1999.3のINTERVIEW
ロフト創始者・平野悠

新宿ロフト閉店?
ロフト創始者・
平野悠
その心中を激白!?

ライブハウスの代名詞と呼ばれ、多くのミュージシャンやオーディエンスから支持されてきた新宿ロフト。これまで様々な紆余曲折を経てきたわけだが、その新宿ロフトが23年目にしてついに閉店する(というか移転する)ことになった。それに伴い、音楽業界やマスコミやお客さんなどの間では3月17日の閉店に向けて日に日に盛り上がってきている。長い歴史を持つ新宿ロフトについて、語ることができる人は数多いが、やはりここはロフト創始者の平野悠に、新宿ロフト閉店についてその心中を語ってもらうことにした。まあ、根がひねくれ者の平野であるから、当然のことながらまともなコメントではないのだが、平野をよく知るものには、実に平野らしい内容だといえるのではないだろうか。    (interview:加藤梅造)



新宿ロフトは俺のライブハウスの完成型だった

──現在の新宿ロフトの閉店が近づくにつれ、マスコミの取材とかが増えてきてますが、そういうふうに盛り上がってる周りの状況に対してどう感じてますか?

平野(以下Y) 閉店する時にやりたいことはいっぱいあるんだけど、移転してまた新しく始めなきゃいけないから、あんまり過激なことはできないよな。本当は最後はぐちゃぐちゃにして、みんなにひんしゅくをかうくらいの終わり方をしたかったんだけどね。『あんなクソライブハウスなくなってよかった』って思われるぐらい。そっちの方が面白いじゃない。ロックってのは既成の終わり方とかを突破しないと意味ないと思うからね。

──相変わらずアナーキーな事を言ってますが。「ROCK IS LOFT」(注1)に載っている新宿ロフト開店当時のスケジュールをみると、オープニングセレモニーでは、金子マリ、ムーンライダース、南佳孝、桑名正博、サディスティックス、矢野顕子、というぐあいに今見ると信じられないラインナップになってますが、逆に、一般的な新宿ロフトのイメージとはちょっと違いますよね。

Y 新宿ロフトっていうと、東京ロッカーズとかボウイとかARB、アナーキー、ルースターズ、そのへんがいつも代名詞として使われるよね。でも俺は烏山ロフトから西荻〜荻窪〜下北ロフトとずっと苦労してやってきて、その頃一緒に苦労した連中に思い入れがあるのね。新宿ロフトっていうのは、俺にとってライブハウスの一つの完成型だったからね。キャパも当時としては最大だったし。その本(「ROCK IS LOFT」)に山下達郎が書いてくれてるんだけど(以下引用──「荻窪ロフトと下北ロフトが私を育ててくれたゆりかごだった。ロフトの平野氏はミュージシャンのチャージをピンハネせず、採算はあくまで飲食営業でまかなうという、画期的な発送の持ち主だった」)、うれしいよね。逆にいうと、その当時ロックなんてのは商売にはならなかったってことで、ミュージシャンと一緒に店をつくっていったっていう感覚があるよね。

──新宿ロフトの最初の頃のチラシを見ると、「ロック居酒屋」ってコピーがついてるのが今みると笑えますね。

Y ひとつには当時、ライブのあがりだけじゃ食えないっていう時代だったから、昼間は喫茶店、夜はライブ、深夜は居酒屋、そのぐらいやらないと店は維持できなかったね。

──でもロフトがいろんな人に愛された理由の一つに、やっぱり深夜の居酒屋でいろいろなコミュニケーションが生まれたことだと思うんですよ。

Y 面白いことやりたいって感じがいつもあって、例えばミュージシャンがいっぱい集まってたら、「おーい、セッションやろうぜ」って感じで、そうすれば楽しいかなって発想しかないんだよね。

パンク!? なんなんだ、こいつら

──悠さんをあまり知らない人って、ロフトの創始者ってことで大きな勘違いをしてると思うんですよ。つまり、ロックに対してめちゃくちゃ造詣が深いと思ってしまう。でも実際はロックに全然詳しくないじゃないですか。だから、ミュージシャンの視点でもなく評論家的な視点でもなく、いちライブハウスの経営者として、ずっとロックの状況をみてきた人っていうのが本当なんですよね。

Y あのねえ、もし俺が成功したと言えるんだとしたら、俺はロックに醒めてたからだと思うの。もちろん好きだったよ。でも俺が本当にはまったのはジャズだけで、ロックにはまったってことはなかった。最初ロフトは、ジャズにこだわってやっていたんだよ。でもある日、別のライブハウスにジョージ大塚クインテッドを聴きにいったら、その方が全然楽しいわけよ。だって、客の入りや売り上げやPAのことを気にしなくていいんだもん(笑)。だからジャズはお金を払って観ればいいと思ったんだよ。それで俺は自分の店でジャズをやるのやめちゃったの(笑)。ロックとフォークの二本でいこうと。

──そして悠さんは80年に突然世界放浪をはじめて、以降、音楽の現場から離れてしまうんですよね。

Y 音楽に関して言うと、俺はもう終わってるから。だって、家で聴くのも、朝はジェームスブラウンやクラシックだし、夜はトムウェイツさえ聴いてればおいしい酒が飲めるし、新しい音楽で感激しようって思わないから。あ、でも最近は、"ゆず"にはまってるかな。

──なんでまた"ゆず"なんですか?

Y うん、詞がいいよね。

──CD買ったんですか

Y いや、借りたんだけど(笑)

──結局、悠さんの興味の対象っていうのは、何の脈絡もないんですよね。

Y 面白がってるって話でしかないよ。

──新宿ロフトでパンクをやったのだって、別に音楽的にどうこうじゃないでしょ?

Y あの時は、「パンク!? なんなんだ、こいつら」という感覚でしかなくて、例えばスターリン(注2)を面白がってたのって新宿ロフトの店員で俺一人なんだから。だってそれまでライブハウスで臓物なげたやつなんていなかった訳じゃない。女の子にフェラチオさせたり。そんなの音楽性なんて関係ないよ(笑)

──全共闘にしてもロックにしてもバックパッカーにしても、悠さんの場合、決してスペシャリストになるって感じじゃないですからね。

Y 旅なんかにしても、好奇心でしかないわけじゃない。「今度の国はどんな国なんだろう?」っていう、知らない事を知ってやろうってだけ。これは親父の血筋なんだけど、みんなが新しいことをやってるのに俺が知らないのは悔しいって思うんだよ。あとこれは美意識の問題なのかもしれないけど、どうせやるなら人と同じことはやりたくない。ドミニカに日本料理のレストランを作った時だって、日本から一番遠くて、誰も日本人がいなくて、日本レストランが一件もないという理由だけだから。例えばこれが、NYとかLAとかだと、もう先達が沢山いるわけだから、そんなところに同じもの作ったって面白くもなんともない。だから、なんていうのかなあ、結局は・・・ムチャクチャなんだね(笑)


※注1)ROCK iS LOFT──新宿ロフト20周年を記念して出版されたロフトのヒストリー本。数多くの写 真、インタビュー他、新宿ロフトをはじめ、歴代ロフトのスケジュールなどが載っている資料的価値の高い一冊。

※注2)スターリン──遠藤ミチロウ率いるパンクバンド。そのステージはあまりに過激で、鳥や豚を引き裂いて臓物を投げたのが特に有名。ライブに行くのにかなりの勇気が必要だったバンドの一つである。