地下音楽への招待



 1978年、吉祥寺に開店した一軒のジャズ喫茶は、その一年後「Free Music Box」を名乗り、パンクよりもっと逸脱的(パンク)な音楽やパフォーマンスが繰り広げられるスペースとなっていく──「Minor Cafe」として海外でも知られるようになったこのジャズ喫茶「吉祥寺マイナー」の“伝説”は、近年とみにマニアたちの関心を惹くものとなった。しかし、そこには前史や後史、あるいは裏面史など時間的にも空間的にもさらなる広がりと深さを持った、さまざまな出来事と人物たちの「流れ」と「つながり」があったことは、あまり、否、あまりにも知られていないのではないか。本書は、幸運にもそうした現場の一端に立ち会ってきた一人の目撃者=体験者が、ミュージシャンやパフォーマー、オーガナイザーたちとの再会や対話、またメディアの再検証を通じて、あたかもパラレルワールドであったかのような「地下音楽」の世界を描き出す初めての試みである。

<本書の主な登場人物>
園田佐登志、藤本和男(第五列)、鳥井賀句(ブラックプール)、竹田賢一(A-Musik音楽評論家 『地表に蠢く音楽ども』)、白石民夫(タコ、不失者、じゃがたら)、工藤冬里(マヘル・シャラル・ハシュ・バズ)、原田淳・増田直行(陰猟腐厭)、安井豊作(映画『Rocks Off』監督)、生悦住英夫(モダーンミュージック)、山崎尚洋(『マーキームーン』編集長)、山崎春美(ガセネタ、タコ)



メディア情報:下記メディアにて紹介されました。

書評
『ミュージック・マガジン』2016年12月号(松山晋也さん)
『レコード・コレクターズ』2016年12月号(行川和彦さん)
『Rooftop』2016年12月号(平野悠さん)


特集記事等
『BRUTUS』 2107年1/1・15号「危険な本屋大賞2016」(模索舎さん)
『週間 読書人』 2016年12月23日号「2016年回顧総特集・音楽」(小宮正安さん)
『JazzTokyo』No.225「BEST of 2016:2016この一枚(国内アーティスト)」(剛田武)



剛田武の地下音楽入門

2016.12.29 第1回:陰猟腐厭
2017.02.07 第2回:NORD(ノール)
2017.02.27 第3回:ガセネタ
2017.04.17 第4回:阿部怪異



藤田亮(フリードラマー)

https://www.facebook.com/fujita640/
1988年
地下音楽までもを容赦なく掬い上げ地上に持ち上げるブーム
テレビをつけてもバンド
雑誌をめくってもバンド
既に音楽に興味を持ち始めていた少年としては恵まれた時代だったと思う。
バンド6個を掛け持ちし、親に内緒で学校帰りに夕刊を配り、バンド費用や音源購入費にする。
渡辺美里のコピーバンドからハードコアバンドまで、年齢は14歳から24歳まで、音楽なら何でも、兎に角、叩いて 叩いて 叩きたくて仕方なかった。
一つのジャンルだけしか叩けないドラマーにはなりたくない!という シニカルな思想は ガキの頃から 持っており、それは節操のなさ、というよりも、音楽が好き、という信念だったように思います。

雑誌や書籍を見ていて いつも惹かれるのは、
「CDを再生する。音が無い。そして、暗闇から小さな ウッ!という呻き声、、、また無音、、、」
「ラリーズのライブの日は 黒づくめのラリーズフリークが全国からゾワゾワと集まりはじめる、、、」
「世界最高速の音楽!」
「大阪の奇蹟 サバートブレイズ!」
といったようなレビューで 私の嗜好は 当時のブームが 掘り起こした地下音楽という深淵に犯されていきました。

17歳になり、難波ベアーズのステージに立つ。
当時のベアーズは今よりも薄暗く、瓶ビールを振り回す客がいたり、エッグプラントの名残りもあり、高2の自分としては非常にコワイ雰囲気だったと記憶しています。しかし、その壁が真っ黒で、当時から汚い床、地下に降りるために気合いを入れ直す入り口までの長い階段、全てを気に入り、居心地がよいと思ってしまい、今日に至ります。

前置きが長くなりましたが「地下音楽への招待」は 上方に生きる遅れてきた私の知らない世界を 様々な角度から 表に現した大変貴重なドキュメントです。乾燥ウ○コなど付けなくても 生きた文字からは においや音がジワッと出てきます。

