梶原 中川さんというと最初は、ニューエストモデルですよね。音楽に目覚めた頃というのは?
中川 凄く簡単に言うと、小学6年ぐらいの時にFMラジオとか聞くようになってね。そういうところからロックと言われる音楽を聴き始めて。最初はビートルズやったかな。それから中学3年のときにローリング・ストーンズというやっかいなバンドに引っかかってしまってね(笑)。もうそこからは完全にストーンズ。
梶原 私もビートルズから入ったんですけど、その頃はNHKで特集をやっていたじゃないですか。それに乗っからされた感じなんです。
中川 うん。ビートルズもマニアックに聴いていたんですよ。ウィングスも聴くし、ジョン・レノンのソロも聴くし。とにかくもう聴きまくっていて。その次に何か聴きたいなって思っていたときに、ストーンズやったから。いきなり気分は大人になってしまったというかね。なんかもう、それまでのものはもう聴けない! それからは、ストーンズ・フリークといってもいいくらい。で、高校入ったらバンドやるぞ! ってそういう感じやね。

梶原 中学生の時私にとってパンク・ムーヴメントがものすごく大きかったりするのですが。
中川 俺らは梶君より少し下の世代になる。俺らの頃はパンクと言うよりは、ニューウェーヴっていわれていたかな。で、WHOとかキンクスとかは好きになったけど、パンクってガキっぽく聴こえる。自分の方が全然ガキやのに(笑)。ピストルズとかクラッシュとか聴いても、なんかがちゃがちゃしていて頭悪そうにしか聴こえへん(笑)。ストーンズはなんかインテリジェンスとデカダンスな匂いを感じさせてくれるとかね。子供心にはそういう風に映ったんよ。高校の3年間はストーンズ、WHO、キンクス、、、ほんと60年代のモータウンとか古典マニアのように聴きまくってね。ただ、JAMとスラングラーズにはものすごくはまってしまったな。
梶原 それはまたどうしてなんでしょうね?
中川 JAMは、当時の他のニューウェーヴのバンドよりも音楽的に感じたからでしょうね。ポール・ウェラー自身がああいうシーンからちょっと孤立しているような感じがあって。そこが自分と重ねやすかったというか(笑)。性質的にも自分と似ているんじゃないか?! って子供心に思ってしまって。とはいっても、その後クラッシュはすごく好きになったりするんやけど。まぁ、俺にとってパンクはもう少し後になってから。82、3年の頃やね。

梶原 ニューエストは85年に結成ですよね。
中川 高校卒業後、1年くらいセクシャルというハードロック・バンドにギタリストとして在籍した時期があって。エアロスミスみたいなものを志向していいたから、俺とは全然あわなくてね。俺が潰したようなもんよね、1年で解散してしまったんやけど。それでJAMとかドクター・フィールグッドとかやね。エルビス・コステロ・アンド・アトラクションズとかその辺の感じがやりたくて。そこで始めたのがニューエスト・モデルやね。ちょっとモッズっぽいパンク。
梶原 キーボードが引っかかる感じでしたよね。
中川 最初はとりあえず、トリオでJAMみたいなことをやっていたんやけど。オルガンが欲しくて、無理矢理奥野をキーボードにしてしまった。本当は奥野もギタリストやってんけど(笑)。
梶原 それは、ギターバンドではないということで?
中川 4人編成でギタリスト2人っていうバンドは腐るほど世に中にいたから。そんなんやったら、目立てへんなって思って。なんとかキーボーディストが欲しかったね。パンクバンドというよりはスモール・フェイセスみたいな感じ。
梶原 私は同時代的にKISS、エアロとか大好き! だったんだけどね。
中川 俺はいわゆる太文字のロックが好きやったときはあんまりないんよね。もっとなんかモータウンとかモッズミュージックとか60年代のものが好きやったね。ロックンロールってかんじかな。ソウルミュージックも好きやったな。70年代のクイーンとかツェッペリンとかは全然ダメやった(笑)。
梶原 なるほどね〜(笑)。その、パンクのスタイルを出していこうかなっていうのも無かった?
中川 十代の頃、バイトでロック喫茶に5年間くらいおって、上の世代の連中の感じが自分なりに見えちゃった。上の世代のバンドに加入して新宿ロフトでライブを17、18の頃にやってしまったから。そこはそこで楽しいんやけど俺は、音楽的には生意気なガキやったから、そこには音楽的に見るモンはないな〜って、上の世代には判断くだしちゃっていたんですよ。どれも一緒やんって(笑)。そんなんやから、自分らの世代の新しいことがやりたい! そんな頭でっかちなことばっかり考えていたな。

