげで自分が解放された部分もあった。ただ自分のさらに内面 に引きつけて考えると、カミングアウトですら一つの保守だったんです。時間が経ってから省みるとですけど。「自分はこれだ! こういうものだ!」っていうことをはっきりさせたいという衝動だったり欲求と、そうじゃないと認めてもらえないという恐怖感・不安感が常にあった。カミングアウト以前は、自分が何者であるかが判らなかったから葛藤があるんだって、そのときは思っていたんです。だけど、自分がレズビアンであるという事が判った時、それまで自分がレズビアンであるという事も判らなかったし、判ってからもそれを認める事が出来なかったし、人に公表することも出来なかったから、葛藤していたんだって思った。だから、カミングアウトさえすれば生きやすくなるんじゃないかって信じていたんです。でも結局、それが葛藤の一番の原因じゃなかったんです。やってみて判った。自分の一番の人生の問題ではなかったんです。
梶原 なんていうかな、、、セクシャリティーの問題を公表して、そのままその問題をCDなり、自分の音楽にのせるということが、その当時の一番のバイタリティーだったということなの?
笹野 そうです。アルバム「GIRL MEETS GIRL」なんて、まさにカミングアウトの渦中で発表したものだし。
梶原 みちるちゃんはこのままいくんだろうな~って漠然と思っていたんだけど。
笹野 やっぱりダメだったんです。持続するエネルギーではなかったっていうことなんですけど。状況としては、自分はガール・ポップ・ミュージックの括りから脱して非常にコアな存在にはなれたと思うけど、パタっと創作意欲がなくなっちゃったんです。それと同時に、私生活もダメな方向にいっちゃって。それこそ修羅場的な愛憎劇が生まれたりしてね。恋愛もダメで「とてもじゃないけど、出来ないわ」ってなって。こっちからしてみたら「これさえやれば大丈夫!」って思ってカミングアウトしたのに。
梶原 でも、それはもう、有無を言わせず、出来ない! ってなっちゃったんだ。
笹野 そうですね。完全に鬱で病的でした。
梶原 それで、とりあえず京都に帰って。
笹野 全て挫折ですね。
梶原 挫折か、、、。だけど、ある種の達成感もあったでしょ。挫折とまでは取らなくてもいいじゃない?
笹野 内面的な苦悩の度合いの激しさでいったら、一番激しかったんです。なんだろう? もうちょっと深い所を期待していたのかな。「解放されようよ」って歌っていたのに、そうでもなかった。「自分に正直に生きていくことって、ステキなことじゃん」って底流にあって。単純に自分のセクシャリティーを訴えたかった訳じゃないので。やっぱりどこか、動機に不純なものがあったんだと思う。
梶原 どういうこと?
笹野 カミングアウトする動機にスケベ心があったんです。それは個人的なことなんだけど。やっぱりそこでも母に認められたかっただけなんですよ。自分でもおかしいなと思います。母に認めてもらうのに、なんで自分はレズだって公言しないといけないんだってね(笑)。自分の母親の生き方だとか思想だとかを、究極的に煮詰めると、完全に男性に依存しないことだったんです。精神的にも肉体的にも物質的にも。自分一人で立っていられるということだったんですね。それが私の理想型ではレズビアンであることで、それを公言する事だった。その理想型をついに私は獲得したんだって信じていたんです。だけど、本当の自由も、本当の解放も、なんにも訪れないし、変わってない。そういう時に、やっぱり次のシグナルが内側から出てくるんでしょうね。そのときは全く判らないんですけど。苦しいだけでね。葛藤するんです。「なんでこんなに苦しいの?」って。
梶原 そこで、違ったんだっていうことに気がつく訳?
笹野 違ったというか、そんなに甘くないなって思ったんです。結局、自分自身の畑を耕さないで歩いても何にもないし、続ける事は出来ないなって。うまくいってないときって、他の誰かと一緒にやったらうまくいくんじゃないかって思いがちでしょ。
梶原 そうか、その問題は根本的な部分にあるって気がついたということだ。
笹野 そうです。根本的な事。自分自身という事なので。

