私にとってのプラスワン
(ロフト席亭・平野 悠)

 斉藤娘からロフトプラスワンオープン10年記念号だから「創始者のお前が何か書け」と言う指令が私に下った。確か、この店は10年あまりの海外生活を終えて日本に帰ってきて、しばらくして私が50歳の時に始めたんだよな。「よくあんな誰も考えつかないような店を作りましたね」って人から言われるけど、適当にやっていたらあんなんなっちゃったんだ。まさかその間「トークブーム」とか「face to face」なんて言葉がはやるとは思っても見なかったよ。こんなわけのわからん店、最初は「ぴあ」とか「東京ウォーカー」とかの情報誌はスケジュール載せてくれなくってさ。仕方がないので有料広告をうったのが、「噂の真相」「創」「ガロ」「模索舎月報」(当時この辺が一番安かった)だったっけな。なんともサブカルというか、間違ってもメインカルチャーじゃない。こんな雑誌読んでいて広告見て店にやってくる奴はロクな奴じゃないよ。うさんくさい奴らばかり(笑)だ。わたしゃ「OLさんが楽しく来れる空間」を目指していたのに……
 当時この店の適当に考えたコンセプトは誰も理解してくれなくってさ〜。ロックのロフトの連中も「このおやじ一体何をやらかすんだろう?」って好奇の目で見ていただけだった。わたしゃ、もう60歳、今更10周年記念なんて言われても、悪いけど「だから、なんだって言うの?」って感じしかないな。プラスワン10周年って言われてもたいした「感激」はないんだよ。
 それより風俗が駆逐され警察権力支配の「戒厳令下」、私が大好きな人情あふれる歌舞伎町の行方の方が心配だよ。これからいろいろな利権団体が沢山入り込んで来るんだろうな。勿論、石原慎太郎のカジノ構想を先頭に警察も天下り団体もゼネコンもヤクザも……奴らは歌舞伎町をツインタワーにして「賭博の町」にしようっていうテーマで動いているんだと思うよ。
 更に私のテーマはどこに「死に場所を探すか」の方が重要なんだよ。宮崎学から「平野、最後は一緒にパクられて終わろうぜ!」ってよく言われるのだけど、それって一花咲かせた事になるのかな? それにしても、我ながら思うよ。プラスワン……「変な空間作ったよな〜」って……。今でこそめったにないけど、当初はいろんな出演して欲しい著名人に電話して企画書送って出演交渉すると「なに〜! 私に酒の席で喋れって言うのか、バカにするな!」って何度言われたか?
 「私の講演料は1時間30万円です。払えますか?」なんて言われて、もう「そんな偉い奴なんか来なくっていいよ」って思った。それでも、このお化けみたいな怪物プラスワンはどんどん増殖していった(これにはやはりインターネットの普及でネットでスケジュールが読めるって言うのが一番力になったと思う)。初めは採算なんか度外視して自分の秘密の「遊び場所」を作ったつもりが、今じゃ、歌舞伎町のコマ劇場の横にデンとかまえていて、歌舞伎町の移り変わりを沢山見てきたよ。お客も沢山はいるようになったし。でもね〜、イベントって30人ぐらいのお客しか入らない怪しげな、唐沢俊一さんがいつも言っているB級文化(サブカル)トークや、出し物がスリルな何が起こるかわからない予定調和無しのイベントが一番面 白いんだよ。だからわたしゃプラスワンは卒業して、お客が30人以下、町に棲息するいぶし銀のキワモノの達人たち……全く無名の人たちも表現できてそれでも店は潰れないで成立する一一そんな挑戦として「ネイキッドロフト」(新宿コリアンタウン)を作ったんだけど、ここもいずれは「商業主義」に走るんだろうな。さて、わたしゃ、もう私の任務であったネイキッド・テツオ店長教育係は卒業して次の事を考えているよ(笑)

  いつも我が新宿ロフトプラスワンに御来場して下さってる皆さん、本当にありがとうございます。今、なんだか「はや10年!?」と「もう10年!?」が頭の中で交差してる感じです。オレがロフトプラスワンのプロデュースに関わる様になってから、もう7年以上が経ちます。最初参加したいと思った理由は、なんだかジャンルレスで何でも好きな事が出来そうだし、もし失敗してもその晩飲んだら忘れられそうだったからです(笑)。でも“出会い”という意味では有名タレントからSM女王まで(笑)、ホントウチ程様々な世界の人達と出会える場所はそうは無いのではないかと、そしてその色んな人達との出会いが、仕事より何より自分の心の財産になってるなあ、というのを最近しみじみ有り難いと感じます。これからも色んな“出会い”を求めて、皆さんロフトプラスワンに遊びに来て下さい。LOVE&PEACE。 (プロデューサー・シンスケ横山)
富久町ロフトプラスワンのステージは三畳程しかない狭〜い所だった。ここは、当時日本で最もわけのわからない事が毎晩繰り広げられている三畳でもあった。人間は制限があればあるほど創造性が大きくなるのか? あるいは気が狂うのか?