梶原 ニューエストとメスカリン・ドライブが同時期にあるじゃないですか。関係性というのは?
中川 最初、俺がメスカリンのファンやったんよ。友達で飲み仲間で。メスカリンはT-REXとかニューヨーク・ドールズとかやったりね。当時には無い感じやったん。全員女性で、派手派手でね〜。すごく格好良かったよ〜。しかも洋子ちゃんのあのボーカル。パティー・スミスみたいな声で英語で歌うでしょう。なんか衝撃的やったね。いっつも笑っている! それか怒ってる(笑)。彼女達の結成当初のデモテープを聴かせてもらったときに、「これはうかうかしていられんな」って思った。火がついたよ。ニューエストの最初のライブの対バンもメスカリンにやってもらったんですよ。そこから盟友関係は始まっていて。彼女たちも上の世代に対する反発もあったやろうしね。しかも男社会やん? ロックの世界は。
梶原 そうでしょうね。
中川 鼻っぱしが強いからね〜。「男なんかクズばかりや」みたいな所が今でもある(笑)。そういう所もバチッと合ったんよ。なんか、いわゆる既成の属したい場所というものがお互い無くて。いわゆるインディーシーンの中にも派閥があったわけやねんけど、そのどこにも属したくないっていう意見が完璧に一致して。「自分らで創っていこうやないか!」ってね。
梶原 レーベルも最初から創っていましたよね。
中川 そうね。伊丹英子と自分の住んでいる所を「ソウルフラワー・オフィス」と名乗って事務所にしてしまって。俺はソウルミュージックが好き! 彼女はフラワー! じゃあソウルさんとフラワーさんが一緒にやるから、ソウルフラワー・レコード! めちゃくちゃ単純やな。
梶原 なるほどね〜。では、音楽的には少し違った方向だけど、一緒になる事はそれほど意外な事ではなかったんだね。
中川 そうやね。まぁ、その後にキング・レコードからメジャー・デビューすることになるんやけど、どんどんメンバーも混じって来てしまったからね(笑)。それで、どこのバンドもそうやと思うけど、やっぱりリーダーが突出していくよね。例えば俺なら、スポークスマンであり、歌も歌って、作詞作曲もしていて。いろんなバンドが経験してきたことやと思うけど、突出していくとある種独裁政権みたいな感じなってしまう。そうなってくると、俺もなんかニューエスト・モデルの他のメンバーとニューエストをやっているというよりは、伊丹英子とニューエストをやっているという感覚になってきてしまってね。伊丹英子の方もそういう感覚になってしまってきて。これはちょっと、一つにした方がいいんじゃないかなっていうことになってきたんですよね。ソウル・フラワー・ユニオンの結成やね。

梶原 なるほどね。
中川 だけど振り返って、お互いが売れなかったことはいいことやったと思う!
梶原 ええッ(笑)?!
中川 いやいや、いわゆる音楽業界で売れなかったのに、俺らの音楽の支持者は必ず俺たちについてきてくれて。それは俺らにとって、すごく大きなことちゃうかなって思って。<やりたいこと>は、夢みたいな状況であっても、誰にでもある。だけど、売れてきたり音楽を取り巻く他の人間の状況によって<やりたいこと>は、だんだん変わって来ちゃう。それが俺らにはなかった。ブルーハーツなんて売れたから判るでしょ。もちろん、ニューエスト・モデルも少しだけ売れた時代もあったから、状況が少しは変わった時もあったんやけど。とは言っても、自分らでソウルフラワー・レコードを創ってやり始めたときと、ニューエストが売れた状況は大してかわらんかったなぁ。だから、<あれがやりたい!>っていうことが自分らにとって基本的に変わらなかったのは、結局その後の自分らにとってはものすごく良かったと思う。初めから例えば<東ティモールでライブがやりたい>というような資質は10代の頃からあって。<被災地でやりたい、ドヤ街でやりたい>っていう感じとかね。
梶原 へぇ、それはすごいねぇ。
中川 もちろん、10代の頃はそういうことを実現させる勇気はなかったけどね。やれないけど、自分の中の深層心理にはあったことばっかりやね。それがもし、途中でものすごく売れたりしてしまったら、なんとなくそういうのは消えていってしまったように思う。でも、俺らはずっと家賃のことを考えながらやっているから(笑)。かわらんよね。自分らにとってはラッキーなことかもしれんよね。

