梶原 今回の深入りコーヒー4杯目。のゲストはHIGHWAY61の皆様です〜!
HIGHWAY61 よろしくお願いしま〜す!
堀井与志郎(VO) 今日はどんどん深入りしちゃって下さい!

■ライバルはスカパラ?!
梶原 12月3日に発売される2nd.アルバム「MUSIC PEOPLE」を聴かせてもらったんですが。1st.も良かったんですが、今回は更にパワーアップ! っていう感じで。すごくねぇ、ホントいいバンドだね! このシーンの中で一番いいバンドだよ。パワーがあると思うよ。
井上 鞭(G) このシーンの中では、、、(笑)。
トモシロウ 光栄だと思うんですが、、偉そうに聞こえるんでしょうが、何て言ったらいいのか判らないですけど、ライバルはスカパラだったりするじゃないですか。
梶原 それは、どういう意味で?
トモシロウ それは音楽という一つの大きな中で。そういう意識でHIGHWAY61をやりたいなぁって思うんです。
梶原 そういう意味だと、ライバルなんてない方がいいんじゃないの?
トモシロウ まぁ「このシーンの中で」という風に考えるんじゃなくてということなんですけど。
梶原 いやいや、HIGHWAY61ってすごく完成されたものがあるし、勢いとかパワーとか含めてすごいなって。あんまり「シーン」っていう言葉にひっかからないで(笑)。単純に「いいバンドだね」っていいたかっただけなんだから。

■「音楽は自分のものだ」と「何かが違う」
梶原 HIGHWAY61のみんなの共通するものはなにかある? うちらにとってはパンクの出現はすごく大きかったのね。そこから音楽をやるかやらないかっていう差がすごく出たんですよ。その熱はすごくて。その後のニューウェイヴとかに入って、ハードコアが出てきて。むっちゃくちゃ怖かった。だけど、その危なさの中の熱は確実にあって面 白かったんだよね。
トモシロウ バンドというか音楽をやろうっていうきっかけは、やっぱりブルーハーツだったと思うな。なんだろうな、ブルーハーツを聴いた時、「音楽は自分のものだ!」って思えたんですよ。ブルーハーツが聴いて来たであろう音楽を僕なりにどんどん掘り下げて聴いていくようになって。そこから僕の音楽の旅が始まったくらいなんですよ。それ以前は「音楽は聴くものだ」って思っていたんですけど、なんていうんだろうな、「もしかしたら僕にも音楽が出来るかも!」って思うようになったのも大きかったんです。
梶原 なるほどね。僕にとっては、その前(レッド)ツエッペリンとかキングクリムゾンなんかを聴いていたことはいたんだけど。やっぱりパンクロックと出会ってからだよね。「自分でも音楽がやれるんだ」って思えたのは。
トモシロウ それから東京に来て、本格的にバンド活動を始めたのはこのバンドが最初って言ってもいいくらいなんですよ。他のメンバーもそうなんじゃない?
 そういう意味では、うちらが20代前半の東京で何かが起こるかもしれない熱は全くなかったんじゃないかなぁ。全てが一通 り終わってしまったような感覚で。
梶原 それは、ブルーハーツも終わってしまったということで?
 ええ。一段落付いてしまった後でしょう。バブルも崩壊しちゃって。
トモシロウ ブルーハーツなんていう空気は全然無かったですよ。バカにされている状況だったと思う。
梶原 (笑)
 「えぇ?! ブルーハーツ聴いてんの?!」って。 トモシロウ とまではいかないんだけど、シンプルで熱いものがやりたい! っていう姿勢を口にするのを憚られるような雰囲気です。冷めてたのかな。敢えていうと、何かが生まれるという事で言ったら、メロコアが登り詰めて行った頃じゃない?
 (ドラムの)勝は若いから判らないけど、僕を含めて3人はメロコアの事を毛嫌いしていたんですよ。肌に合わないって、いきなり拒絶反応してしまったんですよ。多分、僕ら以外の所ではあったんだろうけど、感じることはなかったんですよ。
トモシロウ そうだねぇ、あったんだろうけど判らなかったな。でも、僕はその頃から既に、このジャンル、このジャンルっていう区切りが始まっていて。僕がいるべき所がなんとなしに判っていたのかもしれないんですよ。割と冷めた感覚があったように思うんだよな。ただ、シーンの話でいうと、99年頃HIGHWAY61を始めて、シンプルで熱いロックンロールがやりたくてやってきて。その当時そういうこと誰もやってなくて。シーン自体はなかったんですよ。だから手当たり次第にライブハウスのオーディションを受けて。落とされまくって。メロコアだったりブリティッシュ・ギターポップだったりのバンドばっかりで。
梶原 具体的にはどんな?
 オアシスみたいなバンドとか、ブラーとかですね。
トモシロウ 「何か違うな〜」ってずっと思ってきて。そういう意味で僕らを拾ってくれたのが、新しく出来たPLANET Kと下北沢屋根裏だけだった。屋根裏で似たような奴らがいたんですよ。そこにスタンスパンクスとか太陽族がいて。そういう奴らで動員を争っていたりしてね。
梶原 ゴイステ(ゴーイング・ステディー)なんかもいたの?
トモシロウ ゴイステは先に行っちゃっていた感じでした。同じ時期にガガガSPとかもいたかな。お互いに企画を呼び合ったりして。そうですね、後から思うことだけどなんか、あそこには何かが合ったような気もします。
梶原 そうだね。真っ最中では、何があるのかって判らないかもね。
トモシロウ あそこにあった何かを、形がそれぞれ離れてしまっていくと、それぞれが形が変わってしまって、それぞれの趣向になっていって。今一緒に同じようなメンツでやっても同じ熱が出るかといわれると、それも違うと思ったりして。
梶原 だけど、いい形でそれぞれが拡散されていったんじゃないかな。

