野沢直子




梶原 今日のお客さんは野沢直子さんです。野沢さんとのおつきあいはずいぶんと前に遡って、確か読売ランドイーストでライブの司会を
やってもらったのが初めてだったと思うんですけど、それ以来色々とおつきあいさせてもらって、今回下北シェルターで一緒にライブをやらせてもらうことになったわけです。
野沢 何か不思議な感じだよね。
梶原 昔からバンドっていうのには興味あったんですか?
野沢 いや、特にやりたかった訳じゃないんだけど、色々な縁で何故かやる事になったんですよね。
梶原 旦那さんとの縁とかですか。
野沢 まぁ、基本的に嫌いってわけじゃないんですけどね。
梶原 なんか最初、普通のバンドとして見た時にどういう風に解釈していいか理解出来ないような感じだったんだけど。
野沢 う〜ん、ちょっとね(笑)。
梶原 その後色々やっているのを見て、野沢ちゃんはやっぱりお笑いなんだ、という観点から見るとなんとなく分かったって感じなんですけど。
野沢 もちろんですよ。
梶原 ああいうスタイルでコメディーみたいな事をやるっていうのも、お笑いの一つの方法論として位置づけてるんですか。
野沢 いやボブ(旦那)とやってるバンドはコメディーじゃないですね。
梶原 それは失礼しました。
野沢 まぁ、ふざけたバンドなんだけど(笑)、一応このバンドは音楽をやろうって事で。色々経緯があって、元々ニューヨークに行ったばかりの頃は大道芸人とか色んな事をやってて。その後チンパンジーズっていう、もっとお笑いに重きを置いたようなバンドをやってたんですけど、アメリカでお笑いやるのって凄い大変なんですよ。
梶原 やっぱりエンターテインメントの本場だから。
野沢 というか言葉が違うのと、センスが違うっていうのがあって。大体あっちのコメディークラブとか行くとスタンダップっていう一人で喋る漫談みたいなのをやってるんだけど、それって人種差別ネタとかがメインなんですよ。私、日本生まれの日本育ちだからそういうのって全然わかんないじゃない、それでちょっとちがうなって思って。その点バンドとかだとギャップがまだ少ないっていうかね。
梶原 なるほど。
野沢 でも、チンパンジーズの方はそれはそれで受けてて、お客さんも増えてライブも結構やってたんですけど、曲とコント半々みたいな構成だったんでどうしても覚えられちゃうじゃないですか。だからどんどん新しいの作らなくちゃならなくて大変で、さらにメンバーに学生がいたんで宿題とかで凄い忙しくなっちゃってやれなくなっちゃったんですよ。それでその後、ボブと二人でレコードレーベル作って7インチ作ろうって事になって始まったのがこのバンドですね。
梶原 じゃあ旦那さんは割とミュージシャン志向って感じなんですかね。
野沢 いや、今日のライブ見てたらわかると思いますが、脱いじゃったりとかもするんで、全然アーティスティックな感じではないんですけどね。
梶原 短編映画とかも作ってるわけですけど、それは結構昔からやってたんですか。
野沢 いや、しばらくはバンドをやってて、ツアーとか廻ったりしてたんですが、やっぱりお笑いがやりたいなぁっていうのがあって。自分のお笑いを表現するにはやっぱり映画かな? とか思ってたんだけど、どうやって映画にでたらいいかわかんないし、かといってハリウッドに行ってっていう感じでもないし。とかすっと考えてたんですよ。で、ある日自分で作るっていう手があるじゃんって事に気が付いて、その半年後くらいにはもう作り始めてましたね。
梶原 アメリカのコメディアンとかでも例えば、エディー・マーフィーとか、映画で活躍してる人がいるじゃないですか、その辺は意識したんですか。
野沢 多分、全然違うと思う。ああいうアメリカ人のセンスに根付いた物とかとは、自分のコメディーのスタイルって違うと思うし、そもそも自分は出てないんですよ。
梶原 あ、監督なんだ。
野沢 そうそう脚本と監督。ヒッチコックみたいにちょこっとだけ出てたりはするんだけど。
梶原 じゃあ、そういう映画に出てる様な人に憧れてっていうのではなかったんだ。
野沢 うん、自分のお笑いのセンスを一番生かせるメディアを探して行った結果映画にたどり着いたって感じかな。
梶原 野沢さんって吉本興行ですよね、僕は小学校の頃ずっと西宮っていう所にいたんで、新喜劇とかにすごい影響受けたんだけど、やっぱりしっかりとしたネタみたいのってあるんでしょ?
野沢 う〜ん、ネタっていうかね……。じゃあ、映画の内容を話すと、全然もてない男の人がいるんだけど、ある日ふられちゃって海岸にいったら女の人の死体を見つけて、その死体を家に持って帰ってエッチしちゃおうかな、と思ったら女の人のアソコから手と足が出てきて……っていう話。
梶原 ……。
野沢 で、中から出てきたヤツが話とかするし、料理もしてくれるし凄いイイヤツなの。
梶原 ふ〜ん……。
野沢 どの国の人が見てもわかる、みたいな内容なんだけど。
梶原 今、アメリカっていうフィールドで活動してるわけですけど、アメリカっていう場所を選んだ理由って何かあったんですか。
野沢 いや、「夢で逢えたら」とかやってた頃、ダウンタウンとかを見ててどうしても男の人たちが作り出すお笑いには勝てないな〜というのを感じてて、スランプみたい感じで「ダメだ〜」みたいなのがあって、世界に飛び出してみよう! とか思ってたんですけど、たまたまその時友達でニューヨークで洋服屋やるんだっていう子がいて。やっぱりこういう時はニューヨークかな、とか思って行っちゃったんですよ。
梶原 その結果さっきも言ったような言葉の壁とか色々な苦労があったわけじゃないですか。それでもとりあえずアメリカでなにかをやっていくんだ、みたいな感じだったんですか。
野沢 英語とかもとにかくわかんなかったし、あれ〜なんか違うじゃんとかはあったんだけど、もう来ちゃったしね〜って事で。
梶原 で、今は映像っていうメディアがが上手く使えそうだなっていう手応えを感じてますか。
野沢 うん一回作ってみたら、自分の中で考えている事が形になるっていう作業が凄い面白かった。まぁ、ダウンタウンのビデオとか見ると日本の頭脳集団、って感じで凄いクオリティーが高くて、全然かなわないし、対抗するってわけじゃないんだけど。今まで悔しがるばっかりだったのが自分でこっちの道もあるっていう事に気づいただけでもちょっとよかったかなと。
梶原 ちょっと今回、まだ作品を見ていないんですごい申し訳ないんですけどね。
野沢 これからまだ試写会とかもあるんで観に来て下さいよ。
梶原 是非、野沢さんのお笑いを堪能させて頂きます。
野沢 いやいや、大したことないんだけどね。7年も8年も悩んだ末にこれ? みたいな。
梶原 そういうのを見つけたってことがいいんですよ。
野沢 うん、それだけは本当によかったな。