何故、においや音をジワッと感じるのだろうかと考えますと、私が難波ベアーズに通ううちに ついてしまったにおい に似たものを感じたからだと思います。
そこには 地下でふつふつと煮え立つ知性や懺悔の値打ちもないようなものが乱雑に鎮座していた。
「地下音楽への招待」は現在の私の 忘れかけていたもの 忘れられないものを 呼び起こさせた大切な一冊になりました。
素晴らしい作品をありがとうございました。

美川俊治(非常階段、INCAPACITANTS、mn、MikaTen)

「地下音楽への招待」大変な労作だと思います。この本で取り扱われているシーンに登場する方々と私は大体同世代だと思いますが、私の居住地が関西圏であったため、 その当時、直接的な接触は殆どなく、マイナーも荻窪グッドマンも一度行っただけ、ギャティはついぞ足を運んだことがなかったので、その分興味深く拝読しました。これだけの分量で殆ど誤植がないのもすごいと思います。そして、あの脚注の圧倒的な情報量。下だけ別の本にしてもいいのではと、馬鹿なことを妄想してしまうほどでした。一点だけ気になるのは、大里さんについての記述で削除された部分があるということですが、それはやはり読まれるべきものではなかったということなのでしょう。ご一読をお勧めする次第です。

コサカイフミオ(from Incapacitants)

待望の出版だ。
本書は70年代後半から80年代初頭にかけての東京 やその周辺のアンダーグラウンド音楽の状況についての証言、記録である。こういった事項を扱うことを主題にした書籍は、副島輝人「日本フリージャズ史」、地引雄一「ストリート・キングダム」、70年代末から80年代初頭の関西ロック・シーンの動向をテーマにしたデヴィッド・ホプキンスの「Dokkiri」などの歴史記述本、フリクション、灰野敬二、非常階段等のアーティストのアーカイブ本など、これまでもいくつか出版されている。しかし、そうした書籍が射程に入れていない、あるいは枠組からはずれた、よりアンダーグラウンドな東京、横浜のアヴァンギャルド系音楽のムーヴメントについてのかなり広い範囲での記録を記述しようとした書籍は初めてだろう。そしてこのテーマが灰野敬二、山崎春美、白 石民夫、メルツバウなど、今日まで世界中に今なお影響を与え続ける先鋭的音楽を作りだした歴史の一端を発掘するという点で、まさに出版は遅すぎるぐらいだったといえるだろう。 本書の特徴は演奏者だけでなく、イベントオーガナイザー、レーベルオーナー、イベントスペース運営者など、様々な形で当時のシーンに関わった人々の声を収集しているところにある。こうした手法をとることで、単に音楽自体の歴史だけでない、音楽を生み出した”場”のあり方を浮かび上がらせることに成功していると思うのだ。なぜかこのような音楽を演奏し、多くの人に聞かせようと憑かれたように奔走し、そしてやがてある日、憑き物が落ちたように正気に戻って立ち去ってしまう人、疲れ果てて立ち止まってし まう人。こうした音楽がこんな生々しいドラマをはらみながら生成されたことがジワリと伝わってくる内容になっている。
では、なぜ、こうした過去を振り返る必要があるのか?過去の栄光の神格化にすぎないのではないか?こう問われたなら、自分はこう答える。自分がどこから来て、どこへ向かうのか、それを見定めるために、と。私(達)は何を求めて歩き始め、どこへ行こうとして、今何処にいるのか?それを確かめるための、一つの道標なのだと。推測だが、著者の剛田武氏の気持ちもそこにあったのではないだろうか。冒頭で氏はこの本があくまで個人的な体験と関心をとりまとめたものだと宣言している。そう、本書は日本のアンダーグラウンド音楽の正史を編纂することが目的ではなく、剛 田武氏自身のオデュッセイアを綴ることが目的なのだ。その個人としての視点を透徹したからこそ、剛田氏が関わった”場”に身を投じていた自分にも、単なる懐古や事実の羅列にとどまらない感銘を自分に与えてくれたんだと思う。(ちなみに、既に本書については様々な反響が巻き起こっている。しかし、その多くがすでに少なからぬ人々が言及し、それなりに知名度もある吉祥寺マイナーに関する言揚げが多く、その他に言及されている吉祥寺ぎゃてぃや横浜アンダーグラウンド・シーンへの言及が少ないのは、そうした本書の視点とずれるように思えて残念でならない。)