■<さよならパンクロック>
梶原 ちょっと、判りやすい所で言うと、5曲目の「さよならパンクロック」っていう曲。音楽スタイルを含めていろんな思いが詰まっているだろうなと思うんだけど。HIGHWAYにとって大前提じゃないですかパンクロックって。だけど「次に行こう!」という意味ですか?
トモシロウ あの、パンクロックという言葉を使ったとき、その人それぞれのパンクロック感があまりにも違って。そういうことに晒されている時間がどうでも良くなっちゃった。君にとってのパンクロックと僕にとってのパンクロックが違っていて。そういうのって勝手に自分の心の中にあればいい話なんだけど。
梶原 どういう風に晒されている気がするの?
トモシロウ 例えば「HIGHWAY61?! あ、日本語青春パンクのバンドだよね?」とか言われてあんまりいい気もしないな、、、とか。後は、なんだろうな、パンクロックというものに対して、僕らはものすごくこだわりがあるんですよ。パンクかパンクじゃないかということに対して。それは自分たちがロックかロックじゃないかってことと同じなんですが。僕らはパンクロックがやりたかったし、僕の中ではパンクロックが一番格好いいものだった。ただ、現在のパンクロックという言葉の使われ方があまりにも格好悪く思えて。パンクロックという言葉を使って金儲けしようとしたりとか、利用しようとかね。そういう僕の中での格好いいものであったパンクロックが、どんどん格好悪いものとしてすり替えられてしまって、世の中に広まりつつあると思っていて。
梶原 それは、うちらの頃のバンドブームって呼ばれたり、ビートパンクって呼ばれたりすることとにているのかな。
トモシロウ あぁ、そうですね。僕の中では、すごくこだわりがあったんだけど、そもそもパンクロックとは何か? って僕は最近考えるんだけど、一言で言ったら、「つまらないことをやっている奴に、お前それはつまらないよ!」って正面 から言うこと。僕にとって僕が大事にしていたパンクロックとはそういう事。だから、今のいわゆるパンクロックがつまらないので、宣言することを選択しました。つまり、パンクロックはこんなに格好いいものだから、みんなパンクロックの旗の下に集まれ! って言うこともできるんだけど、それは僕にとってのパンクロックではないんですよ。
梶原 なるほど。
トモシロウ そんなものはどうでもいいじゃないか、僕らは一番面 白い所に進んで行こう! って思ったんですよ。
梶原 今回、ここではっきりと言う必要があったわけですね。
トモシロウ そうです。それは自分自身の為にもあったし、つまらない事に対して宣言する必要もあったんですよ。

