高須基仁




僕は、ロフトプラスワンのイベントはなるべく台本や進行などが決まってないほうがいいと思っている。もちろん失敗するリスクも大きいが、徒手空拳の出たとこ勝負こそがもっともリアリティのあるライブになるのではないか。そういう意味で、高須基仁氏の行う「変態性欲ナイト」は、いつもどうなるのかわからないスリルに満ちている。便宜上、スケジュールにはその日の内容が載っているが、いつもその通りに進行したためしはない。高須氏の思いつきとその場の判断で、イベントは進められていく。裏で動いている高須氏のスタッフはさぞかし大変だと思うが(ほんと同情します)、観ている側としては実に面白い。そんな高須氏に、2月14日のイベント終了後お話を伺ってみた。(Text:加藤梅造)

高須 ロフトで一番最初にやったのは、オープン当初だったんだけど、その時は藤田朋子の騒動のまっただ中にあったんです。それでマスコミも結構来ちゃってヤバかったんだけど。その時思ったのは、それまで喋りたくても喋れない部分がどっかにあったんですよ。これはやってはいけないみたいなバッチが。でもロフトでやった後、そのバッチがとれたんですよ。「なんだどうってことねえな」という感じだったのかな。僕はそれまで、凶器準備集合罪で前科を持っていることも、誰にも話してなかったんですね。いい人を演じてたというか。でもいい人を演じていると、それがうまくいかなくなると「詐欺師」って言われちゃうのね。藤田朋子騒動の時、俺はどこも悪くないのに、なんか知らないけど悪人にされちゃって。それで、ロフトのステージが終わった夜に決めたのは、「俺が全部痰壷を引き受ければいいや」と。それ以降は「悪役と呼ぶなら呼べ、詐欺師と呼ぶなら呼べ、あとは野となれ山となれ」という感覚で、ロフトでライブをやることが楽しくなったんです。
──それから高須さんプロデュースの「変態性欲ナイト」が始まったんですね。
高須 ロフトで何をやろうかと考えた時、個人的に趣味であったSMだったんですね。SMはそれまで非常に潜在化していたんだけど、みんななんとなくうしろめたさみたいなものがあったんですね。でも俺の場合、ヘアヌードとかSMとか変態とかフェチとか、世間でいう反社会なものに対して、うしろめたさがないんだよね。だから自分がやっていることは変だってわかってるんだけど、そこにうしろめたさがないということを具体的に見せたいというのが「変態性欲ナイト」だったんですよ。
──プラスワンでは数多くのSMイベントが行われてますが、もともとやり始めたのは高須さんなんですよね。
高須 始めた当初、一番変態だなあと思ってたのは森園みるくでしたよ。その後、こいつ変だなと思ったのが縛り師の明智伝鬼であり、女王様の天之蘭でした。そういう俺が変だなあと思っていた人とはどっかで胆が一緒だなと思ってたから。でもそれを言葉で説明するんじゃなくて、具体的に何ができるかっていうのをロフトのイベントでやった。で、やってるうちに思ったのは、それまで世間で言われていた変態小説とかSM写真とか、そういうことをやっていた表現者が実に一般論だなあと思ったんですよ。例えば、荒木経惟とは、ものすごい変態だと思ってつきあってたんだけど、現場とかで一緒にやっているうちに、俺の方がよっぽど変態だなと気付いたんですね(笑)。それは団鬼六に対してもそうなんだけど。じゃあ、潜在化している本物の変態な表現者はどこにいるのかというと、それが天之蘭であり明智伝鬼でありサダージ深野であり、七海玲央だったんですね。
 ただ、車を例にあげると、ホンダの車ってどこかトンガッたところがあるんだけど、結局、トヨタのような大衆化されたものが世の中を制覇していくじゃないですか。そういうヌルいものが天下をとっていくということに対して一発竿差したいというのが「変態性欲ナイト」なんだよね。だから俺のイベントは、写真を撮るのもビデオ撮るのも自由にさせてるじゃないですか、そういう素人が撮った写真の方が、荒木経惟の写真よりも遥かに優れているんだよ。
──素人の方が面白い?
高須 というか、まちがいなく現実に、具体的にやっている人ですよね。でも一般的に世に出てるのは、荒木みたいに戦術的、戦略的にやっている人が多すぎるんだよ。俺は、もっとわけわかんないことを具体的にやっている人達に限りなく愛情を感じるんだよね。エロの先に名誉みたいなものを置くんじゃなくて、エロの先にはエロしかないという、そういう所で蠢いているものが好きなんですよ。
──高須さんはいつもヤバいイベントをやってる最中は(警察が入れないように)表扉のカギを閉めろと言うんですよね。
高須 あれは半分冗談なんだけど、俺はエロで一回捕まってみたいと思ってるんですね。でも捕まってないということは、まだ大丈夫なんだろうね。
──思想的なイベントの時は、公安らしき人が来てますけど。
高須 歴史的にみてもそうだけど、政治的な規制が厳しくなってくると必ずその前に“性”治、つまりエロに規制が入るんだよね。権力がいつも切りくずしてくるのはやっぱりSEXなんですよ。最近では、コンビニ規制や児童ポルノ法であるし。それに対して、中途半端にでかい会社というのはそれに迎合してるじゃない。それは例えば、KKベストセラーズであるし宝島社であるし、つまりそれらは知らないうちに自分が権威になっているんだと思うのよ。
──そういう出版に厳しい時勢にわざわざ高須さんはモッツ出版を始められましたが。
高須 だから今やろうとしているのは、昔のビニ本やブルーフィルムみたいなものですね。まあエロに権威なんてないんだから、いつも世間から誹謗され揶揄され、でも避けては通れないという。それをやるにはやっぱり胆を据えないとダメなんだよ。
──胆を据えるというと?
高須 まあ一つには懲役を辞さないということだろうね。権力からしたらなんでもないだろうけど、個人にしてみればやっぱり懲役がつくことのダメージは大きいよね。だから、これをやれば懲役行くなという覚悟でエロっていうのはやらなきゃダメだと思ってますよ。俺がヘアヌードをうち抜いたのは、最後は俺がひきうけてやるという覚悟を持ってやったからですよ。それがある種の突出したことを成就させることだと思うし。でも突出的なことというのは世間からすぐあきられるから、それを次々とくり出していくしかないと思いますよ。人生コマみたいなものだから、止まってしまったら倒れちゃうから。
──世の中には平凡で平和な毎日を望む人も多いと思うんですが。
高須 それもそれだよね。でもそういうにはお金の裏打ちがあるからでしょ。僕は、お金ないから(笑) かといって、ベンツ乗りたいとかアルマーニ着たいとかいう欲もないし。うーん、私利私欲の行き着く果ては、やっぱり懲役かな(笑) 俺、最後は60才ぐらいで懲役15年というのを受けたいのね。そうすると75歳でちょうど寿命がくるから房内で死ねると。国家権力から御飯を三食喰わせてもらえるというのを、60になってからやりたいですね。人生で本当に休まる時があるとしたら、懲役に行くか、死ぬ時しかないと思いますよ。