本書はこの本に書かれた時代にはまだ生を受けてすらいなかったような若い世代にこそ読まれてほしい。それは別に 「この精神を後世に継承しなければならない。」ということではない。「たかが音楽」にここまで人生を、命を削りながら生きていた人たちがいたことを知ってもらえるだけでよいのだ。それを見て感銘を受けてもいいし、笑ってもいいし、呆れてもいい。考証し、批判してもいい。そうした何かのアクションのきっかけになってくれればいいのだ。この本はそれだけの価値がある。あなたが音楽というものに、ちょっと多くの、何某かの思い入れを持っているのなら。 

多田雅範

“ 九月毎夜うごめくマイナーの気配、そして傷”

単行本『地下音楽への招待』の表紙を取ると、ライブスペース吉祥寺マイナーの閉店する80年9月のスケジュールが...、休みが無い、見物料¥300、25日(木)竹田賢一(大正琴)チョン・ドウハンをいつか殺してやる!、28日(日)山ざき春美(vo)+? 泣いても笑ってもマイナーの夜はこれが最後です。みなさんごきげんよう。出演アーティストによる一行コメント、おお、

70年代後半から80年代の日本で特異に存在していたフリー・ジャズとパンクとノイズとアヴァンギャルドが交差していたシーン、

個々に思いつくままに、灰野敬二、阿部薫、高柳昌行、町田町蔵、フリクション、のいずんずり、グンジョーガクレヨン、連続射殺魔、メルツバウ、竹田賢一 A-Musik 、、、を、80年に北海道から上京してきたおいらは、松田聖子、あがた森魚、オフコース、ヤン・ガルバレク、パット・メセニーなどなどと同列に夢中になっていたたわけ耳な態度であり、

筆者の剛田武は当サイト Jazz Tokyo に彗星の如く現れたのだった、小学生の姪っこに「ジャイアンのなまえー!」と肩越しに言われるまでペンネームだと気付かなかった、ニューヨークの現代ジャズシーンを紹介する記事たちに瞠目する、剛田武のサイト「 A Challenge To Fate 」ではロフト・ジャズから灰野敬二、さらにアイドル・シーンまでカットアップする濃密な記事が並ぶ、触発されてでんぱ組 Inc.にハマる、

「パンクよりも自由な世界へ 70年代後半から80年代前半の日本に興った特異な音楽とその目撃者=体験者による遍歴の記録」とある、いや、そこにとどまるものではない、

シーンのキーマンである園田佐登志とのインタビューから始まり、藤本和男、鳥井賀句、竹田賢一、白石民夫、工藤冬里、原田淳・増田直行、安井豊作、生悦住英夫、山崎尚洋、山崎春美が次々と召喚されるようにインタビューがなされ、シーンのそれぞれの点からの風景が肉声となって示される、個々がそれぞれこれだけ異なる重力をもって同時代に近しい距離にいたのか、40年も経っているのに懐古ではなくまったく生々しい、

山崎春美の項は、「わたしはこの本を認めない」という前文、檄文が配置される、園田佐登志に対して激怒している、大里俊晴は死ぬまで「園田佐登志だけは許せない」と言い続けたとも、インタビューの校正の戻しに書かれたテキスト、何があったんだー、

97~98年頃にFM東京ミュージックバードで大里俊晴「越境するジャズ」を聴いて、そこからガセネタを聴き、ゲストのサックス奏者金野吉晃さんと文通した群馬県在住リスナーだったおいらは大里俊晴に対するリスペクトは大きい、今年になって友人宅で聴いた園田佐登志『耳抜き』のトラック、レノン(Revolution No.9) meets ライヒ(It’s Gonna Rain)的な天国的なコラージュ作品にのけぞっていたばかりだ、スタジオヴォイス誌で越境的なECMレーベルセレクト記事を書いた竹田賢一さんちに出かけてラスクの最新作を聴かせてもらったり、A-Musik のライブの前座で聴いた奥村チヨを超絶技巧脱構築するチヨズの演奏にノックアウトされたこともあった、本書を読みながらフラッシュバックする点と点、

この本はインタビュー&アーカイブではない、博物館なディスクアーカイブとも無縁だ、70年代後半から80年代にあったとされる音楽は今もリアリティを持って生きていることに愕然とさせられる、付録CD 18トラックがそれを補完している、

おいらはこのあたりのシーンの音楽は終わったものだと昨日まで思っていた、それがどうだ、4000万曲が聴けるスポティファイ Spotify が日本上陸した2016年9月に、ウソと劇場と電通と経団連に蹂躙されている左手に茶碗を持った鼻も耳も口もないきれいなわたしたちに、山崎春美が友部正人の「乾杯」「反復」を挙げるのはストライクだ、

学校に馴染めない理数系得意の中学生が多いのは単なる偶然なんだろうか、おいらも発達障害で数学科だけどさ、理に適っていることの不快と快楽の衝突は地下音楽へ向かうエナジーだとか?そんなことはないか、あるか、

