7/7 ナナオサカキ・ポエトリーリーディング @LOFT/PLUS ONE

ビートという冒険は現在も続いている
  今年の夏もFUJI ROCK FESTIVALをはじめたくさんの野外フェスティバルが開催される。一度、自然の中で大音量 の音楽に浸ることの気持ちよさを覚えたら、誰もがまた行きたくなるに違いないが、こうしたフェスティバルが継続するための要因として、そこにどのような思想が横たわっているか、また、それを参加者がどこまで共有しているのかが重要になってくる。音楽を楽しむために私達は一体どのような環境を作らなければならないのか? もちろん争いごとはノーサンキューだ。あと会場がゴミだらけになってしまったら、自然の中でやる意味もなくなる。音楽を楽しむとはそうしたトータルな行為なのだという認識は、こうしたイベントの中で確実に浸透していると思う。
 音楽を聴く行為とは自身の意識を高めることでもある。こうした考え方は、おそらく60年代後半のサマー・オブ・ラブと呼ばれたヒッピー・ムーヴメントあたりから顕著になってきたのではないだろうか。ボブ・ディラン、ビートルズ、ジミ・ヘンドリックス、グレイトフル・デッド、ジャニス・ジョプリン──ロックの隆盛と伴走するように、「音楽と愛と花」を合い言葉にした反戦運動や自然回帰運動が爆発したのだ。現実にはドラッグの蔓延といった否定的な側面 もあり、一旦は終焉したかに見えたこの季節は、しかし確実に後世の遺伝子に組み込まれ、現在の音楽シーンに大きな影響を与えているのは間違いないだろう。
 サマー・オブ・ラブと現在との結びつきを考えることは非常にエキサイティングだが、ここで一旦サマー・オブ・ラブが生まれる前史を見てみると、現在の状況がよりクリアになることがわかる。60年代のヒッピー・ムーヴメントを用意したものとは?──言うまでもなくそれはビートと呼ばれた一つの思想的冒険だった。
 先月号のこの欄で私は、日本が誇る詩人・ナナオサカキについてあれこれと書いてみたが、そこでも少し触れたのが、ビート・ジェネレーションを代表する詩人ゲーリー・スナイダーだ。『路上』のジャック・ケルアックが書いた『禅ヒッピー』のモデルになったのもゲーリーで、この小説の中で「サンフランシスコ・ポエトリー・ルネサンス誕生の夜」として描かれているのは、実際に「シックス・ギャラリー」でアレン・ギンズバーグやゲーリーらが行ったポエトリーリーディングのことだ。(ちなみにゲーリーは、日本で初めてのポエトリーリーディングをナナオサカキらと一緒に行った人でもある)。
 ビートが生まれた背景には、第二次世界大戦後の冷戦時代、急速に物質文明化、全体主義化していくアメリカにおいて、1950年代に社会的権威に反抗する若者達が出現したことがあげられる。彼らは、物質ではなく精神、定住ではなく放浪、文明ではなく自然を追及し、サンフランシスコを中心にしたこのムーヴメントは、全米、そして海外へと広がっていった。ケルアック、ギンズバーグ、バロウズ、ゲーリーらビート・ジェネレーション達の精神のバトンは、特に60年代のロック・ミュージシャンたちに渡されたのだ。
 ボブ・ディラン、ジム・モリソン、ジャニス・ジョプリン、グレイトフル・デッド、ルー・リード、彼らはロックの中に、ビートの持っていた権威への反抗、精神の探求、反戦、自然回帰といた精神を表現したのだ。ロックがカウンター・カルチャーの代名詞のように語られるのは、反体制として起こったビートの精神を引き継いでいたからかもしれない。
 2002年7月7日。ロフトプラスワンで開催された「ナナオサカキ・ポエトリーリーディング」に、ちょうど来日中だったゲーリー・スナイダーが飛び入りするというハプニングが起こった。そしてゲーリーがピューリツア賞を受賞した詩集『亀の島』(邦訳はナナオサカキ)を、二人で交互にリーディングするという嬉しい共演が実現した。新宿という場所は、ゲーリーとナナオにとって非常に思い出深い場所だ。60年代、日本にまずカウンター・カルチャーが興ったのは新宿だったが、当時新宿を根城にしていたナナオと、禅を勉強するため日本に滞在していたゲーリーは、運命に導かれるように出会い、親交を深めたのだ。
 7月7日は、ナナオとゲーリーのリーディングの後、ゲストの辻信一、司会の南兵衛を交えて、観客との対話が行われた。この日、200名近いお客さんで埋め尽くされた会場は始終リラックスしたムードで、この対話も非常に楽しいものとなった。その一部を以下に紹介してみたい。

まず狼を復活させよう!
