復活37回目

「日本という国の癒鬱(ゆううつ)」

まさにサメの脳味噌、オットセイの下半身とはよく言ったものだが、それが我が国を代表する総理大臣森喜朗なのだ。まあこの男の逸話や失言は数限りないのだが、やはり一番最高なのはIT革命のことを「イット革命てなんだ!」と聞いたそうな。
確かに日本の優秀な?官僚が健在で日本経済がうまくいっていた時代はどんな馬鹿が総理大臣になろうとも、創価学会が政権に入ろうとも政治家やそれに群がる利権業者が国民の税金のばらまきで当選しようと大して問題はなかったかも知れない。
しかし、今の日本の状況はそんな生やさしいものではないのだ。
11月18日朝日新聞で作家で尼さんでもある瀬戸内寂聴さんは「78歳まで生きてきて、こんな悪い時代、悪い日本になるとは予想もしていなかった。どんどん悪くなるばかりです。表面 的には平和に見えるけど底の方は腐っている。それなのに政治家にも経済界の指導者にも危機感や自覚がない」
「誰に責任があるのでしょう?」
「全ての日本人でしょう」
あの司馬遼太郎さんが大変日本の将来を憂いて亡くなって久しいが、これからの日本は大変な事になる、という予感が私を癒鬱にさせる。
こんな堅い政治の話、今がよければ全てOKという若者は誰も読んではくれないだろうけど、私はあえて書きたいと思った。
このままで行くと日本の借金はあと3〜5年で1000兆円になるという。この数字は半端な数字ではない。赤子から老人まで一人1000万円近くの借金を背負う事になるのだ。そうなると日本は丁度80年代の中南米諸国と同じ状況になり、確かにあの時代先進国は景気が良かったので、結構借金を棒引きにしてくれたりしたが、こんなおごったアジアからも見放されてしまっている日本を誰が助けてくれるというのか? 日本経済再建の道は大インフレと福祉切り捨て、リストラ、増税しかない。大蔵省は価値のない紙幣をせっせと刷り続け、町には失業者があふれ、ジュース一杯が100万円すると言う時代に突入するわけだ。
では、とにかく無駄な公共事業や外郭団体、利権業者をうち切りにしようと言っても、今や政治家のばらまき公共事業で生活を支える労働人口は13%を越えるのだそうだ。アメリカは2%ドイツが3%という数字を考えるとこれも又凄い数字だ。勿論政治家はこのばらまきで当選してくる訳だし、この圧倒的多くの人達を切り捨てる訳にはいかない。
瀬戸内寂聴さんはさらに続ける。
「敗戦で全てを失い戦後の日本人は目に見えるものだけ追いかけてきた。そのために人間の心や宇宙の生命のような、目に見えないものへの想像力や畏敬の念を失ってしまったんです。昔の日本人は食べ物に対しても敬虔な感謝の気持ちを持っていた。着るものに対してもそうです。そうした精神文化がなくなってしまった。、、、このままでは21世紀の日本はないと思っていました。でも少し考えを変えたんです。最近は対談でも出来るだけ若い作家や芸術家と会うようにしているんです。どの分野でも一芸に優れた若者は自分をしっかり持っている。権威や肩書きにとらわれず自分の触覚に触れるものだけを信じている。しかも日本だけでなく広い視野で世界を見ています。そうした若者が出てきています、、それが唯一の希望かも知れません」
これは単なるクソ婆のたわごとではないと思うのだ。
私は丁度日本がバブルに狂っていた馬鹿な時代10年間日本を留守にしていた。だから資本家から労働者までバブルに狂っていた時代を知らない。日本に帰って来て10年、多くの人たちが不景気だ、不景気だというのを何か他人の事の様に感じていた。昔から大会社の就職は困難だったし、中小企業はばたばたと潰れていたし、物価は労賃より早く上がっていたし、、なんて思って、今と大して変わりないじゃないか?と思っていた。しかしこの数年権威ある銀行や証券会社、大企業が倒産するに及んで、おっとこれはただごとではないと思い始めた。しかし、ほとんどの人たちには緊張感がない。自分さえ良ければそれでいいと思っている。怒りと若者の特権である反逆精神をどこかに置き忘れた時代はさらに身動きのとれない悲しい時代に突入してゆくと思うのだ。
「私たちにはそんなに先はないけれど、やはり日本をいい国に、誇りを持てる国にして子孫に残したいと思う。誇りも目的もなくて、これから若い人たちがどうして行くんだろうと考えるとそれは悲しいですね。本当は日本は世界に誇るものを持った国なんです。長い歴史には誤りもあったけどそれを乗り越えて今がある。そうした歴史と文化を知って欲しい、支え合うのが人だということを、、」と瀬戸内さんの結語。
ふむ、、朝のまどろみの中で今朝の朝刊に目を通しながら、憂いているのは私だけではないのだと知った。司馬さんや瀬戸内さんを悲しませてしまっている日本になってしまった現実がどんどん押し寄せてきている。又あのおやじの説教が始まったと思われるかも知れないが、やはり、私達じじいはそんなに長生きは出来ないからいいが、自分達のの子供の姿を見てしまうと、俺達大人はこのままではあまりにも無責任過ぎると思ってしまう。やはりこういった若者に嫌われる様な事を叫び続けるしか私には選択肢がないのだ。
こんな事を書きながら、まるで小雨の様に赤ずんだブナの落ち葉の歩道を歩きながらこの冬一番の寒さを感じ、これから厳しい冬を迎える新宿のホームレス群を思った。好きこのんでホームレスをやっている人はいないんだと、、、。

         ロフトプラスワン席亭・平野 悠


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