梶原 では、東ティモールのことが話に出ましたが。私もチベタン・フリーダム・コンサートなどを通 じて、色々考える所があったりしたんですが。特定の地域の問題に関わることは、地域のそれぞれのいきさつだったりがあるじゃないですか。
中川 あの、敢えて考えないっていうこともあるかもしれんよ。そこには人間がおって、音楽が好きなんやっていうのは最初から判っていることや。歌うのが好きで、踊るのが好きで。おっさんは姉ちゃんが好きでね(笑)。どこ行っても一緒やな〜って。そのことも、だんだんと実感として判ってきたことなんやけどな。だから、あんまり深く考えんこと。行くとなったら、興味を持つから、本を読んだりもするよな。実感中で考えるようにしているかな、俺は。とにかく、自分らの知らない文化と出会えるということを、まず楽しむことにしているのよ。最初はそれだけにしよう! っていうことやな。自分らが楽しまんでどうすんの?! って思うじゃない。だから、声がかかればどこでも嬉しいよ。海外や〜! やった〜!! ずっとそんな感じ(笑)。
梶原 そうですか〜。それにしても、誘われる場所がなんとも言えない所ばかりですね(笑)。
中川 そう(笑)。今までアメリカにいったことないんよ(笑)北朝鮮、韓国、香港、フィリピン、ベトナム、アイルランド、フランス、東ティモール、北方領土(笑)。
梶原 海外に行くときは、どういう編成で行くの?
中川 たいがいはソウル・フラワー・モノノケ・サミットで行くんやけど。チンドン太鼓があって、俺は三線を弾いて。アコーディオンにベースにクラリネットやら。いわゆるチンドンスタイルやな。やる歌も昔のはやり唄とか、労働歌、革命歌。

梶原 モノノケ・サミットは、どんな感じで始まったの?
中川 95年の阪神大震災の時。伊丹英子が被災地で音楽やりにいかへんか? って言いだして。被災地でやったときのスタイル。被災地だから電気が通 ってない場所が多かったのよ。だから、アコースティック。だけど、最初爺さん婆さんの前で俺らのオリジナルをがなったってしゃぁないやん。だったら民謡やらんか?! って。その頃ちょうど、俺も沖縄民謡にはまっていた時期で、三線も趣味で持っとったからね。たまにソウル・フラワー・ユニオンでもネーネーズとか大工(哲弘)さんをゲストに呼んだりしていた時期で。じゃぁ、民謡バンドにしようっていう感じで。
梶原 フランスとかに行く場合、エレクトリックへのこだわりは出てこないもんですか?
中川 やりたいなと思う瞬間もあるよね。もちろん。特にフランスとかでやる場合なんかね。エレキギターやらドラムセットやらは実は、日常的じゃないよね。エレクトリックのバンドは、大変やね。お金もかかるし。モノノケ・サミットはどこでも出来るもんね。楽器も手持ちやしね。
梶原 なるほどね、それは大きいよね。
中川 それが一番や。あと言語的な壁も簡単にクリアしてしまう。どこに行っても判ってもらえる。トラッド・ミュージックっていうのは、地球上どこへ行ってもある程度は共通 点があると思う。そういう話をするとまた長くなるけどね。まずは、とりあえず身軽に出来るスタイルやね。しかも三線を持って海外でライヴやってると、みんなが興味を持って近づいて来るんよ。若い子らも、おっちゃんらも。「その楽器触らしてくれ〜!」って。そういう所から始まる会話は面 白い!
梶原 なるほどね〜。
中川 日本ほどトラッド・ミュージックとロックが完全にジャンル分けされている国はないよね。世界中どこ行っても、若者と年寄りとが分かり合える音楽が存在しているじゃない。だから、今となったら、モノノケ・サミットっていっても別 段変わったことをやっているという意識はないんよ。全くね。
梶原 前にモノノケサミットを東京で見たときに、会場中のお客さんが狂喜乱舞しているのを見て、これはすごいなぁ! って思ったけど、モノノケ・サミットの存在が全てを変えていったということになるよね?
中川 それはあると思う。もし被災地でやらなかったら、ソウル・フラワー・ユニオンは解散していたと思うね。95年か96年くらいには。どのバンドも経験することなのかもしれんけど、偉そうなリーダーと一生懸命付いていく他のメンバーの構造(笑)。ソウル・フラワー・ユニオンにも相変わらずそれがあったんやけど、モノノケ・サミットをやって払拭されたからね。それは本当に大きかったよ。

