GOING STEADY
ミネタカズノブ




梶原 今回のお客様はGOING STEADYのミネタ君です。まず、バンドの結成の話から教えて下さい。
ミネタ 大学の時に僕とギターで始めたんですよ。実家の山形で、ベースを紹介してもらったんです。それから友達だった奴にドラムをやらせたんですよ。まるっきり初心者。メン募の紙を貼って、面接みたいな事もしたんですよ。技術的にうまそうな人もいたんですけど、技術云々よりも、やっぱり気が合う友達の方だって思ったんですよ。村井君(Dr.)と僕は高校が同級で、お互い上京してよく遊んで。半ば無理矢理。ギターのアビコ君とは大学の体育が一緒(笑)。千葉の田舎の学校だったから、同じ様な音楽の趣味の友達がいないと思っていたから、意外でしたね(笑)。すぐに友達になれたんですよ。
梶原 サークルということではなかったんだ。
ミネタ 大学のスタジオは使わせてもらったんですけど。あぁ、サークルとか全く入りませんでしたねぇ。合コンとかも一回も出なかったなぁ。なんだったんだ?! 大学生活はって思いますね(笑)。
梶原 まぁメンバーとの出会いがあったからいいじゃないですか(笑)。メンバー集めが一番大変だからね。
ミネタ そうなんですよね。あの、JUST A BEAT SHOWの一番最初のオムニバスの時は梶原さんはまだBLUE HEARTSでは叩いてないんですよね。
梶原 そう、まだBLUE HEATSがドラムを探していることすら知らなかったんだよね。ええと、今pillowsで叩いているシンイチロウ君が叩いているはず。86年くらいだよね。その時もうベースはもう河ちゃんに変わっていたでしょ。ドラムも変わっていてね。GOING STEADYみたいにオリジナルメンバーで出来るのは、本当に幸せだと思いますよ。
ミネタ あぁ、これからどうなるのか分からないですけどね(笑)。ウチのメンバーは、こういったらなんですけど、本当に下手なんですよ。でも、今のメンバーじゃないとダメになっちゃっているんです(笑)。
梶原 下手とかは全く関係ないよ。だって僕らも下手だったから(笑)。ホント、10年もやれば誰だってうまくなってくるから。
ミネタ ホントですかねぇ(笑)。
梶原 ルーツミュージックはどの辺になるのですか?
ミネタ バンドはオリジナルパンクなんだけど、高校の時にリアルタイムで聞いていたのはニルヴァーナ。ニルヴァーナのあとにそういう熱いのが格好良く思えたんですよ。ラモーンズとかクラッシュ、ピストルズなんか。
梶原 やっぱり、リアルタイムでドカーンと来ている音楽があってということ?
ミネタ そうです、そうです。なんだろ?! だから初期パンクも聴くし、今の音楽も聴くし、今でも沢山買ってます。
梶原 俺達の頃は、ビートルズのリバイヴァル・ブームで。でも、ビートルズには憧れるしかないというかリアルタイムじゃないから、60年代、50年代にしてもそれより前のものにしても楽しんでいこう、という感じだったんだけど。同時代にバーン!! と来たのがパンクだったんだよね。パンクの時代性というか、リアリティーをものすごく感じたんだよ。俺の場合はキッスとかクイーンとかエアロとも一緒だった。それと同じだよね。同時代の音楽が初めにあって、昔の音楽もそれから掘り下げて聴いていく。
ミネタ 本当にそうです。僕とベースは、すぐにレコード買っちゃうんですよ。ご飯が食べれなくても、ジャケが格好良かったりするとどうしても手に取っちゃいますね。お陰で一日一食が続いてます(笑)。
梶原 食べられない、、
ミネタ はい、、、。ガスが止まったり、、、やばいんですよ。レコード買わなかったら、普通に生活が出来るんでしょうけど、無理なんですよ。
梶原 ジャンルなんかは?
ミネタ もう、ばらばら。引っかかりそうだと思ったら、ヒップホップでもソウルでも民族でも。ポーグスを聴いてから民族もいいと思ってきたんですよ。アイルランド民謡なんですかね。ものすごく格好良くて。彼らのルーツも聴きたいと思ってきて。
梶原 それは理想だよね。自分たちのルーツミュージックが脈々と自分たちのロックに込められているっていうのはね。
ミネタ だから今、僕が色々聴いていている音楽が、自分たちの音に反映すればいいかなぁって思っているんですよ。
梶原 曲のクレジットはミネタ君になっているけど?