梶原 そこで、京都に帰っていって、京都町内会バンドがスタートするじゃないですか。原田君に誘われたことがきっかけでしたよね。
笹野 ええ。だけど今話している事は、京都町内会バンド(以下 KCB)を始める当時には、全く判ってなかった事だらけですよ。葛藤の真っ最中だったので。それでもどうにかこうにか「私なんて」っておもいながらも、京都町内会バンドをやっていく中で、見えてきた、判ってきた事なんです。
梶原 KCB結成時は、完全に鬱状態だったんですよね。それなのに、バンドをやる気になったのは?
笹野 それも不思議なんだけど、鬱って<やる気>はないけど、人一倍<焦り>だけはあるんですよ。「ちゃんとしなきゃあかん」っていう<焦り>。だけど、働く事はあかんのですよ。責任ある事だとか、お金の管理だとか、そう言う事は出来んけど、原田みたいないい加減なやつ(笑)の誘いにはのれるかな? って思ったんです。すごく原田って頃合いにホッとできるスタンスなんですよ。そういう意味での緩さに救われてね。もちろん弱点でもあるんやけど。あんまり堅く考えなくても、こいつと一緒やったらええかって思わせる緩さなんですよ。しかも、里見八犬伝みたいなメンバーのあつまりですよ。これ、これ、これ、これって言うように、メンバーがぴたっと集まってきてね。そういうバンドですよ。
梶原 それはいいことだね~。そういうスタンスだったら、音楽を続ける事が苦じゃなかったっていうことなの?
笹野 だって、KCBなんていつ辞めてもいいわけじゃないですか。使命感みたいなものは全くないですし。やけくそでバンド名だって付けているくらいですから。「売れてやるぜ~!」なんていう意思は全く感じられない(笑)。とりあえずちょくちょくライブはやるって言う事だけが、京都町内会バンドであってね。
梶原 だけど、1stのレコーディングの時に「あんまり売れすぎるのはなんだけど、多少は売れてほしいな~」みたいな話をしていたじゃないですか。私は「みちるちゃん、やる気やな~」って思っていたんですけど。
笹野 そうかもしれないけど、全部自嘲気味でしたよ。そういうメンタルな上にメジャーで活動してきた感覚だったり癖が残っていて。でも、それも確固たる目標がある訳でもなく、私がやるんだから売れない訳ないでしょう的な、なめた感覚があったと思います。最初は、RD RECORDSの人が全部やってくれていて、私は投げやりなやけくそな感じでやっていて。あそこで、売れなくて良かったって思うけど。結局「あ、売れないのね。そういうことなのね」って気がついた。甘かったわって。
梶原 ちょっと、がつんと来ちゃった訳だ。
笹野 そうです。その後「かけぶとん」っていう3枚目まで出したんだけど、「ちょっと今後は、うちで出せる予定はないですね」って言われてしまって。どうしよう、、って思うでしょ。やっぱり私は鬱で。鬱だから焦りばっかりあって。なんとかせねばっていう気持ちは沢山あって。だけど、仕事はできなくて。メンバーで沢山話し合って、自主レーベルをやろうやっていうことになった。結論が出るまでに1年くらいかかリましたけど(苦笑)。やっとOBU RECORDSっていう自分たちのレーベルを立ち上げたんです。その第1弾でKCBの「スイスイ」っていうアルバムを出した。その流れで、意気込みっていうか、そういうものをがーんって出さねばならん! って思って、永井くん(TOSHI NAGAI)と一緒にやる事にしたんです。結局、最後って言う事もないけど、自分の中のここ10年くらいのタームを掛けて片付けなければならない問題がのこっていたんですよ。それは何だ? っていうと、<コントロール欲求>みたいなものなんですよ。私がなんとかしなければっていう欲求。本当はバンドなんて一緒になんとかしないとダメなんだけど。一緒に何かをやるなんて言う事は、考えた事なかったんですよ。結局自分の計らいを捨ててゆだねる力をなんとか得なければならんなって思って。鬱もちょっと引きずっていて、焦りもずっとあって。だけど、少し持ち上げようとしていた頃で。私の中では、私のコントロール欲求を手放さないといけないなって思った。
梶原 それは、バンド内ですんなり穏便に片付いたの? いろんな問題があったと思うんだけど。
笹野 大変でしたよ。メンバーにKEYを加えて5人になったり。それこそ第二期KCBですね。もうダメかも~って何度も思ったけど、やっぱりやりたいってメンバーが言い出したり、それがうれしくてもうちょっとやろう! って思ったり。そんな試行錯誤でどうにかこうにか乗り切ったんです。私が単独でやっていて、ダメかも~って思ったら、完全に沈没してしまうと思うけど、バンドの場合は一人じゃない分、ダメかも~って思っても、次の助け舟がすっとやってきたりするんです。ふっと誰かが変化したりね。何かがあるなって思う。

梶原 そういうながれで、みちるちゃんがソロを出すんですね。
笹野 もはや、KCBのことは信頼しているんですよ。基本的には何が起こっても、大丈夫。自分たちの想像を超えたサプライズで乗り切れるって思っているから。結局、自分のソロって言っても、そう言った今までの土壌の上に育ってきたんだっていう意識があるから。だから、ソロをやる事に対しても、矛盾がある訳でなくて、自然なことなんです。畑で育った実のひとつ、みたいな。
梶原 基本的に、みちるちゃんがテーマにしている事って、言葉だとかは経験の中で使い方がかわっていくけど、根本的なところは変わっていないなって思うんですよ。みちるちゃんのソロが、今後どういう風にかわっていくのかな? って興味深いよ。
笹野 でもね、本当に次の事、先の事は決めてないんですよ。だって、「半年後に次の出さないとあかん」とか誰にも言われてないし。今回の作品は、素晴らしい人たちと出来て嬉しかったですね。ライナーノーツを中川五郎さんにかいていただきましたが、「たとえこれで、笹野みちるが歌わなくなっても大丈夫、内面 では激しく歌っているから~」みたいな書かれ方をされているんですよ(笑)。「5年に1枚くらいはアルバム出してよ」みたいにみんなも言うし(笑)。
梶原 一つの流れに向き合いながら、今回のアルバムを出したんだな~って思ったよ。テッシー(手代木克仁 ex.東京少年)なんかも参加しているでしょ。彼とまた一緒にやっているっていうこともすごいな~って思って。
笹野 そうなんですよね~。まさに、タイトル通り「ナカナオリ」でしょ。
梶原 だね。すごくいいことだよ。
笹野 タイトル「ナカナオリ」は、自然と自分から出てきたんですよ。ある日突然。「そうだ! ナカナオリやわ~」って。
梶原 みちるちゃんがひとつひとつ問題を解決しているところで、いい時期に、私としては「みちるちゃんの唄を更に聞きたいな」って思っていたんだよ。
笹野 大きな流れのいい時期にこのアルバムをつくる事ができたんやなって思いますよ。私の個人的な事で言うと、私も地に足がついてきたんやなって思います。自分に水をやるって言う事に目が向いてきて。そういう言葉にもなってきたと思うし。そうはいっても、なんでわたしソロなんか作れてしまったんだろう? って思う事もあって(笑)。