辻「ゲーリーはナナオについて、僕達が忘れかけているオルタナティブな時間のモデルだと言ってました。僕は自著(『スロー・イズ・ビューティフル』)の中で、“なんでがんばらなくちゃいけないのか?”と書いてますが、ゲーリーはこの“がんばる”ということについてどう思いますか?」
ゲーリー「アート、詩、音楽は注視することが必要なものだ。何かにせかされたり、ストレスの中で生まれるものではない。例えば俳句。スローダウンしなければ俳句は生まれない。本来アートはスローなもの。ちょうど愛が本質的にスローであるのと同じです。」
ナナオ「僕は山によく登るけど、がんばったことは一度もないねえ。がんばるぐらいなら登らないよ。楽しいから登るんだ。一歩一歩、ふーふー言いながら、呼吸が困難になる、4000mを越えるとかなりきつくなる。それでも登るのは面 白いからだ。興奮するからだ。」
辻「ゲーリーの詩にしてもナナオの詩にしても歩くことが基本だと思うんです。“歩くこと”について考えたいんだけど、これには2種類あると思う。一つはA地点からB地点まで“移動”すること。もう一つは“散歩”ですね。移動とはB地点に行くことが目的ですから、どうやったらこれだけの体重を効率的に速く運ぶかってことになるんです。でも散歩っていうのはそういうことから自由で、途中に道草があっていいし、寄り道があってもいいし、回り道、遠回り、引き返すことがあってもいい、何でもありなんだ。そこで僕が自問したいのは、人間が生きるっていうのは、散歩と移動とどちらに似てるのか?ってことなんです」
ゲーリー「人間の命は、ポイントAからポイントGまでがんばって着くものじゃない。例えば音楽みたいなものじゃないかな。音楽というのは、おしまいまで行くために聴いたり作ったりするものじゃないでしょう?」
辻「でも、現在の社会っていうのは、人生がA地点からB地点への移動ってものにだんだんなってきているんじゃないか? そういう考え方が支配的になっているんじゃないか? そういう危機感を感じますね」
(客席からの質問)
観客1「お二人に質問です。9.11のテロ事件についてどう思いましたか? また、それをテーマに作品を作りましたか?」 ゲーリー「私は一つ詩を書きました。アフガニスタンで起こったバーミヤンの仏像破壊のことと、NYで起こったWTCの崩壊のことを一緒に書いた。まだ誰にも見せていませんが。」
ナナオ「俺はテレビも新聞も見ないから何にも知らない。地球はまだあったのか?(笑) まあ、どこでも起こることや。まだまだ起こる。覚悟しなきゃ」
観客2「人間社会はいい方向に進んでると思いますか?」
ナナオ「NO! ダメだね。人類に希望なんか持たないほうがいい。最低なんだから。まず国連と日本政府を潰しましょう。そして狼を復活させよう。日本人は20年で狼を滅ぼした。この責任をとってないんだ。日本に狼が帰ってこないとだめよ。しょうがないからコヨーテを1000匹くらい密輸入しよう(笑) そうしないとどうにもならんわ。」
観客3「ナナオさんは戦争の焼け跡でもう働きたくないと思ったと先程言ってましたが、本当に働いてないんですか?」
ナナオ「働くなんてアホや。人間の労働にどうやって金を決めるんだよ。誰にそんな権利があるんだ。僕には自分の一日の労働とお金を結びつけることはできなかった。アホらしくて。」
観客3「じゃあ、お金を稼ぐってどういうことなんですか?」
ナナオ「俺は稼ぐ気なんかないね。お金なんてものはどっかから回ってくるだけで十分でしょ。ころころ流れてくる川みたいなもんだ。大きな大きな川だ。そっから水路を引いてちょっぴりもらえばいいんだ(笑)」
(文中敬称略)