一日店長の義務として、必ずお客の質問に答えなければいけないというのがある。写 真は、なかなか質問が出ないので、強引にお客に質問をさせる席亭・平野。以前はよく見られた光景。
初代名誉一日店長のKEITH(ARB)。ロフトでは非常に恐いとおそれられているが、ロフトプラスワンではいつもやさしい。左隣はG.D.FLICKERSのJOE。
現在70回目を数える月イチのCRT&レココレイベントに5年前、あの大滝詠一さんが突如飛び入りで出演した伝説のワンシーン。お客さんもオレも心臓が飛び出る位 驚きました。左から萩原健太さん、大滝詠一さん、能地祐子さん、寺田正典さん。
開店当初からお世話になっている若松孝二監督と園子温監督。特に園監督は酔っぱらって数多くのありがたくない事件を起こし何度も出禁になった。どちらかといえばこっちがお世話をしたことの方が多いな。
席亭平野、会心のギャグ「おまん」「恋次郎」ヘルメット。しかし、誰にもウケなかったので、すぐに撤去されたという悲しいエピソードがある。
これも思い出深い一枚。野村監督とサッチーが夫婦で登場。この日はアントニオ猪木も応援にかけつけた。サッチーからは、「ロフトは私の心のふるさと」というありがたい御言葉をいただいた。
サエキけんぞうのコアトークはこれまで74回続いている長寿イベント。しかし本人曰く、ロフトプラスワンで一番だとロクなことがないので最近は回数を減らしているとのこと。
大乱闘事件で伝説となった「BURSTナイト」を企画したのはご存じBURST編集長のピスケン。写 真はトーク中飲み過ぎて酔いつぶれ、一人取り残されたピスケン。
ロフトプラスワンを因果鉄道に導いたのはもちろんこの人。幻の名盤開放同盟の根本敬。写 真は左から、根本敬、佐川一政、平野悠。ちなみに佐川さんが始めて出た日には、「人殺しを出すな」と脅迫電話がかかってきたらしい。
もはや61回目を迎える御存知プラスワンを代表する大人気イベント「オーケンのほほん学校」。毎回豪華なゲストを迎え毎回大盛り上がり。写 真は大槻さんがゲストの怒髪天の増子さんとロティカのあっちゃんと水戸さんとフリートークで大いに盛り上がってる所。
ロフトプラスワンはトークライブハウスとして認知されてますが、クラブイベントもやってるんですよ。写 真は「スカデーナイトフィーバー」というクラブイベントで、383人という最高動員記録を持ってます。
富久町ロフトプラスワンの入り口。普通の住居ビルの1Fにあったので、中で行われていることは決して住民や大家にバレないようにしていた。この日のイベントは「奥崎謙三出所記念トーク」(笑)
ハメ撮りAV監督のゴールドマンは、炎のシンガーという顔も持っている。写 真は不滅の名曲「チンポしごいて20年」を全裸で歌うゴールドマン。 ロフトプラスワンでは大ブレイクしているのに何故か一般的には盛り上がらないのが残念。
この階段を憶えている人はかなりのプラスワン通 だ。富久町プラスワンでは満員になると、この隅っこのせまーい階段も客席になっていたのだ。今思うとひどい場所だな。
ご存じ悪役プロデューサー「毛の商人」高須基仁。ロフトプラスワンで起こした暴力事件は数知れず。何をしだすかわからないが、そこが魅力なんでしょうがない・・・
 十周年なんてたんなる通過点だぜ。などといきがってみたって、こうして今日ロフトプラスワンがあるのは出演者の方々、創設者の平野悠、歴代の店長およびスタッフ、そしてお客さんのおかげです。ほんとにありがとうございます。
 思い起こせばたんなる酔っぱらいの客だった俺が、いつのまにかスタッフとして働くことになり、気がつけば店長になってる。これを一番不思議に感じているのは俺自身です。まともじゃいられないけど、まともじゃないとやってらんない。微妙にバランス取りながらこれからも精進していきます。今後ともプラスワンをよろしく。 (店長・天野宇久)
漫画雑誌アックス手塚能理子編集長の呼びかけで開催した「アックス秋まつり〜いもほり〜」。昼はしりあがり寿さんの手作りクッキー等々のフリーマーケット。夜は特濃なゲストのトークでお客さんをお出迎えしてもらいました。左からひさうちみちおさん、川崎ゆきおさん、蛭子能収さん、根本敬さん、みうらじゅんさんというそうそうたる因果 鉄道のメンツ。