梶原 中川君がソロを出して、その後のインタビューで「やっぱりバンドだ!」って発言していたけど、すごく意外だった。中川君はテクニック志向なメンバーと自分の音楽を追究しいのかなって思っていたんで。
中川 ソウルフラワーのメンバーには特別なテクニックは無いんんやけど、「俺がこれがやりたいのや!」って言ったら連中はすごく必死にやる。研究せざるを得ない。下手な分。そういう感じの良さは、独特なんよ。俺に合っているのは、そっちかな。もちろんもう一度ソロ作品を出したいよ。単にボーカリストとして、みんなの手のひらの上で遊ばしてもらいたいって思う。でも、一緒に頭突き合わして、悩みながら音楽をやることがちょっと好き。それが俺にとってのバンドやね。俺はソウル・フラワー・ユニオンで基本的には俺が好きなロックンロールバンドをやりたいなって思っているだけなんよね。俺が思うロックンロールバンドっていうのは、風通 しが良くて、ミーハーで。アイリッシュが格好良かったら「アイリッシュやろうや〜!」って。レゲエが格好良かったら「レゲエや〜!」そういうミーハーなノリや。すごくマルチカルチャーで風通 しがよくて、いろんな音楽がバンドの中に入ってくるようなね。俺にとってのロックンロールバンドはそんな感じやから、いわゆる古典的な8ビートの白人ロックだけをやるのは、俺には理解できない。それでそのバンドが幸せになれるんやったら、それで別 にいいんやけどな(笑)。俺はそれでは幸せにはなれないから、例えばローリング・ストーンズの様に風通 しよくやりたい。日本の場合は、それほど音楽が日常化されていないというか、ある種音楽をやろうと思いたったら、練習スタジオという所を借りて、2時間いくらかのお金を払って、その間だけロック音楽をやる(笑)。そこから出たら音楽をしない。言ってしまえば、日本のロックという音楽は非日常なわけね。イギリスやらアメリカやらのロックっていうのは、もっとネイティブな所から寸断されずに鳴っている音楽。すごく日常的。ローリング・ストーンズがゴスペルやったりカントリーやったりするのも、自然な流れでしょう。その違いは大きいよ。だから、、、本当に難しいよね。この国で音楽をやるのは。俺は奴らと同じ感覚で音楽をやっているつもりやねんけどな。