ミネタ 最近ようやくギターが持てるようになったので、ギターを弾きながらメロディーを歌う。それにみんながいろいろいいあいながら、曲になっていくんですよ。
梶原 打ち込みである程度の形を作って、というわけではないんだ。
ミネタ できないですねぇ。カセットテープにららららら〜♪って歌うくらいで(笑)。
梶原 それはバンドにしてみたらおもしろいよね。打ち込みは変な先入観が出来ちゃったりして、よく分からなくなっちゃう事もあるし。
ミネタ 基本的に僕が作ってきた骨組みにベースもギターもドラムもそれぞれの肉付けをして欲しいんですよ。僕だけのバンドじゃないんで。4人でやっているんだし。歌詞に関しては逆に任されているんで。
ミネタ だけどねぇ、本当に今バンドが楽しいんですよ。
梶原 そうですかぁ(笑)。楽しいよね。どのくらい練習しているの?
ミネタ 最近は新曲を作っていて。先週は多くて5回!! 普段は3回くらいで、沢山LIVEが入っていて。そう、練習も楽しいんだけど、やっぱりLIVEなんだよなぁ。なんであんなに楽しいんだろうなぁ。練習は曲を作るためが主なんですよ。
梶原 ということは、各自の楽器の練習は自分でやるということなの?
ミネタ そうなんです。ドラムなんか、毎日のように個人練習らしくて(笑)。独りでたまに自分だけの間違った世界にいっちゃうんですよ(笑)。
梶原 そうねぇ、それはあるね。個人練習の後に久しぶりにバンドで一緒にやると、自分のリズムがメトロノームのリズムになっちゃっうの。ドラムで言うと、高橋まことさんはほとんどの歌詞を覚えているんだよね。歌いながら叩いていたんだよ。僕もやっぱり歌いながら叩いているのね。なんていうのかな、全体のハーモニーが大事なんだよね。機械どおりにリズムを刻んでも、歌がのるかっていったらそうじゃないでしょ。微妙なところでもたったり走ったりしているよね。そういうところがバンドっておもしろいよ。特にドラムと歌は、生の音でしょ。相性がものすごく重要だよね。この二つが合ってバンドなんだよね。
ミネタ あぁ。今日、村井君連れてくればよかったなぁ(笑)。聞かせてやりたい。でも、村井君もよく歌ってますよ。すごく音痴なんですけど(笑)。それでもあいつなりに可愛い声出して、叩きながら歌っているんですよね(笑)。
梶原 あっ!! そう。LIVE終わって僕も声がガラガラだったりするんだよね(笑)。おかしいんだけど。どのくらい声をはりあげていたんだ?! って。
ミネタ あ、そうそう、南米はどうだったんですか?
梶原 よかったよぉ。リアクションがダイレクトだし、経済的に貧しいことも関係しているのかも知れないけど、音楽に対して求めている物があるように感じられたんだよね。軍事政権が最近まで続いていて抑圧されていて。とにかく人々のパワーがすごかった。リアルロックを求めているという感じが。
ミネタ 最近の中国もそうだといいますよね。
梶原 そういうふうに聞くよね。抑圧されているが故の捌け口というか、求めすぎているから何でも受けちゃうこともあるね。中国の人に聞いたんだけど。
ミネタ 現在の中国は77年にパンクが生まれたその状態に近いんじゃないかって思うんですよ。自分のところじゃないけど、隣の国でそういうことがリアルタイムで起こっているのは、ものすごく興味深いんですよ。僕、中国でLIVEやりたいですね。
梶原 行きましょうよ(笑)。大変だけどね。中国は一言発言するに、ものすごく気合のいる国だからね。でもやってみたいよねアジアツアー。東南アジアにも行ってみたいなぁ。
ミネタ 実現したいですね。
ミネタ 南米もアジアも人々が無条件に求めている状況じゃないですか。日本はどうなんですかね?
梶原 そうねぇ、メキシコとかアルゼンチンでやったときに感じた、人々のパワーはフィジカルな部分だけでもものすごかったんですよ。でも、よく考えてみると、日本だって、KIDSのパワーは結構すごかったんですよ。今でも、そういうKIDSは沢山いると思うし。だから日本人にパワーがないということでもないんですよ。民族性で表に出しにくい民族なんだよね。軍事政権だとか抑圧された社会だったりすると、ある意味分かりやすく敵を作れるじゃない。その敵に向かって発言すればみんな盛り上がるし。それはそれでロックだと思うんだけどね。だけど、先進諸国にはそういう敵対関係が作りにくいでしょ。
ミネタ そうですね、何ひとつ不自由してないですからね。
梶原 でも、それがよく分からないけどどこか満たされない、という感情を生むんだろうね。
ミネタ それも「飢え」なんですよね。
梶原 そうね、、、。現状分析は出来ても、じゃぁどうしようか、どうしたいかでしょ。結局自分たちがパワーを発していかなきゃならないでしょ。そのパワーっていっても、どっかからもらったり吐き出したりしているんでしょうけど。それをいつまでもやっていきたいなぁ、って思う。
ミネタ 見えない敵に自分がどう向かうかですね。
ミネタ 梶原さんがバンドを始めた80年代と今と比べてどうですか?
