サルサガムテープ
かしわ哲




梶原  今月のお客様はサルサ・ガムテープ主宰のかしわ哲さんです。かしわさんはどうやって始められたんですか?
かしわ ボランティアで始めたんですよ。始めた当初、ボランティアって本当に地味だなぁ、って思ってたんですけど(笑)。
梶原 そこに、みんなが乗ってきたのは不思議ですね。
かしわ そうねぇ、一つにはみんな日常とか施設の中でも、ものすごく抑圧されているのね。僕といる時間はみんな思うようにやりたいように叩いていいんだっていう事が分かるまでに、ものすごく時間がかかったのね。集団生活の中で自己を解放する方法を知らなかったからなんだろうけど。
梶原 かしわさん自身は、ボランティアに最初から興味があったのですか?
かしわ 全然。ただ、僕自身が施設でライブをやっていたから。お客さんで一番好きだったのが知的障害を持った人達だったんですよ。僕が演奏していてすごく素直に立ち上がったり、手を叩いたりしてくれて。やっている方もものすごく楽しかったんですよ。でも、それを押さえつけているのが施設の職員だったりして。人が楽しんでいるのを座らせたり、騒がないようにしたり。それは逆だろ!!って(笑)。だったら、その楽しい人達と一緒に音楽をやろうって。僕が演奏する人、彼らが聞く人じゃなくて。もっと強い繋がりでやってみたいなぁって。

梶原 サルサ・ガムテープについて説明していただきたいのですが。
かしわ それがねぇ、一番説明しにくいんだよね(笑)。バンドの人数は22人くらいで、音程楽器が基本的には僕のギターだけで、あとはパーカッション。僕たちのバンドのメンバーは、知的に障害があると言われていて、言葉で説明してそれを理解するということがあまり得意じゃないので、セッションをやっていったんですよ。まぁ、変な形ですけど、ロックバンドです。バンドの始まりからしてね、今のような形になるとは思っていなかったんですよ。従来のバンドの成り立ちとは違うところは、こういうジャンルの音をやろうというのがある程度決めて、それに合うバンドのメンバー達が集まっていくわけでしょ、普通。それが全然ないんですよ。言葉で伝えているのでもなくて、僕自身も、彼ら、知的障害ということを理解していなかったから、その当時は。とにかく言葉じゃないな、リズムだということしか分からなかったんですよ。今でもそうなんですよ、6年くらいやっていますが、バンドのメンバーとこの先の音について討論したこともないし、多分これからもないと思うんですけど(笑)。結局言葉では成立しないと思ったから、最初の半年とかは、僕も叩いていたんですよ。延々。なんていうんだろう、とにかくみんなが「飽きた」って辞めるまで延々と僕も踊っていたんですよ。3、40分くらい。いつ初めても、辞めてもいいよ、楽器もどれでもよくって。自分たちの好きなようにって。

梶原 最初のとっかかりとして、リズムというのはピンときたんですか?
かしわ 絶対リズムだって思ったんですよ。例えば鍵盤を弾くとか、ギターを弾くということは、言葉で教えなきゃならない。リズムは、その人の中から湧き出てくるものだと思ったから。頭で学習して覚えるというより、元々その人が持っているものだって思ったんですよ。障害者はいつも健常者に近づくようにって、言われているんですよ。でも音楽的なところでは、そういうものから解放されていいと思っているんですよ。ちゃんとしなくてもいいし。頑張らなくてもいい。しっかりする必要なこともない。ただ君の本当のリズムが内側から出てくればそれでOKだと。だから、僕と彼らのリズムの出会いの儀式をやっていたんですよ。ものすごくプリミティブな形で。
梶原 そこから一つの形にまとめていくことはしないんですよね。
かしわ しないですね。その30分くらいセッションをしていると、ある時から一瞬一つになるときが生まれてきたんですよ。リズムがバーーって集まってくる瞬間が。これは?! 何かが始まるかもしれないって思って。それからそういった時間が、少しづつ長くなってきたんですよ、まとまる時間が。その音楽的な時間が長くなって、今になっているんですよ。
梶原 みんなでやるということはいいですよね。ドラムだとドラムセットがあって、一人いれば事足りることなんだけど、それを敢えてみんなでリズムをやるのはすごくいいなって思うんですよ。
かしわ そう。ドラム一人いれば本当はいいんだけど、わざわざね。なにも、こんなに沢山になくてもいいじゃない?! っていうのがすごくいい!!
梶原 ドラムセットってなんだか、作業的というか機能性を重視して人間が創りあげたものっていう気がするんですよ。本来は一人一人のリズムが合わさって出来る大きなグルーヴだと思うんですよ。
かしわ うちの人達が自分の内側のリズムを見つけてきて、一人一人が程度も違うから、差も出て来るんだけど、でも一度見つけちゃうとそれは本能だから、絶対に崩れないん。それこそ学習したものじゃないから。だから安定感がものすごいんだよ。初めて体験したとき、ものすごくびっくりしたんだよね。グルーヴが生まれてくると、みんなの中にちょっと不安も生まれてきて。叩いていてこの先に何があるんだろうって。何となくそういう雰囲気が沸き上がってきて。だから、曲を作ったんですよ。ものすごくシンプルなロックンロール。みんなで歌えるような。それが出来上がって、またワンステップ上にいったんだよ。バンド意識というか、音楽になったというか。それはきっと原初のときに、人々が石を叩いたりみんなのコミュニケーションの手段とかでやっていて、そのうちに歌のうまい奴が合わせて歌ったら、みんな興奮したと。きっとそうやって音楽は生まれたんだなっていう、課程でしたよ。
梶原 ものすごい瞬間を日々体験したんですね。
かしわ そうですね。こっそり独りで体験したんだけど。その辺が面白くてやっていたんでしょうね。