梶原 三線とかトラッド楽器を持ったときに、抵抗は無かったんですか?
中川 あのころチャンプルーズと一緒にやっていて。チャンプルーズのメンバーが奨めてくれるんよ。「中川さんどうして三線弾かないのさー?」ってね。俺からしたら「どうして?」って言われても「触ったことないからさー」としか答える術は無かったんやけど(笑)。三線に対しての、敷居をすごく低くしてくれたのね。チャンプルーズにしてもネーネーズにしてもみんなそう。「あ、そんな軽い気持ちでやってええの?」っていう気分になるやん。
梶原 沖縄の人からの後押しがあったわけね。
中川 そうね。ウチナンチュからのヤマトンチュへの見方っていうのは、出会ってすぐからどうしても感じてしまう所でしょう。とはいっても、俺かて、好きこのんでヤマトンチュになったわけやないから(笑)。一緒に遊んでいくうちに、彼らが敷居を低くしてくれてね。で、沖縄民謡の独特の響きにとりつかれてしまって。で、三線買って。遊びで弾きはじめたんだよね。
梶原 そういう人達が周りにいたのは幸せだよね。
中川 そうねぇ、ラッキーやったと思うな。俺らの厚かましい資質が作用したかもしれんね(笑)。もちろん政治的な関係もあるよ、コリアンと日本人の関係、アイヌとシャモの関係、ウチナンチュとヤマトンチュの関係とかね。だけど一緒に遊ぶ中で何かを学びあっていかないと、なにも起こらないしな。
梶原 ミクスチャーですね。掛け合わせて生まれてくるものが面 白かったりしますよね。
中川 あとは、時期的なこともあるよな。それまで日本の音楽シーンのメジャーなところで10年くらい、それまでもインディーシーンで数年やってきて。ちょうど震災が起こったとき、全てがバカらしく思えてきた頃やった。ブルーハーツが解散して、ボ・ガンボスも解散した頃。なんか違うことがやりたい。音楽雑誌でポーズをとって写 真を撮られたりね。なんかレコード会社のディレクターから悪気はないんやけど「もっとロックっぽい曲をかいて欲しい〜」とかね(笑)。誰にものを言うてんねん! (笑)。とくに俺は、何か新しいことがやりたい、こんな子供だましな世界で続けていくのは、イヤやってね。その土俵自体がすごく狭いものに感じてしまってね。いわゆる、日本の音楽業界・東京・中央。まだそんな言葉はなかったけど、「J-POP」(笑)。排他的で、地域的で、だけどそこにおる人らはこれこそが日本やって思っている傲慢さね。俺らの場合は、関西にそのまま住んどったのも、大きいのかもしれんな。

梶原 しかし、ローリング・ストーンズは今でも音楽雑誌の表紙を飾ったりするじゃないですか。
中川 ローリング・ストーンズはパイオニアやからね。完璧に新しい文化を創ったと思うよ。新しいアルバムが出ても、ちょっとしんどいかなっていうところはあんねんけど。彼らは独特なグルーヴがあるしね。俺には単なるロックには聴こえない。独特なスイング感があって。ある種、トラッドやね。ちょっと贔屓しすぎかもしれんけど(笑)。
梶原 そういうのであれば、向こうのシーンがトラッドを繋がっているのかどうかっていう所に、論点がいくのかな? 日本のシーンが繋がっていないとか?
中川 そんな簡単なことではないとは思うけど、それも一つの要素かもしれんな。俺はあんまり、ロックというものを幻想化する日本人の感じがよく判らない。簡単には言えんなぁ。イギリス・アメリカのロックに40、50にもなってあこがれが強いだけの奴おるよね。俺にとっては格好悪いことでしかないから。そんなことばっかり言うから、飲み屋ですぐ喧嘩になるんかな(笑)。
梶原 日本のロックの全てが後追いになるのもね、どうかね。こっちが発信するようなシーンになってもいいよね。向こうから入ってきた音楽をコピーするだけは、納得できないね。
中川 あとは、簡単に言うけど、こっちかて向こう、イギリスとかアメリカの連中に聴かせたいやん。「こっちにもおもろいもんあるで! アジアにもあるで!」って発信したいし。その時に、単に真似しているだけじゃねぇ、恥ずかしいよね(苦笑)。
梶原 THE 3PEACEで向こうでやっていたときは、必ず「日本語でやっているからいい!」って評価されていたよ。
中川 ただな、俺は別に右翼じゃないから(笑)。俺もロックンロールとかファンクとかの音楽にすごく影響受けてきて。それを全然否定する気持ちはないし。俺の中には、そういう音楽の要素が色濃く入っているし。全然否定するつもりはないんよね。単純に構造自体が気持ち悪いっていうこと、<日本のロック>っていう文化の構造ね。よく勘違いされるんやけどね。「だったら中川、民謡(トラッド)聴けばそれでええんか?!」とかね。言葉尻を捕らえられちゃうんやけど(笑)。日本の民謡なんてほとんど博物館行きや。

