2008年08月20日
<深夜の銭湯、一個のちびた石鹸>
阿佐ヶ谷ロフトAから自転車に乗って、家路を急ぐ。少しばかり酒が入ったいい気分で、ちょっとベルを鳴らし、深夜の善福寺緑道を力一杯こぐ。初夏の風が心地よく頬に当たるのを感じながら、深夜1時過ぎにいきつけの銭湯に着いた。多分私がこの夜の最後の客だろうと思っていた。なんと3日ぶりの風呂だ。
終了間際の誰もいない銭湯にぽつねんと、今日あったあれこれを思い浮かべながら浸かる。
もう何十年になるだろうか? 私は自宅の風呂に入れなくなっていた。ほとんど機能だけの風呂が嫌いなのだ。私の子供の頃の東京には、「お風呂遊び」という言葉がまだ生きていた。お風呂に行くということは遊び心が必要なのだ。シャワーオンリーの西洋にはこんな言葉はない。
だからどこで飲んでいても、銭湯の終わりの時間が気になる。深夜1時過ぎでも入浴出来る銭湯が、永福町の隅っこにあった。小さな、3人も入れば一杯になってしまう、塀に囲まれた体裁だけの「露天風呂」。やはり悲しいくらい小さなミストサウナがある。入り口の壁には「森林浴ミスト」と書いてあって、ペンキで描かれた緑の木々は、薄汚れ、剥げかかっている。以前はその壊れかかった小さな空間に、川のせせらぎと種々の鳥の鳴き声がテープから聞こえていたが、もう 1年以上も壊れたままだ。実は、私はこれが楽しみでその銭湯に通うことになった。だが何度も「壊れたスピーカーを直して欲しい」と、番台(フロント)のオヤジに訴えたいと思うのだが、あまりにもうつろな、暗すぎるオヤジを見るとなにも言えなくなってしまって今夜も我慢してしまう。
銭湯の最後の客になると、至る所でマナー違反が目につく。使い古しの石鹸とか、カミソリとかを、流し台に置きっぱなしで去る奴が多いのだ。
私は、やはり「もったいない。これでは石鹸が可哀想だ」と思って置きっぱなしの石鹸を代わりに使ってあげる。金額にしたら10円分もないに違いない。しかし、誰もいない深夜、何か小さな見捨てられた石鹸が、私に「使って欲しい」とか細い声で叫んでいるような気がしてならないのだ。
「すみません、その石鹸私のですが……」と怒ったような声が後ろから聞こえた。若い男が泥棒を見るような目つきで私をにらんでいる。
「えっ、この時間、まだ私のほかに客がいたのか!」ということと、チビ石鹸の持ち主が現れたこととの二重の驚きで、私はちょっと当惑した。「すみません、つい忘れ物だと思って……」と、しろどもどろになりながら、私は絶句してしまった。
後味の悪い入浴だった。何か悪戯が見つかってしまった少年の様に、しょんぼりして暖簾をくぐって、深夜の路地に出た。
荒玉水道を桜上水に向かって自転車をこぎ、国道20号線に出るあたりの急な坂道で、思わず自転車を降りてしまった。とぼとぼと、ハンドルを押して坂を上がった。普段だったら勢いよく上る坂道なのだが、「何が悲しくって人の石鹸を盗まにゃ〜いかんのか?」と考え込むと、なんだか泣きたくなった。何ともメランコリーな一夜だった。
自宅に着き、私の部屋まで直通の暗い裏階段を上がる。小さなドアを開けると、愛猫・米子が「にゃ〜」と鳴いて出迎えてくれた。嫌な気分を忘れ、なんだかほっとした。
<「のびのびデモ」もいいもんだ>
ある木曜日の深夜、高円寺「素人の乱」の松本哉(はじめ)君から電話があった。なんでも、「洞爺湖で行われたG8サミットに抗議するデモで、サウンドカーでDJをやっていたNGOのメンバー・イルコモンズ氏(音楽家)他3名が逮捕されたので、その釈放要求デモを高円寺でやる。ついてはそのデモの前に集会をしたいので、阿佐ヶ谷ロフトAを貸してくれ。それも出来たらタダで」ということだった。
すぐさま、「阿佐ヶ谷ロフトAはそう言うためにも作った店だからかまわんよ」と即答し、ちょっと気持ちよくなっていると、元赤軍派議長・塩見孝也氏からも電話があって、「平野、お前最近なにもしていないだろう。少しは活動でもせんか!」って言われた。「いや、もうおりゃ〜年だ。傍観が一番いい。もう長くは生きられそうにもないし、世界がどれだけ壊れようともう、おいらの責任ではない」と言ったのだが、「いや、時代はまだ平野の登場を求めているんだよ」なんて言う。そう言われれば悪い気はしないが、「でもさ〜、俺、8月末から12月まで、世界一周クルーズのピースボートに乗るんだよ。だから塩見先生のやっていること手伝えないよ」って言ったら、塩爺急に怒り出して、「だからお前はダメなんだ。プチブルは最後までプチブルなんだよな」って暴言を吐かれた。そうか? 俺はプチブルか? って思った。
それで、7月12日に行われた松本君たちの集会とデモ(私も1年ぶりにデモに参加した)が、告知1日で300人以上のデモになったし、その告知文がものすごく面白かったんでちょっと紹介しよう。松本哉は雨宮処凜と並んで間違いなくスターだ。これからは湧き水のように湧いてくる中央線文化が、お上にもの申してゆくに違いないと思った。
- at 18:46
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