大久保青志といえばロッキンオンの創設メンバーとして知られているが、87年に退社後は主に政治の世界で都議会議員、保坂展人秘書などで活躍していた。その大久保氏が今度の都議会選にチャレンジするとのことで、旧知の仲である平野 悠が大久保氏にその真意を訊く運びとなった。内田裕也マネージャー、アトミック・カフェ主宰、最近ではフジロックフェスのNGO村長として長年ロックと関わる大久保氏は何故政治の世界に関わり続けるのか? (聞き手:平野 悠/構成:加藤梅造)
●ロッキンオンと四人囃子
応援にかけつけた内田裕也氏。「大久保のことは百パーセント応援するから、よろしく!」と激励した。

平野:大久保さんとは1974年頃に出会ったんだっけ?
大久保:そうだね。まだ僕がロッキンオンをやってた頃だから。当時は、ロッキンオンをやりながら四人囃子のサポートをしたりしていた。
平野:そうそう。実は当時の荻窪ロフトは大滝詠一、細野晴臣といったいわゆるティンパンアレイ系のバンドが多かったんだけど、もう一方に内田裕也さんのファミリーがあった。「日本語ロック論争」っていうのがあったりして。
大久保:内田裕也のポリシーとしては、ロックなんだから英語で世界に発信していくべきだというものだったんですね。日本語の四畳半フォークをロックにしてもしょうがないと。ただその一方で、頭脳警察や四人囃子や安全バンドなんかは日本語でやってても認めてるんだけどね。つまり頭脳警察は日本語でもサウンド的に過激だし、四人囃子はヨーロッパのロックに通 じるからいいんだと。そういう訳で、四人囃子をサポートしていた僕も気がついたら内田裕也ファミリーにいたんですね。
平野:だから大久保さんが荻窪ロフトを手伝ってくれたのは大きかったんだよな。なんたって太田裕美をブッキングしたんだから(笑)。
大久保:それは裕也さんが芸能界にも通じていたからできたんだけど。
平野:あとは、伝説の四人囃子3デイズっていうのもあった。
──どんな内容だったんですか?
大久保:四人囃子が、当時日本のバンドが誰もやってなかったピンク・フロイドのカバーとかをやったんです。「エコーズ」とか。
──まだ初期の頃ですね。
平野:とにかく大久保さんは軽いスタンスでいろんなことをやる男なんだよ。それまではなんとなく裕也さん系っていうとどっか構えちゃうみたいなところがあったんだけど。

●アトミック・カフェと政治
平野:その後、まさか大久保さんが政治の世界に行くとは思ってなかった。
大久保:そうだね。72年にロッキンオンを始めた時にはそういうものから一切手を引いていた時期だから。
──ロッキンオンは何年間やってたんですか?
大久保:内田裕也のマネージャーになったのが75年だから、3年間はやってたのかな。その後、78年にまた戻って87年までやってました。
平野:ロッキンオンが次第に商業主義になっていったという批判もあるんだけど、そういうのはどう感じてるの?
大久保:でも僕がいた頃は、ほとんど洋楽中心の投稿雑誌で、日本のロックをとりあげるのは僕ぐらいしかいなかったから。社員も数人しかいなかったし。
──ロッキンオン・ジャパンの創刊時にはもういなかったんですか?
大久保:いないですね。
平野:なんで辞めたの?
大久保:84年に反核反戦のロックフェス「アトミック・カフェ・フェスティバル」を始めたんです。新宿ロフトでも何回かやったけど。ロッキンオンを辞めたのも、僕が社会運動にコミットメントしたからで、ある種の区切りをつけた方がいいかなと思ったからです。それでちょうど社会党の委員長になった土井たか子の秘書になって、政治と関わるようになった。
平野:音楽で世界は変わると思います?
大久保:この前(スマッシュの)日高氏と対談した時にも、音楽は世界を変えられるかどうかを話したんだけど、お互いの結論としては、変えられないと。ただ、人々の意識を変えることはできる。それによってその人間がどう動くか? その源はロックによって発信できると僕は信じているし、日高もそう信じてフジロックみたいなことをやってるんじゃないのかな。僕はアトミック・カフェをやってすぐに世界が変わるとは思わなかったけど、反核・反戦のメッセージを発信することで、若い世代がそういう問題に気付いてくれるといいなと思ったし、ミュージシャンもそうした考えに賛同して集まってきたんだと思う。
平野:それでアトミック・カフェは成功したと思う? 大久保:金銭的な失敗はあったけど、社会的にはかなりアピールしたと思うよ。