梶原 僕の経験の中でも、バンドで曲を作っていてすごくいい瞬間が来るんですよ。それははっきりとした形で見えますよね。
かしわ 結果的に非常に特殊な形の編成になってしまったけど、こういう風にしかならざるを得なかったんですよ。他の選択肢が無かったから。
梶原 必然があって、結果が現れたっていうのはものすごく強いですね。
かしわ あぁ、必然だったんだよね。
梶原 そんな種類の音楽でも、何でもある意味出来ちゃうところがあるじゃないですか。でも、日本人がやるというところで、ロックは西洋から生まれたもので、やっぱり、迷いが出て来ちゃうところがあるじゃないですか。それは分かり切ったことなんですけど。でも、必然があって今の音楽をやるということは、ものすごく説得力がありますよね。
かしわ 僕も悩んでいたから。例えば、タイのちっちゃな村に居続けたときに、村の子達が竹の楽器で演奏して迎えてくれたりするのね。それで、お礼に僕も歌を歌いますということになって、ギターを抱えて歌おうとすると、あ、このスタイルはアメリカのものだとか思えて(笑)。あの子達が持っている必然みたいな者の前に立つと、みんな嘘っぽくなっちゃって。太鼓節を歌えばいいのかっていったら、それも違うでしょ(笑)。そういうことで悩んで考えた時期っていうのもあったんですよ。そういうことを経験して、僕たちは世界中どこに行ってもこのスタイルで胸張ってやりますよ。だって、これしか出来ないんだもん(笑)って。
梶原 その辺はものすごく羨ましかったりするんですけど(笑)。でもとにかく、自分自身が何であるかを突き詰めていくしかないのかなぁって思いますね。自分に何が出来るのかとか。

梶原 最近よく考えるんですけど、音楽のテクニックだとか肉体の訓練だとか、よく分かりませんが、突き詰めていろんな方法でいくじゃないですか。でもやっぱり、音楽を始めた初期衝動が伝わらないと、人間がやっている以上、人間がやる意味はないと思うんですよ。何でもいいですけど、自分がカッコイイなって思ったことを大事にやっていくしかないと思っているんですよ。サルサ・ガムテープを見て、それをまざまざと見せつけられたんですよ。パンクだなぁって思ったんですよ。
かしわ よく言われますよ(笑)。本人達がパンクをやっているという意識はないでしょうけどね(笑)。
梶原 ええ(笑)。スタイルのパンクじゃないですよ。意識のパンク。自分でやれよっていう。テクニックなんか関係ないよという。
かしわ パンクの定義というものは僕にはよく分かりませんが、結果、僕たちが醸し出しているのは、そういうものだなって思うときがありますよね。歌に関しても、彼らの中から出てきた言葉を拾っているんですよ。「フライドチキン」だったら、メンバーの中にフライドチキンが好きなのがいて、「フライドチキン、フライドチキン」って言ってたので。その言葉を使ったり。「水曜日は味噌ラーメン」というのでは、今は違うんだけど施設の水曜日が味噌ラーメンだったんで(笑)。作詞っていっても、机の上で改まってやったわけじゃなくって。自分の言葉だから、あんまりよそよそしい感じでもないから。バンドの音が良くなって、沢山の人が聴いてくれたりすると、段々と曲を立派にしようと思ってくるじゃない(笑)。でもいつまでも簡単な言葉で、あんまり偉そうな事を言わないっていうか。やっぱり、僕自身がいつでも確認していかなきゃなって思うんですよ。頑張らないで、ヘラヘラとだらしなく楽しくやっていこうって、思うんですよ。