■括りを外して音楽を自由に、僕たちの音楽は続いていく
 それともっと単純なところでも必要性があって。1st.を出した時に「僕たちブルハの子供だよ」って言った背景には、うちら自身がブルーハーツに影響されてきたということは分かり切ったことだし、それをいちいち「ブルーハーツの物まねでしょう?」っていう論争が沢山あったんですよ。割と、HIGHWAYも当時ブルーハーツの物まねとして批判されることが多くて。だけど、パンクロックをやろうとしたら、同じ精神な訳だから似てしまうのはどうしようもない事じゃないですか。だって大好きなんだもん。でも、「ブルーハーツの物まねだから、最初から聞く必要はないよ〜」っていうのは、どういう事なんだ? っていう抵抗があって。だったら、うちらが言ってしまえ! 「だってブルーハーツが好きなんです!」って。ブルハかブルハじゃないかっていうことで音楽を決めてしまうことは、もうさよならしたいって。まぁ、ブルーハーツだった梶君に対して話すのは抵抗があるんですが。
梶原 それが必要だったのよ。俺はそれが聞きたくて今日ここにいるようなものだから。
 そういう状況がすごくいらだたしく思ったし。ブルーハーツを愛しすぎている人が多すぎて、物まねされたら許せない! シャクに障る! っていう人も多くて。誤解されている事が多くて。もっとちゃんとうちらがやろうとしている音楽を判って欲しいし、聴いて欲しいし。そういう思いもあるんだけど、そういう人達とはさよならしちゃおうかなって。うちらの方からさよならしちゃった方がいいンじゃないかって思って。
梶原 なるほどね。
 「うちらはブルハの子供だよ」って宣言しちゃったら、そういうブルハかブルハじゃないかっていう論争がぱたりとやんだり。その次にややこしい事になったのが、日本語青春パンクかそういじゃないかっていう論争だったりしたんだけど。 梶原 そうなんだ(笑)。
 そういうこと、音楽を括りで語ることは無くならなくて。だったらもう、言ってしまえ! 「さよならパンクロック」でまた括りを外してしまえってね。
梶原 なるほどね〜。
 ただね、最近になっていろんなバンドが「うちらは日本語パンクロックじゃないし」ってインタビューなんかで答えている事が多くて。うちらはそういうバンドと同じことで「さよならパンクロック」っていう曲をつくった訳でもなくて。「やっぱりHIGHWEY61も日本語パンクロック脱退! っていうことなのね」って言われちゃうんだろうけど(苦笑)。それも誤解なんですよ。いろんな微妙な誤解が続いていくんだよね。「さよならパンクロック」なんだけど、パンクロックへの愛情は人一倍あるんだっていうことを感じ取ってもらいたかったりするんですよ。
梶原 それは聴くと判るね。
 そう、うちらの音楽で感じてもらえたら嬉しいなということなんですよ。うーん、言葉にすればするほど、言い訳じみちゃったりするんですよね。
梶原 そうだよね。だけど、誤解は承知の上でやらないと仕方がないこともあるよ。もう、変な風にとられてもしょうがないんだけど、敢えて言わなきゃならないこともある! っていうことだよね。 トモシロウ そうなんですよ。
梶原 ブルーハーツを例にして言えば、一番その辺に縛られているのは元メンバーだよ。そういう事って、過去を否定する気は全くないけど、大変だろうなって思うし。私にしても、何かにつけて元ブルハってつけれられるしね。だから、そういう意味ではメンバーが一番苦しんでいると思うよ。
 そうでしょうね。最初に僕らが「ブルハの子供だよ」って言ってしまう時に、実は僕が一番反対したんですよ。それを言っちゃったらますます巻き込まれてしまうと思って。「さよならパンクロック」にしても、その言葉というか本質、カテゴライズされる事がくだらないということ、本当の主張が判らないと、言葉尻だけで捕らえられてしまったら意味がないですよね。本当に僕らが好きなこと、パンクロックとかロックンロールとかを純粋に素直に出していけるようになってきているから。正しかったのかな。僕らの音楽が自由になれたのかなと思います。
梶原 渡邊君はどうですか?
渡邊大顕(B) 結局僕たちの音楽の世界でしか、僕らの気持ちが証明出来ないと僕は思っているので。このアルバムでHIGHWAY61が終わっちゃうわけじゃないんだっていうこと。まだまだやりたい事が沢山あるんだっていうことを伝えたいんですよ。あっという間に花火のように燃え散ってしまって、パーンって終わってしまうのがパンクロックみたいな言われ方をされているような気がして。そうじゃないって。僕には先がずっとあって。人生は続いていくし。音楽もどんどん続いていくし、その音楽が進化していくのか、退化したと評価されるのかは判らないのですが。だけど、僕たちの音楽はまだ先があるから。
梶原 あぁ、来年はブームは終わっているよって言われるんだ。
大顕 そうですね、そういう風に言われることも沢山ありますね。ただ、僕たちの音楽はそのブームの為にやっているわけでも、ブームが終わっちゃったら終わりにする訳でもないから。僕たちは僕たちのやりたい音楽をやってきたら、今の現状があったりして。それは、ありがたかったりすることも、違うなと思うこともあって。
梶原 なるほどね。
大顕 でも、それは、音楽で解決していきたいなって思うんです。甘っちょろいですかね?
梶原 いやいや。やれることは今しかないじゃない。だったら、やるしかないって思うんですよ。10年たったら、テクニックやらは付いて来ると思うんですよ。だけど、昔みたいな勢いだけっていうのは、今の私は出来ないし。やっぱり、その時その時に出来ることが沢山あるから、そこを突き詰めていくことが大切だし、結局それしかできないなっていう話なんですよね。だから、HIGHWAY61の今回の選択は間違っていないなと思うんですよ。そして、その分の突き詰め方を頑張って欲しいなって思いますね。

