史上最強のプロ・インタビュアー/プロ書評家の素顔に肉薄!  吉田 豪。まぎれもなく、日本の歴史上最強のインタビュアーである。入念な下調べを持って臨むインタビューは、時として相手を脅えさせ、時として土足で相手の懐に忍び込む。そんな彼だからこそ、聞きだせた発言の数々は本当に価値のあるものだ。  で、今回のこの企画は、正直恐れ多すぎた。インタビューという形式を取っている以上は、インタビューされる側であったとしても、自分のフィールドに変わりはないわけなのだから。果 たして、自分は自分をインタビューすることができないというジレンマに吉田 豪が絶望を感じる日は来るのだろうか?(取材/文:中川けんた)



古本で理論武装するようなガキでしたね  

▲小林亜星氏と。


東京都練馬区に生まれる。中学までで、ある程度の人格形成は成されたようである。
「アニメ好き、古本好きの子供で、何にはまっても、どんどん古本で過去までたどって、知識を詰め込み理論武装するようなガキでしたね。昔から体力がないから、体力以外でいかに勝つかっていう。洋楽好きも同時進行だったんだけど、色気づかなきゃいけないと思うとアニメは絶対両立できないな、と。中2ぐらいで、アニメは封印。そういう過去はなかったことに(笑)」
 そして、タレント本書評に垣間見える、揚げ足取りの原点とも言えるエピソード。
「中学の時に、毎回友達が言い間違えとかするじゃん? それを全部生徒手帳にメモして、1年、2年たっても言い続けるっていう男だったね」
 高校を卒業し、1年のプータローを経て、東京デザイナー学院の編集デザイン科へと進む。
「高校で、バンドにかぶれた奴らが『俺はアメリカでビッグになる!』とか言ってるわけですよ。叶わない夢を見ちゃいけない。自分は確実にこなせることをと考えた時、音楽は語る側のほうが確実だと」
 そして、文章を少しずつ評価された彼は専門学校の卒業制作で、とんでもないものを作りあげる。
「学長の暴露本を作ったんですよ。掃除のおばちゃんとかに取材して。そしたら、『聞いてよー。私、あいつの愛人の家の掃除行かされたのよー』とか、教師に『実は地上げで一回捕まっててねぇ』とか聞くと、地上げの現場に行ったりとか、物凄い緻密な取材をして。面 白いのは、それまで毎年全員分の卒制が上野美術館で展示されてたのね。なのに、俺らの代から代表者だけになって。明らかにはじかれた! と(笑)。だから、勝手に置いてきたり、学園祭で販売したりしたんだけど」
 そういう衝動に駆らせた原因は、誰もが感じることであり、だからと言って、普通 は文句を言うだけで終わるレヴェルである。
「学費は高いし、ロクな学校じゃなかったからね。例えば、体育館があるってパンフに写 真が出てるのに、使いたいと言っても使わせてくれなくて、調査したらないことが判ってね。建築法違反で看板が出せない校舎もあるし(笑)」
 そんな学園生活はどんなものだったのか。 「下手に色々詳しいから、中途半端に語る奴が腹たってしょうがなかった。おまえら、そんなもんも知らないでアニメを語るな、こらぁ!って(笑)。それで反戦、反核、反オタクをテーマにするバンドを組んで、アニメ・ソングをパンク・ヴァージョンでカヴァーして、オタク批判の歌詞をガナりたてたりしてね。[『アニメタルみたいなもんですか?』というツッコミに対して、『より恨みのこもったモノ』と念押しされる] あと、漫研のクイズ大会に殴り込みをかけてぶっちぎりで優勝したり」