梶原 80年代にはオリジナルパンクだとかニューウェーブだとかのパワーがまだ感じられて、僕はオリジナルパンクはもちろんなんだけど、日本で頑張っていたアナーキーとかにもすごく影響を受けたのね。今のバンドの状況とは雲泥の差で、ロックバンドでレコードが出せるなんて滅多になかったのね。そういう人は本当に選ばれた人で憧れの的だったんだよね。シーナ&ロケッツとかね。そのマイノリティーの状態だなんだけど、俺達はフォロワーとして日本で世界でばーーん!!ってやってやるぜという感じだったのね。日本語の今までのロックとオリジナルパンクがあって、その後にブルーハーツだとかが日本語を歌うロックバンドとしてある程度売れて普通になったんだよね。だから、状況としては意識するしないに関わらず、今は日本語のロックを聴いている人が多くなったんじゃない? アナーキが団地のおばさんとかを歌っている時に、アナーキーをカバーする人はそうそういなかったんじゃない? でもトレイン・トレインを知っていても、ロック通じゃないでしょ。自分で言うのもどうかと思うけど、ある意味喜ばしい出来事なんだよね。でもさ、そういう状況になったから、ロックの振りをした違う物が沢山ロックに混ざって来ちゃった。歌謡曲だって好きな曲沢山あるし、難しいんだけど。でもね、求めるものがあってそれを魂に込めて歌っているものの臭いを嗅ぎ分けて聴いている人は案外少ないのかもしれないよね。というのが今の状況だと思うんですけどね。
梶原 CDを聴かせてもらったんですけど、歌詞は日本語と英語があるんですね。
ミネタ 最初英語で歌っていたんですよ。で、やっていくうちに日本語の曲を作ったら、楽しくて。作るのも歌うのも。だから、英語の曲は初期に作った曲なんですよ。最近は全部日本語です。バンドを始めた頃影響を受けたのが海外のバンドだったんですよ。憧れで。でも段々やっていくうちに、あぁ言いたいことが言えないや、本気でやるにはどうしたらいいのかなぁ? って思って。それで辿り着いたのが日本語だったんですよね。
梶原 例えばハイスタなんか英語でしょ。彼らも自分たちの方向を探していた時期があって、英語で歌うことに辿り着いたって言ってたんだよね。それできちんと海外でもツアーもやっているしね。彼らは英語で本気で伝えようって思っているんだよね。
ミネタ 俺も、海外を目指しているんですけど(笑)、海外でやるからこそ日本語じゃないかなぁって思うんですよ、逆に。
梶原 結局ね、今回の南米ツアーでも感じたことは、本人達次第、その人の本気がどこまでなのかっていうこと。だから、本気でアメリカの人に伝えようとして本気で英語を勉強してやるのもいいし、本気でやるからこそ母国語でやるのもいいと思うんだよね。両方有りだよね。
ミネタ そうですねぇ、、本気でがんばりたいなぁ。ハイスタというのは実際、大きい存在なんですよ。歌っている内容にしても。僕らとしては英語が分からない様な若い子にも僕らの伝えたいことを分かって欲しいんです。だから日本語。でもやっぱり、それに固執するということでもなくて。なんでもあり! という部分も残していきたいんですよ。最近思うのはやるべき事を普通にやりたいなということなんですよ。自分が伝えたいこととか、聴いてくれる人に聴いて欲しいことが、最近曲になってきているんですよ。それくらいなんですけどね、そういう曲を沢山創りたいですね。
梶原 それに尽きるよね。何でもあり! という考えは大切だよね。
ミネタ いい曲を創っていいライブをやれれば、僕はご飯一食でも全然問題ないんですよね。それだけです。
梶原 なんかねぇ、その想いは綿々と続いているロックンロール・チルドレンなんですよね。僕なんからしてみれば、クラッシュからジョン・レノン、チベットのダライラマ14世まで続いている気がするんですよ。やっていることは違うんだけど、スピリッツとしては繋がっているんだって。ウチのヴォーカルの原君はチェ・ゲバラが好きだったりして。昔から想いは繋がっているんだと思う。ロックという形でやっているけど、共通の想いとして感じられる物なんだろうなぁって思うんですよ。だから下の世代の人に繋がっていくといいですよね。
ミネタ 僕たちが初めて音を出した時のあの気持ちを本当に忘れたくないんですよ。ものすごく気持ち良くて何とも言えなくて。それが聴いている人だとか、もっと若い人だとかに繋がっていったら、本当に幸せでしょうね。