■音楽的なコミュニケーション <MUSIC PEOPLE>
梶原 今回は、<踊れる>っていう事を全面に出していますが。これはどういう事なんでしょう? 
 うちらのルーツとして、ロックンロール、ブルースとソウルとレゲエとR&B。スカはあんまりなかったんだけど、この5つは共通 してあるんです。そういう所で8ビートとしてのパンクロックも好きだったんですけど。1ツアー、たかが1ツアーなんだけど、8ビート的なパンクロックだけでは物足りなくなちゃったんですよ。もっと音楽的に貪欲に、楽しみたいという気持ちが出て来て。勢いでわーっとやってぐしゃぐしゃになって、痙攣して終わっちゃうっていう音楽だけじゃ物足りない気持ちが出てきて。もっと、自分たちの奏でる音楽で気持ちが良くなって、踊った方が気持ちいいっていうことなんですよ。
梶原 <踊る>っていう中には、暴れまくってわけわからなくなっちゃうっていうことは含まれていないということなんだ。
 全く含まれないという訳じゃないんですが。ビートだったりグルーヴで巻き込んでいって、ネイティブアメリカンの人がサンダンスでどんどんハイになっていくような、ああいうナチュラルハイの状況に持っていくことは、HIGHWAY61の音楽でできないものかって考えて。
トモシロウ 前は肉体を痙攣させることによって、ある種精神と肉体を追いつめていって、得られるハイな感覚を楽しんでいたんだと思うんですよ。それを得るためにロックンロールミュージックに対峙していたんだけど。それはもう結成以来やってきて、ある一定のピークは得られたんですよ。しかも、この状態でもっとハイな所に行くためには、多分どこかが壊れるなって思って。肉体だったり、精神だったりが。しかも、ライブ中での怪我も多かったですからね。
梶原 あぁ、なるほどね(笑)。
トモシロウ 怪我していると、肉体の追いつめ方が足りなくなっちゃったりするじゃないですか。そうするとハイになれなかったりして。あれ?! って焦ったりして。そうすると、やっと音楽が聞こえて来るんですよ。で、聞こえて来た音楽でもって、その音楽に深く入り込んでいくようになっていった経緯もあります。
梶原 その、痙攣してどうにかなっちゃうっていうある種のカタルシスが、その当時は必要だったという訳でしょうね。そのカタルシスが違う方向に向かって来たということですか?
トモシロウ そうですね。だけどもしかしたら、今回のアルバムのような世界観の方が、肉体的なのかもしれないんですよ。
梶原 そこら辺は、聴いていて目覚めたの? やっていて目覚めたの?
トモシロウ それは、やっていて気が付く部分が大きかったかもしれないな。聴く事はもう随分前からやっていたからな。持っているレコードでいったら、ハードなものよりはもっとメロウなものの方が多かったりしますから。元々パンクロック一辺倒という素養ではない事もありますね。より、生身の僕たちに近づいているような気がしますね。向かう方向としては自然な方向な気もしますけどね。
 僕は、それに対しては反発はあったんです。僕はロックに対しての出会いが、20を越えてからなので遅いほうだと思うんですよ。だから今が一番パンクロックに対して熱い気持ちがあって。徐々に音楽にのめり込んでいる最中なんです。今一番好きなのがツェッペリンだったり、ザ・フーだったりして。誤解を恐れずに言えば、僕は彼らみたいになりたいんですよ。どうやったらあんなに格好いいミュージシャンになれるんだろうって常々思っていて。ただ、1ツアー終わって、肉体的にも精神的にもボロボロの状態になって。ライブを終わったら汗だけじゃなくて、鼻水やら血やらが体から流れてたりして。このままだと彼らの位 置に到達するのは無理かも? いや、まだまだだ! そういう葛藤もあって。本当はもっと追いつめるやり方でもうちょっとやってみてもいいんじゃないかとも思って。色々考えたんだけど、もっと音楽自身に愛情を持って音楽がどういうものが判って演奏しているんじゃないかって、俺らに足りないのはその部分じゃないのかって判ってきて。<踊れるもの>の中からロックンロールへの愛情を表現できたらいいんじゃないかって思ったんです。その方がロックンロールへの敬意かもしれないし。
梶原 それは、突き詰める事に対して限界を感じたということ?
 そのやり方ではということなんですが。別 のやり方で更に上を目指していきたいという意味なんですよ。違うルートでもいいじゃないかって。そのキーワードの一つに<踊る>っていう事で。
梶原 なるほどね。例えば、ラモーンズみたいに死ぬまで同じスタイルを突き詰めた人もいるじゃない。いろんなスタイルで自分たちに出来るのはこれしかないという事でやっているんだと思うんだけどね。それは、よく判ります。
大顕 前回のツアーで全て行きいったか?って考えると、突き詰められなかった部分もあったんですよ。だから、僕としては最初は悔しかったんです。行けないんだから、もっと突き詰めようよっていう風に思って。だけど、MUSIC PEOPLEの制作に当たっての合宿でそういう話も沢山したんです。それまでのHIGHWAYはメンバーが全て同じ方向を向いているんだけど、周りは観てない、脇目を振らない感じで演奏していたと思うんです。あんまり、コミュニケーションがない世界だったかもしれなくて。だけど、セッションを重ねるうちに、音楽的なコミュニケーション、バンドでの会話が出てきたんですよ。
梶原 あぁ、周りが見えて来る瞬間があるよね。
大顕 その辺の面白さがあって。違う楽しさがみつかったかな、音楽的な楽しさ。と思って、僕が好きなCDを聴き直してみると、みんなそうやって音楽をやっているような気がして。押し引きみたいな感じで。