謎のイベント「しんじゅく酒井祭」の酒井一圭。12時間トークライブさせたり、脱がせたり、クイーンものまねやらせたり、色んなことを言っても「あ、いいよ」と二つ返事の俳優。「あ、いいよ」とイベントも快諾し続けはや2年。口が悪いが本当にいい奴。酒井さんのイベントから、政治記者でありながら特撮イベントを仕切る謎のスーパーウーマン鈴木美潮も誕生。
初公開後に映画を観たお客さんたちと『バトル・ロワイアル』を話し合おうと集まってくれた方々。故・深作欣二監督と健太監督が、サクさんが来るならと若松孝二監督も。そして司会を務めてくれた宮台真司さん。公開質問では退場者も出たエキサイティングなトークライブを、終止にこやかに笑っておられた深作監督が忘れられません。
ロマンポルシェ。のお二人。今ではもうプラスワンにはなくてはならない常連の掟さん。出演以外でもロマンさんはお客で来てくれるからうれしい。写 真は初登場のお二人。実はこの後酔っぱらったロマン失踪。後日聞いたらプラスワンの天井裏にいたらしい。どうやって入ったんだ?とビルの管理人にも解明不明な事件。
杉作J太郎のボンクラ学園もプラスワンで長く続いているイベントだ。写 真は男の墓場プロダクション大集会。左から、杉作J太郎、吉田豪、しまおまほ、伊藤雄一、ごっしー、宇多丸、掟ポルシェ。、治郎丸、最首英也。
老舗深夜トークライブの新耳袋。右が二人の著者・木原浩勝さん、左が中山市朗さん。動員はいっこうに衰えず未だに満員をキープ。いろんな意味でお化けイベント。
ご存知・唐沢俊一さん。古くからプラスワンを支えてくれた。たぶん唐沢さんがいなかったらもっと早くつぶれてたかもしれない(笑・とオーナー談)。本当にお世話になっています。写 真は富久町時代の唐沢さん。
「好・き・と・か」「フー!」と絶妙のコール&レスポンスで毎回アニソンの大合唱を見せたオタッキー佐々木とやまけんのトークライブ。ちなみにオタ佐々はプラスワンで一番ダイブをした男。しかも「ときメモ」のコスプレで(笑)
お笑い芸人さんのイベントも昔からよくやってましたが、中でも未だに「凄かった」と語り継がれてるのがこのガレッジセールのトークライブ。何が凄いって、とにかく二人の酒量 (笑)。お客さんも異常なテンションで、本当に楽しいイベントでした。
2ヶ月に一回のペースで金曜深夜のレギュラーをつとめてくれている作家の菊地秀行さんのイベント。もう7年も出て下さっている。お隣は相方の作家の飯野文彦さん。「プラスワンは凄く丁寧な店員さんがいたと思ったら、思い掛けなないぶっきらぼうな店員さんがいるでしょ。あれがいいんだよねぇ〜」。菊地先生、いい人です……。
10年間で一番嬉しかった思い出はやはり清志郎さんが出てくれた事です。初めてお話させて頂いた時、「ボスって呼んでいいですか?」と聞いたら「ダメです」と言われました(笑)。楽屋での一枚。
アースデイトーク「地9の日」で灯された9本のロウソク。なんか政府は平和憲法を性急に棄てようとしているみたいだけど、世界に誇る憲法9条を簡単に棄てていいのか? 時間をかけてじっくり議論すべき問題だ。
らもさん。楽屋を開けたら、座っていそうな気がするぐらい未だに。単独でお呼びしたイベントの後に「らもはだ」がはじまりレギュラーで出て頂いていた。いつも飲まれていたのはフォアロゼブラックのロックの大盛り。
おた佐々を引き継ぎ(?)「ヲタクトークライブ」といいながら全く関係ないことを朝まで話してもお客さんは途絶えないという不思議なやまけんトークライブ。これは2年前に「オタク改造講座」と題してパンクスをA(AKIBA)ボーイにしようという企画。モデルは北村ヂン。パンクスで登場した際は本気で怯えられてましたが、すっかりAボーイに大変身★
昔はコスプレのダンスパーティーとかもよくやってて、お客さんみんな色んなコスプレして踊ってました。その中でもインパクトナンバー1だった貞子のコスプレ男性、しかも自毛。
ご存じ悪役プロデューサー「毛の商人」高須基仁。ロフトプラスワンで起こした暴力事件は数知れず。何をしだすかわからないが、そこが魅力なんでしょうがない・・・