平和台駅前のあゆみブックスでも売れて入荷待ち、アマゾンでも在庫無しで早くもプレミア出品になっている、400ページを超える、詳しすぎる脚注にも眩暈がする、これまで誰も踏査していなかった地下世界の一端に、それこそ感染させられる一冊だ、続編を望む、

■ JazzToyko - Jazz and Far Beyond #222 (2016年10月1日更新)より転載
■ 剛田武インタビュー

橋本孝之 .es(ドットエス)/サックス奏者

私はこの本に登場する方々の一ファンであり、演奏家としても多大な影響をうけているので、この『地下音楽への招待』が出版されると聞いたときはとても興奮した。しかも貴重な未発表音源を中心としたCD付である。 音楽は、その人の精神性そのものの現れだと思う。本書を読むことは、彼等の数々の逸脱的な実践に宿るスピリットと対峙する、貴重な体験そのものである。

■ .es Official Site

サミー前田 (VOLT-AGE records)

「地下音楽は俺の青春?」

 吉祥寺のマイナーには高校生の頃によくライブを見に行った。79年から80年。学校帰りに制服のまま行ったこともあるが、いっとき毎晩やっていた「10時劇場」は西武線の終電が早かったので行ったことはなかったと思う。フロアの隣がオーソドックスなロック喫茶だったので、開演までそこで時間を潰すということですら、ちょっと大人っぽい気分になったものである(パンク/ニューウェイブのレコードは皆無という店だったのが残念だったけど)。
 マイナーのオーナー佐藤さんが寝坊したため会場の鍵が空くまで出演者と客が待っていたなんてこともあったような。あと、佐藤さんの サイイングPオーケストラで、知人から一緒にボーカル(叫び)やらないとか呼ばれて自分も参加したことがあった(笑)が、あれはマイナーじゃないハコだったかな。佐藤さん、いつも細身の黒い服でヨレヨレのネクタイしてた印象で、神秘的な雰囲気の奥さんは店の受付辺りにいる‥という遠い記憶がある。  今となっては「マイナー」といえばアバンギャルドやパンクのイメージが強く伝説は膨らむばかりだが、貸し小屋としても機能していたので、渋谷屋根裏の昼の部(平日の昼の部があった)に出ていたようなグラム系ロックバンドも出ていた。出演者は楽屋がないから階段で待機して着替えたりしてた。
 当時は皆、やる場所がなかったのだ。数えるほどしかないライブハウスに出演する過半数が「プロ」だ った時代にマイナーの「敷居の低さ」は画期的だったのかもしれない。
 そうそう、新宿思いで横町「つるかめ」の娘(奇形児ベースの姉)が同じ学年で、マイナーでよく企画をやっててタダでいろんなバンドを見せてくれた。中でも覚えているのは神隠死というバンド。ストレートの長髪にベルボトムという村八分みたいなルックスで、時代的には古臭いスタイルにもかかわらず衝撃的でもあった。ドラムはギズムに参加するヒロシマさんだったと後年知った。コールド・ジャックというリーゼントのカッコいいボーカリストがいたR&Rバンドも見たな。馬鹿なガキだった自分に大変親切にしてくれたお兄さん達のバッド・コンディションもここで知り合いになったと思う。今もつきあいのある名ドラマー中村清 (現THE DING-A-LINGS、THE GOD )が在籍していた伝説の不正療法も見た。そういや、結成当初のスターリンや財団呆人じゃがたらを見たのも末期のマイナーだったな。
 マイナーでSPEEDを見たという知人がその時撮影した写真を見せてくれたことがある。写る観客の中に、水谷さん(裸のラリーズ)の姿があった。後年、SPEEDのギタリストだった青ちゃん(青木眞一/村八分、フールズ、ティアドロップス)にその話をしたら、「マイナーのライブの後に水谷からラリーズ加入に誘われたけど断ったんだよ」って聞かされた。
 マイナーを引き継ぐような店だった「ぎゃてぃ」が潰れた直後、なぜか残骸のある店内に入ったことがある。あれはなんだったのか詳しい記憶がない。この本の著者である剛田さんとも絶対どっかですれ違ってるよね。
 扉が青山トンネルの壁に面しているという、まるでアジトのような「発狂の夜」では、灰野敬二さんの前座で、レッド(後のハイライズ)がラリーズもどきみたいなことをやるからと直前に連絡があり、なぜか俺がドラムを叩いたこともあった。最前に友人の赤田祐一が見ていて恥ずかしかったが、赤田氏はレッドの音楽は最低だと怒ってたな‥‥。その時、ベースをやったのは幼なじみのチャーリー(後のファントムギフトds)だったんだが、当日リハの段階で曖昧な反応のレッドに苛ついていた俺たちは、結局何をやればいいのわからず、「テキトーにやればいっか」とか話してたら、灰野さんから「テキトーにやっちゃだめだ!」と怒られてしまった。