■ロックンロールは面白い!
梶原 誰かも言っていたんだけど「勢いで突っ走った音楽をやると、ドカドカガッシャーンって、満足感はあるんだけど、自己満足かもしれないんだよ。そこじゃない所を音楽で伝えなきゃいけないんじゃないか?」ってね。音楽で伝えられることは沢山あるもんね。
大顕 そうかもしれない。自分のためばかり、バンドでもなくて、自分の気持ち良さだけのためにやっていたようにも思えるんです。それを聴いてくれている人、というとちょっと烏滸がましいかもしれないんですけど、一緒に楽しめるサウンドだったりを追求したくなったんです。
梶原 まぁ、自己満足でも伝わるものは伝わるんだけど。その音楽で本当に突っ走って気持ちよくなれているうちは、それが伝わるんであって。リアルな部分があるからなんだけど。その辺が人のためだとか行ききらない部分が出てくると、リアリティーがなくなっちゃって、修行みたいな感じになって。結局伝わらなくなっちゃうんじゃないかな。
トモシロウ そうなんですよね。
梶原 だったら、次のステップに行かないと自分たちも楽しくないし伝わらないしで、意味がないものになっちゃうだよね。
トモシロウ そう、ライブが修行みたくなっちゃってきたんですよ。
梶原 しょうがない部分もあるんだけどね。だけど、その部分が行き過ぎると良くないよね。
トモシロウ そう、その葛藤があって、「MUSIC PEOPLE」なんです。僕たちがこの作品を出すには、それなりの意味があったんですよ。まぁ、僕らはロックバンドじゃないですか。何をどう転んでも。ロックが面 白いものだ! っていうことをどう表現するのか。そして、これから後の世代の人達にどう伝えて行くのかだと思うんですよ。そういう風に思ってもらえるような音楽をつくっていかなきゃなっていう思いもあるんです。


HIGHWAY 61 2nd. album
MUSIC PEOPLE
HHCD-1065 2,500yen(tax in)
2003.12.03 OUT

HIGHWAY61 LIVE INFO.
2nd. album レコ発ツアー
12/5 千葉LOOK
12/8 宇都宮VOGUE
12/10 新潟CLUB JUNK BOX
12/11 仙台CLUB JUNK BOX
12/16 福岡DRUM SON
12/18 神戸STAR CLUB
12/19 広島ナミキジャンクション
12/20 松山SALON KITTY
12/25 熊谷VOGUE
12/29 郡山♯9 <TOUR FINAL ワンマン!>
1/7 金沢Van Van V4
1/9 名古屋 ell. FITS ALL
1/10 大阪MUSE HALL
1/17 渋谷O-East TOTAL
INFORMATION HIPSHAKE records 03-3498-9041

梶原徹也 live information
<サルサガムテープ>
12/4 横浜赤れんが倉庫インディーズフェスティバル

※インストアライブ:無料
12/6 ミュージックショップ タハラ藤沢店
12/14 ミュージックショップ タハラ町田店
12/21 石丸電気 SOFT1
1/17 渋谷LA MAMA Hore!Hore!Live vol.3
1/23 京都 磔磔 レコ発ライブ

total information ヌクヌクレコード 0467ー57ー4054