 18歳。遊びに来たら知らぬ間にシフトが入っており、それから10年近くが経ってしまいました。 私の人格は大丈夫なんでしょうか。心配になります。 おしっこおじさんのおしっこショー、宇宙人(ジェフ・ミルズ)、うんこ湯豆腐(未遂)、怒号、殴り合い、議論一一富久町時代はあまりの非現実な情報過多でフラッシュバックのようにしか覚えていません。ほどなくして正式入社となり、歌舞伎町移転。移転しての最初の担当はなぜかフェラチオ選手権。その後、大きく言えば初期歌舞伎町はこれまた濃度の高い情報過多で嵐のようでした。どのイベントが好きかと言われると「あなたの子供の何番目が好きですか」と聞かれているようで、答えられませんが、出てほしくて願って、公式イベントをやらせてくれた平成ガメラシリーズのイベントの一年間。ボケ老人になってもうれしく覚えていると思います。 しかし、よく生きてこれたと思います。 九死に一生は何度もあったと思います。 (歌舞伎町店が鍾乳洞になった水漏れ事件もありました) 思い起こせばラッキーだった。 全ての青春をこの店にかけて、後悔はありません。 それにつきます。 ただ、人格形成に良い影響が下ったかどうかはわかりませんが…… (プロデューサー斉藤友里子)
初期のプラスワンには行き場のない人系がよく集まったが、だめ連(神長恒一&ぺぺ長谷川)はもっとすごかった。オルタナティブな人生を模索するだめ連はサブカルの一翼を担っていた。写 真は宮台真司との対談。
ゲームメーカーF&Cイベントではプラスワンがファミレスに! コスプレイヤーはなんと全員プラスワンの店員でした。なぜか売り上げが伸びたので、制服導入を真剣に検討中。
「話の特集」40周年記念イベントでの一コマ。朋友でもある矢崎泰久と田原総一朗は小泉政権の是非について激しいトークバトルを展開。プラスワンらしいイベントだった。
自主映画の祭典「シネマ秘宝館」。永山雅也監督「魔人のいない4月」上映後に飛び入りしたマジンガーZとアフロダイA。斉藤館長と酒徳副館長を相手に普通 に世間話で盛り上がりました。
凄い人が突然飛び入りしたりするのがプラスワンの醍醐味。そんな数々の飛び入りの中で、意外性も含めお客さんが超騒然となったのがこの精神科医の斎藤環さんのイベントに突然村上龍さんが現れた場面 。二人でひきこもりをテーマに喋りました。
「こんな店はけしからんねえ」と苦言を呈する小泉首相(を演じる劇団ニュースペーパーの松下アキラ)
なぜかプラスワンで焼き栗を売るタキシードの男。正体はデキシード・ザ・エモンズのマネージャー岡崎。この日、岡崎氏はロフト駐車場に留めたMy焼き栗カーで栗を焼いていたのだ。途中、地回りのヤクザからミカジメを取られそうになったが笑ってごまかし事なきを得た。
  この10年間でロフトプラスワンでは一体何人の人がしゃべったのだろう? またそれを聞いた人の数は? いずれにせよ気の遠くなるような数になるはずだ。毎日行われているプラスワンのトークを聞く機会に恵まれた僕が思うこと。それは、世の中には実にいろいろな表現があり、考え方があり、趣味趣向があり、性癖があり、流儀があるといった多様性についてだ。例えば「首都高で料金を払う必要はありません。なぜなら…」って話を聞いて「なるほど〜」と思ったり、「私はピチピチのラバーで全身を覆うと興奮してくるんです」って言われて「そ、そうなんだ、ハハハ…」って不思議に思ったり、ほんといろんな発見があってとても楽しい。そして自分の考えることなんて、実にちっぽけな井の中の蛙なんだなあって思うのだ。
 もしプラスワンの命題というのがあるとしたら、それは「タブーなき言論空間」というのに尽きるのだと思う。最近は、言論弾圧や表現の規制などが知らない間に法律でじわじわと固められつつあるが、どんな表現も基本的にはすべてオールOKであるべきなのだ。  10年後のロフトプラスワンは果たしてどれほど自由な表現ができるのだろうか。それを目標にスタッフ一同がんばりたいと思う。 (プロデューサー・加藤梅造)

『LOFT/PLUS ONE 10周年記念パンフレット』発売決定!!

 95年7月から現在までの10年間、3650日の全スケジュールを完全収録。唐沢俊一、鈴木邦男、リリーフランキー、サエキけんぞうなど、超強力人気レギュラー陣のインタビュー。舞台裏を徹底解剖したコラム「PLUS ONE in the deep」。松尾スズキ、三浦和義、セイジ(ギターウルフ)などなど、100人以上からのコメントもぎっしり。プラスワン疾風怒濤の3650日が詰まった完全保存版必至の一冊。しかも全冊シリアル番号入りです!

7月中旬発売予定 A4変型/全88頁 
予価1000円(税込)
編集・発行:LOFT BOOKS

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