梶原 ステージを九段会館で見せてもらいましたが、ステージに上がったら、エンターテイメントを意識しないとダメだと思うんですよ。それがもの凄くいいバランスで取れているなぁって思ったんですよ。
かしわ ステージングはすごく考えています。やっぱり必要になってくるものですから。キャラクターがあっていい役者がいっぱいいるんですけど、それをどうやって出していこうかなぁって思っているんですけど、やっぱり無理矢理に引っぱり出すものでもないし。みんなもお客さんの前でやってきて、どういう風に見られているのかっていうのが分かってきているし。だから、それを一緒になって考えてますね。
梶原 清志郎さんとのセッションもありましたよね。
かしわ もう、みんな楽しくて仕方がないくって、全然緊張しない。清志郎さんと一緒に出来ることを楽しくしようねって(笑)。変な気負いもなく。構えて接することもないですからね(笑)。僕自身も、うちのメンバーと出会って、精神的な解放が出来たということが大きいですね。ものすごく大きいです。自分のロックンロールも見つけられましたし、まさか知的障害者と一緒にロックを見つけるなんて思っていませんでしたし。本当に人生って面白いなぁって。
梶原 バンドってそうですよね。いいメンバーと出会えれば、そのバンドの90%以上は成功したものですもんね。まずは、その人との出会いですよね。

梶原 サルサ・ガムテープを見て全国でやろうとしている施設とかが増えたり、という可能性はあるんですか?
かしわ 実際に他の施設で依頼されたりありますよ。サルサ・ガムテープを見て始めた人もいるし。ジャンゴを10台くらい並べて演奏しているという人達とか、音楽に居合わせて踊っているという人達とか。少しづつだけど広がっていってますね。
梶原 いろいろな方向に展開していっているんですね。今後のサルサ・ガムテープはどの様になっていくんでしょうね。
かしわ そうですねぇ、今までも分からなかったので、これからも分からないでしょうね。
梶原 その中で福祉についてはなにかありますか?
かしわ そのことについてはもっともっと、語らなきゃいけないんだけど。あの、リニューアルしていかないんですよ。福祉の人でどんどん閉鎖的になっちゃって。僕があのスペースに入って行くにも、最初の頃は本当に大変でしたから。外敵みたいに思われていて。人間的に理不尽な場面をよく見て、それに対しての疑問とか怒りだとかを、うちらのバンドがどんどん、変ないい方だけど一般社会に出ていって、福祉以外の人達の中で大きく育って、認められて分かってもらうしかないと思うのね。最初にもいったけど、枠にはめるんじゃなくて、自由にやっていいんだっていうことをね。
梶原 誰が主役なんだ?! ということですよね。
かしわ そう。ボランティアっていうと報いを求めないっていうけど、実際は違うんですよ。感動とか充実感みたいなものを求めてますよ。救いを求めているんですよ。そうじゃなくて、多分ボランティアっていうのは、自分の得意なものを少しお出ししましょうしようっていうものだと思うんですよ。自分の一番プロフェッショナルな部分を提供することだと。
梶原 僕なんかもそうなんだけど、やっぱり感動して、それが最初のとっかかりでもいいと思うんですよ。
かしわ それも大事だと思うんですけど。皆さん方の為に彼らが不自由な暮らしをしているわけじゃないんですよね。癒し系とかよく言われますけど、彼らの音楽やアートが結果的に癒しに繋がるとしてもね。僕は今うちのメンバーのよりよい暮らしに目が向いてますね。もし、サルサ〜の音楽で元気になったんだったら、いつか君たちが元気にさせてくれっていう所で50/50になるんじゃないかなって、そう思いますね。
梶原 サルサ〜で感動したというのは、嘘じゃないんですよ。だけどそこから一歩踏み込んで自分たちからも、ということですよね。
かしわ なにかもらったらおかえしして、それでいい関係じゃないですか。具体的に何をしてくれるか、それも長期に渡って。そこがその人を信じられるか信じられないかになるんですよ。物理的に人間の体は一つしかないから要は気持ちということになるんですけどね。