頭脳警察のパンタ氏も大久保青志応援団の一人。

●このままだと街と文化は死ぬ
平野:で、大久保さんは今度の都議会選に出るわけだけど、なんでまた?
大久保:ひとつには、日本の民主主義が今非常に危ないという危機感があるからですね。平和が危ない。もともと僕が政治運動に関わった原点が反戦平和だから。もう一つには、石原都政になって東京がどんどん住みづらい街になっているという実感があるから。例えば、青少年健全育成条例で18歳未満はライブハウスにもマンガ喫茶にも23時以降立ち入り禁止とか。IDカードがないとクラブにも入れないとか。もっとひどいのは汚い格好で新宿を歩いてると、突然職務質問されて荷物検査までされるとか。治安強化の名の下でそういった締め付けが日々強くなっている。最近は公共の秩序を乱す行為をすることに対して取り締まるという検討委員会も作られてるんだけど、そういうのって街なの? 街も文化も死んじゃうよ。そういうのに対してきちんと反対する議員が一人でもいないとまずいんじゃないかって。ロックとか平和運動に関わってきた者としては、管理された社会にはNOを言いたいと思うんだよね。平野さんは今の状況をどう思うの?
平野:うーん、俺は日本なんか潰れればいいと思ってるから選挙も行かないんだけど。それじゃなきゃ日本は救えないと。
大久保:昔は全共闘みたいに反対の声をあげることができたんだけど、今は、教育の段階からそういった反対をしないような人間に育てようとしてるんだから。
平野:でもそんなこと言ったって通じないんだから、日本は潰れるしかないんだよ。
大久保:そりゃ100%は通じないかもしれないけど、10%には通じるかもしれない。そこからしか変えられないと思いますよ。 平野:今の都議会ってひどいでしょ。自民党と公明党のやりたい放題で。
大久保:自公が与党で、民主党もほぼ与党側になっていて、共産党は相手にされてない状況ですね。
平野:石原都知事の功罪をどう考えてるんですか?
大久保:功罪って言っても罪しかない。東京の財源を豊かにしようってことでカジノ構想や銀行課税を考えたけど結局うまくいかない。国際競争力を高めようとしてたくさん巨大ビルを作ったはいいけど、そこに入るのは外資系企業ばかり。アメリカにNOと言える日本どころか、NOと言える東京にすらなってないわけですよ。
平野:唯一評価できることでいえば、ディーゼル車の乗り入れ規制があったと思うんだけど。これだけの排ガスがなくなるんですって言ったのは共感できた。
大久保:みんなそう言うけど、じゃあなんで東京外環道路計画を進めるのかってことですよね(註:この計画に対して多くの住民が排ガスなどの問題で反対運動をしている)。つまり彼が小笠原の自然を残すために飛行場を作らないっていうのは、自分の遊び場であるダイビングスポットを残したいという個人的な理由で言ってるだけなんだよね。つまり理性じゃなく感性でしか動かない人だから。
平野:そういう意味では小泉に似てるんだよな。
大久保:そうだね。
平野:で、大久保さんはRooftopを読んでるようなロックファンに対して何を訴えかけたいの?
大久保:音楽が好きな人っていうのは自由な雰囲気が好きな人なんだと思うけど、それがどんどん規制されていくのは、つまんないでしょと。このままじゃ言いたいことも言えない世の中になっちゃうよと。一番弱い立場の人から締め付けられるからね。弱者や若い人とか。
平野:そういう人の居場所はどんどんなくなっていくよね。
大久保:若い人の居場所がなくなるっていうのは文化もなくなるってことだから。そういう閉塞した世の中でいいのかってことだよね。
──今じゃ、大道芸やるにも都の認可が必要ですからねえ。
大久保:認可されてやる大道芸なんて大道芸じゃないよ。そのうち、都の公認ライブハウスでしかロックはできなくなるかもしれないよ。ここでだったら踊っていいとかね。そんな社会は嫌だっていうことをはっきり言っていかないと街も文化も死んじゃう。お仕着せの自由なんか本当の自由じゃないから。

<Information> 大久保青志と九条の絆で歩む会 http://www.ohkubo-ouendan.net/

LOFT PROJECTトップへ戻る←→ROOF TOPトップへ戻る