「イラク戦争」について思考停止しないために


 2003年3月20日、アメリカによるイラク侵攻が開始された。国連安保理決議を経ずに強行されたこのイラク戦争を、日本人である私たちは一体どのように見ていたのだろうか。多くの人は当時テレビで頻繁に報道されたニュース映像の印象が大きいだろう。夜明け前、空爆で炎上するバグダッドの街、バグダッド陥落時のフセイン像引き倒し、サマワに派遣された自衛隊の活動風景、こういった様々な映像を観ることで、私たちはこの戦争の状況をある程度知ったつもりになっているかもしれない。
 しかし、これら日本で放映されたイラク戦争の映像は、当たり前のことだが、実際にイラクで起こった出来事の中のほんの一瞬でしかない。  激しい空爆の下で逃げまどうイラク市民の姿、次々に病院に運び込まれる負傷者の姿、バグダッド市内に戦車と装甲車で侵攻するアメリカ軍を冷ややかに見つめる人達の姿、アブグレイブ刑務所前でアメリカ軍に拘束された息子の帰りを待つ母親の姿──戦渦の中の至る所にあるこうした悲惨な光景を実際に目にしたイラク人以外の人はそれほど多くはないだろう。
 ビデオジャーナリストの綿井健陽は、イラク戦争中、現地から精力的に中継を続けた数少ないジャーナリストの一人だ。彼のレポートは「ニュースステーション」や「News23」で放送され、多くの日本人が彼の映像から戦場の状況を知ることになった。しかし実際にテレビで伝えることができるのは数分〜数十分の映像でしかない。戦場で綿井が見たことや感じたことをニュース枠で伝えるにはあまりに不十分だ。

 綿井は、1年半のイラク取材で記録した123時間余の映像を102分の映画作品として完成させた。それが現在公開中の映画『Little Birds ─イラク戦火の家族たち─』だ。

 映画は開戦前のバグダッドの光景から始まる。もうすぐ戦争が始まるというのに市内は驚くほど平和だ。取材をする綿井に街の人達は気さくに近寄ってきて、中には「日本人は俺達の仲間だ」と言う人までいる。日本人はあまり意識してなかったことだが、イラク戦争前のイラク人は日本に対して驚く程好意的だったのだ。
 そして3月20日のバグダッド空爆の模様が映しだされる。テレビで何度も目にした光景だ。しかし画面 は次のニュースやスポーツコーナーに移ることはない。スクリーンには、空爆後の瓦礫の中で殺気だった市民の姿が映し出される。彼らは取材する綿井に対し猛烈に罵声を浴びせる。「You And Bush!」(お前らとブッシュは同じだ!)。開戦前の友好的なイラク人の姿はもはやここにはない。
 そして4月9日、バグダッドが陥落し、アメリカがイラク解放をアピールした日。日本人(アメリカ人も?)の中には、パレスチナホテル前のフセイン像引き倒しとそれに歓声を上げるイラク人の映像を見て、アメリカ軍はイラク市民に歓迎されたというイメージを持っている人も多いだろう。しかし、この映画では、イラク市民の感情がそんなに単純ではないことがわかる。綿井のカメラは倒されたフセイン像前で歓声を上げる市民と同時に、次々と戦車と装甲車で市内に入ってくる米軍を不安そうに見つめる市民の姿も捉えている。アメリカの国旗に明らかな不快感を示す人も多い。そこには、フセイン政権が倒れたことに対する喜びと、それがアメリカ軍の攻撃によってなされたという不安の間で揺れ動く人々の複雑な感情が読み取れるのだ。この時、感情の高ぶった綿井がアメリカ兵にカメラを向け「たくさん子供が死んでるのを知っているのか!」と激しく質問する場面 はテレビでは放送できなかったのではないだろうか?

 映画は、他にも戦争の暴力的な姿をリアルに映し出しているが、この映画の重要な軸とも言えるテーマは、サブタイトルにもある「戦火の家族たち」の姿だ。負傷者で溢れかえる病院を取材している時、綿井は偶然サクバン家族に出会う。全身血だらけの女の子とその父親、アリ・サクバン。彼はすでに2人の子供を空爆で亡くしており、瀕死の状態の娘の横で絶望していた。結局、その子は助からなかった。数日後、サクバンの自宅を綿井は訪ねる。そこには、アリと妻ロシャ、そして奇跡的に生き残った長女ゴフランちゃんが悲しみに暮れながらも、それを乗り越えようと懸命に生きる姿があった。

 他にも取材中に綿井が出会った印象的な人物として、12歳の女の子ハディール・カデムちゃんが登場する。彼女は、米軍の非人道的兵器クラスター爆弾によって右目の視力を失った。爆弾の破片が右目を突き刺したのだ。綿井は、病院で彼女のレントゲン写 真を見せてもらい、そこに写る数ミリの大きさの白い点を凝視しながら、こう確信したという。 “彼女の右目に広がる「黒い視界」と、レントゲン写真に写るこの数ミリのガラス片、この小さな「白い点」を伝えるために、私はバグダッドに留まったのだ。爆弾を落とす側は、高度何千メートルの上空から、無機的な「発射ボタン」1つを指1本で操作するに過ぎない。そして、そのボタンを押す人のすぐ背後に、日本は間違いなくいる。ハディールちゃんの右目の奥底に今も残るガラスの破片。それが、この「イラク戦争」だ。”
 この映画は、戦渦の人々の悲惨な姿をリアルに映し出すが、「反戦」をことさらに強調してはいない。過剰な現実を伝ようとする綿井の視点はむしろストイックとさえ言える。タイトルの「Little Birds」に込められたもの、それは、戦争という巨大な暴力の中で小さな鳥でしかない人間達の小さな声を静かにじっと聞き取りたいという綿井の痛切な思いだ。
 今やイラクのニュースがテレビで流れることもほとんどなくなったが、それはイラクが平和になったからでは決してないということは、ちょっと考えればわかるだろう(現在、イラクに日本人ジャーナリストはほとんどいない。唯一バグダッドに滞在するNHKの局員もホテルから一歩も外に出ない)。イラク戦争とは一体何だったのかと考え続けること、それはあの戦争を支持した国に住む日本人として必要なことだと思う。映画『Little Birds』はそのきっかけを与えてくれる重要な作品であることは確かだ。少なくとも、そこから始めるしかない。(文:加藤梅造)

 

★Info.

綿井健陽第一回監督作品 「Little Birds イラク 戦火の家族たち」
日本/2005.1/アラビア語ほか(日本語字幕)/35mm/102分
撮影・監督:綿井健陽/製作・編集:安岡卓治
翻訳:ユセフ・アブ・タリフ、重信メイ、勝元サラー 製作:安岡フィルムズ

【上映館】
公開中:新宿K's Cinema 5月28日〜:渋谷UPLINK FACTORY
6月4日〜:大阪シネ・ヌーヴォ
6月4日〜:名古屋シネマテーク
7月〜:広島横川シネマ 他、全国主要都市にて順次公開

●BOOK 「リトルバーズ」 綿井健陽(晶文社)1600円+税

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