この書籍を読んでいると、そんな間抜けでくだらない自分の青春時代のエピソードを次々と思い起こしてしまう。本当にキリがない。法政大学学館の話なんかいくらでもできる。自分は地下音楽というテーマにそれほど詳しいわけではなく、まだ世の中に隙間がいっぱいあった頃の良い話がたくさんで愉しく読んだという感想。
例えばマイナーの狭い空間を体験しなかった人には、いくら資料を研究してもらってもあの奇妙な感覚はわからないような気もするし、時代の空気なんて大概そんなものだろうし体験していたからと言って特別すごいことでもないと思う。
 現代の感覚からすれば、そこに行くまで何が起こるのかわからない毎日のようにハプニング(笑)を楽しめたわけだけど、当時はそれが普通だったし、真面目か不真面目かわからず酷い事やっている人が多い中に、天才的に素晴らしい音楽家がいたりと、インテリも文盲も非音楽家も自称芸術家も含め、ごっちゃになってるワケわからない混沌さが、子供心にもスリリングでワクワクしていたのだろう。
 正直、当時はバカにされてたものでも時代が経過するにつれ、正 当に評価されるのはまだしも、なんでも神格化されてしまうのはどうかと思ってる、個人的には...。まあ、自分がリアルタイムで体験できなかったB級C級のGSを喜んで聴いているのと同じようなことかも知れないけれど 
 因みにマイナーの佐藤さんとは90年代初頭に突如、川田良先生がフールズのライブに連れてきてお会いしたことがあった。佐藤さんはもちろんだが、生前の良にインタビューして欲しかったとつくづく思う。あ、あと伊藤耕と川田良のバンドSEXに、当初は工藤冬里が参加していたことは知らなかった。テープないですかね?

JOJO広重

自分自身が関西の音楽シーンや非常階段の活動史を執筆した時にも思ったのですが、こういった音楽やバンドのヒストリーを振り返ると、紙面には真っ当なことや成功例を記載することになるのだけれども、本誌でも白石民夫さんが発言されてますが、実際は"ハズレ"のこと、つまらない行き違いやケンカや私怨みたいな時間のほうが圧倒的に多かった時代のことを、それなりに事実を追って記録するだけでもたいへんな尽力を必要とします。正直、みんな死んでくれていれば、もっと自由にかけるはずです。  しかしながら、この本に登場する皆さんが、実は真摯に当時のことを話してくださり、こういった各自の生い立ちやこの世界に入ったきっかけを聞き取って収録できたことなどは、やは り生きているうちにちゃんと取材しないと後年わからなくなってしまうことであるわけで、この1点においてもこの本の勝利と言えると思っています。  しかし、最後の山崎くんの文章はすさまじいです。この章を読んでいる時には、いっきに山崎ワールドになってしまって、もういったい何の本を読んでいるのかわからなくなった感じです。私は当事者ですから、ロックマガジンやマイナーやその当時の音楽事情もよくわかるので(逆に言えば、さっぱり何のことを言っているのかわからない読者のほうが多いかもと思います)、かなり楽しめました。  ああ、でも、みんなの青春だったのですね。なんともすさまじい青春ではありますが、1978-1980年というのはそういう時代でもありました。  この本をウソだと言うなら、本当のことを書いた本を自分で執筆して出版すればいいだけのことです。私はこの中にウソがあるなら、そのウソもまとめて愛すればいいのだと思っています。音楽に罪はないのですから。

■ Alchemy Records

沼田順(doubtmusic)

http://www.doubtmusic.com/index.html
地下音楽への招待』(剛田武著)読了。あまりの面白さに引き込まれ二日で読了。力作でした。しかも東京ロッカーズ「派」であったり、サブカル・エリート的なのを引きずり、'81年に東京に出て来たオレにとっては目から鱗であり貴重なアーカイブ。

体裁A5判/並製/424頁/特典DVD付(18曲76分 未発表音源収録)
定価3,000円+税
内容全14章(インタビュー、関連年表、註釈) 解説:松村正人
発売日2016年9月22日発売
編集・発行ロフトブックス(有限会社ルーフトップ)




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