梶原 それでは最後になにか。
中川 ライブに来て欲しいね。多分ね、ソウル・フラワー・ユニオン知らんと、ソウル・フラワー・ユニオンっていうある種のイメージをもっとる人が多いと思うんよ。「ややこしいんじゃないかな」とかね(笑)。あと俺のこの口の悪さが災いして、単に嫌われているとかね(苦笑)。いろいろあると思うねんけど。まずは、沢山の人にライブに来て欲しいです。
梶原 7月にCDがリリースされていますよね。
中川 これはもう、聴いてもらうしかないよ。安いし買ってくれ〜! 2000円、応援票としてな(笑)。絶対気に入ってもらえるから。あとは、バンクバンドやっている子らに一言。東京でバンクバンドやっているんやったら、石原はリコールせなあかんよ! 石原を降ろせ。



ソウル・フラワー・ユニオン
Shalom! Salaam!(シャローム・サラーム)
OUT NOW
2,000yen (tax in)
販売元:BMtunes



ソウル・フラワー・ユニオン/ズボンズ Super Special Joint Tour
2003 2003/11/04(火) 心斎橋BIG CAT
■開場/開演: 18:00/19:00
■料金:前売 \4,200-(ドリンク代別)
■問: GREENS 06-6882-1224、 BIGCAT 06-6258-5008

2003/11/07(金) 名古屋 ell.FITS ALL
■開場/開演: 18:00/19:00
■料金:前売 \4,200-(ドリンク代別)
■問:JAILHOUSE 052-936-6041

2003/11/10(月) 新宿 リキッドルーム
■開場/開演: 18:00/19:00
■料金:前売 \4,200-(ドリンク代別)
■問:SOGO 03-3405-9999

▼ イベント ▼
in the city TOKYO 2003 -SPECIAL PROGRAM LIVE- Under The Full Moon 〜満月収穫祭〜
2003/10/02(木) SHIBUYA-AX

■出演:ソウル・フラワー・ユニオン、HEATWAVE、GO!GO!7188、平安 隆、沢 千恵
■料金:1Fスタンディング\3,200(税込) *当日券は500円UP
■in the cityサイト http://www.inthecity.jp/
■問:SOGO 03(3405)9999

BEGIN presents “Midnight Drinker Vol.4”
2003/10/09(木) なんばHatch

■出演:BEGIN<比嘉栄昇、上地等、島袋優>、THEイナズマ戦隊、シーナ&ロケッツ、ソウル・フラワー・ユニオン、ひげのかっちゃん(元コンディショングリーンVo.)
■open18:00/start19:00
■前売:\5,000(1階・2階 指定席)/\4,800(1階 立見席)※ドリンク代別
■問:サウンドクリエーター06-6357-4400

PRE-MINAMI WHEEL 2003 Under The Full Moon 〜満月収穫祭〜
2003/10/16(木) 心斎橋BIG CAT

■出演:浜田亜紀子(from GO!GO!7188)、ソウル・フラワー・ユニオン、HEATWAVE
■開場18:00 開演19:00
■入場料:前売\3,200-(税込・ドリンク代別)
■問:YUMEBANCHI 06-6341-3525

ソウル・フラワー・モノノケ・サミット 阪神障害者解放センター 創立15周年フェスティバル
2003/10/18(土) フレンテ西宮大ホール

■開場12:30 開演13:00 終演17:00
■会場:フレンテ西宮5F、JR西宮駅下車南側ロータリーすぐ。Tel. 0798-32-8660
■入場料: [一般]前売2,000円 当日2,500円 [障害者と介護者1組]前売3,000円 当日3,500円 [中学生・高校生]前売1,000円 当日1,500円 [小学生以下の児童・幼児]無料

SOUL FLOWER UNION official web site http://www.breast.co.jp/soulflower

梶原徹也 information

●サルサ・ガムテープ
10/10 大塚RED ZONE
10/12 羽根木公園
→→ 2nd. mini ALBUMレコーディング完了! 11月頃発売予定!
more info http://salsagumtape.fc2web.com/
●THE 3PEACE official web site http://www.the3peace.com/