復活32回目

6月15日「60年安保40周年記念 右も左もかかってこい!」での乱闘事件の真相 前編

 こんなにも明るい薄日が差しているのに小雨はやみそうになかった。ベランダの鉢植えはもうすでに熟していてキュウリ、ナス、ピーマンはもう十数本食した。なんと甘くて、その香りは私の口の中で広がる。スイカの苗はもう小さな地球儀ほどの大きさになっている。
前の鬱蒼とした神社に小雨にけむる紫色のあじさいが色鮮やかに見えた。突然、私はあじさいの無数にある花びらをちぎって見たくなった。階段を下り薄紫色のあじさいを一輪折って、花びらを一枚一枚小さな水たまりに浮かべてみた。
雨の日は無性にメランコリー。
不意に摩滅した私の脳細胞は6月15日のプラスワンでの乱闘事件を彷彿させた。
「これはちゃんと私なりに、興味本位でなく書かねばなるまい」と思った。新左翼「戦旗派」からも、その他の乱闘関係者にも恨みを買うかもしれないが、、、そして、3年前やはりプラスワンで起こった同種の襲撃事件も含めて、、、そう、あの時、私は日和見を決め込んで「沈黙」を続けた結果 、又こういった事件が起きたのだという自戒の念が私の全身を支配した。
97年7月8日「21世紀右左盛衰論・飛翔主義と若者の俯仰」と題して新右翼「一水会」代表(当時)の鈴木邦男氏と新左翼「戦旗派」代表の荒岱介氏のイベントが行われた。歌舞伎町に移転する前の新宿富久町にあったプラスワンは60人も入れば満席になる全面 積35坪の店だった。そこに戦旗派は組織動員?をかけ、客席はほとんど戦旗派の人たちで埋まってしまった。「異議な〜し」という圧倒的な声の中、それはまるで戦旗派の集会の有様であった。しかし、そこに「反戦旗派」?である「青狼会」その他が少なからずまぎれこんでいて、それは読むに耐えない戦旗派批判のビラをまき、薄汚いヤジを繰り返した。しかし、この日は2時間足らずでイベントは終わり、戦旗派は引き上げて行った。実に後味の悪いイベントだった。プラスワンは貸しホールではないし、その組織に反感を持つ為だけの連中の「荒らし」の場でもない。あくまでもいろんな種類の人たちの真摯な討論の場であって、組織動員された者達の戦意高揚の場ではない! 「両組織ともちっとも変わっていないな〜」と思っていた。
同年同月16日「北朝鮮とよど号の真実」と題して「宿命」という凄い本を出した高沢皓司氏(ジャーナリスト)と青狼会S氏のイベントが行われた。この日私は現場に居なかったのでよく解らないが、S氏はプラスワンに入店する前に数人組の暴漢に襲われた。しかし殴られボコボコにされたS氏は果 敢にも高沢氏とのイベントに平然と臨んだ。そして又、事件は起こった。又してもイベントの最中に数人組の男達に襲撃されたのだ。
襲撃犯人を追うプラスワン常連組。それは別にS氏の意見に賛同したからではなかった。「やはり襲撃は許せない!」と現場を目撃した特定の思想信条のない人たちまでが犯人を追った。新宿御苑駅周辺のあちこちで乱闘が起こった。
ここまで書いていて、私は不思議な気持ちになった。
それは「こんなレポートを書いてなんになるのか? 又新しい火種を撒き散らし、私が抗議を受けることになる。もうこんなややこしい話には与したくない」という思いと、「こんな事二度と繰り返してはならない、その為にもちゃんと書かねばならない」との気持が葛藤していたからなのだ。
S氏周辺は「プラスワン襲撃を許さない会」を作った。私も公安に事情徴集を受けた。当時のプラスワン店長W氏もうめぞ〜氏(現店長)も何度も公安から呼び出された。公安は「過激派」潰しには絶好の機会と思ったのかも知れない。
「その時のビデオを証拠として提出していただきたい」とプラスワンの事務所で牛込署の公安が丁重に私に迫る。
「勘違いされては困ります。プラスワンはそんじょそこらのマスコミとは違って、そんな事はできない。もしビデオを渡したら、もうプラスワンは誰も信用してくれなくなります。それは絶対出来ない」と突っ張る私。そして私はその時の録画ビデオテープを消滅させた。
「プラスワンはこの問題に関して、一切沈黙を守る」と宣言し、S氏周辺の人たちの何度にも渡る抗議にも無視を決め込んだ。私は「襲撃を許さない会」への賛同人にも名を連ねなかった。
私の意識はどうしても「どっちもどっちだ」という観念しかなかった。この「青狼会、戦旗派」とも、プラスワンの理念を「陵辱」したと思っていた。
さて、本題はこれからだ!
2000年5月末日、ジャーナリストの木村愛二氏が呼びかけるイベント「60年安保40周年記念・右も左もかかってこい!」のイベントに戦旗派代表の荒氏の名前があるではないか? これを見て私はぶっ飛んだ。3年前の事件以来プラスワンはこの両組織に出演依頼を控えていた。それも今回の問題のイベントは私が総合司会になっている。勿論S氏周辺が黙って居るわけがない。「復讐戦」は確実と思われた。しかし、私が気がついたときには、もうスケジュール広告は『ルーフトップ』、『噂の眞相』、『創』には入稿してしまっている。とても荒さんの不参加はあり得ない。この日のパネラー陣の面 々には右翼対右翼の又違った火種を抱えていた。これも私にとっては頭が痛い問題でもあった。
そんなややっこしい事をなんにも知らないイベント主催者・木村愛二氏は多分気軽に色々な立場の人に声をかけたに違いない。
「これは困った事になった」と思った。私はあせっていた。もしここで乱闘などで怪我人が出たら、警察権力の介入を招き、営業停止は勿論、プラスワン側の責任追及も相当な形で展開されるだろうという事も恐れていた。
そのイベントの前日、私は「なんとか暴力沙汰を防ぐため」に走り回っていた。荒氏の出演キャンセルは無理としても、S氏周辺の「復讐戦」は何とか防ごうと躍起になっていた。
私はS氏周辺「プラスワンの襲撃を許さない会」の面々と会合を持った。
「なぜ戦旗派の荒を出演させたのか?」と猛烈な抗議を受けることになった。(以下次号?)
そして今私の掲示板「おじさんとの語らい」は不特定の第3者も巻き込んで猛烈な論争が展開されている。
        ロフトプラスワン席亭・平野 悠

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