梶原 最初にある「ミズヲヤレ」っていう曲もすごくみちるちゃんっぽいよね。だけど、「虚弱な才能の持ち主は 人とは違うとうぬ ぼれて 人並み以下だとしょげかえる」っていうのがあるけど、そういう気持ちって常にあるのかな? って思って。
笹野 それは、私の経過なんですよ。自分から引いて見て、自分を突き放して、自分の歴史を笑っているんです。その上で、虚弱な才能に折り合いをつけられなかった自分っていうものを、やーいやーいって言っているんです。で、そのあとに「若いときには威勢よく 歳とるにつれ嘆きだす 赤ん坊みたいに泣きわめく」というので、起承転までくるんです。で最終的には「虚弱の才能に潰された 虚弱な男や女達 サイノウナンカステチマエ サイノウナンカニスガルナヨ」という風に気づきの視点になるんです。「自分なんか」っていいながら、虚弱な才能にしがみついているだけなんてつまらないよって。だから「虚ろにもがく人々よ ヒデリノトキニモミズヲヤレ サムサノナツニモミズヲヤレ デクノボウニナルマデミズヲヤレ」っていう境地に至ったんです。
梶原 なるほどね。自分との折り合いがついて、今の自分があるという曲なんだね。
笹野 この曲は、その人なりの視点でコネクトしてくる曲のようで。そう言う曲を冒頭にもってきたのは、なかなか楽しいなとも思いますね。
梶原 その気づきのきっかけって、他人にはわからないところでやってきたりするよね。
笹野 巡り合わせだと思いますよ。ただ、個人的にはアップ・ダウンの原因っていうのは心のもちようやなって、一言で言えばね。結局、何が来ても何が起こっても、「これは自分にとっての試練なんや」って腹の底から思えるかで状況も変わってくるって思うんです。動じなければ良くて。たとえ失敗しても、また次やって思えるかなんでしょうね。同じ事は何度でも押し寄せてくるんだけど、そのことに動じなければ、似たようなことは起こらなくなるような気がして
梶原 3月3日にリリースして、ライブをやってとりあえず終わり?
笹野 そうですねぇ。なんかね。大変なんですよ。今のメンバーでリハとかやるのが(笑)。この人たちとやらせていただくと、ものすごくエネルギーがいるもんで。もう荒くれものばかりじゃないですか。大変や~って。だから、その代わりに、一人でもライブが出来るようにギターを練習してるんですよ(笑)。
梶原 へぇ、それはすごいね。
笹野 「ミズヲヤレ」ですからね。そう歌った以上、自分の畑に水をやらないとね。
梶原 そうか、それは楽しみですね。やっぱり、みちるちゃんをいろんなところで見たいなって思うよ。
笹野 KCBの方ではちょこちょこやっていこうと思っているんですよ。ただ、この先どうなるのか判らないんですが、人のイベントなんかに誘われたら、一人でライブが出来るくらいの身軽な感じでやっていくのもいいかなって思っています。

笹野みちる
ナカナオリ

OBUR-0006 2,500yen(tax out)

※柳原陽一郎、ハラミドリ、ホッピー神山、手代木克仁、有田さとこらによるPOPなメロディー。岡井大二(ex.四人囃子ds)、湊雅史(ds)下山淳(g)、手代木克仁(ex.東京少年g)、Whacho(per)、有田さとこ(from京都町内会バンド b)、ホッピー神山(key)ら実力派ミュージシャンによる 一発録りサウンド。さらにはポエトリーリーディングや音響系なども取り入れた多彩 な楽曲の全てに、笹野の瑞々しく実直な声と言葉が映えるスピリチュアルなアルバム。満を持して8年ぶりに到着。

「ナカナオリ」レコ発ライブ
03/12(fri) 渋谷7th FLOOR
03/20(sat) 吉祥寺MANDA-LA2
04/04(fri) 新宿LOFT / PLUS ONE
TOTAL INFO. http://www.obu.to/~sasano

梶原徹也 LIVE INFO.
THE 3PEACE
03/26(fri)新宿red croth
http://www.the3peace.com