距離を置いてプロレスを面白がる人がいなかった

▲乙武洋匡氏と。

 そして、就職活動が始まるがなかなか決まらない。『DOLL』を受けた際、違和感を感じたことがきっかけで、音楽雑誌以外にも視野を広げることになる。
「下手に好きなモノよりはズラそうと思って、受けたのが『コミックボックス』という左翼寄りの漫画雑誌。受けた理由は、当時『噂の真相』に“社長のセクハラで社員が大量 離脱した”って出てたから、スキだらけだと(笑)。これはチャンスだと受けに行ったら、案の定一発で受かってね」
 しかし、卒制などを見せたところ、「君はこういう姿勢だと、広瀬 隆さんに会わせることはできないよ」と言われ、内定を蹴ることに。そんな才能を生かせるジャンク雑誌も存在しない文化不毛時代。結果 的に専門学校時代の友達から、編プロ(アートサプライ)を紹介され、そこに入社をする。
「宝島の『VOW』とかで投稿作品を選んだり、桜沢エリカが原稿を落とした時、俺が4コマ描いて穴埋めしたりとか(笑)。『VOW』の単行本のイラスト描いたりもしたよ」
 アートサプライに勤め2年が過ぎようとした頃、吉田 豪の名がどんどん世に出始めるきっかけとなった『紙のプロレス』との出会いがある。 「『紙プロ』がイヴェントをやった時、“ターザン山本と高田文夫のトーク・イヴェントに、サクラで来てくれ!”って言われて見に行ったんだけど、なぜかターザンが高田文夫に激怒して途中で帰っちゃってね。『紙プロ』の編集長が壇上に上がってつないだんだけど、イヴェント終了後、挨拶に行ったらそのまま『紙プロ』編集部まで拉致されて、朝まで仕事させられたのよ。でも、そのギャラが凄い良かったから、以後ちょくちょく手伝うようになったのがきっかけだね」
 しかし、その当時プロレスに詳しかったわけではない。
「プロレス浅いからねぇ(笑)。『紙プロ』に入ったのは『週プロ』買い始めて1年ぐらいの頃だし、生で観たのも5回くらいだったし。ただ、誰よりも古本で理論武装はしてたけどね」
 プロレスというものをどう見ているのだろうか。
「昭和の芸能人が好きなのと同じで、プロレスラー自体がとにかく面白くて。明らかに、頭のおかしな人のおかしな論理が通 用する社会だから。プロレスの試合に興味があるかと言ったら、それほどでもないし。興業をガンガン見たいかと言うと、そうでもないし。おかしなことになった試合とかを関係者に取材して徹底検証するのは大好きなんだけどね。なんでプロレス界で自分が仕事できてるのかといつも不思議に思うんだけど、本当に隙間だったんだよね。それまでは本当にプロレスが好きで好きでしょうがない人たちが、原稿の技術とか学ばないままプロレス・ライターやってたわけでしょ? 普通 にフリーライターの技術を持ってて、しかも完全に距離を置いてプロレスを面 白がるような人が、そっちの世界にそれまでいなかっただけなんだと思うよ」

すぐに売れないで本当に良かったと思う

▲楳図かずお氏、大西祥平氏と共に。


 23才の時、引き抜きがあり『紙プロ』に完全移籍を果たす。師匠と崇めるリリー・フランキーさんのラインや、『紙プロ』での原稿を見ての執筆依頼などで着実に連載を増やし始める。古本の仕事を始めたのもこの時期。リリーさんとの付き合いに垣間見える苦悩が、1人の駆け出しライターを現在の吉田 豪に育て上げた源である。
「若い子の文章ってのは、荒削りで読めたもんじゃない。隙だらけで、自己顕示欲も丸出しでね。俺がタレント本が好きなのもそういう理由で、みんな一番ガードの緩い時に本を出しちゃうわけよ。『大人なんて糞だぜ。ファック!』みたいな。それをいま本人に突っ込むと、本当みんな嫌がるんだよね(笑)。だから、若いうちの発言なんか活字にして残すべきじゃないし、本当にすぐ売れないで良かったと思う。そういう時期にモノの考え方をしっかりさせることが大事だから。リリーさんとは編プロ時代から付き合ってるんだけど、当時は俺の考え方がしっかりしてないから、一緒にいてもあんまり喋れなかった。聞き役に徹するくらいで、こっち側に太刀打ちできるだけのネタがなかったんだよね。仲間内ならいくらでも話せるけど、あのレベルだと『これじゃ、ちょっと弱いかな』とかネタ選択してるうちに喋れなくなったりして」
 ちなみに現在の状況はというと、百瀬博教氏(生きたダークサイド)の単行本を進行中との興味深い話。22誌もの連載を持っている〈下欄参照〉ことから、書くのが早いのかと思いきや、1日に、2、3本こなせればいいほうだと言う。そして、男としての正直な発言がすこぶる気持ちよい。
「本当はね、女性誌やりたいんだねぇ。リリーさんみたいに。だって、これだけ仕事してんのにファンからのアンケート葉書の8割9割くらいが、30、40過ぎた男だから(笑)。あと、『TVブロス』とか出れば女子からのメールも来るだろうと思ってたけど全然違うね。こないだ絵文字バシバシ使ったメールが来て、期待して見てみたら『私は38才の主婦です』だって。その年で絵文字使うな、この野郎!って(笑)。バンドやる時にみんながモテようと思うのと同じで、ライターってモテるんだろうなと思ってたんだけど、そうでもないなと。バランスなんだろうね。ライターやりながらクラブとかもガンガン行ったりしてたら違うんだろうけど、そういう暇もないし、そもそもああいう空間が好きじゃないし。最初の夢が小さいから理想は完全に叶ってるんだけど、唯一予定と違うのがモテるはずだったってことだね。モテたい欲は強いから。『マンガ地獄変』で原稿描いた時に水道橋博士が誉めてくれたのは、そういう欲の部分なんだよね。『梶原一騎になりたい!』『梶原一騎みたいに、30までにアイドルと一発やるのが夢』って(笑)。[梶原一騎は文科系の漫画の世界に体育会系の論理で殴り込んだ人物という、吉田 豪の表現はつくづく秀逸だと思う] 当然そんなもの叶いやしなかったんだけど(笑)」

人間、変に上を見ると格好悪くなるからね
 氣志團は良くて、ロマンポルシェ。は何故微妙なのか? 面白いのに、何故モテない? お洒落エッセンスが必要なのか? 裏原(お洒落代名詞)とかを絡ませていけば良いのか? 僕は吉田 豪に、その道を切り開いて欲しいと思う。
「スマートでオシャレ有名人アンケートを受けたことがあって、喜んでたら一緒に並んでる人が根本 敬さんだったりするからね(笑)。スタイリストの伊賀大介君が吉田 豪ファンだって聞いたから、一緒にDJやったことはあるんだよ。酒飲みながら、『俺たちタッグ組んでやっていこうよ。混ぜてよ、そっちに!』みたいなアピールしたりもしてたんだけどね(笑)。オシャレって言うと不愉快だし、それを全面 に出す行為には違和感を感じるんだけど、そういう面は失っちゃいけないんだよね、絶対に」
 サブカルとお洒落の間に掛け橋を作る行為。リリーさんや、大槻ケンヂのようなスタンスに吉田 豪が定着した時、全世界の男気溢れる濃い野郎どもが救われると僕は思う。実際、事務所に嫌われながらも、浅野忠信と親交を深めようと努力したり(吉永マサユキ氏によるツーショット・グラビアを撮影)と、希望は持てる。しかし現実は厳しい。
「こないだ、キャバクラに行ったら某大手出版社でバイトしてる子がいてね。そこの大手ファッション誌を手伝ってるっていうから『俺も書いてるよ!』って言っても、当然俺のことなんて知らないわけだから(笑)。そういうことがある度に、自分はまだまだだなぁと襟を正すわけなんだけど。たまに『吉田さんは読む雑誌のほとんどに出てますね』なんて言われることもあるけど、そういう人は明らかに特殊な人で、世間にはまったく届いてないんだよ。プロレスとかは、やっぱりマニアの世界だからね、だからこそタレント本は、マニアックに掘り下げても世間との接点を持つことができるいいジャンルだと思うんだけど」
 果たして、吉田 豪という人間はこの先何処に行くのか? 返って来た答えは、ある意味で物凄い覚悟を含んだモノのように感じてならない。一番過酷な道を選んだことだけは確かだ。 「林家ペーの言葉で『死ぬまで現状維持』ってのがあるんだけど、やっぱり上を見てちゃいけないね。変に上を見ると人間、格好悪くなるから。常にマイペースでいこうと。だから、おそらく10年後も『モテたい!』とか言ってるんじゃないかな(笑)」■■

 

◆profile
1970年生。プロ書評家&プロ・インタビュアー。PRIDEの怪人・百瀬博教氏のインタビュー集を執筆中&真樹日佐夫先生のオファーにより哀川 翔主演の映画『すてごろZANGE』で俳優デビューも決定! 他の出演者は松方弘樹、安岡力也、浅草キッドなど。ちなみに写 真は、ビートたけし師匠が百瀬さん宛に送ったお中元のメロンをお裾分けしてもらった、記念すべき一枚である。

◆吉田 豪が連載中の雑誌(2002年12月現在)
『紙のプロレスRADICAL』『BURST』『BURRN!』『relax』『映画秘宝』『モノマガジン』『フィギュア王』『WHIP!』『TOP SPEED』『スーパー写真塾』『アクションカメラ』『ハイパーホビー』『ゴング格闘技』『BUBKA MAX』『CONTINUE』『BSザ・テレビジョン』『ドリマガ』『TV Bros』『ダカーポ』『クロスビート』『朝日新聞』『SPA!』

◆information
<ターザン山本と吉田 豪の格闘二人祭 vol.6!!〜2002総括!年忘れスペシャル!!〜>
2002年12月4日(水)@新宿ロフトプラスワン
OPEN 18:30・START 19:30/チャージ:1,500円(飲食別)
 全格闘技ファン絶対必見!! 格闘技トーク最強タッグ! ターザン&豪が毎回乱入マル秘ゲストと大激突するシリーズ企画の年内最後、2002年総括忘年会スペシャル!

Rooftopにてコラム連載中!「吉田 豪の雑談天国(ニューエストモデル風)